【02-2】兇猩太子剋冽(2)

朱峩の言葉に、蒙赫が同じく怒りの表情を浮かべるのを見た伽弥は、彼に問い掛ける。

「噂はそれとなく耳にしていましたが、太子の行状はそれほど酷いのですか?」

その強い視線から眩し気に目を逸らせながら、蒙赫は答えた。


「太子が乗る豨車きしゃ(豨という中型の四足歩行獣が牽く車)はかさまで紅いんですがね。

その紅車で街路を練り歩くんですよ。

街の者たちはそれを、<紅死行>と呼んで恐れています。


何しろ<紅死行>の途上で目に付いたものは、物であれ人であれ、兵士を使って搔っ攫っていくんです。

物なら諦めもつきますがね、人は男女の区別なく幼子であっても皆、なぶりものにされた後、塵芥のように捨てられるんです。


勿論、捨てられた時には生きちゃあいません。

だから太子が乗る紅葢車は、湖陽の民にとっては恐怖の象徴なんですよ」


「紅葢車が通る時に、道を避ければよいのではないか」

護衛隊長の虞兆ぐちょうが口を挟むと、蒙赫もうかくは口元を歪める。


「そこがあの兇猩きょうしょう(剋冽の蔑称、猩は山野に住む二目の猿に似た獣)、太子の狡猾なところでしてね。


太子が通るのに出迎えに出ないとは不敬に当たると言って、事前に兵士を使って沿道の住民の家に押し込み、中にいる者を沿道に駆り出すんですよ」


その言葉に、曄姫一行は皆、一斉に溜息をついた。

仮にも為政者とは、民を慈しむべき者の筈。

次代の王がその為体ていたらくでは、王国の将来に暗雲が垂れ込めていると思わざるを得なかったからだ。


「何故王は、太子のそのような暴虐をお許しになるのでしょうか?」

伽弥のその問いは、この場の一同の気持ちを代弁していた。

しかし朱峩から返ってきた答えは、あまりに無残なものだった。


「実際に剋冽こくれつを擁護しているのは、太后らしい。

そして王と正后は、太后の死を待っているのだそうだ。


その上で現太子を廃し、第二王子の儸舎らしゃを次の太子として立てるつもりのようだな。


それまでは剋冽の悪行を募らせ、廃位のための理由を積み重ねようとしているのだよ。

つまり民の怨嗟の声など、王の耳には小鳥のさえずり程も響いていないということだ」


それを聞いた伽弥の眼には、強い怒りの焔が燈った。

――そのように悪辣な王室に、私は嫁ごうとしていたのか。


辺境伯胡羅氾こらはんに圧迫され続け、苦境の中にある父を救おうと、此度の政略結婚に同意した彼女だったが、民への慈愛の心を持たない王が、故国に救済の手を差し伸べるとは到底思えなかった。


――ここはやはり曄に戻って、婚約を破棄すべきではないのか。

元々彼女にとって、この婚姻は気の進まぬものであった。


そんな伽弥の心の動きを見透かしたように、朱峩がおもむろに切り出した。

「さて、ここからが本題だ」

その言葉に、皆が固唾を飲んで彼を見た。


「最初の姫からの問、何故太子に追われるのか、その理由だがな。

<傾国>と言われたあなたが、自身を差し置いて弟に嫁すのが悔しかったのだそうだ。

だから婚姻の前に、横から姫を掻っ攫おうとしたのだよ」


「なっ!」

朱峩の答えを聞いて、伽弥は絶句した。

従者たちも同じく言葉を失っている。


蒙赫もうかくだけは、口元に冷笑を浮かべていた。

太子であれば、そのようなことも十分あり得ると考えているのだろう。


「何と恥知らずな。

いくら我儘な太子と言えども、そのようなことがあり得るのでしょうか。

そもそも朱峩殿は、何故そのような事情を知っておられる」


漸く言葉を取り戻した伽弥かやの口から出たのは、激しい怒りと戸惑いのない混じった声だった。

しかし朱峩の口から返ってきたのは、彼らを戦慄させる言葉だった。


「王宮内に古い知人がいてな。

その者が急を知らせてくれたおかげで、間に合った。

さもなければ、今頃姫は拉致され、従者たちは皆殺しの目に遭っていただろうな」


その答えを聞いた一同は、またもや言葉を失うことになった。

堂内を重い沈黙が支配する。

やがてその沈黙を破ったのは、護衛隊長の虞兆ぐちょうだった。


「朱峩殿。

貴殿は先程、三日後には城外に出ると言われた。


それは姫をお連れして、曄に帰還されるという意味だろうか。

そもそも貴殿は、国母様から何を依頼されて耀ようまで来られたのか」


「ああ、そのことをまだ告げていなかったな」

そう言って朱峩は、また苦笑を浮かべる。


「俺が朱莉しゅり殿から依頼されたのは、あんたが今言ったように、姫を曄に連れ戻ることだ。


朱莉殿は聡い方だからな。

王都の事情を聞き知って、今回の事態を予測されていたのさ。

だから俺に使いを寄こして、わざわざ耀まで姫を迎えに来させたという訳だ」


「ちょっと待って頂きたい。

姫は第二王子との婚礼に来られたのだ。

いくら国母様のご意向だとしても、王室に無断で国外に退去してよいのだろうか。


私は寧ろ、王室に助けを求め、このまま第二王子との婚姻を進めた方が、王室の庇護を受けることが出来るのではないかと思うのだが」


「通常ならば、あんたの考えは至極尤もなんだがな。

此度は王室に出向いた途端に、太子の直属兵に姫を拉致されるのが関の山だろう。


直属兵は、少なくとも百はいるというからな。

相手がいくら弱兵であっても、その人数では囲まれて、なで斬りにされるのは眼に見えている」


「我らは曄の駐留公使の居館に向かう途中でした。

公使の元に参り、保護を求めてはいかがでしょう」


顧寮こりょうという虞兆の副官が、その時初めて口を開いた。

そして皆がその具申に賛意を示す。


しかし朱峩と蒙赫は顔を見合わせる。

その様子を見た伽弥が、二人に不審気な眼差しを向けた。

「何か良くないことをご存じのようですね」


彼女の真っ直ぐな視線から目を逸らせ、朱峩は軽く耳朶を摘まんだ。

これが困った時の、この男の癖のようだ。


「その公使だがな。

あなたの宿所が剋冽の兵に襲撃される前に、妻女諸とも太子の兵に引き立てられて行ったようだ。

恐らくもう、生きてはいまい」


「何と非道な」

彼の言葉を聞いて、伽弥は怒りに身を震わせる。

湖陽の港で伽弥一行を温かく迎えてくれた、公使夫妻の優し気な笑顔を思い出したからだった。

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