【03】伽弥の決意

「あの、耀湖の港まで行けば、曄の船があるのではないでしょうか?」

その時伽弥の侍女の一人、鹿瑛ろくえいが遠慮がちに口を開いた。


しかし彼女は、「何故そう思うのだ?」と朱峩に鋭く訊かれ、目を伏せてしまう。

「いえ、何となくそう思っただけです」


「耀湖に船を出すのは、王室の許可が必要です。

仮に船があっても、出港するのは無理なんじゃないですかね」

彼女に助け舟を出すように言ったのは、蒙赫だった。


「それでは八方塞がりではないか」

彼らのやり取りを聞いていた護衛士の一人憮備むびが、憤然として吐き捨てるように言う。

その言葉に護衛士たちが同調し、堂内が騒然となった。


「静まりなさい」

その時伽弥が一堂に𠮟責を投げ、そして朱峩を見た。


「朱峩殿。

貴方はお婆様の依頼で、私を曄まで連れ戻って下さると言われました。


私も曄に帰ることには賛同します。

しかしこの状況で、あなたに何か算段がお有りなのですか?」


彼女のその強い言葉を、朱峩は涼しい目で受け、口元に微笑を浮かべる。


「耀湖の水路が使えない以上は、隣国のこうに抜け、そこからちょう、を通ってようまで行くしかないというのは自明だ。


そして暉に抜ける道は二つ。

湖陽の北門を出て耀の北部を通り、暉との国境を超える道と、東門から直接国境を超える道。


いずれも王軍の関門警備を突破しなければならないし、その後の二国を通る道筋も平坦ではない。

それでもあなたは、敢えて故国に帰る万里の道を選ばれるのか」


朱峩はそう言って、伽弥に静かな目を向ける。

伽弥は必ず曄に戻るという、強い決意を込めた眼差しでそれに応えた。


「先程も申しましたが、私は曄に戻ることを、既に決意しております」

「そうであれば、俺はあなたを、必ず生きて曄まで連れて帰ることを約束しよう。

ただし、あなた一人だ」


「それはどういう意味でしょうか?

まさか朱峩殿は、私の従者たちを見捨てていかれると言われるのか!」


伽弥の憤然とした言葉に、護衛隊長の虞兆ぐちょううが続いた。


「ちょっと待って頂きたい。

貴殿と姫を二人で行かせることなど、到底容認できん。

我らは貴殿を、そこまで信用している訳ではないのだ」


二人の反応に、朱峩は思わず鼻洒びしんした。

「成程、朱莉殿の言われた通りだな」


その反応に伽弥はきっとして、彼を睨む。

「朱峩殿、それはどういう意味でしょうか?」

しかし朱峩はそれには答えず、表情を改めると、一同を見回した。


「まあ、仕方がない。

こうなることは予想通りではあったからな。


全員で曄を目指すことに異存はない。

だがその前に、一言断っておこう」


そこで言葉を切った朱峩の顔に、それまでにない厳しい表情が浮んだ。


「俺が朱莉殿に約束したのは、姫の命を守るということだけだ。

つまり、それ以外の人間に関しては、あずかり知らぬ。

この意味は解るな?」


「姫以外の者が危機に陥っても、貴殿は助けないということだな?

それは望むところだ。

我らも姫の命が守られれば、それでよい」


朱峩の冷徹な言葉に、虞兆が昂然と顔を上げて返した。

隊長の決然とした言葉に、部下の護衛士たちも口元を引き締めて頷く。

ただ一人、伽弥の侍女である鹿瑛ろくえいだけが、物憂げな表情を浮かべていた。


「それで朱峩殿。

貴方は先程言われた北門と東門のうち、いずれを選ぶのですか?」


「東門は直接こうと繋がっている故、出入りの監視も厳しい。

いずれの場合も通行証が必要だ。


それに反して北門の出入りは自由だし、耀の北部は暉と繋がる道筋が幾つかあるから、抜けるのは容易だろう。


しかしこの人数で無駄に耀国内を動き回るのは、捕えてくれと言っているようなものだ。

やはり数日ここに潜んで、東門を一気に突破する方が、危険が少ないだろう」


「しかし太子の側でも、そのことは予測しているのではないか?

それに通行証はどうされる?」

虞兆がその案に疑問を差し挟むが、朱峩は不敵に笑って彼を見た。


「俺が湖陽内を動いて、剋冽の配下どもを攪乱してやろうと思っている。

相手に隙が出来るのを待っているのではなく、こちらから作ってやるのさ」


朱峩はそう言った後、蒙赫もうかくに顔を向けると、

「決行は三日後の夕刻だ。

打合せ通りに頼んだぞ」

と短く言った。


「ああ、明日中には通行証を用意しよう。

それから皆さんの安全は保障するよ。

三日間だけだがな」


蒙赫は朱峩に笑って返すと、部屋の隅にいる配下の者に声を掛ける。

「お前ら、皆さんを部屋に案内してさしあげろ。

相手は貴人だ。

粗相のないようにしろよ」


その号令で配下たちが一斉に動き出すと、蒙赫は伽弥たちに目を向ける。

「部屋に落ち着かれたら、ゆっくりお休み下さい。

大したものはご用意できないが、隅中ぐうちゅう初刻(午前九時)には食事を用意させましょう」


その時伽弥が、蒙赫の前に進み出て頭を下げる。

「蒙赫殿、何から何までお世話を掛けます」

「おっと、姫様がこんな半端者に、頭を下げることはありませんよ」


その言葉に顔を上げると、伽弥は切なげな眼で彼を見た。

「蒙赫殿、無理を承知でお願いしたいのですが。

置き捨てられたままの私の護衛士三名、何とか葬ることは叶わないでしょうか?」


その哀願を受けて、蒙赫は困った表情を浮かべ、朱峩は再度鼻哂した。

「成程、仁は有り余るお方だ」


伽弥がその言葉に顔を赤らめ、二人の間が険悪になりそうだと見てとった蒙赫は、すかさず二人の間に割って入った。

「まあ、何とかしてみましょう。

ただ、あまり期待しないで下さい」

その言葉に伽弥は、深く頭を垂れて感謝の気持ちを表すのだった。


伽弥一行が割り当てられたへやに向かったのを見送って、朱峩は蒙赫に苦笑を向ける。

「お前も人がいいな。

しかし下手なことをして、尻尾を掴まれるなよ」


それに頷いた蒙赫は、表情を改めて朱峩を見た。

「それよりも不審なことがあるんだがな」


朱峩が無言で顎を動かし、先を促すと、

于蝉うぜんの野郎が、何故姫様一行を遮ったのか、それが解せねえ」

と、蒙赫は渋い表情で口にする。


「どういうことだ?

剋冽こくれつに手を貸したんじゃないのか?」


「それがなあ、于蝉の奴は妹を<紅死行>で攫われて、殺されてるんだ。

あいつは執念深い質だから、その恨みを忘れる訳がねえ」


「だから于蝉とやらが、剋冽に手を貸す筈はないということか。

すると剋冽とは別の手が、伸びていると考えた方がよさそうだな」


その言葉に頷くと、蒙赫は口元に分厚い笑みを浮かべた。

「ところで、さっき都内を攪乱すると言ってたが、何をする気なんだい?」


「<紅死行>は、ほぼ毎日あるんだろう?

先ずは剋冽の奴に、直接挨拶してやろう」

そう言って朱峩は、不敵な笑みを浮かべるのだった。

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