第8話 快楽と恐怖の狭間で

 ナオを連れて歩くためになるべく軽装で、武器だけを持つことにした。


 俺の手元には鞭だけにして、ナオの手には箒を持ってもらった。


 ナオの装備


 ・包丁

 ・掃除機

 ・箒

 ・タワシ

 ・洗剤

 ・水魔法

 ・風魔法


 装備のスキル項目が現れたために、箒と水魔法をスキルポイント1で習得してもらった。


 掃除機などの方が強そうではあるが、使い捨てができる方が今は良いと判断した。


 玄関を開けると空は曇天に覆われ、灰色の雲が不気味に漂っている。上の階が落ちていることで、瓦礫に埋もれた車や、倒壊した建物の跡が散らばっている。


 もはやここがかつての街だった面影を薄れさせていた。


「すごい……こんなことになってたんだ」


 ナオが声を震わせながら、周囲を見渡す。その瞳には不安が感じられた。


「大丈夫だ。まだこの建物は崩れない」


 俺は先ほど確認して、今は大丈夫だと思う。


 革の鞭を握りしめた。ナオの不安をよそに、俺の心は不思議と冷静だった。むしろ、どこか昂揚感が混じていた。それはきっと、今から始まる戦いへの期待だと思う。


 この世界では、ただ怯えていても生き残ることはできない。


 俺は「奴隷商人」というジョブを得たので、戦闘職ではない。だけど、戦うことができるのを喜んでいた。


 瓦礫を避けながら、マンションの外に出た。


「なんだか、家がなくなるって悲しいね」

「まぁそうかもな」


 そんな良い家ではなかった。だけど、五年を過ごした場所を捨てる。それは考えさせられることだ。


 ナオと共に歩いていると、不意に不気味な音が耳に届いた。


「……シャアアア……」

「……今の、何?」


 ナオが俺の後ろに隠れるように身を寄せる。その瞬間、俺は前方の影に目を向けた。


 建物の陰から現れたのは、一匹の巨大なトカゲのようなモンスターだった。全身は赤黒い鱗に覆われ、鋭い牙がぎらりと光る。その姿を見た瞬間、俺の全身に緊張が走る。


「デッカ!」

「トカゲのモンスターだな!」


 多分、あの赤黒い鱗はサラマンダーか? 名前は知らなくても、何かしらのゲームや映画で見たことのあるタイプの敵だ。小さな炎を吐きながら、こちらを睨むように低く唸っている。


「タイチさん、あれ……どうするの?!」


 ナオが恐怖に震える声で問いかけるが、俺の視線はモンスターに釘付けだった。その牙、爪、火の気配……明らかに強敵だと直感する。


 だけど、強敵だと思うことよりも、不思議と恐怖だけではなかった。


 心の奥底で湧き上がるのは、純粋な高揚感。先ほどゴブリンを倒した時にも感じた、言葉では表せない感覚が再び俺を支配していた。


「戦うしかないだろ。ナオ、お前は下がってろ」


 俺は一歩前に踏み出し、鞭を構えた。サラマンダーは低い咆哮を上げながら、四足で地面を引き裂くように近づいてくる。


 サラマンダーが猛スピードで突進してきた。反射的に鞭を振るう。バチン! 鋭い音が響き、鞭が奴の鱗を打つが、硬い外殻に阻まれて大きなダメージには至らない。


「くくく……硬ぇな!」


 サラマンダーは俺を狙って炎を吐き出した。俺は咄嗟に瓦礫の陰に飛び込む。


 熱風が顔を掠めるが、間一髪でかわすことができた。瓦礫が焦げる匂いが鼻を突き、心臓が激しく脈打つ。


 攻撃を受けた。それは怖い。だけど、痛みも生きていると感じる。


「タイチさん! 大丈夫?!」

「喚くな! 下がってろって言っただろ!」


 怒鳴りつけながら、俺は鞭を握り直す。サラマンダーはすでに次の攻撃の態勢に入っていた。その目は冷酷で、こちらの隙を見逃す気はない。


 俺の脳裏に浮かんだのは、一つのスキルだった。


「火属性には火だ。……『火属性魔法:ひのこ』!」


 俺が叫ぶと同時に、指先から小さな炎が放たれる。まるで蝋燭の火のように頼りないが、それでも奴の顔に着弾した。


「シャアアアッ!」


 サラマンダーは驚いた顔をみせる。その隙を見逃すはずもなく、俺は全力で鞭を振り下ろした。


 バチン! 今度は柔らかそうな目元を狙った一撃が命中する。


「効いてる……!」


 俺の胸に湧き上がるのは、歓喜とも言える感情だ。モンスターが自分の力で怯み、苦しむ姿を見て、全身が震えるほどの興奮を覚える。


 だが、その高揚感の中で、一瞬の戸惑いが心を掠める。


 これは正しい感情なのか? 生き物を痛めつけることで喜びを感じる自分に、薄っすらと恐怖を覚える。だが、その迷いはすぐに掻き消された。


「考えるな……今は、殺るしかない!」


 俺は再び鞭を振り上げ、サラマンダーの足元を狙う。バチン! 鱗が裂け、奴の血が地面に飛び散った。


 その時、俺の全身に電流のような快感が走る。


「ハハハハハッ! どうした、もう終わりか! オラオラオラ!」


 無意識に笑みが零れる。気づけば、自分の声が高揚感に満ちていることを認識していた。


 サラマンダーは最後の力を振り絞り、再び炎を吐こうとする。しかし、その瞬間、俺は全力で鞭を振り下ろした。


 バチン! 渾身の一撃が奴の首元を打ち抜き、サラマンダーは地面に崩れ落ちた。


 静寂が訪れる。モンスターの体は徐々に霧のように消えていき、その跡には魔石と光る鱗が残された。


「……やった、ハァ〜勝った……!」


 震える手で魔石を拾い上げる。全身に走る快感は、未だ消えない。俺は深い息をつき、ナオの方を振り返った。


 彼女は怯えた表情でこちらを見つめている。


「タイチさん……大丈夫なの?」

「ああ、大丈夫だ。心配するな」


 そう言いながら、俺は自分の内側で燃え上がる感情を抑え込む。


 この高揚感は……果たして正しいのか? だが、その答えを探す時間はなかった。遠くから新たな咆哮が響く。次の敵がこちらに近づいてきているのだ。


 良い、生きてる。俺は今、自分で選択して、生きていることを実感している。


「ナオ、行くぞ」

「う、うん!」


 俺たちは残ったアイテムを回収し、再び瓦礫の街を進む。


 この世界では、戸惑っている暇などない。ただ生き延びるために、戦い続けるしかない。


「ナオ」

「何?」

「モンスターを倒せば、レベルが上がるようだ」


 先ほどのサラマンダーやゴブリンを倒したことで、レベルが上がった


《レベルアップしました。スキルポイント、ステータスポイントが付与されます》


 俺は次第に確信へと変わり始めた。この高揚感は恐怖だけではなく、この世界で生きるために必要な感情なのだ。


「ひぅっ?!」

「どうした?」

「なんだか、怖い笑い方してたよ」

「そうか?」


 自分では気づかなかったが、歪んだ笑みを浮かべながら、俺は鞭を握り直し、次の戦いに備えた。


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