【05-2】烈風の朱峩(2)

蒙赫もうかくは一同の注目を浴びていることに気づくと、少し顔を赤らめて、恥ずかしげに俯く。

そしておもむろに顔を上げると、話を続けた。


「手にした朴刀は折れ、身に十数創を受けて、もう駄目かと諦めかけた時でした。

朱峩さんが兵士たちの間に、悠々と割って入って来たんですよ。


最初わしは、新手が来たのかと思いました。

ところが朱峩さんの装束は道服。

とても兵士には見えません。

わしは何が起こっているのか、咄嗟に判断出来なかった。


それは取り囲んだ兵士どもも同じで、戸惑って顔を見合わせていました。

しかしその中の一人が漸く異変に気づいたのか、朱峩さんの肩を掴もうとしたんです。


すると何が起こったのか、その兵士の体が宙に舞って、地面に転がった時には悶絶していたんです。

驚きましたね。


漸くその時になって異変を察した他の兵士たちが、怒号を上げて一斉に朱峩さんに突きかかっていったんですよ。

しかしね、連中の矛戟の刃は朱峩さんのからだに、かすりもしませんでした。


無手だった朱峩さんは、兵士の突き出した戟を奪うと、見る間に兵士どもを叩き伏せてしまいました。

騒ぎの元になった役人とその取り巻き連中は、震え上がって竦んでましたね。


戟を捨てた朱峩さんは、その連中も叩き伏せてしまいました。

それを周りで見ていた町衆からは、喝采が起きましたよ。

余程その役人は恨みを買っていたんでしょうね」


そこまで一気に話した蒙赫は、その時の情景を思い出したのか、口元に分厚い笑みを浮かべた。

それは伽弥かや一行も同じで、昨夜朱峩が見せた超絶の武勇を思い浮かべたのだった。


「その後、朱峩殿と蒙赫殿はどうされたのですか?」

そう問われた蒙赫は、伽弥に目を向ける。


「朱峩さんは丁度旅に出るところだったようですね。

背に負った荷から筆と紙を取り出すと、さらさらと何か書き記されたんです。


それを近くにいた町衆の一人に預けておられました。

後から聞いた話では、それは武林観の観主様に宛てた<破門誓願状>だったようです」


「自ら破門を願い出られたのですか」

伽弥の驚きに蒙赫は肯く。

「武林観に迷惑を掛けたくなかったんだと思います」


武林観で武を極め、<武絶>とまで呼ばれた男が、見ず知らずの男のためにあっさりとそれを捨てるというのは、どのような境地だったのだろう。

伽弥は朱峩の心を測りかねて、沈黙してしまった。


「わしは町衆に助け起こされたんですが、その時初めて、朱峩さんが武林観のお方で、<烈風の朱峩>と綽名される達人だと知らされたんですわ。

心底驚きましたね。


書状を書き終わった朱峩さんは、わしに近づいて来て一言、『行くぞ』と言って笑ったんです。

その笑顔が何とも清々しくてね。

わしは一も二もなく従いました。


幸いわしが身に負った傷はどれも浅かったんで、歩くのに支障はありませんでした。

それでそのまま国境を越えて、隣国のように抜けるまで、ご一緒したんです。


その旅の途次でね、何でわしのような見ず知らずの者を助けてくれたのか、朱峩さんに尋ねてみたんですよ。


すると朱峩さんはね、『気まぐれだ。気にするな』と言って笑ってました。

わしはそれ以上、何も訊けませんでしたね。


ただその時思ったんですよ。

この恩には必ず報いなきゃならんとね。


その後わしは、朱峩さんには遠く及ばんにしても、弱いもんの助けになるようなおとこになりたいと思いましてね。

耀に戻ってからは護衛士を辞めて、当時の左幣さばんの頭領に仕えたんです」


話し終わった蒙赫は、照れたような顔を見せた。

しかしその表情を伽弥と従者たちは、感動を持って見ていたのだ。


――人としての在りようの、何という違いでしょうか。

特に伽弥は、剋冽こくれつ太子一党の残忍さを知った後だけに、市井にある漢たちの強く優しい生き様に、激しく打たれたのだった。


「そういう理由で、蒙赫殿は我らを助けて下さっているのか」

虞兆ぐちょうの呟きに、蒙赫は大きく頷く。


「隊長さんの仰る通り、わしがあなた様方を匿っているのは、朱峩さんから受けた恩義に報いるためです。

言うなれば、自分のためにしていることでして。


ですから、姫様から感謝してもらうのは筋違いなんですよ。

わしのことは気にせず、朱峩さんの指図に従って、無事ようまでお帰り下さい」


「朱峩殿とは、どのような方なのでしょう」

伽弥が独り言のように呟くのを聞いた蒙赫は、笑顔に戻って答えた。


「一言で言えば、朱峩さんは<きょう>ですね」

「<侠>というのは?」

それは伽弥にとって、初めて耳にする言葉だった。


「上手く言えませんが、世の理不尽に歯向かうといいますか。

虐げられてる弱いもんを助けるために、平然と命を投げ出す、そんな人だと思います。


特に朱峩さんの場合は、人に頼らず常に独りで立ち向かっていく。

<侠>の中でも<大侠>と呼んでいいと思いますよ。

そんな朱峩さんに頭を下げられたら、断るなんてことはあり得んですわ。


ですから皆さん方も、安心して朱峩さんに従って下さい。

昨晩は姫様だけを守るなんて言ってましたが、決して皆さんを見捨てるような人じゃありませんから」


そう締めくくると蒙赫は、

「詰まらない話をお聞かせしました」

と言って席を立って行った。


その大きな背中を見送る伽弥の心には、新鮮な感動が溢れている。

彼女がこれまで生きて来た貴族社会には決して存在し得ない、<侠>という精神に強く打たれたからだった。

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