9話

「そうか、やっぱおっさんもリリアを助けに来てたんだな……!

 くそっ……どうする!?」


 監視カメラの映像は、ジェネ達一行に判断を迫るものになった。

人手は4人、今それぞれ別の場所で戦っている仲間が2人。

その内容も両極端と言える物だ。

片方は少女であり誘拐を受けたリリア、もう片方は歴戦の勇士たるジストだ。

映る景色からすると、ジストのほうが場所はわかりやすい。

だがレオから託された地図を見れば、リリアのいる場所は知識として存在している。

いずれにせよ、これからの行動を大きく悩ませるものであることには違いなかった。


「……リリアを優先するべきだろう。恐らくジスト隊長の場所は、この施設の正面だ。

 こうまで人員が少ないのはその迎撃のためだろうが、残っている敵の数が判断できない。 

 内部への侵入のチャンスでもあるが、余談も許さない状況と言える。現状での戦力の分散は悪手だ」


 その状況に、ノインは真っ先に案を出す。

内容としては、ジストよりもリリアの救出を優先するべき、といったものだ。

その優先順位は信頼でもあった。


「私もそう思います。 リリアの安全を先に確保して、それから援護に行きましょう」

「ま、そうだよなっ……! お前の言う事聞くのはムカつくけど。

 でもジストもリリアを先に助けろって言いそうだしな。正直負けそうにないし……」


 ネルも、そして普段あれだけノインに反発しているニーコですら、それに同調する。

これもまた冷酷というわけではなく、信頼なのだろう。

グローリアに住まう者たちにとっての、英雄ジストの名の大きさが伺えた。


「そう……だよな」


 だが、ただ一人。

つい先日、それも、名前よりも先に本人を知ることになったジェネだけは、その意見に即決できずにいた。

異論を唱えるほどではない。この信頼を生み出すほどのジストの強さも、その片鱗だけとは言え知っている。

そういう判断を取ることが間違いだとは思わなかった。


「急ぐぞ、ジェネ。いずれにせよ、早急にリリアを助ける必要がある」


 言葉に反して考え込む彼に、声を掛けるノイン。だがジェネの反応は鈍い。

理屈でも理解できているその判断を、しかしその最後まで選ぶことが出来ないままでいた。


(……本当に、それでいいか?)


 その所以は。彼が見てきたジストの姿にあった。

自分の立場を顧みず、騒動の解決のために駆けずり回る様子にも。

魔物の奇襲を迎撃した際にも。リリアが誘拐された事を知った際も。

それは、少なからず感じていた。

凄まじい力を持つ彼の姿と共にある、どこか、何かに急かされているような危うさを。


(ジストのおっさんは……、でいいのか?)


「……いや」


 短い付き合いでもわかる。ニーコが言ったように、ジストなら自分よりリリアを優先しろと言う筈だ。

だがそれもまた、ジェネの中で引っかかっていた。

これを本当に看過していいのか、彼のとして、と。

予断を許すような状況ではないのもわかる、だから。その決心は軽いものではなかった。


「悪い。リリアの事、任せるぜ。 俺はジストのおっさんを助けに行く」

「……どういうつもりだ。 状況が理解できていないとは、思っていないが」


 軽くない決心とともにあるとはいえ。その言葉には、やはり判断を咎める意が飛ぶ。

ノインの言う事は最もであると、言われる前からわかっている。

だからジェネは、自分の心に浮かんだままを話し始めた。


「俺だって、普通に考えればリリアを助け出すのが先決だって分かる。

 だけど……うまく、何て言ったらいいのか、わからないけどよ。

 リリアと比べて、おっさんが大丈夫か、ってのが。

 なんでか、そうじゃない気がするんだ」

「確固たる理由や理屈のない行動である、と言うことか?」

「そう、なるのかもな。

 でも、おっさんが尋常じゃなく強えってのは俺もわかってんだ。それでも」

「ジスト隊長に、戦力以外の不安があると?」

「ああ。 それが何かっていうのは、ちょっと言葉にするのが難しいんだだけどな……」


 故に、その受け答えはどこか曖昧な言葉を綴るジェネを、

まるで咎めるかのようにノインが返す、その繰り返しになっていた。

こうなるのも、ジェネには予想は出来ていた。

常に理路整然と話しているノインに対して、自分の拙い言葉が通るのか、とてもその自信はなかった。


「……その理由までは、わからないか?」

「? あ、ああ……」


 だが。不意に質問を返されて、ジェネは不思議に思いながらも答えることになる。

彼の話し方もあった。何か、調子が変わっていると察することはできない。

だがノインの続ける言葉は、ジェネの予想を遥かに超えるものだった。


「……奇遇だな」

「あ?」


 ノインの声の調子は、そうそう変わるものではない。

それは例え、ニーコとの言い合いをしている時であっても、そうだ。

この時であっても、それは例外ではなかった。だが確かに、先程までと雰囲気のようなものが違っていた。


「……ジスト隊長の状態を考える上で、何故か。

 この『心』も、同じように思っていた。

 理屈も、理由もなく……何故か、ジスト隊長の状態をどこかで懸念している」


 それは、彼もまた同じ思いであった、という事の告白だった。

調子の変わらない声が、確かに今、自信を無くしているかのように思えた。

彼の顔と呼べる部分、そこに光る、双眸のような装置が、ジェネの視線と重なる。


「理由は、わからない。同じ考えにたどり着いたお前なら、分かるのではないか。そう考えていた」

「……そうかよ。そりゃあ、アテが外れて悪かったな。だけど、同じに思ってくれてるんなら……!」

「そういう訳にもいかない。 理屈を超えて行動に移すだけの理由もない」


 しかし、その心に浮かんだ判断に迷っているのも同じだった。

そんな中、二人の会話に別方向から声が交じる。

にやりとして、ニーコがノインを見つめていた。


「おいっ! お前、ニーコ様からの教えを忘れたのか?」

「貴様から教わることなど無いが」

「うっせばーかッ! 忘れたんならもう1回言ってやるよ! 

 『そう思ったんなら、しょうがねー』だろうが!!」


 して。どや顔のニーコの言葉に、押し黙ってしまうノイン。

あるいは、またも彼女に背中を押されたことが悔しかったのかもしれない。

ただ、反論もしなかった。

押し黙るノインにつられた沈黙。それを、今まで黙って眺めていたネルが手を叩いて一旦切り開いた。


「とりあえず……そのつもりであれば、ジェネさん一人だけ別れるのは得策ではありませんね。

 さっきも言ったように、独りでの行動は危険ですから。 ジェネさんとノインさんでジスト隊長を。

 私とニーコで、リリアを助ける。これで行きましょう」


 ネルは彼らのその以降に、異論を唱えることはなかった。

あるいは実年齢の差、それを表すかのように。迷っている彼らの背中を押すような言葉だった。


「ネル女史、しかし……」

「ニーコの言うとおりでいいんですよ。

 私は直接お伺いしたことがありませんから、がどういうつもりで、

 貴方にをつけたのかは私にはわかりませんけど……

 あると言うことは、そういう事で。いいんだと思います」

「そうだぞ! へへん」


 宿命なのだろう、明確な理由のない選択に躊躇うノイン。

それを再び、ネル、そして誇るニーコが進むことを促す。

ネルの出した新たな名前に、ノインは反応を見せない。あるいは、感じ入っているのかもしれなかった。

やがてそれは、彼にその判断、もしくは決心をさせていく。

ジェネの方に再び振り返りながら、ノインは言葉を残した。


「……ニーコ。重ねて言うが、お前の言葉に動かされたわけではない。勘違いするな。

 お前の支離滅裂かつ配慮の浅い傲慢な行動原理には散々辟易させられている。

 そんなお前が、簡単に他人を動かせると思わないことだ」

「はぁー? お前がすぐウジウジすんのを助けてやってるだろーが?

 このネチネチ陰険バカアホあたまカチカチおたんこなす!!」

「はいはい、一旦そこまで! 喧嘩なら全部終わったあとでね」

 

 それは、あるいは。得意げなニーコが腹立たしかったのかもしれない。

嫌味に反応してまた巻き起こった言い合いを、今回はネルが無理やりに収める。

ともかく望みを受け入れてもらった形になった。ジェネはまず、その事に感謝した。


「ありがとよ、ネルさん! これ、渡しとくぜ」

「ありがとうございます。お気をつけて、ジェネさん、ノインさん」

「ああ! リリアの事、頼んだぜ!」


 そしてレオが描いた地図、それが描かれた冊子を手渡すジェネ。

それを受け取ったのが、別行動の幕開けとなった。

互いに相手を激励する二人、そして振り返ったジェネに、ノインが頷いた。


「ジェネ、急ぐぞ。ジスト隊長の現在地からして、外から飛んで向かう方が早い。

 お前を抱えての飛行に問題がないことは、不本意だが先程確認できているからな」

「ああ、任せるぜ!」


 掛け合いの後、先程入ってきた入口へ再び駆け出す二人。

続いて窓の外で、ジェネの体を抱えて飛ぶノインを見送ると、ネルも息をつく。

そして、噛みしめるように呟いた。


「……リリアの事任せた、ね。あの子は、本当にすぐ他人と仲良くなるわね」

「黄昏れてる暇ないぜ、ネル。 リリアの奴もさっさと助けてやろうぜ!」

「ええ、勿論よ。行きましょう」 


 相槌と共に、ニーコを先導するように歩き出す。 

ニーコの言葉は、ある意味で、彼女の言葉を遮っていた。

元から口に出すつもりのない文ではあった。だから心の中で、それを綴った。


(任されたなんてつもり、無いもの。だって……)


 彼女は、この術に長けていた。

だから隣のニーコにもわからなかった。

あるいは、先の二人が残っていても分からなかっただろう。


(あの子の一番の『友達』は、私だから)


 そのネルの思いが、あるいは、暗い色を含むものであることに。


――――――――――――――――――――――

 ジェネとノインが今、この場に居るのは、そうした背景があった。

正面の彼らに言葉を発せずにいるジスト。その彼に、二人は逆に声を掛けていく。


「ジスト隊長。 流石に多勢に無勢が過ぎる。

 貴方の戦闘力を加味しても、無理のある戦いであると言わざるを得ない」

「そうだぜ! 俺達も手伝わせてくれよ!」


 そして再度、この行動に至るまでの心境を口にする二人。

ジェネも、そして所謂表情を持たないノインも、その出で立ちには闘志が漲っていた。

傾きつつあった場の雰囲気は、確かに変わり始めていた。

だがただ一人、まだ納得のできないジストがようやく、声を返す。


「だがお前達……リリアはどうした? まさか、俺を優先したなどと言うつもりはないだろうな」

「ああ、その"まさか"だよ! 俺にとっては、あんたの方が危ねえって思ったんだ!」

「馬鹿な! 何を……!」


 それにも怯まず答えるジェネに、ジストは続いてその判断を咎める。

それは心境としては、当然といえる面もあった。

今の戦闘は、自分自身のけじめ、あるいは罰といえる方面もある。

その中で助けにきたと言われれば、異論も唱えたくはなった。

だが助けに来た二人は、それを受け取るわけもなかった。


「ジスト隊長。その言語化は困難だが、今は貴方を助けるべきだと、私も判断した」

「ノイン。ジェネはともかくお前も……何故なんだ」

「繰り返すが、わからない。だが……」


 そうして会話を繰り返す最中も、戦闘が終了したわけではない。

落ち着いた者たちから、再び叫び声を上げて襲い来る者たちが現れ始める。

二人の態度を見れば、ジストの仲間であることは明確だったろう。

その先頭、棍棒を手に突撃する男の手のひらを、ノインが狙い撃つ。


「があっ? てめ、ぶううゥッ!!?」


 そのまま流れるように、ノインは鋼鉄の膝蹴りを顔面に打ち込んだ。

吹き飛んで倒れる男を一瞥しながらも、魂は後ろに、背後に構えるジストへと向いていた。


「私は、『そう思った』。貴方は私の『心』を、以前から肯定的だった。この行動も、ご容赦いただきたい」


 そして互いが旧知の仲であること、そして今までの交流を元に、ノインは彼の反論へと答えていく。

ああは言ったものの、先程のニーコの言葉を引用してのものだった。

そこへジェネも、自分の考えに思いを載せて彼にぶつけていく。


「ああ、俺も一緒だ! あんたを助けなきゃいけねえ、そう思った!」

「だが、リリアが……!」

 

 その最中、ジェネは更に襲ってくるギャングの群れに腕を向ける。

言葉はなく、だが俄に沸き立つ集中。直後、周囲に浮かび上がった炎が、ギャングを迎え撃つように放たれた。


「うぇ!? ぶええええっ!」

「あちっ、熱いーっ!?」


それはかつて、リリアの故郷、アトリアの村でバストールらに放たれたものと同じものだった。

そこでも無詠唱ソウルブレスと呼ばれていた、言葉を発さずに精霊たちを操る術。

だが今ジェネは、ジストに向けて自らの言葉を発するために、それを使っていた。


「今のおっさんを見れば、リリアもそう思ったはずだ! 

 まだ俺も言うほどリリアと話しちゃいねえ、でもな! 

 でもあいつだってそう言うはずだ、今のあんたを見てると、尚更そう思うぜ!」 

「馬鹿な……! 俺は……!」

「悩んでるような状況じゃねえだろ!!

 ろうが! 俺達を頼れ!!」


 だが尚も……あるいは、先程のジェネ達のように――心に浮かんだ選択肢を意固地に拒否するジストを、

ジェネは改めて、もっと強い意志で自らの意思を主張していく。

先のように、彼らにはこの行動に出るための最たる理屈は見つけられていない。

だから、こうした言葉になっていた。ただ魂の叫ぶままを、彼と状況にぶつけていた。


 確かに。戦況というだけで言えば、ジストへの援護は不要と判断するのはおかしくはない。

その戦況が見えていないまま飛び込んだというのは、そうだった。

確かに劣勢であったものの、この地面を砕くほどの力を見せ、この場を制していたのは、今はジストだったのだから。


(俺は……)


 だが。 

彼の、彼にしかわからない実情、そして、心境。

無論それらは、ジェネもノインも知る由はない。

だがこの場で確かに、むしろ、だからこそ。彼らの存在は救いというに他ならなかった。


「ぐあっ!?」

「ジェネ!」


 直後、ジェネの肩口を放たれた剣閃の刃が襲う。

刃を振るったのは、地揺らしの一撃から立ち直っていたショウジだった。

長い刀とはいえ、離れているという距離だ。とても刃が届くと思えないそれを、

しかし振り切った刃がその犯人であると主張していた。

表面の甲殻、鱗が砕かれ、血を流す肩を抑えながら、ジェネは彼を睨みつける。


「”鎌鼬”。英雄の次は、龍人とはな。

 だが好都合だ。このグローリアならば「龍人狩り」も大きく響くことになるだろう!」

「クソ……負けねえぞっ!! ”貫け”っ!」


 尚も衰えない戦意と共に、ジェネは血が流れる肩をそのままに働かせ、炎の槍を投げ返す。

彼の高ぶる意思に呼応するように、身を変えた炎を滾らせる精霊たち。


「見切ったっ!」


 だがそれを大きく横に回避すると、ショウジは今度はその刃自体の餌食にせんと、ジェネらの方へと駆け出した。

先の発言のように、傭兵として少なくない場を踏んできたのだろう、

その実力の現れかのようにその足取りは素早い。その長い刀が軽物のようだった。


「ジェネ、下がれ。私が迎え撃つ!」


 それを迎撃するため、ノインが右手から精霊の弾丸を撃ち出す。

だが、ショウジは握った刀を振り回してそれを弾き落としていく。

身を進める速度は落とさないままに、気づけばノインもジェネも、その刃の届くレンジに入っていた。

その鈍色の刃が、大きく振りかぶられる。


「死んでもら……」

「させるものかっ!」

「ぐぶぉっ!?」


 だがその刃が、振り下ろされる事は無かった。

送り返されるかのように、体を吹き飛ばされるショウジ。

直ぐ様その犯人を睨みつける。ジェネとノインの間、新たな影が再び、そこに立っていた。


「すまなかった、ジェネ、ノイン……!

 知らない間に、と戦ってしまっていたようだ」


 先程まで魂の抜けたかのように止まっていたジスト。彼の砲弾のような蹴撃が、ショウジを吹き飛ばしていた。

その身に纏う雰囲気、覇気は、つい先刻のものは大きく様変わりしていて。

強く明るい、確かな自信、そして自身を感じさせるものになっていた。


「共に戦うぞ! そしてリリアを助けるんだ!」

「へへっ、なんか何倍も強くなったように見えるぜ、おっさん! やってやろうぜ!」

「私も同意見だ。 確証の発言を繰り返すようで申し訳ないが……今の貴方からは、先に感じた不安が消えたように思えている」


 やったことは先の足踏みに比べれば、ずっと小さなものではある。

だがその雰囲気こそが、敵に対する威圧感を再び、驚異的なものへと増大させていた。


「そ、そんな……つ、強えやつがまた、また増えやがった……!」

「こ、こりゃ勝てねえ、俺はにげっ、ぎゃあ!」


 それによって、再び彼の存在感に飲まれ始めるものも現れ始めた。

最前線に居た二人が、ジストらに背を向けて逃げ出す。

しかしその臆病さえも、この場では許されなかった。その背中を、すれ違う形になったショウジが切り裂いていた。


「ひっ、ひいっ…‥!? 旦那、これはどういうことですかい!?」

「ぬうう……おのれぇ……! 当たり前だろう、命令だ!」


 苛つきを全面に出しながら彼らを咎めるショウジ。

そして彼が言うように、背後のアーノルドも同じ思いを共有していたようだ。


「愚か者どもめ、誰が下がっていいと言った!」


 叱責どころか怒号と化した叫びを上げるアーノルド。

むしろ距離と高度の分、戦場を俯瞰できるアーノルドのほうがその怒りは上だった。

だがその怒りが、効果を発揮している様子はなかった。

ジストの復活、そして二人が加わったことによる戦意の高揚によって、

逆に総崩れとなったギャングらの士気は、戻る様子も見せなかった。


「ひいいいいいっ もう無理だぁ!!」

「おいどけッ、逃げろ、逃げろ!!」


 ここはグローリアの先端、残るは海だけの場所だ。

防衛隊であるジストや、その下部に位置するノインから逃れるような場所はもうない。

だが最早、そうした現実を考える余裕もないほどに気圧されていた。 

その様子が。アーノルドの堪忍袋の緒を切ってしまう。

 

「ええい、順調に進まぬものだな、物事とは……もういい、纏めて殺してくれる!」


 完全に頭に血が登ったまま、そう吐き捨てるアーノルド。

大きく息を吐いて呼吸を整えて。

しかし紡ぐ言葉は、その怒号とは反対の静かなものだった。


「"汝、刹那に瞬く閃光よ、苛烈に轟く雷鳴よ"……」


 だが、なおもそれと対照的に。

彼の呟く言葉が続くほどに、大量の精霊たちが稲妻に姿を変え、その周囲へと現れ始める。

稲妻を纏う、というような出で立ちだった。それを目撃して、ジェネは驚愕する様子を見せる。


「なっ、真詠唱ソーサリーっ!? んな馬鹿なっ、グローリアに使えるやつがいるのか!?」

「やつの呪文はの形態の精霊術だった!

 おそらくアスタリト崩れなのだろう……!」

「くそっ、そういうことか……! させるかっ、うおっ!?」


 アスタリト。グローリアと並ぶ、もしくは凌駕する大国の名前に、しかしすぐに納得するジェネ。

対抗、あるいは妨害のために精霊を集めようとするが、その上げた右腕に、再び風の刃が走る。

反応の出来ていなかったジェネ、しかし刃が切り裂くその前に、金属音が響き渡る。


「ジェネ、無事か」

「わ、悪い! そっちこそ大丈夫か?」

「損傷は軽微だ。だが……」


 今度はその刃は、ノインが伸ばした鋼鉄の腕で弾けてはいた。

だが。切羽詰まるこの状況で、その男の戦意が崩れていない事自体が、彼らへの障壁だった。


「ふん、数の不利が何だ。詠唱の時間程度ならば、稼いでみせよう」

「バカ野郎! 真詠唱ソーサリーで精霊たちがどれだけ荒ぶるのか知らねえのか、お前も巻き込まれるぞ!」

「それがどうした。それもまた、我が名を挙げる逸話となるだろう!」


 ジェネからの言葉も通すことなく、ショウジは再び3人へと近づく。

アーノルドが呼ぶ精霊の稲妻は、既にかなりの規模になっていた。時間の余裕はまったくない。

一瞬で判断して、ジストがショウジへと飛びかかっていく。


「俺が奴を抑える! お前達は詠唱を阻止してくれ!」

「ぬうっ、英雄ジスト! おのれっ!」


 先の状況と違い、ジストは明確にショウジを押すだけの力量差はある。

だが目的の違いが、ショウジを守りの姿勢に入らせている。早期の決着は望めそうにない。


「ああ、分かった! ノイン頼む!」

「承知した」


それが分かっているからこそ、ノインもジェネもそれに従った。

直ぐ様ジェネを抱えると、推進機を全力で稼働させ、アーノルドへと飛び立つ二人。

だが。


(くそっ、間に合うか!?)


 アーノルドへと迫る最中、ノインが数発射撃を挟む。

だが、効果はなかった。彼の呼び出す稲妻にかき消されてしまっていた。

まだ距離は十分にある。重い攻撃を繰り出すには、もっと距離を詰めなければならない。

だが、その時間が残されているとは言い難かった。


「"……唸れ、砕け、大地を焦土へと還せ。我が意思と共に、その怒りを振るえ……"」


 開始から数十秒。アーノルドの詠唱はまだ続いている。

だが、この広場を覆わんとするほどに勢力を増した稲妻が、その猶予はもはや無いことを表していた。


「くそっ! せっかくおっさんを助けに来たのに、こんなもんで終わってたまるか!」


 必殺の距離と言うには、まだ遠い。だがもう今しかないと、ジェネは判断して、その両手を突き出す。

 

「頼む! ”撃ち抜け”ッッ!」


 彼の号令によって、その突き出した両手から無数の、風に乗った炎が放たれる。

光線のようなそれらは一旦大きく放射状に広がった後、標的たるアーノルドへと一点に収束していく。


「"いでよ雷轟! 『エクレール”……なにっ、ぐおおおおっ!?」


 そしてそれは、今まさに術を完成させようとしていたアーノルドへと一斉に突き刺さり、爆発していく。

まだ距離は遠い。それによる、アーノルドの状態まではわからなかったが、

集まった稲妻……精霊たちの動きが止まる。一旦、その成立を阻止した証左だった。


「やったか!?」

「……いや、まだだ!」


 否。稲妻は動きを止めただけで、その姿を消すことまではしなかった。

ノインの視界に、膝を付きながらも、こちらへ腕を向けているアーノルドの姿が見えた。

この長距離、しかし互いに視線が重なって。アーノルドは激昂する。


「……おのれえええ、龍人が! カビ臭い、時代遅れの精霊術ごときが! 絶対に許さん!」


 まずい。再び動き出す稲妻に、二人の意識は共通する。

もはや完成直前だった精霊術だ。今から更に、先程以上の妨害を与えるすべはない。

だがもうその判断すら、やる余裕は残っていなかった。

無詠唱ソウルブレスにより炎弾を放ちながら、ただ叫ぶ。

 

「ちくしょおおおおおおおおお……!!」

「ジェネ、防御を!」


 だがその咆哮も、精霊術も、もはや効果は無かった。

莫大な稲妻が、ただ1つに収縮していく。この広場を焼き尽くす、1本の雷を形作るのだろう。

二人を見下ろしながら、アーノルドはその憤りも込めて、再び術を唱える。


「死ねえええええ!! "『エクレール……」


 その、刹那。

それには、誰も気づかなかった。

一番近いアーノルドは正面の広場と、向かってきた二人に意識を集中していた。

ジェネも、ノインもそうだ。アーノルドと彼の唱える精霊が、今最も注視するべきものだったからだ。


その状況が。

『彼』を、誰にも悟られる事無くアーノルドの背後まで運んでいた。


「"怪盗技術トリックスキル、『六道縛』ッ”!」


 気づくのとどちらが早かったか、というほどの一瞬。


「なっ、むぐうううううっ!?」


 今まさに精霊術を唱える用としたアーノルド。

その全身と口が、細い縄と布によって完全に縛られていた。

再び放たれようとした巨大な稲妻が、再びその動きを止める。


「っ!? な、何だ!?」


 先ほど違うのは、今回の妨害では完全に身動きも、詠唱も封じられていた。

統制を行う声を失った今、稲妻はその形を維持できず、輝く精霊へとその姿を戻していく。

それは目的であった、アーノルドの精霊術の阻止に成功した証でもあった。


「ムグーッ、ムグーッ……!」

「観念しろ、お前の負けだ!」

「捕まえたのか……あいつ、何もんだ……?」


 なおも抵抗しようとするアーノルドを咎める、その傍らに立つ男。

突然現れた彼の事は、当然ながらジェネも、ノインも知らなかった。当然のように、その注目が彼に向く。

格式のあるようなスーツに身を包んでいる彼の、特に目を引くのはその表情を隠す仮面だ。

黒い意匠のそれは、その後ろに見える銀髪との対比でよく映えた。

そこへ、同じように彼も視線を返す。そこからは、敵意は感じられなかった。


「ありがとう。君たちが戦わなければ、間に合わなかった所だった」


 その声質は若い男のそれだ。

柔らかい口調と雰囲気もあり、ジェネは親近感も感じていた。

ともかく状況からも、この態度からも敵でないと判断して、ジェネも言葉を投げ返す。


「そりゃこっちの台詞だ! お前のお陰で助かった! 一体誰なんだ?」

「……いや、あれは」


 ……いや。

この時点で既に、ノインは気づいていた。もしくは判断していた、と言えた。

機械としての性、あるいは正確性故というべきだろうか。

そんなものを知る由もなく、彼はより声のオクターブを上げて答える。


「よくぞ聞いてくれた! とうっ!」


 そして威勢よく跳躍すると、ジェネの眼の前にそのまま着地する。

どういう仕組みなのか、縛られたアーノルドも共に降ろされていた。

ずっと近づいて、その姿を認めて。そこで、ジェネも気づいた。


「私は怪盗『シェイド』! 義によって君たちの助太刀を……」

「……お前、レオだろ?」


――――――――――――――――――――――――――――


「"ワールブラスト"っ!」

「ギヤッッ! ぐ、う……」


 ノインやジェネを送り出した後、ネルやニーコも行動を開始していた。

目的地である牢獄へ一直線に進む最中、行く手を阻む敵の数は多くなかった。

先ほどノインが言っていた通り、実直に命令を聞いたものは皆、ジストの迎え撃つ広場へ向かったのだろう。

そしてまた一人、ニーコの風弾によって吹き飛ばされていた。


「おい見ろ、あれ!」

「そうね。レオ君の地図からも、多分……!」


そして、地図の指し示した通りに。

倒れた男のその先に、明らかに様子の違う、黒い扉を見つける。

一斉に駆け寄る二人。近づいて、その扉の特徴が目についていく。

他のあくまで扉という形のそれと違い、分厚く、黒い鉄によって構成されたそれは、

見るからに異質であり、そして、牢獄という環境に繋がるものとして納得のいくものでもあった。

その重い鉄は音もシャットアウトしていまっているようで、覗き穴なども無く、内部の様子は伺えない。


「これだな! 絶対そうだ! よーし、んぐぐ……!」

「鍵がかかってるのね……一体どこに」


 直ぐ様、ニーコはその扉の取っ手に手をかける。

だがその取っ手も、扉自体も一切動く様子を見せない。

取っ手の直ぐ上に見える鍵穴が、その原因であることはすぐに分かった。

だがその在処までは知りようもない。ネルは案を考えていく。


(扉を、もしくは鍵穴を壊す? でもこんな扉……ギャングから聞き出すほうが早いかしら)


「……おりゃあああああっ!」


 幾つかの案を浮かべていく中。不意を打つ大声。

彼女らの背面からの声だった。

振り返ってすぐに視界に飛び込んだのは、向かい来る鉄球。


「うわっ!」

「きゃあっ!?」


 直ぐ様扉の左右にそれぞれ跳んで、その回避に成功する二人。

鉄球はそのまま扉へとぶつかり、大きな音を立てる。

だが、扉には目立つ損傷は見受けられなかった。

繋がっていた鎖に引かれていく鉄球、その先を見る。


「おいおいおい……なんでこんなメスどもが、こんな所に居るんだぁ?」


 それは。並の成人男性から二周りはあるような身の丈に、筋骨隆々の体。

鉄球を軽々振り回すのも納得のいくような、かなり体格のいい男だった。

だが、口から出た言葉はそれだけで品性の伺い知れるもので、ネルもニーコも敵意を深めていく。


「何だ、お前!」

「ああ? このオリバー様にどんな口聞いてやがんだ、ガキ……ん?」


 ニーコからの敵意を返している最中、その下卑た視線がネルを捉える。

少し黙って、眺めた後。オリバーと名乗る男は、醜悪な笑みを顔面に浮かべた。


「おうおうおう! こっちのメスは、体はちょい足りねえけど中々上玉じゃねえか!?

 こりゃいいぜえ! 牢の中の奴に手出すとエルフィンがうぜえが、

 脱走したやつは俺の自由だっつってるしなぁ! へっへっへっ……!」


 恐らくその視線は、品定めだったのだろう。

そして吐く言葉の意味は、最早語るまでもなく下劣の極みと言えた。

最早言葉を返すまでもなく、表情の嫌悪感を強めていくネル。

一歩前に出て、背後のニーコに声を掛ける。


「ニーコ、ごめん。 の相手は私にやらせて。 いい事を思いついてるの」

「え!? まあいいけど、大丈夫なのか?」

「大丈夫。負けはまず無いわ。それにね……」


 その中で、背負っていた棒に手を掛ける。

そして引き抜きながら、呟くように唱えた。


「"28番"」


 一瞬、持ち出した棒の周囲が歪む。棒のある「空間」が動き、置き換わっていく。

それは牢獄の中、マイが唱えた「演算型の精霊術」と似た動きだ。違うのは、唱えた言葉がそれだけであること。

空間の歪みが収まっていく。背中に収まる程度だった、手に持っていた棒。

それが、身の丈程の槍へと変貌していた。

それを小さく構えつつ、ネルは冷え切った視線をオリバーに向ける。


が蔓延ってるような所に、リリアが居る。

 そう思うだけで、腸が煮えくり返りそうなの。 私だってやらせてもらうわ」

「ああ……!? 馬鹿にしてんのか、メスが!! ぶっ壊してやる!!」


 彼女の言葉は、侮蔑を隠しもしないものだった。

当然のように激昂するオリバー。鎖を引き、その鉄球を抱えると、

ネルに怒りの注視を向ける。


「腕と足、片方ずつぐらいは残してやる!

 は俺の趣味じゃねえからなぁ!!おらああああああっ!!!」


 そして大声と共に、その鉄球を投げつけた。

その筋肉や体格は伊達ではないようで、人の胴ほどある鉄球であるにも関わらず、

投げられた鉄球はかなりの速さでネルへと襲いかかる。

対して、ネルは一切の言葉も返さない。関わること自体を嫌悪しているように。

ただ襲い来る鉄球の通るであろう道へ、槍を向ける。そしてまた、小さく唱えた。


「"39番、2式"」


 彼女の言葉に合わせて、再び空間が歪む。

今度は槍の先の空間、そして鉄球を巻き込んでいた。

僅かな時間の後。気がつけば鉄球は、真反対の方向へと飛んでいた。つまり。


「ぎゃああああああっ!!」


 投げた本人であるオリバーの左の肩口を、重い鉄球の一撃が襲う。

その威力はやはり強烈だった。直撃に際して、骨の折れる音が複数響く。

激痛に悶えるオリバー、その隙を逃すこと無く、ネルが踏み込んでいく。


「"32番"」


 更に精霊術を唱えるネル。

今度は空間の組み換えではなかった。槍の先端、刃を覆うように碧色の光が現れる。

そのまま、まだ反応も出来ていないオリバーへ槍を振るった。

刃の先には鉄球、そしてそれを操るための鎖。いずれも並の金属では分の悪い硬度を誇るはずのものである。


「が、ぎゃああああっ!?」


 だが。輝く刃はまるでチーズを斬るかのように、鉄球と鎖を容易く両断し、さらにオリバーの肌までを切り裂いた。

まともに制御もできず、半分になった鉄球が地面に転がる。

鎖もなく、彼は武器を失ってしまったと言えた。

尚もネルは手を緩めること無く、次の精霊術を唱える。


「"48番-11式"、"62番"」


 次は手に持つ槍の、底側の先が橙に鈍く輝く。

そのまま槍を回して持ち替えながら、僅かな呼吸の後。


「ギャアッッ!!」


 目にも留まらぬ高速移動と共に、槍の底がオリバーの左足を打ち付けていた。

軽いように見える一撃だったが、オリバーの反応はとてもそうではない。

悲鳴を上げつつ、まるで力が抜けたかのように左足を折るオリバー。それだけで、終わらなかった。

息をつく間もなく、ネルはそれを右足、右腕、背中と繰り返す。


「ギャア、ガアッ、グガあああッ!!!」


 全身に激痛と脱力を覚え、もはやネルを見る余力も無く倒れていくオリバー。

そしてネルは、ひれ伏す彼の直上に跳んで移動していた。

冷たいその瞳が、先程まであれだけの暴言を吐いていた男の哀れな姿を一瞥する。

そして、それが許されることはない。それを表すかのように、唱える。


「"98番、収束。8974677……"」


 それは他者のものと似たように、数字の羅列を伴うものだった。

そして。オリバーの頭上、跳んでいるネルを中心に、その体全てを覆うほどの空間が組み変わっていく。

ネルの持つ槍、その先は特に深く歪んでいた。

一呼吸の後、その身が物理法則を反して……いや、組み替えられた物理法則によって、急降下する。


「"グロウドライブ"!」

「ぐぎゃああああああああああっ!!」


 そしてネルはその急降下とともに、オリバーへと槍を打ち立てた。

同時に彼の巨体全身に、下へ向かう巨大な力が加えられる。

まさしくトドメの一撃となるそれで、彼の体は完全にうつ伏せに沈んだ。


「ぐ、が、あ……」

「動けないでしょうね。 貴方には今、通常の数倍の重力がかかってるんだから」


 全身を痛めつけられた上、重力がその体を締め付け続け、オリバーはもう腕の一本も動かせずにいた。

完全に侮蔑する視線で、その様子を一瞥するネル。戦闘の決着を見届けたニーコがそこに近づく。

 

「なんだよ『グロウドライブ』って。なんかそれだけ、精霊どもそいつらの反応悪かったぞ」

「それはそうよ。 だってこれだけ『符牒』じゃなくて、リリアがつけてくれた『技名』だもの。

 それじゃあ……」


 少しの会話を交わして、再びオリバーを見下すネル。

その瞳は、ぞっとするほど冷酷な色だった。


「これから質問をするわ。 答えなければ……わかるわね」

「ひ、ひいいいっ……! わがりばじだ、わがりばじだぁ……!」


 この状況、そして彼女のその態度は、オリバーの心を完全にへし折ってしまっていた。


――――――――――――――

 

 そして、彼女達が目指すその牢獄の中。

リリアは、宿敵たるエルフィンと向かい合う。その表情には、一分の緩みもない。

対して、エルフィンはくねくねと全く落ち着かない様子だ。

手に握る鞭も、その例外ではなかった。

精霊術によって独りでに動くその一撃は、既に既知の脅威となっている。


「さあ、わんぱくプリンセス! 君にも愛をあげなければ!

 マダム・プリンセスと並べれば、本当に美しい景色になるはずなんだ!」


 あいも変わらず気色の悪いことを立て続けに吐きながら、エルフィンは右手の鞭を振るう。

鋼鉄の床をも砕く一撃だ、当たれば無事で済むものではない。

前回との違いはただ1つ。その威力を、リリアが知っていることだ。


「はっ!」


 その一撃を躱すリリア。無論、着弾による衝撃も含めてだ。

そこへ更に一発、縦に振られた鞭だ。だがそれも、最小限の動きで躱していく。

だがリリアの体は、確実に後方へと追いやられていた。

その先は、リリア達が元いたフロアに繋がる階段しかない。狭い場所に追いやられれば最後だ。

狂っているようで、それはわかっているのだろうか。

エルフィンに張り付いた笑顔は、その度にどんどん深くなっていく。


「ああ、おあずけさせてくれるんだね、わんぱくプリンセス。

 それもいい……希少なものほど、よい価値があるものだからね!」

「そんなの、取らぬなんとか、よ! 当たってなんかやらないわ!」

「ああ、素晴らしい! 君に浮かぶ愛の証は、想像を絶するほどの物になるんだろうな!」


 それに気丈に返しながら、リリアは尚も回避に専念していく。

事態の好転の糸口が映る状況ではない。だがその表情には迷いも焦りもなかった。

精霊たちに囲まれる中、不敵に笑ってさえいた。

それは、あるいは。頭の隅でだけ考えている「それ」を、表情に出さないようにするためでもあった。


(あと少し……)


 攻撃を躱し続けて、遂にリリアは、その背中側の空気が変わるのを感じる。

細い階段と鋼鉄の壁しかない、壁際まで追い詰められた状態だった。

エルフィンの技量であれば、細い階段内を正確に打ち抜くことなど造作もないだろう。


「さあ、追いかけっこも終わりだね。わんぱくプリンセス」


 それが共通認識であるように、エルフィンも口に出す。

少なからずその息が荒くなっているのは、恐らく疲労に起因するものではないだろう。

更に表情を鋭くするリリア。


「そうね……ここで、終わりにしよっか」


 真剣な眼差しが、エルフィンを射抜く。集中力を極限まで、強く高めていく。

一歩、また一歩近づいてくるエルフィン。

小さく息を吐くリリア。更に一歩歩いた、そこを、タイミングにした。

その細い足を、精霊たちが包み込む。


「ーっ!!」


 そして直後、縮んだバネが解放される時のように。

リリアの体がエルフィンに向け、弾けるように跳び出した。同時に、エルフィンの口角も大きく上がる。


「さあ、この愛を受けてくれ!!」


 リリアを迎え撃つように、エルフィンが両手の鞭を同時に振るう。

場所の関係もあるのだろう、コンパクトに振られたそれはしかし、左右からリリアを挟むように伸びていく。

今まで逃げ回っていた彼女の退路を、完全に断つように。

それ故なのか、あるいは。リリアは向きを変えることもなく、ただエルフィンに最短距離で駆け抜けていく。

遂に待ちに待った歓喜の時。エルフィンは既に、完全に喜びの絶頂に至っていた。


「ああ! ああ! ああ!!! さあ、わんぱくプリンセス!!!!」


「……141、7887”……!」


 だから。マイが唱える、その言葉など。完全に耳に入っていなかった。

そして周りも、全く見えていなかった。

だから。鞭を振るう途中、その両腕に何かが当たったのも、当たってから気づいた。

それが自分の左の牢から伸びる、警棒であることも。

そう。右腕にはギルダが、左腕にはミーアが、突き刺すように警棒を伸ばしていた。


「くうっ、マイ先生!!」


 だが、これでは当たっただけでまともなダメージはない。

これほどの強敵であれば、狙いをずらすことすら出来ないだろう。だからこそ、これだけで終わるわけが無かった。

ミーアが、背中のマイへと叫ぶ。次のアクションは、その合図とほぼ同時だった。


「演算、”ベロシティ”っっ!!」


 マイが唱えるのは、先も見せた、物を動かす力を持つ演算型精霊術だった。

今回、彼女の前には何もない。いや。動かす対象は既に、別の場所へ運ばれていた。

そう、ギルダとミーアによって。

そのままギルダが、ポツリと囁いた。


「お返しだ、この変態野郎」


「え――」


 エルフィンが対応する猶予も与えず。マイが唱えた精霊術が、効果を発揮する。

突き刺さった警棒がその先端に向け、急激に力が加わった。

それはギルダとミーアの手を離れて……力の向きの先である、エルフィンの両腕へ、牙を剥いた。

先端が丸い警棒だ、その肌を破ることは無かった。

だが不意の、大きな力を突然横から受けて。エルフィンの腕の制御が、大きく乱れる。


「え、え……?」


 そのまま警棒に押し出されるように、大きくぶれた両腕。

その先端にある鞭の機動に、影響を及ぼさないわけもなかった。鞭はそのまま見当違いの所を打つ。

その中心を駆け抜ける光。ただこの一振りで生まれた隙は、まさしく、致命の隙だった。


「うおおおおおおおおおおおお!!!!」

「はぁっ……!?」


 全身に精霊を纏ったリリアが、遂にエルフィンの懐に到達していた。

もはや、回避すら叶わない。

これまでに溜め込んだ怒り、憤り、そうしたもの全てを込めて。

勢いのまま、リリアは右腕を打ち出す。


「ぎゃああッ!!」


 狙いはエルフィンの左腕だった。強烈な一撃は、そのままエルフィンの腕をへし折る。

その手の先から、鞭が離れていく。これが狙いだった。

間髪入れず、リリアは左手も振るう。これも同様に、向かい合うエルフィンの右腕を破壊した。


「ぎひゃあああああッッ!?」

「このおおおおおおっ!!!!」


 尚もリリアの攻勢は止まらない。

続けざまに、輝く精霊たちを纏った回し蹴りをその脇腹へ。

更に勢いを維持して跳躍し、逆足の回し蹴りをその顔面へ打ち込んでいく。


「ふぅッ、はあッ、でりゃああああ!!」

「ぎゅぼおっ、げばぁっッッ、げはあああッッ!!!!」


 更に着地の慣性をバネにしたサマーソルトキックもお見舞いするリリア。

ただでさえ剛力の彼女の、怒りの籠もった一撃だ。

最早意識も保っているかもわからないエルフィンの体が、攻撃の流れのまま宙に浮いた。

それを下から見つめながら、リリアは着地と共に屈む。

彼女の思いに呼応して、その右腕に眩いほどの、更に多量の精霊たちが集まっていく。


「これでとどめーッ!! "ステラアサルト"ッッ!!!」


 そして。落ちてくるエルフィンに向け、強力なアッパーカットを叩きこんだ。

口にした通り最後の一撃となるだろう、余りに強力な一撃。

その助力をする精霊の量も、普段の比ではない。

輝く精霊に身を包まれながら、エルフィンは天井へ向け一直線に跳んでいく。


「ぶ、ぎぇあああああああああああっ……!!!」


 信じがたい事に、その一撃を受けた体は、天井さえも貫き。


「ほ、ほんとうでず……鍵はエルフィンっていう、獄長がもっでまず……

 そいつじゃないと内からも、外からもあげられまぜん……」

「おい、それじゃあ中に居られたら手が出せねえじゃねえか!」

「それなら、そのエルフィンって獄長を外に出すには……きゃあッ!?」


 丁度真上に位置する位置に居たらしい、ネルとニーコの眼の前に、床を叩き割って到着していた。

そこで上に向けた慣性も切れたようで、彼女らのいるフロアの床が彼の体を受け止める。

当然ながら、完全に気を失っていた。その顔を見て、オリバーが叫ぶ。


「ご、ごいづでず、ごいづがエルフィンでずっ!!」

「ええ、どういう事だよ?」

「……まさか」


 この余りに不可解な現象の、それが納得できるただ1つの可能性に思い当たって。

ネルは小走りで、エルフィンの体が開けた穴を覗き見る。そして。


「あれ、降りてこないや……って、ネル姉!」

「リリアっ!!」


 紆余曲折、様々な障壁の果て、遂に。

大きな目標の1つが、果たされることとなった。

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