11話

「う、うわあああああああ!」

「助けてくれーっ!」


 この海岸警備用の施設の中、数多くの悲鳴が次々と上がる。

その中には、本来ここを根城にしていたギャングたちも含まれていた。


「に、逃げろ……わ、わあああああああああ!?」


 どちらがこの地の主であるか分からないほどに、魔物は次々とその数を増やしていた。

安全な場所など何処にもないように。


「ギャアアアアアアアアア!!」

「グガギャアアアア!!!!」


 そして、その凶牙が向けられるのは、ギャングたちだけではない。

今解放されたばかりの、拉致されていた者たちは、待ち望んだ外部の光景に絶句していた。


「そ、そんな……やっと出られると、思ったのに……」

「……ギャアアアアアアアアア!!」


 その先頭へ、巨大な獣のような、魔物の殺意が向けられる。

ようやく牢獄の扉から出たリリア、そしてニーコがそれを認識するのは、間一髪と言えるタイミングだった。


「おらおら、道開けろぉっ……ってえッ!?」

「ごめんね、ちょっと先通して……って、危ないっ! ニーコお願い、をやろっ!」

「いよっし、任せろ!」


 返事を返したニーコ。

そして隣のリリアを巻き込むように、突風が足元へと生じさせる。

それは二人の体を、人の波を飛び越えるように宙に浮かせた。

まるで黄金色の風を成形するかのように、リリアの纏う輝く精霊たちも風の中に混じり合っていく。

魔物は、既に突進を開始していた。最早猶予はない。ほんの僅かに遅れて、輝く風も立ち向かうように飛び出した。

 

『"アサルト・バースト・ツインドライブ"ッッ!』

「ガギュバアアアアアアアアアッッ……!!?」


 そのまま爆発するような突風と共に。

リリアの飛び蹴り、そしてニーコのドロップキックが魔物に突き刺さっていた。

風の精霊、そして輝く光の精霊たちが、その力を何倍にも引き上げていて、

それは魔物の外皮を突き破り、遂には貫通してしまった。

魔物を形成していた精霊たちにも包まれながら、二人はそのまま着地する。


「よっしゃ……!」

「ニーコ、大丈夫!?」

「ああ! こんぐらい、なんてことあるかよっ……!」


 ニーコの表情にはやはり、堪えるような汗が滲んでいた。

先の店内での戦闘とは比較にならないほどの魔物の発生量だ。影響が無いわけもなかった。

それでもリリアの心配に、声を張って答えるニーコ。 

その背後、遅れて姿を現したネル。今も通信を繋いだままにしていた端末から、フェムトが声をかけた。


『ネル、ありがとうございます。反応を見る限り、やはり予想通りです。

 精霊爆弾が稼働している影響で、

 外よりも牢獄内のほうが、圧倒的に魔物は発生しづらい環境にあるようです。

 皆さんは退避させ、あなたがここを抑える形のほうが守りやすいでしょう』

「わかりました! みなさん! 一旦戻って隠れてください!外は魔物が発生しています!

 入口は私が防ぎます、急いで!!」


 その説明、そして提案をそのままに受けて、ネルは一団へ広く告げる。

そして踵を、一度返す。そこで合った、リリアとの視線。


 いつも無茶ばかりする、無鉄砲で朗らかな、愛らしい妹分。

ネルは、希望と暖かさに溢れているその瞳が好きだった。

まだ少女だから、それが揺らぐことはあるけれど。

こんな状況でなお今輝く彼女の瞳は、自らの全てを賭けるに、十分だと思っていた。


(……貴方はきっと、やってしまえる)


「リリアっ、忘れ物っ!!」


 懐に抱えていた、その荷物を振り上げて。そのままリリアへ叫んで、放り投げた。

手を離れてすぐ、精霊たちがそれを包んでいく。それだけで、向かいのリリアはそれが何かわかった。

それは物理的な放物線を無視して、同じく掲げた、リリアの手へと吸い込まれるように収まる。

そう。彼女が身に付けていた、精霊を纏う直剣だった。


「ネル姉、ありがとっ!」


 視界に映るリリアは、英雄の一幕を切り取ったかのように、可憐で凛々しく、雄々しい姿だった。

そこにありったけの気持ちを、ただ一言に込めて。

ネルはもう一度だけ叫んだ。


「……がんばれっ!!」

「……うんっ! ありがと!!」


 それに力強い返事を返して、リリアはニーコと共に外へと駆けていく。

一旦避難も完了したようだと、周りを見回そうとして、しかしネルの耳に、新たな声が届く。


「ず、ずびばぜんッッ! あがっ、おだずけ、おだずげぐださいぃ!!」

「ああ、まっで!? ごんなのは愛じゃないいいい!!?」


 ネルの今立つ場所から続く場所、リリアが走り去った所とは別方向。

オリバーとエルフィンが、新たに現れた魔物に襲われている真っ最中だった。

彼らは打ち倒された後、物理的にも捕縛されており、身動きの取れない状態だ。

もはや餌と言える状況で、危機には間違いなかった。


 だが。ネルにとっては、感じ入る時間に水を差されたに等しい。

そのフラストレーションは、まっすぐその口調に現れた。

背中から、武器へと変貌するあの棒を握りながら、今度はまた違う色で叫ぶネル。

それは、怒りが8割と言ったところだったろうか。


「……ああ、もう!! "28番"――"32番"、"48番"!」


 直後。閃光と共に、ネルは悲鳴を上げていた男たちのその先へと駆けて抜けていた。

その通り道となっていた魔物たち、それらを両断して。

そしてネルは吐き捨てるように、振り向きもせずに男たちに告げた。


「正直、こんなところで好き放題やってたあなた達を助ける義理なんて全く無いけど。

 あの子の成し遂げる事に、後味悪いことなんて残してあげたくないの。

 あなたたちにはしっかり生き残って、然るべき罰を受けてもらうわ」


――――――――――――――


「うおおおおおおおおおッッ!!!」

「ビェギャアアアアアアアアッッ!?」

 

 もはや、考えるより先に身体を動かすしか無い。そんな状況だ。

ジストは作戦や道筋を立てる前に、一番近い魔物を殴り飛ばす。

魔物としての身体の成型直後、それを隙として致命の一撃を叩き込む。

無論、頭数を減らすということを思えばこれ以上無い行動だ。だが。


「ピェガアアアアア!!!

「ガアアアアアアアアアアッ!!」

「"貫け"ッ!! くそ、キリがねえ! ここを狙ってやがるのか!?」

「その可能性は考えられる。供給が止む気配がない」

「くっ! このままでは……!」


 出現する魔物の数は、もはやこの数人で対処しきれるものでは無くなっていた。

たとえ一度の攻撃で無力化出来るとしても、到底その供給には間に合わず、魔物の絶対数は次第に増え続けている。

このままでは解決どころか、いずれは。それは、この場の全員が共有している感覚だった。


(託す、それしかないか!)


 して。この場では図抜けた戦いの経験を持つ、最年長として。

ジストは、一つの方向性を思いつく。

不安のない案ではない。だが無理だと断ずるほどには、もう、への信頼は軽くなかった。

だから、それは殆ど即決でもあった。最寄りの一体に一撃を打ち込んで、同時に叫んだ。


「ノイン! 二人を連れて飛べ!!」

「!……了解」


 少し、驚きのような間を見せたものの、しかしその命令を理解すると、

ノインは手早く真横のジェネ、そしてレオを担ぎ上げて空へと舞い上がる。

 

「うおっ!?」

「な、何をっ……!」

「……うおおおおおおおおおおおっ!!!」


 それを視界の端で確認すると、ジストは自分の拳を、全力で地面に打ち込んだ。

凄まじい威力の剛拳が、先程の足踏みと同じように、舗装された地面を破壊し、隆起させる。

それは接地していたものに、やはり強烈な衝撃によるダメージと、足元の不安定による行動の束縛を与えた。


「ビィイイイイイイッッ!?」

「ペギャアアアアアア!!」

「ジスト隊長、これは……!」

「聞け! これだけ魔物の発生がここに、それも俺達の周囲に集中しているということは、

 恐らく犯人は肉眼で俺達を確認している! 

 であれば、おそらく監視部……ここの最も高い建物の最上層、司令室に居る可能性が高い!

 ここで俺が魔物を陽動する! 君達は一刻も早く、その犯人を拘束してくれ!」


 それから息つく間も待たず、ジストは飛び立った彼らに、考えついた案を叫んでいく。

言うまでもなく、少なからず自己犠牲を含む作戦であった。

かなり大規模の派手な攻撃を繰り出したのも、陽動のためだろう。

だが当然ながら、ジェネは反論する。元々、彼の助力のために来たのだから。


「おっさん! また一人で戦う気かよ!?」

「いいや! 今回は捨て身のつもりはない! お前たちなら、この供給源を止めてくれると信じている!

 それまでの時間稼ぎをするだけだ! ……そうだろう!?」


 だが、先程とは最も大きく違うもの……自分の心境、魂が、ずっと前向きにあること。

それを彼らへの信頼と共に、言葉に乗せてジストは伝える。

魔物へ向かうその背中には。確かに、先程感じていた危うさは、感じられなかった。

反論したジェネも、それを強く感じていた。故に納得までは、そう時間はかからなかった。


「……わかった! 頼んだぜ、おっさん!!」

「ジスト隊長、ご武運を。急ぐぞ!」

「ああ、頼む! やってやるぞ!」


 そうして、ジストの作戦を受け入れる三人。

いずれも言葉に現れるほど、その士気は高い。

背中でそれを感じ取って、ジストはサムズアップでそれに応えた。

それを合図に、空中で大きく旋回し、別方向へと身体を発進させるノイン。

目標は勿論、ジストが指した監視部だ。

出せる限りの速度で突き進む中、新たな魔物は更に現れて、すれ違っていく。

その殆どは、獅子奮迅の戦いを見せ、その存在を主張するジストの方に流れていくものの。


「くそっ、来ちまうか!」


 その内の幾つかは、去っていくノインの方へとその体を向け、追い始めていた。

既に広場と言える場所は抜けていた3人だが、そこに着くころには、

巨大な魔物が3体、彼らを標的として迫っている状態だった。

ノインに抱えられた腕の中、状況を即座に判断して。レオは、その腕の中から飛び出す。


「馬鹿なっ、レオ!?」

「行けっ!! "怪盗技術トリックスキル、『六道縛・散』ッ"!!」


 兵器であるノインを出し抜くほどの手際。

焦りを直接見せるノインへ、その背中を押すようにレオは叫んだ。

直後、無数の細い糸が魔物達の方へ放たれる。


「ブオオオオっ!?」

「ブウウッ、ブウウウウッッ!!」


 だがその強度は確かなようで、魔物たちは前進どころか、その行動自体を封じられている程に拘束されていた。

その内一体へと突撃するレオ。

その腕には、懐から取り出した短刀が握られていた。


怪盗技術トリックスキル、『滅刃・裂波』ッ!!」


 それは、並の動体視力ではただの一閃にしか見えなかっただろう。

だが実態はそうでないことを、レオの目前で捕まる魔物が証明していく。

その身が、細切れに崩れていくという形で。

 

「ピギイイイイイイッ!!!」

「レオっ!!」


 その背中へ声を掛けるのはジェネだ。それを抱えるノインも、一旦動きを止めていた。

この拠点に来てからの、僅かだけの交流、それでも。

彼らにとっては、足を止めるほどの存在であると示していた。

レオも、魂がそれを感じ取っていた。後ろの二人に、ニヤリと笑う。


「先に行け! 見ての通り捌くのは得意だ、ここで第二の防波堤になろう!」

「だが……」

「無理はしない! こっちは防衛隊からも逃げ続けた怪盗だ、なんとかして見せるさ!」


 そして。ジストから感じ入った、もしくはその思いを同じくするように。

レオもまた、右手でハンドサインを送る。

それはきっと。後ろの二人も同じ気持ちだと、確信しているかのように。

いや、それは正しかった。燃える「心」を、その行動はさらに大きくした。


「……ジェネ」

「ああ。行こうぜ! レオ、死ぬなよっ!!」

「勿論だ! また会おう、友よ!!」


 雄々しく叫ぶレオを背に。二人は更に、監視部へと急ぐ。

この施設は広場が露骨にあるように、建物の配置も固まっている傾向にあった。

広場を抜けた今、目的の建物は確かに近いと言えた。


「ペッキャキャキャキャ……」

「ギャアアアアアアアアア!」


 しかしその正面にもまた、魔物たちが存在していた。

広場に比べれば、その大きさ、数ともに劣ってはいるものの、

行く手を塞ぐそのうち幾つかは歪な蝶のような出で立ちであり、飛行能力を有していた。

そしてとびきり目を引く、その中央、巨大な猪のような魔物。

この一体に関しては、広場に現れていたものとそう体躯は変わらなかった。

飛び越えることは現実的ではない。そう判断して、ジェネもノインも、地面へと降り立つ。


「ジェアアアアアアア!!」

「こっちにも湧いてない、ってわけじゃねえな!」

「強行突破するぞ。 『承認確認、エネルギーカノン-レベル2-924』」


 一斉に殺意が、こちらへと向いた。

だがそれに負けることなく、彼らもまた気迫に溢れていた。

その手に集まる精霊が、腕の甲の砲門。精霊たちがそれぞれに合わせ、姿を変えていく。


「おう! "貫け"っ!!」

「『ファイア』」

「ピギェアア!?」

「ギャピッッ!!」


 そのまま彼らは先制打を放つ。

炎の槍、熱と光の弾丸が空を飛ぶ魔物の翼を貫き、撃ち抜いていた。

空を飛ぶ力を喪失し、落ちていく魔物。

その体さえも踏み越え、更に巨大な、猪のような魔物が続いて彼らに襲いかかる。


「ブオオオオオオオオッ!!」 

「避けろ!」

「うおおおッッ!! 食らえっ、"貫け"ッ!」


 繰り出された、質量を活かした突進。それをそれぞれ左右に跳び出して躱す。

その流れのまま、魔物の臀部へと射撃を撃ち込む二人。

だが魔物はその勢いを緩める様子も、被弾による苦悶の様子を見せる事もなく、

Uターンして再び二人をその進路上へと入れ直す。


「頑丈な奴だなっ、急がねえといけねえのに……!」

「焦るな、来るぞ」


 攻撃が通じていないことについての苛立ちを見せるジェネと、それを諌めるノイン。

ともかく、敵の攻撃は続いている状況にある。

二人は再度の回避のために体勢を整え、再び魔物へ意識を集中した、その最中だった。

その視界に突然、強く輝く何かが乱入する。


「うおっ、何だ……!? っ、ーっ!!」


 直後。二人を巻き込まんとするほどの突風が通り過ぎる。精霊が、その姿を成したものだ。

光を放っていたのもまた、溢れんばかりに湧き出した精霊たちだった。

そして。その中心で剣を振りかざす少女の姿が見えて。ジェネは思わず、言葉が出なくなった。


「うおおおおおおあああああっ!」

「ぶちかませ、リリアーッ!」


 ニーコの激励をその背中に。

魔物の通るであろうその地点に向け、突風と共に急降下するリリア。

無数の精霊たちに包まれ輝く刃を、宙で体ごと回して。

その勢いのまま。風と光の精霊たちごと、向かい来る魔物の額に叩きつけた。


「"ステラドライブ・エア"ッッ!!!」

「ブッ!!! ブギェアアアアアアアッ……!」


 それは最早爆発のような衝撃と共に、魔物の体を完全に打ち砕いていた。

リリアに助力したそれらと共に、不可視の姿へと戻っていく、魔物を構成していた精霊たち。

それらに包まれながら、彼女は二人へ振り返る。


「ジェネ、ノイン!」

「リリア……! 無事だったんだな、どころかめちゃくちゃ元気かよ!」


 彼女の笑顔に、ジェネも一旦、張り詰めていた表情が解れていく。

だが、切羽詰まる状況はそれに浸ることは許さなかった。

駆け寄ってくるたび、リリアの表情もまた緊張感を持っていく。


「うん! それより急がなきゃ!」

「魔物のことだな!? 今もおっさん達が戦ってる……! 急がねえと!」

「それが、それだけじゃなくて!」


 状況は一刻を争う状況なのは変わらない。

リリアは口早に、共有されていない情報を二人へ出していく。


「ええと、よくわかんないけどものすごい大きな、時限爆弾が動いてて!

 止めるためには、起爆装置を壊さなきゃいけないらしいの!

 それもええと、あのゲルバっていうリーダーが持ってるんじゃないかって……!」

「ば、爆弾っ!?」

「紐付け型の精霊爆弾か。 廃棄施設という事で、纏めて廃棄されていたと言う事だな。

 確かに起爆阻止を防ぐのであれば、自分が持ち歩くのはあり得る。

 魔物の発生装置と同様に、ゲルバが持っている可能性は考えられる」


 彼女の説明は大目に見ても拙いものではあったが、

ノインの既知の範疇ではあったようで、その飲み込みにはそう時間は掛からなかった。

その3人の側に、ゆっくりとニーコも降りてくる。

顔色はもはや、当然のように良くはない。だが、その表情には弱みを出さないように努めていた。


「持ってなかったら持ってなかったで、

 どこにあるか聞き出しゃいいんだ……!さあ、急ごうぜ……!」

「お、おい! 大丈夫か!?」

「ニーコ! ごめんっ、もう大丈夫……」


 だがその我慢も、もう限界に近づいているようだった。

ずっと肩で息をして、絞り出すような声のニーコ。流石にリリアも、そしてジェネも彼女を心配する。


「……」


 あるいは、無言でその様子を見つめるノインも。

だがニーコは、その姿勢を曲げる様子を見せなかった。


「ばかやろっ! 私は足手まといになるために、ここに来たんじゃねえっ……!」


 そう一喝して、上を見上げる。ジストやネルの指していた、この施設で最も高い建物、監視部。

大きな深呼吸を入れると、再び目を瞑る。そして彼女を中心に、周囲を巻き込んで風が吹きはじめた。

何かを心に決めた、その証だった。


「まあでも……お前らが来てよかった。 

 正直な所……、だと流石に怖かったしな……」

「お、おいこれっ!」

「二、ニーコ!? ちょっと……!」


 あるいは。短慮に見えながら、それは反論が出ることも気付いていたが故かもしれない。

リリアやジェネの言葉を遮るように。纏った風が、急激に勢力を増す。

強い意思の籠もった瞳が、再び上へと向けられた。


「頼むぜ、ッ! "アサルト・バースト"!」


 叫んだニーコ、その魂に呼応して、一斉に暴風が立ち上がる。

勿論リリア、ジェネ、そしてノインを巻き込んで。

ただ一つ。今までの彼女の術と違うのは、ニーコただ一人は、この場に残されていたことだった。


「二、ニーコっ、きゃあああっ!!!!」

「うおおああああああ!!!」

「き、貴様ッ……」

 

 悲鳴も反論も、ニーコには届かなかった。その全てを、暴風が巻き込んで行ってしまった。

その様子に笑みを見せて、彼らが遠くなったのを見送ると、ニーコは脱力したように倒れこむ。


「はは……正直なとこ、私は上まで登っていける気もしなかったしな……」


 誰に言うでもなく、そう口にするニーコ。

もはや身体を動かすどころか、意識を保つのすら気怠げに思うほどに、自分が弱っている事を自覚する。

だが。自分の状態も、こうなることも、そしてこれから来るであろう状況も。全てわかりきっていた。

今まで好きに生きてきた彼女。外見以上に長命である中でも、

命を投げ捨てるようなことをしたのは初めてだと、今更ながら呑気に思った。


「でも……爆弾が爆発して、リリアが死んだら嫌だもんな……それにジェネも、いい奴だったし」


 その理由を、考える端から口に出していく。

本当に単純な、自分の感情だった。故に、彼の名前が出なかったのも当然かもしれない。

今だって、直接的に出る感情は別に良いものではないのだから。


(あのあほたれだって……死んだら、気分わりぃしな……)


 でも。心のなかではそう、彼の面影を振り返ってもいた。

その最中。もはや首すら動かせずうつ伏せに倒れている彼女の耳が、音が近づいてくるのを捉える。


(ああ……見つからなけりゃと思ってたけど、やっぱ無理か……)


「……グルルルル……」


 それは。足音であり、魔物の唸り声。

彼女の状態は、現在はまだ衰弱といったものだ。肉体的に命の危機に瀕しているわけではない。

だが状況が、彼女の死への道を作り出していた。この状態で魔物に襲われれば、ひとたまりもないのは当然だった。

今出せる全力で、ようやく顔を動かして。視界の中に、その魔物の姿を映す。


「へへ、随分荒れてんじゃねえか……私も、そうなんのかな……?」


 精霊が形作っている魔物は、ある種、精霊の派生であるニーコの同族でもある。

それもあるのだろう、ニーコはその、狼のような魔物に笑ってみせた。

対して。その魔物が瞳に映すのは殺意だけだ。同族だからと、彼女を見逃すことなどしないだろう。

僅かに呼吸の間を取った後、納得したように。ニーコはその目を閉じた。

せめて、あんま痛くないといいけど。そんな事を考えながら、微睡みの中へ落ちて――


「……ギャウッッッ!!!?」

「んあっ!?」


 刹那。不意に響いた衝撃と音が、彼女の意識を無理やり引き起こす。

覚悟していた痛みも、終わりも、彼女まで届くことは無かった。

代わりに耳に飛び込んだのは、不意を突かれた、魔物の断末魔だった。

顔の向きは動かしていない。だから目を開けた今、それが何であるかは、既にニーコの目の中で明かされていた。

リリアの細い少女の足でも、ジェネの龍鱗に包まれた逞しい足でもない、装甲と鋼鉄で形作られた、それ。

その全てを理解して、ニーコの口から漏れたのは。


「……はぁ……?」


 熱と光に姿を変えた精霊、それによって形成された刃を振り下ろしていた、彼。

もはや、間違いようも無かった。ノインが、ニーコに声を掛けた。


「……ニーコ、貴様……!」


 もう少しだけ顔を上げて。ニーコの瞳が、ノインのそれと合った。

彼に表情はない。顔のパーツらしきものが輝く双眸のような光だけの、

その頭部から感情を推察するのは、本来であれば不可能だ。

だが。その語気、そしてあるいは、雰囲気が故か。彼の感情は伝わっていた。

窮地に瀕した彼女への心配や愛、ではなかった。 そうしたものとはかけ離れた、凄まじい激怒が。

彼はそのまま、倒れたニーコに手を回して抱えあげる。


「うおっ……!」

「お前には絞りに絞って3点、許すことが出来ない事がある……!」


 その中で話す彼は、普段どころではないほどに早口だ。

先程伝わった感情、それが間違いではないことを示すように。

それどころか、その感情はむしろヒートアップしていく。


「1つ目は度を超えた独断、身勝手、突発的行動!

 まともな思考回路があれば考えつかないほどに突飛で異常な事を、

 それが他人に影響するようなことでさえ、相談無しに何度も行う! いい加減にしろ、何様のつもりだ、お前は!」

「……うっ……せえ、なぁ……こっちはきついんだ、ってえの……」

「2つ目はその愚かな判断力だ! 

 百歩譲り、魔物が発生しうる場所にリスクを承知で向かうのを許したとして、

 この状況で力を使い果たして倒れ込むなど言語道断だ!

 救出に割く戦力もそうだが、飛行能力を持つ魔物も出現している、

 リリアやジェネへの妨害を阻止するためには、同じく飛行できる我々が対抗しなければならない相手だ!」


 リリアやジェネがこの場に居れば、かなり驚いたことだろう。

普段、機械らしく冷静な言葉使いである彼が、これほどまでに激情を言葉に乗せていることに。

そしてそれは、ニーコも例外ではなかった。彼の様子に、やがて憎まれ口すら消えていく。

だが状況は、これだけに耽ることを許さない。空を飛んでいた魔物が、ノインに向けて急降下する。


「シャアアアアアア!!」

「3つ目は……」

「……ゲギャアアアア!!?」


 だがそれも、ノインの怒りを、憤りを遮ることは出来なかった。

響く砲音、そして魔物の悲鳴。

向かい来る敵の方へ顔と腕を向けたまま、ノインはその思いを吐き出した。


「こうまで憎たらしく、思考回路もこれ程乱されるほどに憤らせてくるというのに……

 この状況でなお、貴様を切り捨てる判断が出来ないことだ……!」


 凄まじいまでの激怒、激情の果て。

それは奇しくも、先程ニーコが思い描いていたことと重なっていた。


「これが貴様が語った『そう思ったから、仕方が無い』というのであれば……

 もう、これほどまでに腹立たしく思う事は他にない……!」


 そう言ってようやく、語気を落としていくノイン。

自分でもどういう感情かわからないまま、ニーコの震える唇が、微笑を描く。


「……へっ、きもちわりーんだよ……」

「この場ではもう、貴様の言葉は勘定しない。憤って仕方が無いからだ。

 先も言った通り、上に登る二人を援護できるのは私だけだ。

 ……全て解決した後、お前との関わり方は検討させてもらおう」


 そして。口調の上は、いつものような憎まれ口を叩き合う二人。

まだ状況が落ち着いた訳では無い。新たな魔物が発生している状況にある。

その戦闘に戻るため。ノインはニーコを抱えたまま、再び上空へと飛んだ。


――――――――――――――

 

「……ニーコのこと、任せたよ、ノイン」

「へっ。助けに行くなら、そうだって言えばいいのにな」


 ――もはや、奴を許すことはできない。


 ニーコの風で吹き飛ばされて。

その頂点から最寄りの非常階段へ二人を運んだ後、ノインはそう言い残して再び下へと戻っていった。

して、その目的は。言葉に反し、リリアにも、ジェネにも伝わっていた。

細い非常階段から、向かった先を一瞥だけして、今度は二人で視線を重ねる。


「それじゃ、俺達も行かなきゃな!」

「……うん!」


 ジェネの言葉に強く頷いて、リリアは非常階段から繋がる鉄製の扉を見る。

ここより上には、階段は繋がっていない。入るのであれば、この扉だけだ。

鍵が開いているかは、もう確かめなかった。振りかぶった右腕に、精霊たちが纏われていく。


「……はあああああッ!!」


 気合と共に打ち込まれた右腕が、爆音を上げながらその扉を吹き飛ばした。

その勢いのまま室内に侵入していく二人、それを迎えるのは。


「……ギャアアアアア!!」

「グギャアアアアアア!!!」


 狭い室内に押し込められた、2本足で立つ獣のような姿の魔物たちだった。

明らかに扉よりも大きな背丈のそれらは、直接この部屋に生み出されたのだろうと推察できる。

守るべき屋内に、理性なき魔物を放つ。

明らかな愚行とも言えるそれが、この状況が敵にとっても切羽詰まったものであることを示していた。


「ちっ、見境なしかよ! リリア、やってやろうぜ!」

「もちろんっ!!」


 そして。勿論突入した二人も、それに戦意を挫かれることなどない。

返事と同時に、後腰に差した直剣を抜刀するリリア。

溢れるように姿を現していく精霊たちと共に、魔物たちの居る部屋の中心側へと駆け出す。


「ガギャアアアアアアアアア……」

「はあッッ!!」

「ベギャっッ!?」


 リリアを迎え撃とうと同じく跳び出した魔物。

腕を振りかぶったその体に、それよりも遥かに速く、重い刃の一撃が横薙ぎに突き刺さる。

その体を引き裂きつつも、その質量にすら打ち勝ち、体全体を吹き飛ばしていた。

そうして前に出たリリアに、更に2体の魔物が襲いかかる。


「ギャアアアアアアアアア!!」

「グギャアアアアアア!!」

「させるかっ!」


 だが、それを許す後衛、ジェネではない。

即座に突き出された両腕。そこには、風と炎へ姿を変えた精霊が集まっていた。


「"撃ち抜け"っ!」


 ジェネの号令によって、精霊たちは無数の奔る炎となって大きく広がる。

それはリリアを中心に迂回するように走り、

その前方、襲いかかってきた魔物たちに次々と突き刺さり、その身を削り、燃やした。


「ブ、ベギャ、ギャアアアアアアアアア!」

「バ、ギャアアッッ!!?」


 倒れ落ち、精霊の姿へ戻っていく魔物を認めて、ジェネも大きく踏み出す。

リリアと並ぶ形だ。視界の隅で、互いに視線が合う。


「ありがとっ、ジェネ!」

「当たり前だ! ここに来て任せっきりにはしねえよ!!」


 その言葉を交わして、改めて同じ場所、正面……残る最後の魔物を見る。

先程までの魔物と姿形は似通っているが、頭一つ抜けて大きな体が目を引く。

一瞬で他の魔物を薙ぎ倒した二人と目が合って、威圧するように大きく咆哮した。


「……ガグギャアアアアアアアアアア!!」


 だが、もはや当然ながら、それに怯むような二人でも無かった。

凛とした表情でそれを見つめて、再び構えを取る。


「攻撃を誘う! カウンターだ、決めるぜ!」

「わかった!」


 その一言で意思の疎通を取った後、ジェネが前方に手をかざす。

そこへ、炎と化した精霊たちが集まっていく。

丁度ジェネと同じ程度の大きさになる程度の規模になったとこで、ジェネが号令を上げる。


「"写せ"っ!」


 号令を受けて、炎がその姿を変える。

逞しい四肢、大きな翼。言葉通り、ジェネの姿形を写すように。

龍人の姿を成した炎は、そのまま魔物へと突進する。

それは愚直なまでの直進だった。当然魔物も反応し、それへ両腕を振りおろした。


「ゲギャアアアアっ!!」


 大きな音を立てる重い一撃。炎はそれで完全に掻き消えてしまう。

だがそれも言葉通り、ジェネの想定の内だった。


「隙あり、ってな。 頭に血が上りすぎて、考えが回ってないぜ!」

「……うおおおおおおおおッッ!!」


気づけば既に、その腹部周辺、懐には。

精霊を纏う刃を構え、その身を回転させるリリアが左側に。

数多くの風の精霊を、その左手に集めたジェネが右側に位置していた。


「"切り裂け"ッ!!」

「"ステラドライブ"ッ!!」


 もはや反応する間も無く。

輝く精霊たちが助力する、胴体を両断する剛剣が。

無数の刃となり、全身を細切れにする烈風が。

魔物の体を、一瞬で破壊していく。


「ベギャアアアアアアアアッッ!!?」


 その一撃の元に、巨大な魔物もその体を維持できなくなった。

輝く精霊へと戻っていくそれを見る間もなく、ジェネは意識を集中させる。

一旦敵対する存在が居なくなった今、やるべきことは1つだった。


「リリア、この上から気配がする……! 道は……あっちだ!」

「うんっ!!」


 そのまま休む間もなく。

ジェネが指差した、幅の広い螺旋状の階段を駆け上がっていく二人。

その先を、巨大な鉄の扉が封鎖していた。

ジストやネルの言う通り、この先がこの施設の中枢たる場所であると物語るように、

見るからに強固な扉。それでも、最早二人は足を止めることさえしなかった。


「ジェネっ、行くよっ!!」

「おうよっ!」


 駆ける二人を包むように、再び姿を現していく精霊たち。

あるいはその姿のままに、リリアの右腕へ。あるいは炎と風に姿を変え、ジェネの左腕へ。

駆ける中で意思を交わして、勢いそのまま、その扉へ。


「"ステラストライク"ッッ!!」

「"爆ぜろ"ッッ!!」


 叩きつけられた二人の拳、そして精霊の一撃の前に、扉は壁の役割さえ果たせなかった。

インパクトと共に、吹き飛ぶ鉄の扉。そして二人の前に、最上階の光景が姿を表す。

ひとつ下の階層よりも、ずっと機械の多い機能的な部屋。

その部屋には、予想に反し誰も居なかった。リーダーであるゲルバの姿も。だが。


「居ない……!? いや、あっ、あれだ! 魔物を出す道具!」


 その窓際に。

かつてゲルバが抱えていた、あの魔物を生み出す機械が開かれたままにされていた。


「よしっ、あれか!」


 リリアの言葉で、ジェネが一気に駆け出す。

そしてそれを手に掴むと、掲げながら即座に精霊たちに号令を出した。


「"焼き尽くせ"ッ!」


 掲げた手を包む、その範囲に絞るように。

暴風と爆炎の奔流が発生し、その機械を粉々に打ち砕いていく。

そして。それはジェネだけでなく、リリアにも直感で伝わった。


「……っ!」

「壊す、でいいかわかんなかったが……当たりみてえだな!」


 魔物の発生しうる異常な空気。それが今、晴れたことに。

目的の1つを達成して、二人の表情に笑顔が浮かぶ。

だがすぐに、緊張感は戻る。そう、目的はもう1つ、それも切羽詰まった状態であるからだ。


「や、やった……! でも、爆弾の起爆装置は!?」

「くそっ、どれだ……!? 待ってろ、気配を探す!

 ノインが言ってたように精霊を使ってる兵器だってんなら、分かるはずだ……!」


 もはや時間も殆ど残っていないはず。その焦燥感が、リリアの表情にそのまま浮かんでいた。

伝播する焦燥感に圧されながらも、ジェネは努めて冷静に、もう一度集中する。


(さっきからずっと、かなりヤバい気配が大きくなってる。

 これが爆弾だろうな、それと繋がってる気配を……)


 この状況の中ですら、ジェネは目的のものを探るきっかけを直ぐに見つけてみせた。

そのまま、更に集中を深めていって……突如、立ち上がった。


「……かなり遠いっ!!?」

「えっ!?」


 口から出た言葉を放り投げたまま。

ジェネは向きを変え、海の広がる方向の窓へと直進する。

僅かに遅れて、同じ窓から外を眺めるリリア。そして。


「……居たーっ!!」


 ここが高層であるというのを加味しても、かなり小さく見えるほどに離れた海上。

そこを走る小さな船、それに乗る太った男……ゲルバの姿があることを見つけ出して、リリアが叫ぶ。


「くそっ、あんなに遠くに……!」


 ジェネの気配からしても、彼が起爆装置を持っているのは最早明らかだ。

残る問題は、ただ1つ。この距離を超えて、彼を捕らえるその術だけだった。

もうかなり遠い距離である上、彼の乗る船はかなりの速度で、更に離れていくのが見える。

最早猶予はない。なんとか手段をと、辺りを見回すリリア。窓の外だけでなく、この屋内も含めて。

だから。それが、目に留まるのも自然ではあった。

今、なにより信頼して、最も近くにいるのだから。


 ジェネの、その大きな翼に。


(……そうか)


 あるいはそれが、自らの大きな傷跡であるからだろう。

彼女の目がそれに留まったのを、ジェネは痛ましいほどに気づいていた。


ドクンと、心臓が跳ねる。


――ここで、こうなるのか。


 あの場に居たのはノイン、ニーコ、ネルだ。

リリアは知る由もない。凛々しく、優しく、愛らしい彼女が希望を見出そうとしている、この大きな翼は。

風を受けることのない、ただの出来損ないであることに。

真っ白になる頭の中、無情に時間は進んでいく。彼女の、その口が開く。


「ねえ、ジェネ……」

「……"爆ぜろ"ッッ!!」

「わあっ!?」


 それとほぼ同時に、ジェネは拳を突き出し窓の周辺の壁ごと、前方を吹き飛ばす。

入ってくるようになった浜風が、全身を、出来損ないの翼を包む。

震えそうになる奥歯を無理やり噛み締めて、なおも伝播しそうな震えを打ち消すように叫んだ。


「おっしゃあ、任せろっ! 俺が飛んで、捕まえてきてやる!!」


 振り向けはしなかった。リリアの顔を、今は見る勇気が無かった。

付き合いの単純な時間以上に、彼女のことを、それこそ妹のように大事に思っている。

ただ一人で始めた、精霊を救うための旅の中。 リリアの態度が、それだけ助けになっていた。

それを。この元来の呪いが、彼女の信頼を、優しさを、希望を裏切る。

それが許せなかった。何よりも認められなかった。

一歩、その外へ向けて踏み出す。

その瞬間、目を逸らしていた記憶が冷や汗と共に一斉に吹き出した。

言うまでもない。失敗と絶望に塗れた、トラウマとも呼べるものが。


「……ーっ!」


 それを振り切るように、強く拳を握る。

震えを打ち消す、ただそのために。脳内で必死に自分を励ます。


(何も、飛ばなきゃいけないわけでもねえ!

 この高さだ、滑空するだけでも届くかもしれねえ……だから……!)


 その材料となるものは、あえて思い出さないように。

何故ならば、存在しないのだから。飛行どころか、滑空の成功体験さえも。

もう考えれば考えるほどに、その自信は掻き消えていく。

もういい、とにかく足を前に出そうとした。どうにかなれと、半ば、破れかぶれに――


「ジェネっ」


 それを悟ることが出来ないほど。この少女は、鈍感ではなかった。

その自棄の行進を、掴まれた腕が止める。太く大きな、ジェネの手に重なるリリアの手。

ずっと彼女が彼に向けてきた優しさ、それが込められた手と声に、びくりと跳ねて反応するジェネ。

せめてリリアには隠そうと、堪らえようとしていた腕の震えが、堰を切ったように止まらなくなってしまう。


「ぐっ……く、うっ……!」


 それが、余りにも悔しくて、身に持った宿痾が悲しくて。

思わず咽ぶ声が、口から漏れ出る。

自分を信頼してくれている少女の前で、そんな様を見せてしまう事も含めて。

自分への情けなさで、ジェネは遂に膝をついてしまう。


「……ジェネ」


 そんな彼を、真剣な眼差しのまま見つめるリリア。

そして、もう一歩近づいて。屈む彼の、その頭を抱き寄せた。

言葉を失う彼に、耳元で呟くように声をかける。


「ごめん。貴方の事、何も知らないまま……」


 ジェネは、その言葉に答えられなかった。

当然だった。今のこの情けなさは、全て自分に向くものだ。

彼女が悪いなどと、誇りにかけても思えなかった。


「……でもね、私。これからもっとひどいことを頼むかもしれない」


 あるいは、そんな心もわかっていたのだろうか。

リリアは少しだけ語気を変えながら、彼に告げる言葉を紡いでいく。

回していた腕を解いて、肩に手を置き換えて。

離れた距離で目を合わせて、リリアはジェネに、こう告げる。


「ジェネの風の精霊術で……私をあそこまで飛ばして!」

「なっ……あッ!?」


 リリアが口に出した、ジェネへの言葉。

それはあまりにも無謀、あるいは過酷といえる依頼だった。

流石の内容に、ジェネも急に精神を引き戻され、反論する。


「ば、馬鹿野郎! そりゃただ吹き飛ばされるだけだろ! こんな高さから落ちたら死んじまうぞ!」

「大丈夫! 私、ニーコにしょっちゅう飛ばされてたから感覚わかるし!

 それにちょっと着地が雑でも、きっと精霊たちみんなが助けてくれるよ!」

「ちょっとで済む距離でも高さでもねえだろうが! 第一、俺にはそんな事……!」

「ジェネなら出来るわ! あんなに凄い精霊術、使えるじゃない!」


 もはや残された時間は多くない。それはわかっている。

だがこれを承認するような感性は、当然ジェネは持ち合わせていない。

対して、リリアもまたその意志は強固だった。

時には頑固とも言われるような、強く固い意志。真正面からの話では、到底崩せそうもない。


「……リリア。 俺は、里の中でも他に居ねえ、飛べない龍人、出来損ないの龍人なんだ。

 精霊術だけはそれなりに出来ても、

 真に精霊の力を借りなきゃいけない飛行は、サッパリのな」


 それもあってか、説得の方向性を変えるジェネ。

それはまるで懺悔のように、自分の不出来を語るものだった。

あるいは、本当に懺悔であったのかもしれない。

自らの宿命こそが、原罪であると。少なくともこの場では、心から彼はそう思っていた。


「そんな奴の、精霊術なんか大した事……」


 その思いと、この懺悔。そして脳内を流れるトラウマ。

その全てを遮るかのように、リリアが割り込んで叫ぶ。


「信じてっ!!」


 本当に強い語気で、まっすぐにジェネの瞳を見つめるリリア。

リリアもまた、自分の語った言葉を、一欠片も疑っていなかった。

その言葉に主語はなかった。それが、その心を表していた。


「……」


 リリアの信念に気圧されて、瞳から目を離すことも出来ずに黙り込むジェネ。

トラウマとなった記憶が叫ぶ。これまで何度も能力に、才能に裏切られてきた。

そんな自分を、もう一度信じろと。そうだと告げる彼女を、ただ一度信じろと。

尚も答えの出ない中、リリアは表情を和らげて言葉を重ねる。


「……それに。どうせ私が届かなかったら、爆発してみんな死んじゃうんだもの。

 無くすものなんてないよ。拾うだけ! ……そうじゃない?」


 最後は、シンプルな気休めの言葉だった。

あるいは年相応な説得、でもあったのかもしれない。

そう言って、状況に見合わない笑顔を見せるリリア。


「そうか……そうかもな……!」

「うん! やろう、ジェネ!」


 でも、だからこそ。それは、最後の一押しになっていた。

彼女に笑顔を返して、ジェネが立ち上がる。その瞳から、不安が消えたわけではない。

それでもリリアはまた笑った。そんな彼を信じると、彼女もそう決めていた。

入れ替わるように、窓際へと立つリリア。その背中で、ジェネが告げる。


「リリア。 今から俺が撃つのは、真詠唱ソーサリーって言われる……かなり大きな精霊術だ。

 もと攻撃用じゃない精霊術ではあるんだが……普段俺が撃つようなものとは、規模も段違いだ。

 だから、勢力だけなら。絶対にあそこまで届けられるものが出せる。構えとけよ」

「うん!」


 リリアの返答を待って、ジェネは瞳を閉じて集中する。

そして呟くような声でに、精霊術の詠唱が始められた。


「……"我らが隣人、大気を流れる旅人よ。何にも縛られぬ、大空を揺蕩う春風よ"」


 詠唱を進めていくほどに、窓の外から入る風がだんだんと強くなっていく。

この周辺全ての空気が、この精霊術によって操られ始めている証だった。


(……どうか、頼む)


 それは、ジェネにとってはトラウマと共にある精霊術だった。

何故ならば。他ならぬ、空を飛ぶために習得しようとした術だからだ。

風が強くなっていくほどに、冷や汗の流れるような感覚が体を伝う。

それでも。瞳を開いて、眼の前に立つリリアの姿、それを心の頼りにして、続ける。


「"遥か青空、雲の彼方! 我が魂を連れて征け"!」


 この術であっても、精霊たちは自分を空へと連れて行ってはくれなかった。

でも、どうか。この子だけは、この子の望む世界へ連れて行ってくれ。


「"アルテラ・マグナ"ッッ!!」


 ジェネが叫ぶ。

同時に、ニーコが起こすそれとも比較にならないほどの暴風が生じ、それらが全て、窓の外へ向く。

それを合図に、リリアは自分から窓の外へと踏み切った。その身を、暴風が包みこんでいく。


「ふっ……ううっ!!!」


 暴風から身を守るかのように。溢れ輝く精霊たちが、そのリリアの全身を覆う。

それでも小さな身体を、まるで糸屑のように飛ばさんと吹き荒れる暴風の中、リリアは目を見開いて、叫ぶ。


「う……うおおおおおおおお!!!」


 彼女の声に呼応して、更に精霊たちが溢れてリリアを包みこむ。

輝く星が、そこに生まれたかのように。彼ら全てが、リリアの魂を応援していた。

暴風から弾き飛ばされないように、ただその中にとどまり続ける、その最中。

ふっと、友達であるニーコの顔が浮かんだ。そして、彼女と同調した日々が浮かび上がる。

その身に風を受け続けてきた、その経験が。この暴風の、真の姿を見出した。


「……わかっ、たああああああああああああああああああ!!」


 叫ぶと同時に、リリアは体を翻す。

乗るべき風の流れ、それが今、ようやく見えた。

そうなればもう早かった。次の瞬間、リリアの体が大きく動き出す。

送り出すジェネが、懇親の力で叫んだ。


「行けえッ、リリアああああああッッッ!!!」


 その視線の先で。

今も尚逃げようとしているゲルバ、彼の乗る船に向けて、真の意味で一直線に。

暴風が、一気に伸びていく。


「うおおおおおおおおああああああああッッッ!!!!」

「あん……? ひ、ひいいいいいいい!!?」


 それはもはや、刹那と言える程度の時間だった。

ゲルバが反応した時には既に、リリアは船の上まで到着していた。

先ほど語っていたように、身を包む精霊たちに衝撃を任せて、無理矢理に着地するリリア。

転がりながら剣を抜いて、向き直ったゲルバと相対する。


「逃さないわっ!!!」

「あ、あのガキかぁッ!? てめえ、邪魔だぁッ!!」


 そのままゲルバは、棒状の武器……かつてリリアを気絶させた、あの得物を振り払う。

それを直剣で受けるリリア。それを見て、ゲルバがニヤリと笑う。


「キヒヒっ、死ねっ……えっ!?」


 かつてのように放たれた電流は、纏う精霊たちによってリリアには届かなかった。

凛としたリリアの視線が、ゲルバを射抜く。膠着状態のまま、リリアは彼に叫んだ。

ずっと思っていた、彼の許せない事に対しての言葉だった。


「あんな大きな爆弾を起動して、一人だけ逃げるなんて!

 あそこにはまだ、貴方の部下がたくさん居るじゃない!!」

「はっ、知るかそんなこと! あんな奴ら、いくらでも代わりが貰えるしなぁ!!」


 そしてゲルバの返答は、小悪党に相応しい醜悪なものだった。

それを受けて。リリアの瞳が、義憤と怒りでぐっと鋭くなっていく。


「……許さないっ!!」


 言葉と全身に怒りを乗せて。

更に数を増していく精霊たちと共に、リリアは鍔迫り合いになっていた剣を振り払う。

対するゲルバは突然の剛力に反応できず、その武器が、弾き飛ばされた。


「ひぎぃッ!?」


 その僅かな隙。リリアは一旦集中を、自分の中に集める。

それは先日、ジェネから教わったもの。精霊の声を聞く、その集中だった。

未だに付け焼き刃のものだが、それでも十分だった。

『その辺りに居る』。 その感覚だけ、掴めればよかった。


(……聞こえたっ!)


 精霊の声を通して、リリアは確信した。

精霊を使用している起爆装置。それが、ゲルバの胸元あたりにあることを。

瞬間。剣を懐に納刀し、怯んだゲルバへと一気に踏み込む、そして。


「……うおおおおおおあああああああああああッッッ!!!!」


 雄叫びとともに。

リリアは両腕の拳を連続で、目にも留まらぬ速度で叩き込んでいく。

ゲルバの広い胴体、その全てを打撃痕で埋め尽くさんとするほどに。


「げば、べぎゃぐぎゃごぼがぼげぶがばぐぶべぎゅうッッッ!??」


 いずれも精霊を纏った拳だ。一撃一撃は決して軽いものではない。

もはや言葉らしい言葉も発せず、その連続殴打を受けるがままになっていくゲルバ。

戦闘する体力は、もはや残らないだろう。


「……見つけたっ!!」


 だが、まだ終わらない。

リリアはただ、無闇矢鱈に攻撃を繰り出していたわけではない。

今の真の目的を果たすために。

直接触れることで、曖昧だったその位置を割り出すための攻撃だった。

そこで連続攻撃を中断し、リリアは大きく右腕を振りかぶる。

溢れ出る精霊たちもまた、その一点へと集中していく。その様子は、渦のようですらあった。そして。


「そこだあああッッ! "ステラバスター"ッッッ!!」


 確信を得た場所、ゲルバの左の胸元へ、最も大きな一撃となる正拳を叩き込んだ。

巨大なゲルバの体といえども、もはや受けきれるものではない。


「ぶ、ぎゃあああああああッッッッ……!!!!!!!」


 残り香のような悲鳴と共に、その体が船外へと吹き飛んでいく。

滞空しているその時間で、既にリリアには伝わっていた。起爆装置の破壊に、成功したこと。

精霊の声が、それを彼女に伝えていた。

それを噛み締めて。ただ一人になった船上で、ようやくリリアは脱力して、へたり込む。


「やーっ……たあっ……!!」


 心の中に溢れたのは、何よりも安心感だった。

もはやどれほどの時間が残されていたかもわからないが、

少なくともここから見える限り、施設は爆発していない。

大好きな友達も、仲間も死ぬことは無かった。それが嬉しかった。


「はぁ……はぁーっ……」


 今まで張り詰めていたぶん、大きく深呼吸を繰り返すリリア。

そこに来てようやく、色々なことに考えが回るようになった。

海に落ちたゲルバは、とりあえず引き上げるべきだろうということや、

そもそも戻るにはどう操作すればいいのか、など。ともかく、緊張が解れた証拠だった。


「……ん?」


 だから。その不審な音も、今になって気づくことになった。

空気が抜けているような、何かが燃えているような、シューという音。

その音の方へ振り返るリリア。 

見れば、弾き飛ばしたゲルバの電撃棒が、なにかに突き刺さっていた。

リリアには、それが何かはわからなかった。だが。それは余りにも、残酷な偶然だった。


 電撃棒が刺さるそれは、精霊機関と呼ばれている、精霊を操る機械だ。

つまり、この船の心臓部だ。そこに、外部からの圧力が加えられている状態だった。

そして。リリアが振り返ったこのタイミングは、既に手遅れと言える段階で。


「――え」


 それが弾け、船体ごと爆発する光景は、ひどくスローモーションに映った。

動けないリリアに代わり、その全身を覆う精霊たち。直後、彼らごとリリアの体が吹き飛ばされる。

何が起こったか、全くわからなかった。

考える力が戻ったのは、海面に叩きつけられ、その中に沈んだ後だった。


(……っ!?、 いっ、たああっ!!!??)


 戻る意識と共に、全身を激痛が襲う。

精霊たちに守られていなければ、文字通り体がバラバラになっていただろう衝撃。

だがそれほどの衝撃は、その上でリリアの体に深刻なダメージを与えていた。

激痛に遠のきそうになる意識、それをリリアは、必死に掴む。


(だめ、戻らなきゃ……! ジェネに大丈夫って言ったんだから、絶対に戻らなきゃ……!!)


 そう願うが、激痛に邪魔されて体がうまく動かない。

戻るどころか、体はどんどんと沈んでいく。痛みに加え、酸素の欠乏が更に意識を搾り取る。


(だ、め……)


 掠れ切った視界。

目を閉じているかどうかも、自分ではよくわからなくなってしまっていた。

手繰り寄せていた意識も、もはや。

何も、考えられなくなっていく。そのまま、意識が――


 その時。体に僅かに残った感覚で、確かにそれを感じた。

巻き起こる、謎の海流、そして。


(っう!!?)


 直後、リリアは意識を失う。

それは激痛がそうさせたものでも、酸欠がそうさせたものでもなかった。

海流と共に走った、体への衝撃が故だった。


――――――――――――――


 広場に居た魔物の供給が止まって。

それで、信じた者たちが成し遂げたことを悟ったジスト。


「リリア……リリアーーーーッッ!!!」


 だが、これで平和に問題が収束したわけではないことを、

海に向かって彼女の名を叫ぶ、ジェネの姿から理解する。

半ば狂乱しているような叫び声を上げる彼の様子は、大凡只事ではない。


「ジェネ、どうしたっ!!」

「お、俺のせいだ……俺が、リリアを……!」

「しっかりしろ、ジェネ! 何があった!」


 まともに受け答えもできない状態のジェネ。

その彼が叫んでいた方角から上がる黒煙を、ジストも発見する。

まさか。最悪の想定を、しかし現実に則しているそれに、思い当たってしまう。


「……!」

「あっ、ジスト隊長、ジェネさん!」


 更にその背後から、囚われていた者たちを連れたネルが現れる。

この状況について知らないからこそ、その表情は明るいまま、喜びをそのまま口にしていく。


「お二人共、無事で良かった! 

 ごめんなさい、もしかしたら何もかも事後報告になっちゃうかもなんですけど……

 地下に仕掛けられていた爆弾が止まったんです! きっと、リリアがやってくれたんです!」

「……っ!」


 彼女の口からリリアの名が出て、ジストは思わず視線を外す。

流石に二人の様子を訝しげに感じて、ネルもその口調のトーンが落ちていく。


「どうかしたんですか? そういえば、リリアの姿も見えませんけど……」


 それからは、先のジストと同じように。

リリアの名前にこんな反応を返す二人と、はるか遠くに上がる黒煙。

そこからの、最悪の連想。彼女の声色が、一気に黒いものへと変わっていく。


「……あの……リリアは……?」


 無言の二人から、その答えを得て。

ネルはそのまま、その場にへたり込んでしまう。

この場における勝利条件は果たした、だが。失ったものからは、とてもそうとは言えなかった。

精一杯の後悔。それを込めて、ジェネが叫ぶ。


「……リリアーーーーーッッッ!!」


――――――――――――――


 誰かが、自分の名前を呼んでいる。

微睡みのような感覚の中、リリアはまずその感覚を覚えていた。

もう少し、意識を集めて。それが、他人同士の話し声であることがわかった。


「……どうし……長」

「もともと……あいつ……」


 誰か二人の話を、俯瞰して聞いているような光景だった。

その声は肝心のところがぼやけて、その内容まではわからない。

話す者たちの姿も、ぼんやりとしていて分からない。

だが感じたのは、口調こそ穏やかではあるが、その雰囲気は殺伐としていることだった。

少しづつ意識がはっきりしていく中、自分の心に、いきなり感情が生まれる。


(……これは……悲しいの?)


 それは、自分ではないだれかの悲しみだった。

その理由すらも、はっきりはしていない。

でもこの状況から、きっと話しているこの二人に向けられたものであると思った。


「お前……もう何も……」

「……そうだとしても」


 聞いていく中、更に言葉がはっきりしていく。声質からして、どちらも女性だろうか。

話す順は、先程と逆転しているようだ。今回後に話したほうは、特にはっきりしてきた。

ハキハキした、高い少女らしい声だった。次第にその姿形、服装も。段々と浮かび上がっていく。

青を基調にした、凛々しく、そして可憐な印象もある服装。後腰に下げられた、一本の直剣。

彼女はそれを抜くと、その眼の前に構える。

ゆっくりと、それ自体が構えであるように振るわれる直剣。

その剣閃は消えることなく、次々と紡がれるように、繋がっていた。


(――っ!)


 そこで、リリアは急激に意識をはっきりさせていく。

その服の意匠も、その剣術も。思い当たる節が、無いはずがない。

それは、リリアが生きる上で憧れ、指標とした――その次の声は、その内容まではっきりと聞こえた。 


「ボクは、貴方を止めます。 師匠せんせいが愛した貴方を、無かったものにしたくないから」


 その言葉を最後に。何かを思う間もなく、意識が再び遠のいていく――


――――――――――――――


「ぷはぁッ!! ふぇ……」


 波の音に混じった、高い少女の呼吸の声。

それはジェネが、ジストが、ネルが。その顔を上げるのに、これ以上無い声だった。

そして海面に浮かぶそれを認めた瞬間、ジェネは何をするでもなく、海に飛び込んだ。


「……リリアーッッ!!! ぶ、げほっ、がふっゥッ……!!」


 が、精神状態のせいか、あるいはただ泳げないのか。

飛び込んで即、彼は水を飲み込んでしまう。

そのまま沈みそうになる体を、続いて飛び込んだジストが引き上げる。


「べががうっ……り、リリアぁっ……!」

「ええい、泳げないなら飛び込むな! 仕方ない……! 」


 そんな彼を叱責しつつも、残った腕でと足でそれに近づいていくジスト。

海面から顔だけが見えるリリアだが、どうやら意識もあるようで、そんな二人に笑顔を向けていた。

流石の身体能力だけあって、ジストが彼女に接近するまでには、そう時間は掛からなかった。


「リリア、大丈夫か!」

「うん! なんか凄い痛かった気がしたんだけど、今はそんなことないや」

「リ、り゛り゛あ゛ぁ……ゲホガホ」

「あはは、ジェネ、顔ぐちゃくちゃ。 もしかして、泳げない?」


 二人の様子と反比例するように、リリアは笑顔を見せていた。

ともかく、ジストの腕がリリアを担いだことを確認して、冲に残っていたネルが唱える。


「……”39番”っ」

「わわっ!」

「うおっ!!」


 それに応えて生まれた、精霊による力。

それによって、3人の体がゆっくりと、冲の上まで運ばれる。

そうして着地したリリアを、ネルはいの一番に抱きしめた。


「よかったっ……よかったっ……貴方がいなくなったら、どうしようかと……」

「うん……心配かけてごめんなさい、ネル姉。 ジストさんも、ジェネもごめんね」


 周りの目や年甲斐。

そうしたものでも抑えられずに涙を流すネルを抱き返しながら、

心配をかけてしまったことについて、謝罪の言葉を口にする。

そこへ、更に違う方向……今度は空から、声がかかる。


「そうだな。確かに自らの身を顧みないところは、反省の余地はあるだろうが。

 こうして皆無事に終わったのは、間違いなくお前のお陰だ、リリア」

「よおっ、また派手にやったみたいだな!」


 ノインとニーコが、その場へ舞い降りてくる。

魔物の出現が止まったことで、ニーコもその調子を取り戻していたようだ。

既に自分の力で飛びながら、リリアを称える。

ともかく。皆無事であることに、彼女自信も改めて胸を撫で下ろす。


「……良かったな」


 それをずっと先、建物の上からレオが眺めていた。

一行の様子に微笑みを独りで送って、そこから立ち去る。


「……くそっ、また逃げたな」

「へ、どうしたの?」

「いいや、何も」


 視界の中でその様子を捉えていたジストだったが、一先ず、それは不問として。


「ああ、無事でよかった……! 本当にありがとう、リリア!」

「本当にありがとうっ! リリアちゃん、すっごくかっこよかったよ!」


 ミーアにマイ、そしてそして囚われていた者たちも、

リリアを囲んで感謝と労いを次々に浴びせていく。

それに笑顔で応えていたリリアだったが、ふと気づく。

囚われていた間、最も側で支えてくれていた、あの老婆の姿がないことに。


「……あれっ!? ギルダさんは!?」

「ギルダさん? そういえばいつの間にか姿が……」

「牢からここにみんなで来る時に、中も確認したんだけど……置いていった人はいないはずよ?」

「そんな……どうしたんだろう」


 リリアにとっては恩人と言える存在の不在に、彼女の笑顔が曇る。

そこへもう1つ、前に近寄る影。マイだった。その手に握られているのは、小さな封筒。


「あの、リリアちゃん。

 これ、爆弾が止まったあと、その前に落ちてたんだけど……

 宛先が『お転婆へ』、ってなってるの」

「えっ!?」


 宛先として記されたそれは、ギルダの呼んでいたリリアの呼称、その1つだった。

それはこの手紙が彼女からリリアに向けられたものである証拠で、

リリアは手早くそれを開き、中身を確認する。すると。


『また会おう ギルダ』

「……こんだけなら、口で伝えてくれればいいじゃん!!」


 ほんの僅かな短文。裏も、種も仕掛けもないたった一言に、リリアが叫ぶ。

巻き起こる歓声、ともかくこれで、ようやくこの戦いも終わりを告げることになった。

無論、魔物騒動事態の終結というリリア達の目的を思えば、これは発生したトラブルの解決でしかないが……

この出来事は、やがてその目的への大きなピースとなる。そういう出来事でもあった。



――――――――――――――――

 奇跡的とも言える、爆発した船からの生還。

それを果たした人間は、もう一人居た。


「……ブハーッッ!!」


 ここはグローリアの沿岸部でありながら、開発されていない岸辺。

ゲルバはここに流れ着く形で生還していた。

同じ方面であることから、アジトとしていた施設の様子が見える。

施設も、グローリアも無事そのものだ。それは、リリアの勝利を改めて彼に伝える。

それが、海水で冷えていた彼の頭を一瞬で沸騰させた。


「くっ……そがあああああああっ!!!! あのクソガキいいいいッッッ!!

 あいつのせいで俺の計画もパーだっ!! 

 絶対に許さねえ、どっかしらまた捕まえて、今度こそ……!!」

「ふん。聞くに耐えない負け犬の遠吠えだね」

「あんっ!?」


 その憤怒に差し込まれる声。

不意にかけられたそれに、ゲルバは怒りながらも焦って振り向く。

これ以上なく侮蔑を込められた視線が、そこに刺さった。


「いや……お前の面からすりゃ、『負け豚』って言うべきか?」


 直球の侮辱と共に現れたのは、あのギルダだった。

一度は捕らえていたギルダからのその言葉に、ゲルバは急激に怒りのボルテージを上げていく。


「テメエは……あのガキと一緒に捕まえたババアじゃねえか!

 てめえ……自分が誰に、何を言ってんのかわかってんのか!?」

「ああ、確かにそうだ。豚にかける言葉なんか、無駄でしかなかったね」

「……っ!! てめえええええええっ!!!」


 しかし、それさえも侮辱を繰り返すギルダに、ついに堪忍袋の緒が切れた。

叫びながら、大きく勝る体格を頼りに、彼女に殴りかかるゲルバ。

対するギルダは、嘲笑する様子のまま動作すら見せないままだった。


 だが。そうする前に、気づくべきだった。

彼女の気が、以前と全く異なっているということに。

その後腰に、X字状に下げられている得物、その片方。かつて突いて使っていた、あの杖が握られる。


「ふん、人間ってのは、ここまで愚かに育つことも出来るもんだね。

 ……これだけ見せてやって、一欠片も警戒しないかい」


 その杖に手を当てた直後。

この場に、金属の触れるような音が、一度だけ響く。

手を触れてから、今に至るまで、ゲルバはほんの僅かも動いていない。

それほどの早業で、は行われていた。


「い……いぎゃああああああああああああああ!!!????」


 先ほどと一転して、悲鳴を上げるゲルバ。

その両腕に肘から先が、何処かへ消えていた。 悲鳴にかき消された、何かが海に落ちる音。

それが斬り飛ばされた自分の腕のものであると理解することさえ、今のゲルバには出来なかった。

再び侮蔑するような視線でそれを一瞥すると、ギルダは杖をしまい、その腕を直接ゲルバに伸ばす。

それは文字通りの首根っこへと向けられ……体格の差がないものであるかのように、いや寧ろ、ゲルバの方が赤子であるかのように、

巨体が、細い腕によって持ち上げられていく。


「ひぃぃ……ひぃぃ」

「好き放題に玩具を使いまくった挙げ句、お使いすらこなせないじゃあな。

 それで飼ってくださいと言う方が、面の皮が厚いってもんだ」

「たひゅ、たひゅけ、おたひゅけくださ……」


 何かしらの比喩を口にしながら、ギルダはゲルバに鋭い視線を向ける。

彼の口から出る命乞いなど、もう欠片も聞いては居なかった。

一呼吸の後。ギルダは海に向け、ゲルバを放り投げる。


「ひぃぃっ!!」


 そのまま右手を腰に回し、幅広の剣を鞘から抜く。

振り払うと同時に、その剣は幾つもの箇所で分かたれる蛇腹剣へと変貌する。そして。


「ぎゃビッッッ……!!!」


これもまた、刹那と呼べる間の出来事だった。

ゲルバが存在していた空間、ただそこだけに絞って、鉄の暴風が吹き荒れた。

それは。ギルダが振るった蛇腹剣による、余りに苛烈な攻撃だった。

その結果、100どころか、1000以上の肉片になったゲルバだったもの。それが海へと落ちていく。


「まあ、それでも。それだけ刻めば、魚の餌ぐらいには使えるだろうさ」

 

 その様子には目もくれずに、ギルダは納刀しつつ懐から小さな端末を取り出す。

すこし悩んだような様子の後、それを耳に当てた。その向こうから、声がする。


『はい』

「終わったよ。つまらない豚を飼ったもんだね。

 これじゃあ、あいつも使えるかどうかわかったもんじゃない。

 お前さんの見立てに問題があるんじゃないか?」

『返す言葉もありません。 善処しま……』

「ん? おい、どうした……」


 その先に居るのは、ギルダと比べるとずっと若い男のようだった。

とはいえ特徴のない声は、それからの人物の特定を困難にさせる。

ともかくギルダの小言を受けていた男だったが、突然会話が途切れる。

それから数秒後、改めて声を出した。


『はい、すみません。どうも言いたいことがあるようで。ヘレ博士に代わります』

「はぁ? おい代わるな、面倒だ……」

『おいクソババア、聞こえるか! 貴様、また仕事をサボりおったな!!』


 次に代わって出た男は、しゃがれた老人のような声の、しかし苛烈な物言いの男性だった。

露骨に嫌な顔を見せるギルダ。

わざとらしくため息と舌打ちを繰り出して、諦めて会話に入る。


「あたしはあたしの好きなようにやるだけだと言ってるだろ。お前さんの手下になった記憶はない。

 それに、今ちゃんと仕事を果たしてやったとこだろうが。言いがかりをつけるのはやめな、クソジジイ」

『フンっ! 豚一匹ぶち殺したところで何だ! 

 ワシは聞いていたぞ、生成装置の証拠隠滅のためにと!

 ワシだけではない!! 我がヘレティックメカ・計350機にて録音しておる! これはどう申し開きするつもりだ!!』

「何度も言わせるな。あたしはあたしのやりたいようにやる、それだけだ」

『ふざけるなクソバ……』


 そこまで話して、一方的に端末から通話終了のボタンを押すギルダ。

即座に鳴る通知……恐らくヘレ博士からのかけ直しだろう……を一瞥すると、

手のひらの動きだけで、呼吸もなく、端末ごと砕いてしまった。


「はぁー……いい気分が台無しだよ、なぁ」


 そうして。誰も居ない海、いや、その更に上の空へ視線を上げて。

ギルダは、誰かへの言葉を綴っていく。


「お前さんの、微妙に変えられてたみたいだね。

 自分が妙な形に残る気分はどうだい? ……いや。むしろその方が、望んだ通りか?」

 

「なぁ……――」


 そして恐らく、言葉を向けた、その人物の名前を呼ぶギルダ。

その唇だけが動いて、喉から声は出ていなかった。


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