【04-2】湖陽擾乱(2)

太子剋冽こくれつが巡行中に<暴漢>に襲われた日の夕刻。

湖陽の街は只ならぬ緊張感に包まれていた。


失神したまま太子宮に担ぎ込まれた剋冽は、正気に戻った後、惨憺たる被害状況を聞いて激怒したのだ。


彼の護衛に当たっていた直属兵のうち、十三名が殺害され、十七名が兵として再起不能の重傷を負っていた。

これは百余名いる直属兵の三割に当たり、甚大なる被害と言えた。


それだけではなく、剋冽自慢の<紅車>は粉々に破砕され、王室の象徴たる金鸞きんらんの装飾まで<暴漢>に奪われていた。

これは王族としての最大の恥辱だった。


その上彼は、自身にとっての玩弄物でしかない平民どもの前で、地に伏して失神するという、無様な姿を晒す屈辱を味合わされたのだ。


しかし父王から忌み嫌われている剋冽は、王室に援助を乞うことは躊躇われた。

唯一の庇護者たる祖母太后にすがろうとしても、彼女の元には一兵卒もいなかったため、直接の助けには到底ならなかった。


結果剋冽は当面<紅死行>取り止めることとし、太子宮内に最小限の護衛を残すと、残り全ての兵士を<暴漢>探索に送り出したのだった。

その数は五十余名に上った。


太子剋冽の直属兵は、彼が好む薄紅色の軍袍を纏っていたため、湖陽の民からは恐れと侮蔑を込めて、<紅賊>と密かに呼ばれていた。


それら<紅賊>の一団が、探索と称して闇雲に街中を練り歩き、傍若無人に民家に押し入って狼藉を働き始めたため、湖陽の街が騒然となったのは当然のことと言えた。

しかしその様に無秩序な探索が功を奏する筈もなく、彼らは虚しく時を浪費し、只々民を害するだけの暴徒と成り果てていたのだ。


その中の一隊五名が一旦太子宮に戻るために、暮れ始めた街中の路地に入り込んだ。

数刻を無駄に過ごしたその足取りは重く、口をついて出るのは愚痴ばかりだった。


「このまま帰っても、太子の叱責を受けるだけだぞ」

「叱責だけで済めばよいが、あのご気性だ。

鞭でも持ち出して、打擲ちょうちゃくされては堪らんぞ」


「そもそも相手は、あの隊長や騎兵の四人を、一撃で屠るような豪傑なんだろう。

こんな少人数で、捕えることなど到底叶うまいに」


「その場にいた者の話では、鬼神のような男だったらしい。

そいつは余りの恐ろしさに、顔を上げることも出来ずにいたらしいぞ。


お蔭で死なずに済んだようだがな。

無謀にもかかっていった連中は、あの為体ていたらくだ」


「そんな恐ろしい奴なのか。

まさかこの先で待ち伏せていたりはせんよな」


その兵が怯えた口調で口にするのを他の兵が、「止せ。不吉な」とたしなめたが、既に遅かった。

彼の予感通り、行く手を塞ぐようにして黄金色の長袍と頭巾を纏った男が現れたのだ。


「早く呼子を吹け」

朋輩に急かされた一人の兵が、首にぶら下げた呼子笛を口に当てた瞬間、何かが彼の天目(眉間に開いた目)を貫く。

それは朱峩が指で弾いた小石―指弾だった。


眉間を撃たれた兵はけ反るように倒れ、そのまま絶命した。

指弾が彼の天目を突き抜け、そのままの勢いで脳漿を破壊したからだった。


何かの魔術にかけられたように、突然朋輩が倒れるのを見た残りの兵たちは、混乱の余り呆然として、身動き出来なくなる。

そしてその無防備さは、そのまま彼らの命取りとなってしまった。


兵たちが我に返った時には、薄闇を走る金色の颶風ぐふうと化した朱峩が、既に間近に迫っていたのだ。

そして彼らが身構える間もなく、瞬時に奪命の痛撃が与えられる。


朱峩は旋風の如く回転しながら、最も手前に立った兵の延髄に、踵の一撃を叩きつけた。

そしてその勢いのまま、その後ろに立った兵の蟀谷こめかみに渾身の蹴りを打ち込む。


最後に並んで立った二人の兵の正面に着地し、左右同時に抜き手を繰り出して、廉泉れんせんに突き込んだ。

その一連の流れるような打撃で、四人の兵士たちは瞬時に骸と化したのだった。


朱峩は倒れた五人の兵士を見下ろすと、一人の兵士の腰から板刀ばんとうを抜き取り、おもむろに眼前にかざす。

そして一言、「なまくらだな」と呟いて鼻哂びしんすると、無造作に五つの首を切り落とした。


朱峩は一人の兵士の軍袍を剥ぎ取って首を包むと、塀に立て掛けておいた鉄棒に括りつけて肩に担ぎ、風のようにその場から立ち去った。

そして彼が持ち去った兵たちの首は、夜半に太子宮の塀の上に並べ置かれたのだった。


それは剋冽への示威であり、彼を恐怖させ、より狂乱に追い込むことで曄姫ようき一行の探索から目を逸らせるための方策だったのだ。

そしてその策は図に当たった。


破暁はぎょう(午前六時前後)に、塀の上に並んだ五首を発見した太子宮の護衛兵たちは恐慌を来した。

前日<暴漢>の探索に出た兵たちのうち、既に十五名が返り討ちに会ったことが判明していたからだ。


そして彼らの恐怖は宮中に伝播して、太子の元へと至った。

剋冽は恐怖と憤怒で、ついに逆上した。


これまで彼に逆らう者など、誰一人いなかった。

それがこれ程明白あからさまな叛意を突き付けられて、剋冽は感情の置き所を見失ってしまったのだった。


「必ず見つけ出せ。

そして殺さずに連れて来い。

体中を切り刻んで、嬲り殺しにしてやる。


どんな手を使っても構わん。

街中を虱潰しにするのだ。

あ奴を捕まえるまでは、返って来ることは許さんぞ!」


狂ったように喚き散らす剋冽の怒声に押されるように、兵士たちはこぞって太子宮を飛び出して行った。

しかし彼らの顔色は、土のように暗い。


兵士たちの多くは前日<紅死行>が襲撃された際に、件の<暴漢>が振るった超絶の武勇を直接目撃し、あるいは朋輩から聞き及んでいた。

武装した三十以上の兵士を、瞬く間に葬り去るような魔人に、いかにして対抗しろと言うのか。


殺すことすら困難と思われるのに、生かして連行するなど至難の業であると、誰もが考え、沈鬱にならざるを得ないのだ。


しかし太子の命に逆らうことは出来ない。

剋冽こくれつの狂気じみた日常を間近で見てきた兵士たちは、彼の逆鱗に触れることが、この耀の国で生きる道を絶たれることであると、身に染みる程熟知していたからだ。


それどころか自分や家族が、<紅死行>のにえとなった者たちの代わりに、嬲り殺しにされることすら容易に想像出来た。


彼らは皆、狂乱の太子と暴威の魔人との間に板挟みとなって、只管ひたすら打ち震えるしかなかった。

しかしそれは太子の手先となって民に暴虐を働いて来た己が行為への、手痛い返報であることは間違いなかった。


その頃兵士たちを送り出し閑散となった宮内で、剋冽太子は俄かに冷静さを取り戻していた。

そして護衛という鎧を脱ぎ去ってしまった自身の状況に気づくと、底知れぬ不安が沸き起こって来たのだ。


感情に流されやすい彼は、容易に激高する。

しかし彼の本質は臆病さにあるため、冷静になると本来の性質が現れるのだ。


その性質を知られることを恐れて、剋冽は必要以上に暴虐な振る舞いをするのだった。

そういう意味では、彼の酷薄な性格は臆病さの反動と言えなくもない。


そして彼のその不安は的中した。

剋冽が自室に戻ると、卓上に置かれた物が目に留まる。


近づいて見ると、それは前日<暴漢>に奪われた<金鸞>の飾りだったのだ。

それは<暴漢>が誰にも見咎められることなく宮内に侵入し、彼の部屋に入り込んだことを意味していた。


剋冽は前日間近で見た、紅毛紅髯の顔を忽然と思い出す。

恐怖に駆られた剋冽は、叫び声を上げて外に飛び出した。


そして声を限りに叫ぶ。

「今すぐ兵どもを呼び戻せ!

宮内の警備を固めろ!」


やがて宮門は固く閉ざされ、暫くの間太子と<紅賊>が門外に出ることはなかった。

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【異世界武侠活劇】敢帰行―曄姫千里を征き、故国をめざす 六散人 @ROKUSANJIN

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