【05-1】烈風の朱峩(1)

朱峩が剋冽太子の巡行を襲撃する少し前まで、時は遡る。

朱峩によって危機から救われた曄姫ようき伽弥かやの一行は、東都湖陽の左微街を根城とする左幣さばんの頭目蒙赫もうかくが営む旅亭に落ち着き、そこで眠れぬ一夜を過ごしていた。


そして隅中ぐうちゅう初刻(午前九時)にならんとする頃。

厨房から煮焚しゃふんの気配が漂い始めたのを感じた、伽弥の侍女施麻しまは、姫の世話をもう一人の侍女鹿瑛ろくえいに託すと、階下へと降りていった。


彼女が食堂内を見ると、護衛隊長の虞兆ぐちょうが既に護衛士二名と待機していた。

交代で階下の警備に当たっていたようだ。


食事の差配をしている蒙赫に会釈して、入口から厨房を覗いた施麻は、そこで用意されている食事の貧しさに目を瞠る。

平民相手の旅亭では無理もないが、伽弥に供するには余りにも粗末に映ったからだ。

施麻は巨漢の蒙赫を見上げるようにして、おずおずと切り出した。


「蒙赫殿、気を悪くなさらないで頂きたいのですが、姫の分だけでも食事にご配慮いただけないでしょうか」


その申し出に、蒙赫は分厚い笑みを浮かべながら答える。

「申し訳ないが、それは難しい」


「もしも貨の問題でありましたら、こちらでご用意させて頂きますので。

何とか融通して頂けないでしょうか」

施麻は尚も彼に食い下がったが、蒙赫は困った表情で首を横に振る。


「いや、貨の問題ではないのです。

わしの手下が高価な食材を買いに走ると、街中では目立ってしまう。

すぐに噂となって広がるのですよ。


それはやがて兇猩きょうしょう(剋冽太子の蔑称)の耳に達する恐れがある。

わしとしては、そんな危険を冒す訳にはいかないんでね。


たったの二日程だ。

我慢して下さい」


「しかし」と施麻が尚も言い募ろうとした時、

「施麻、控えなさい」

という伽弥の声が背後から掛かった。


既に支度を終え、階下に降りてきた彼女は、蒙赫と施麻のやり取りを耳にしていたのだ。

伽弥は蒙赫の前に進み出ると、丁寧に頭を垂れた。


「蒙赫殿、何から何までお世話を掛けます。

そして施麻がご無礼を申し上げました」


そして施麻に振り向くと、諭すように言った。

「施麻の心遣いには感謝しますが、今私たちは蒙赫殿の庇護を受ける身。

こちらの都合で身勝手は申せますまい」


主の言葉に施麻は黙って項垂うなだれる。

「姫様、申し訳ございませんでした」


「よいのです。

そなたの配慮は十分承知しております故」


そして伽弥は、食堂に降りて来た従者たちに声を掛けた。

「折角のお持て成しです。

皆で一緒に朝餉を頂戴しましょう」


そう言って伽弥は、食道の中央に置かれた大きな卓の席に着いた。

それを見て慌てたのは虞兆だった。

「伽弥様、我らと席を共にされるのは」


「よいのです。

この先、ようまでの旅では、贅沢な暮らしなど望むべくもありません。


それに私は、皆と食卓を共にすることが、とても嬉しいのです。

気遣いは無用です」


伽弥の言葉に一同が感極まる中、厨房から大きな鍋が運ばれてきて卓上に置かれた。

鍋からは香しい匂いが漂って来る。

鍋の中には米と雑穀、そして野菜を煮込んだものが入っていた。


蒙赫の配下たちが卓上に器と箸、そして皿に盛った青菜を塩と辛子で和えただけの、質素な副菜を並べる。


伽弥の給仕は鹿瑛が行い、他は各自が思い思いに鍋の中身を器に盛って卓上に置いた。

そして伽弥が食事に口を付けるのを待って、皆が一斉に箸を動かす。


鍋の中身の米や雑穀、そして野菜は程よい硬さで煮込まれていて、口当たりが非常によかった。

それよりも汁に深い酷があり、香辛料が絶妙に利いて食欲をそそる味に仕立て上げられている。


昨夜来碌な食事を摂っていなかった護衛士たちは、思いの外の美味に顔を見合わせると、必死で箸を動かし始めるのだった。


伽弥と侍女たちも例外ではなかった。

さすがに護衛士たちのように、貪ることはしなかったが、黙々と器の中身を口に運ぶ。

昨夜の騒動と寝不足で疲れ切った体に、滋養が沁み込んで来るようだった。


その様子を、少し離れた場所に立った蒙赫が笑みを浮かべて眺めている。

その彼に、侍女の施麻が申し訳なさそうに話し掛けた。


「蒙赫殿、先程は大変失礼しました。

思いの外美味しいので、驚いてしまいました。

この味は、何を使っておられるのですか?」


「お気に召して頂いてよかったです。

この汁は去病湯くうびんたんと言いましてね。


けい(食用の鳥)の骨を半日煮込んで灰汁あくを取った後、油炒めした雑穀と米と野菜を入れて、塩と梔椒ししょう(梔子から採る香辛料)と冬葫とうご(にんにくの一種)で味付けしたもんです。


耀の平民が力をつけたい時に作る汁なんですよ。

沢山作ったので、遠慮なく召し上がって下さい」


そう言って笑う蒙赫に向かって、伽弥一行は一斉に頭を下げた。

異国で逃走中の一同には、彼の心遣いが身に染みたからだった。


久々に寛いだ食事の後、侍女二人と護衛士たちは伽弥と虞兆を残して後片付けに立った。

そして伽弥は蒙赫を卓に招いて、先行きについて相談を持ち掛ける。


「朱峩殿は明日まで待って、湖陽の東門からこうに抜けると仰られていました。

しかし東門を無事通ることが叶いましょうか。

蒙赫殿は、何かご存じなのですか?」


その物言いに、蒙赫は照れ臭そうに笑う。

「わしのような市井の半端者に、そんな丁寧なお言葉使いは止して下さい」


しかし伽弥は真顔を崩さず続ける。

「私は元々このような言葉使いですので、お気になさらず。

それよりも、明日の算段について教えて頂けませんでしょうか?」


「そうですね。

わしが朱峩さんから聞いているのは、明日の夕刻に偽の通行証を使って、皆さんを暉に送り出すということだけなんですよ。


皆さんには申し訳ないが、平民のなりをして頂きます。

衣服や通行証はわしが用意しますんで、ご心配なく」


蒙赫の説明を聞いて、今度は虞兆が疑問を口にした。

「しかし偽の通行証だけで、見破られず無事に東門を出られるだろうか。

国境警備は厳しいであろう。

況してや、太子の眼も光っているのではないかと思われるが」


「太子の方は朱峩さんが何とかするみたいですよ。

多分今頃は、<紅死行>を襲って暴れてるんじゃないですかね」


「<紅死行>を!」

「お一人でですか!」

蒙赫の言葉に、虞兆と伽弥が同時に驚きの声を上げた。


「まあ、朱峩さんのことだから滅多なことはないと思います。

とは言え、命がけであることは変わりません。


姫様は昨夜、朱峩さんの物言いに随分とお腹立ちのようでしたが、皆さんのために粉骨されていることは分かってあげて下さい」


そう言って深々と頭を下げる蒙赫を見て、伽弥は戸惑いを覚える。

そして口を突いて出たのは、二人の関係についてだった。


「蒙赫殿と朱峩殿は、どのようなご関係なのでしょうか?

何故蒙赫殿は朱峩殿の依頼で、見ず知らずの私たちを匿って下さるのでしょうか?」


「ああ、そのことですか。

それは気にせんで下さい」


「そうは参りません。

昨晩お聞きした太子の性質を考えると、私たちを匿うのは、蒙赫殿たちにとっても命がけの筈です」


伽弥から向けられた強い視線に、蒙赫は思わず目を逸らす。

そして諦めたように、口を開いたのだった。


「まあ簡単に言えば、わしは十載ほど前に、朱峩さんに命を救われたんですよ。

あの人はそのせいで、武林観を破門になったんです。


その頃わしは、傭われ者の護衛士だったんですがね。

耀の商人の一団を護衛して、武林観のあるそくまで行ったんですよ。


その時にね、護衛の任を終えて偶々入った酒家で、役人の無法が眼に入っちまったんですわ。

そいつは県の上級役人だったようなんですが、店の手伝いをしていた娘に目を付けていたらしくて、無理矢理連れ出そうとしていたんですよ。


その没義道もぎどうぶりが許せず、つい手を出しちまったんですわ。

わしも若かったでしょうねえ。


するとその役人の取り巻き連中が、県兵を呼びやがった。

わしも腕にはそこそこ自信はあったが、十人余りの矛戟ぼうげき持った連中に取り囲まれて、さすがに観念したんですよ」


そこまで語った蒙赫は、遠くを見るような目をした。

そして伽弥と虞兆だけでなく、いつの間にか後片付けを終えて食堂に戻った従者たちも、彼の話を、固唾を飲んで聞いていたのだ。

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