【01】襲撃

耀国東都の中央城市、湖陽こよう

伽弥かや様、こちらへ」

曄姫ようき伽弥とその一行十二名を急がせながら、曄国の護衛士長虞兆ぐちょうは、心中に沸き起こる憤怒を抑えきれずにいた。


――何故我らが、追われねばならぬ。

彼らがこの地を訪れたのは、耀の第二王子儸舎らしゃと伽弥の、婚儀のためであった。


国の慣例に習い、先に耀を訪れた伽弥とその一行は、婚儀のために必要な諸具諸装を滞りなく整え、翌月の婚礼のために遅れて耀を訪れる、父公の到着を待っている最中さなかであった。


伽弥の嫁ぎ先である第二王子邸は、耀国西都である湖陰こいんにあるのだが、婚姻の儀は耀王のおわす、ここ東都で執り行われるため、一行の宿所は胡陽の側に設けられていた。


そしてその日の夜陰、突然彼らの宿所に、紅袍を身に纏った耀の兵士の集団が踏み込んだのである。


前触れもなく貴人の宿舎を襲う非礼もさることながら、有無を言わせず伽弥を拉致しようとする暴戻ぼうれいに激怒した虞兆ら護衛士たちは、踏み込んできた兵士どもをことごとく打ち払ったのだった。


そして身の回りの貴貨装飾のみを掻き集め、婚礼のために用意した諸具諸装は、すべて打ち捨てて、暗い夜道へと飛び出したのである。

向かう先は、曄から派遣されている駐留公使の公館だった。


しかし勝手知らぬ異国の街並み、まししてや夜の暗さもあって、一行は迷いに迷った末、高い土塀に挟まれた暗い道へと入り込んで行った。

そして彼らが迷い込んだ先には、<死神>が待ち受けていたのである。


行く手の暗がりにひしめくく人影を見咎めた先頭の護衛士二人は、後ろに続く朋輩たちに警告を発しようと振り向いた。

その刹那、闇を二条の銀光が切り裂き、二人の首が宙に舞ったのである。


矢庭に首を失い倒れ伏す配下二人を見た虞兆は、その場に留まり配下に姫君を囲ませると、自身は前へと進んだ。

無論前方への警戒は怠らない。


その時前方を塞いだ輩どもが、手に持った提灯に火を灯したらしく、周囲が仄かに明るくなったのだ。

そしてその灯りに照らされたのは、身のたけ六尺を超える瘦身の偉丈夫であった。


その男の両手には、円弧状に湾曲した大きな鎌が握られている。

それが今し方、護衛士二名の首を飛ばした凶器であることは、鎌の先から滴り落ちる鮮血を見れば一目瞭然であった。


「貴様ら何者だ。

我らに何の遺恨あって、このような狼藉を働くか?!」

虞兆は渾身の怒りを込めて、眼前の暴漢どもに言い放った。


「俺か。俺は鬼而きじと言う者だ。

微右びうの死神>と呼ぶ奴らもいる。

ここにいる所以ゆえんだが、あんたらをこの場で足止めするよう、ある筋から依頼されてな」


鬼而と名乗った男は、せせら笑うように虞兆に返した。

大鎌を持つ両手は地面に向けてだらりと下がり、地目ちもく人目じんもく金壺眼かなつぼまなこ(地目、人目は三目人の左右の目を指す)からは、残忍な光が炯々と放たれている。


「誰が貴様らに、そのような理不尽を依頼したと言うのだ。

ここにおわすお方は国の貴賓。

破落戸ごろつきどもが、遮ってよいお方ではないのだぞ!」


しかし虞兆の発する裂帛の強言にも、鬼而は怯む気配も見せない。

後ろに控える破落戸どもも、ただ彼らに冷笑を向けるだけだった。


そして鬼而は、両手に鎌を構えて進み出た。

「姫君と侍女以外は、殺せと言う命令なんでな。

悪く思うなよ」


その刹那、鬼而の両腕が鋭く振られ、再び二条の銀光が空を裂いた。

虞兆は辛うじて鎌の襲撃をかわしたものの、彼に並んだ護衛士は、先の朋輩と同様、成す術もなく首を失い、地に伏してしまった。


そして二振りの兇鎌きょうれんは、するすると空を舞って、主の手元へと吸い寄せられたのであった。

<死神>の振るう双鎌そうれんの兇猛さを、まざまざと見せつけられた曄姫一行に戦慄が走る。


その時だった。

「お困りのようだな」

この場に似つかわしくない飄々とした声音が聞こえ、背後の闇から一人の男が、朱色の長髪を微風に揺らしながら近づいて来たのだ。


男の天目(三目人の眉間に開いた目)には真紅の瞳が鮮やかな光を放ち、地目、人目はいずれも深紅の瞳が涼し気な光沢を帯びている。

身には黒い胡服を纏い、髭鬚ししゅの色は髪と同じ朱色。

典型的な北方外縁侯国人の容貌だった(外縁侯国は中原六国を取り巻く諸国)。


男は曄姫一行の前に、緩々ゆるゆると進み出ながら、彼らの行く手を塞ぐ凶漢に向かって、静かに言い放った。

「死神、死神と騒ぐから、どれ程の者かと思えば、らちもない」


「貴様、何者だ」

<微右の死神>鬼而きじは、男の只ならぬ雰囲気に気圧され、思わず身構える。


「俺か。俺は、そうだな。

今からお前を殺す者と、言っておこうか。


鬼而きじとか言ったな。

その鎌は、もう投げんのか?」


そう言って悠然と鬼而に向かって歩を進める男の手には、黒光りする鍛鉄たんてつの棒が握られている。

更に男はその背に長刀を負い、腰には柄と鞘に見事な彫の施された、一振りの剣を手挟んでいた。


鬼而は突如現れた相手に、一瞬たりと言えども畏怖を覚えた己をとし、必殺と頼む飛鎌を男に向かって投じたのである。

しかし彼は、己の直感に従うべきであった。


鬼而の投じた鎌は曄姫の護衛士を屠った時と同様に、変幻の軌道を描いて男に襲い掛かるも、あっさりと鉄棒に巻き落とされてしまったのだ。

そして胡服の男は歩みを止めることすらせずに、地に落ちた鎌を棒の先に引っ掛け、鬼而の方へと放り遣った。


「さっさと拾ってかかって来い。

まさか今の詰まらん技で、終わりではなかろうな」


その言葉に赫怒した鬼而は足元に転がった双鎌を素早く拾い上げ、男に殺到する。

そして左右の上から交差させるように振り下ろしたのだった。


しかしその必殺の斬撃も、男には通用しなかった。

双鎌は男の胡服に触れることも叶わず、唸りを上げて旋回する棒によって、弾き飛ばされてしまったのだ。


そして鬼而きじがその神技に呆然と立ち竦む中、男が放った神速の打突が彼の人中じんちゅう廉泉れんせん水月すいげつの三急所に瞬時に打ち込まれた。


哀れ<微右の死神>の名を馳せた殺し屋鬼而は、己を倒した相手の名を知ることもなく、地に滅んで声を失くしたのである。

その予想外の展開に、鬼而の後ろに控えた破落戸ごろつきどもも、皆声を失くして立ち竦んでしまった。


その時、屠った相手を悠然と見下ろす男の背後から、声が掛かった。

「どなたか存ぜぬが、ご助勢誠にかたじけない。

我らの名を明かす訳には参らぬが…」


そこまで言った虞兆ぐちょうを男が遮る。

曄姫ようき伽弥かや殿の一行だろう。

知っているさ」


男のその言に、虞兆ら護衛士が一斉に身構える。

しかし彼らの放ったその殺気を受け流すように、男は微苦笑を浮かべながら言った。


「そう身構えるな。

俺の名は朱峩しゅが

曄の朱莉しゅり殿から、姫の護衛を頼まれた者だ」


「お婆様から、私の?」

男の言葉を聞いて前に進み出ようとする伽弥を、虞兆が背中で押し止める。


「朱峩とは聞かぬ名だ。

誠に国母様から依頼されたという証はあるか?」

その言葉に朱峩と名乗った男は、懐から取り出した五色の連珠を虞兆に投げて寄こす。


虞兆が受け取った連珠を見た伽弥は、彼に肯いた。

「間違いありません。お婆様の連珠です」


「合点がいったところで、先に進むぞ」

「先にとは、どこへ」

伽弥の言葉に、朱峩はまた微苦笑を浮かべる。


「先に進むと言えば、目の前の路を行くことだろう。

それ以外の意味を俺は知らんが」

「朱峩殿、貴殿には前にいる破落戸ごろつきどもが目に入らぬのか?

ここは一旦引くべきであろう」


虞兆の言葉は、護衛士の頭として当然であったろう。

しかし朱峩は、彼の言葉を意にも介さない。


「前の蟻共なら、俺が払い除けるから、気にすることはない。

それよりも、ここから後戻りすると、太子が放った追手に絡め捕られるぞ」


「太子の追手?太子とは?」

「太子と言えば、耀王の長子以外おらんだろう。

まあ、追われる理由を知らないのなら、是非もないか」


尚も怪訝そうな一行に向け、「さて行くぞ」と言い捨てた朱峩は、無造作に前へと歩を進めた。

頼みとする鬼而きじを瞬殺され、呆然としていた破落戸ごろつきどもも、その時漸く我に返って色めき立つ。


しかし数を頼んで襲い掛かるそれら有象無象の輩どもの間を、朱峩は無人の境を征くが如く、悠々と歩を進めて行くのだった。


彼の周囲を縦横に舞うが如く振るわれる鉄棒は、立ちはだかる者どもの骨を砕き、急所を打った。

朱峩が通った後には、地に倒れて呻き苦しむ破落戸ごろつきどもの軀々くくが、累々と積み重なっていく。


「彼の者に従いましょう」

猛威を振るう彼の背中を唖然と見送っていた曄姫一行は、虞兆のその一言で我に返った。

そして己を守るために異国に散った護衛士三名の骸に手を合わせ、この場を去り難い風情の伽弥を急がせて、先へと進んだのだった。

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