【02-1】兇猩太子剋冽(1)

朱峩しゅがに従った一行が、湖陽の街外れにある、古びた旅亭に腰を落ち着けたのは、鶏鳴けいめい初刻(午前一時)間近の刻限だった。


「日中はさすがに警戒が厳しくなるだろうから、ここに身を潜めるといい。

それに姫様には、休息が必要だろうしな。


とは言え朱峩さんよ。

それ程長くは無理だぞ。」


そう言って笑ったのは、この家の主らしい雄大な体躯の男だった。

天地人の三目は何れも大振りで、顎からは濃い碧髯へきぜんが垂れている。


「ああ、分かってるよ。

遅くとも三日後には城外に出るつもりだ」


曄姫一行は二人のそのやり取りを無言で聞いていたが、おもむろに虞兆が立ち上がって礼を述べた。

「朱峩殿、そしてそちらの御仁にも世話を掛ける」


すると朱峩は、彼に笑いを含んだ一瞥をくれた。

「こいつの名は蒙赫もうかく

御仁という柄ではないな。

何しろ、この辺りを仕切る破落戸ごろつきどもの頭だ」


それを聞いた蒙赫は、怒るでもなく笑いを含んで言い返した。

「破落戸は酷いな。

間違っちゃおらんが」


そして二人の話を、不思議そうな様子で聞いている一同に向かって、朱峩が言った。


「破落戸と言っても、ましな方の破落戸だ。

この微街びがいには、街を仕切る左右のばんがあってな。


こいつが仕切っているのが左幣さばんで、さっきの連中は右幣うばんという、たちの悪い方の破落戸どもだ。

毎日詰まらん小競り合いを繰り返している、暇な連中さ」


相変わらず朱峩の舌鋒は容赦ないが、不思議と悪意の響きがない。

蒙赫も笑いながらそれ聞き流している。


「今回は朱峩さんが、鬼而きじの死神野郎をぶち殺してくれたお陰で、街の仕切りが楽になったよ。

礼を言うぜ」


「あんな雑魚一匹、どうということもない」

蒙赫の言葉を、朱峩は鼻で笑う。


「あんたにとっては、大概の連中は雑魚だろうがな。

わしら普通人にとっては、結構厄介な奴だったんだよ。


ついでにあんたが右幣の下っ端連中も、随分と片付けてくれたからな。

于蝉うぜんの野郎も、当分身動きが取れんだろう」


そのやり取りを黙って聞いていた虞兆が、漸くここで話に割って入った。

「朱峩殿、よろしいか?」

それに対して、朱峩が「どうした?」という顔を向ける。


「貴殿の素性について、教えてもらえまいか?

助けて頂いたのに無礼と思われるかも知れんが、姫の護衛士を預かる者として、貴殿の素性を聞かない訳にはいかんのだ。

この通りお願いする」


そう言って頭を下げる虞兆に、朱峩は苦笑を向けた。

「それも尤もだな。

俺は朱莉しゅり殿の遠縁に当たる者で、そくの武林観の出身だ。

と言っても今は破門の身だがな」


「武林観!」

彼の言葉を聞いた護衛士たちの間で、どよめきが起こった。


武林観とは、十六侯国中のそく国にある道観で、武の聖地として中原にその名を轟かせる場所だったからだ。

その武林観の出身とあらば、朱峩が先程見せた超絶の武勇にも納得がいくというものである。


「朱峩さんは、武林観で<武絶>と呼ばれていたそうだ」

蒙赫もうかくが横から口を挟むと、護衛士たちに更なる驚きが広がる。

<武絶>とは武勇絶倫の略で、武林観の五百載を超える歴史の中でも、数えるほどしかいない達人にのみ与えられる称号であったからだ。


「詰まらんことを言うな。

そんな称号など、破門の身には大した意味もない。


それよりも、虞兆だったか。

俺の素性に問題ないなら、この先のことを話そうと思うんだがな」


朱峩がそう言って話を先に進めようとすると、今度は伽弥が割って入った。


「朱峩殿。

貴方は私たちが何故このようの追われねばならないか、その理由わけをご存じか?

もしご存じなら、教えて頂きたい。


先程貴方は、太子の追手が私たちを捕えようとしていると言われた。

何故私たちが、太子に追われなければならないのか」


凛とした声でただす伽弥の表情は、理不尽に追い立てられ、三人の護衛士を無慈悲に殺害された上に、その遺体を置き捨てにしなければならなかったことへの強い怒りが浮かんでいる。


真っ直ぐ自分に向けられた彼女の強い視線を、朱峩は苦笑と共に受け止めた。

「成程。朱莉殿が言われた通りの気性だな。

これは厄介だ」


彼の呟きにムッとした伽弥が、更に言葉を重ねようとするのを手で制し、朱峩はおもむろに口を開いた。


「姫が太子に追われる理由を説明する前に、先ず王太子剋冽こくれつのことを話した方がいいだろう。

その方が分かり易いだろうからな」


その言葉に、一同の視線が朱峩に集まる。

その中で一人、事情を知る蒙赫もうかくだけが、口元に苦い笑いを浮かべていた。


「剋冽という男は、現王の正后が生んだ長子だが、生来天目(三目のうち眉間にある目)が潰れていてな、父母からは<不吉の子>として忌まれていたのだ。


そんなものはらちもない迷信なのだが、王の周辺にそんな戯言をまことしやかに吹き込む佞臣ねいしんがいたらしい。

それを信じる王も、迷妄と言えるのだがな。


その戯言を信じた現王は、同じ正后が生んだ次子の儸舎らしゃ、つまり姫が嫁ぐ予定だった第二王子を、太子にしようとしていたのだ。


ところがそれに頑として異論を唱えた者がいた。

それが太后、つまり現王の母公だった。


太后は親に疎まれた長孫を憐れんでか、ひどく溺愛していてな。

長子を廃して次子を太子として立てることこそ、国にとって不吉であると強く主張したのだよ。


母のその勢いに抗しきれなかった王は、結局剋冽こくれつを太子としたのだが、これがいけなかった」


そこで言葉を切った朱峩は顔から表情を消し、口元を強く結ぶ。

彼のその変化を見て、曄姫ようき一行は皆固唾を飲んだ。


「耀都に住む蒙赫もうかくの方が詳しいのだが、王太子剋冽は、その性は残忍酷薄、信は薄く猜疑心の異常に強い、我欲の塊のような男に育ったのだ。


その性質が生来のものだったのか。

父母から疎まれたことが原因なのか。


幼いころから祖母の溺愛を受けたせいなのか。

或いはそれらすべての原因が、作り上げたものなのか。


太子がその様な人格に育った理由は、今となってはどうでも良いことなんだが、その害が住民に及ぶとあってはな」


最後はそう結んだ朱峩の眼の奥には、静かな怒りの炎が揺れているのだった。

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