6話


「やるなら、鍵持ってる人が近くを通った時だよね」

「ああ。もっと言うなら、ここを開けたときが良いだろうね。一気にのしてやればいい」


 薄暗い牢屋の中で、小さく作戦会議を続ける二人。

まともな明かりすらないこの牢屋の中でも、リリアも段々と目が慣れてきていた。

僅かに広がった視界で、もう一度この牢屋の外を覗く。

改めてわかったが、どうやら牢は1つではないようだった。そして。

もっと深く、目をこらして。そして気付いた。向かいの牢、かすかに映る輪郭が、人であることに。


「……他にも捕まってる人がいる!」

「しっ! 声がでかいよ」

「でも……!」


 うっすらと見える輪郭は、どうやら二人並んでいるようだ。

見えた光景に、思わず声を大きくしたリリアを叱る老婆。

動揺か、あるいは気質が故か。リリアは少なからず冷静さを無くしていた。

そんな彼女に、老婆は言葉を重ねていく。


「お前さんがあのボス猿を倒せば、助けてやれる。落ち着きな」

「……」


 その言葉と意図通りか。リリアの態度も沈静化していく。

とはいえ、内に秘めた怒りは収まりようもない。努めて音が出ないように、息を吐くリリア。

それすらも悟ったか。老婆は不意に、話題を変えた。


「……お前さん、名前は?」

「え?」

「あたしの命を預けるんだ。名前ぐらい教えてくれたっていいだろう?」


 あるいはリリアの気を落ち着かせるための、他愛もない話の1つでもあった。

とはいえその理由にも納得を見せたリリアは、素直に自分の名前を名乗る。


「ごめんなさい、そういや教えてなかったね。私はリリア。おばあさんは?」


 そう。取り立てて何の変哲もない普通の解答だったはずだ。


「……」


だが、不意に。言葉軽く会話を続けていたはずの老婆の言葉が、突然止まった。

つい先程、リリアが昂ったのとも違う、独特の空気が場を支配する。

背中合わせでその表情は、リリアには伝わらない。

だが突然の沈黙に、流石に彼女もその異変に気づく。


「……おばあさん?」

「……ああ、すまないね。ボーッとしちまった。あたしはギルダってんだ」


 だがそれも、そこまでだった。

次に彼女が口を開いたときには、口調も態度も、すっかり元に戻っていた。

気にはなったが、リリアもとりあえずその言葉を受け止める。


「ギルダさんね、覚えたよ」

「ま、いつまで生きてるか分からん身さ。無駄になるかもしれんがね……待て、来たぞ」


 そこから再び繋がる会話が、ギルダの言葉で制される。

耳をすませば、こちらへ近づく足音が聞こえてきた。

近づいた足音と共に、光が牢屋に差し込む。看守については光源を持っているようだった。

光に目を眩ませながら、リリアは看守の様子を覗き見る。

恐らく男と思われる体格の人間は、こちらに背を向けていた。

それはつまり、ギルダの言う好機ではないという事を示していた。

続いて、話し声が牢屋に飛び込む。


「へっへっへ……さあ、お楽しみの時間だぜ~」

「ひっ、ひいっ! や、やめてくださいーっ!」

「や、やめろっ! 先生に手を出すなあっ!」

「うるせえなぁ……テメエに手出せねえってんで、代わりにこの先生サンにお相手してもらうんだろうがッ!」


 恐らく看守の男と、牢屋の中に居たのであろう、二色の女性の声。

声だけでもそれが何であるのか、理解するには十分だ。


「ハズレか。とはいえ……下卑た奴らめ」


 正しくそれを理解して。先ほどの会話よりももっと小声で、ギルダが吐き捨てる。

それはあるいは、冷酷な反応ですらある。


「……っ!」


だが、真正面のリリアの反応は対局だった。

その表情に、ぎゅっと力が込められる。

いや、もはや。リリアはできる限りの小声……それでも先程よりもずっと大きな声で、ギルダに呼びかける。


「ごめんギルダさん、やっぱり今にして!」

「あん? お前さん、さっき言ったことが」

「お願い!」


 強い感情を乗せて、ギルダからの問いかけに答えるリリア。

視線にも表情にも強い怒りを乗せて、その男の背中を見つめていた。

背中合わせであったとしても、彼女の思いを悟ったか。少し笑いながら、ギルダは答える。


「まあ、なるようになれって事かい」


 直後、縛られていた手首が突然軽くなる。

何をしたかもわからない早業。だがそれが何を意味するのは、ただ一つだ。

瞬間、リリアが立ち上がる。ほぼ同時に、呟くように伝えた。


「行きな」


 凄まじい気迫と共に、飛び出すように立ち上がるリリア。

その手が、牢を構成する鉄格子を握りしめる。同調する精霊たちが、彼女の腕を包んでいく。


「やめろ、やめろーっ!!」

「あーうっせえ……黙らせるぐらいならいいかぁ?」


 あるいは持ち歩いていた光源のせいか、気を抜いた状況のせいか。

もしくは眼の前に気が取られてしまっていたせいか。男は異変に気づくのが遅れていた。

自分の持っているライトではない光があると気づいて、振り返った時には。


「ああん? なんだ……ひぃぃッ!!」


 目に飛び込む、持ち込んだライトよりも更に眩しく輝く光。

そして耳に飛び込む、鉄の軋んでいく音。


「う……ううおおおおああああああ!!!」


 全身に光を纏ったリリアが、力尽くで牢の鉄格子を捻じ広げて出口を作り出していた。

可憐な少女たる彼女のイメージとはかけ離れた、圧倒的な膂力でのみ成せるであろう、恐ろしい光景だ。

その光景、そして憤怒の色を全面に出したリリアの表情に男は完全に慄き、尻もちを付く。


「このーっ!!!」

「ひーっ!! た、助けっ……!」


 逆にリリアは止まることはない。牢屋から飛び出すとそのまま男の眼前まで駆け寄る。

振りかぶった右腕、その拳に精霊たちが集まる。

その光景がこれからの自分の運命も、全てを男に悟らせた。

命乞いの言葉も、リリアに届きはしない。


「どりゃああああああああああああっッッ!!」

「ギャッッ!!! ウ、ううう……」


 その勢いのまま、リリアは男の顔面に拳を叩き込んだ。

木の壁を砕き、魔物の巨体ですら揺るがすリリアの一撃だ。

男は全身を持ってしてもその勢いを抑えられず、まっすぐに牢内の壁に飛んで激突する。

その強烈な一撃により、男は一撃でダウンしていた。


「やるね。いい一撃だった、スカッとしたよ」


 続けて牢から出ながら、気を失った男へと近づくギルダ。

ロープの斬れていない部分を使って、その男の手足を縛り付ける。

そしてその懐を探り、鍵を取り出した。


「あんだけ強烈に食らったんだ。しばらくは動けないだろうさ。

 代わりに牢にぶち込んどくかね……さて」

「ふう……大丈夫ですか?」


 そして二人は、囚われていた側の二人の方へと顔を向ける。

ロープで縛られていたリリア達とは異なり、彼女らは牢屋に繋がれた手枷によって拘束されているようだった。

小さくリリアに目配せすると、ギルダが更に彼女たちへと歩み寄る。

この距離になると、彼女たちの顔つきまで分かる。

先に口を開いたのは、おそらく先程男たちに叫んでいた方であろう、

リリアよりは一回り年上に見える、凛とした顔つきの少女だった。


「あなた達は……?」

「お前さん達と同じ虜囚だよ。

 奴らがこの子のお転婆さを見誤ってくれたおかげで、今は脱獄準備中って具合だがね……これか」


 それに答えながら、ギルダは手早く鍵の束を穴に試行していく。

正解を引き当てるまでは、そう掛からなかった。彼女の腕が解き放たれたのを感触で悟って、

ギルダは続いて、もう一人の女性の方にも手を伸ばす。

おそらく先程、先生と称されていた女性だ。

確かに背丈などは大人のそれだが、少し童顔にも思えるその表情は涙でぐしゃぐしゃになっていた。


「ぐすっ、ううっ……」


 繰り返すように、その指先で踊る鍵。

これもまたすぐに、その穴に合致するものを見つけられたようだ。ガチャリと、解錠を伝える音が響く。

直後。解放された女性は、そのまま正面、リリアへと泣きついた。


「わわっ!?」

「うわーん!! すっごく怖かったーっ! 本当にありがとーっ!」


 背丈でいえば、大人なのもあってリリアよりも頭1つ大きい。一瞬はそれに驚くリリアだが、

号泣する彼女の様子に、逆にその背中へと腕を回してやった。

不安の裏返しでもあるのだろう、比較的大声で女性はリリアへの感謝を重ねる。

背中を擦ってそれを受け入れるリリアと、どこかその光景に目を背けるギルダ。

そしてそんな彼女に半ば苦笑しながら、もう一人もその側へと近づく。


「マイ先生、泣きすぎです。……でも、本当にありがとう。

 紹介が遅れてすまない、私はミーア。君は?」

「私はリリア! こっちのおばあさんはギルダさんだよ」

「どうも。互いに災難だね、お嬢さん方」 

「ご、ごめんねぇ、リリアちゃん……あなた、すっごく強いのね!」


 軽い挨拶を交わす中で、マイと呼ばれた女性も落ち着きを取り戻してきたようだ。

態度に対する詫びと感謝、そして彼女を称える言葉が続く。


「私はマイ。ええと、このミーアちゃんの学校の担任です」

「となると、教え子の前でビービー泣いてたってことかい。情けない奴だね」

「ちょっと! ギルダさん!」


 しかしギルダが返すのは、やけに棘のある言葉だった。

その表情自体は笑みを含むものではあるが、あるいは嘲笑でもあり、そして瞳が宿すのは複雑な厳しさだった。

その由来は、おおよそ分かるものではないが。状況に対してあまりに酷な言葉に、リリアも思わず反応する。


「うう……返す言葉もありません」

「そう言わないでほしい、御婦人。先生は連れ去られそうになっていた私を助けようとして……!」

「そうやって自分も一緒にとっ捕まって、何も出来ちゃいないなら世話ないね」


 だがその言葉を素直に受けるマイ、彼女を擁護するミーアの言葉を受けても、ギルダの辛辣な言葉は変わらない。

語られた言葉を切り捨てて、尚も厳しい言葉を綴るギルダ。


「出来もしない物を背負いこもうとする。そういうのは蛮勇、あるいは身の程知らずって言うんだ……」

「そんな事ないっ!」


 そこに響いたリリアの声が、そんな彼女の言葉を遮った。

どこに向いていたというわけでもない、あるいは逸らしていたその視線がリリアに向けられる。

その表情を更に利己的な笑みへと変えながら、ギルダは意地悪そうに、今度は彼女に問いかけた。


「どうした? こんな状況だってのに、甘っちょろい言葉で慰めてやりたいかい?」

「違うよ。 一人じゃないって事が本当に大きいんだよって言いたいの!」


 対するリリアの瞳は、どこまでも直情的だ。きりっとした真っ直ぐな瞳が、ギルダに返されていた。 

先程まで場を支配していた彼女にも怯む様子はなく、彼女は言葉を繋いでいく。


「こんなとこに連れて来られるなんて、怖くてしょうがないもの。

 誰かが一緒に居てくれるのだけでも、本当に嬉しいよ」

「そりゃあ、気休めが増えてるだけだ。 弱いやつが増えて何になる?

 こいつらもあたしも、お前さんの手助けにはなりゃしないんだ」


 しかしギルダも、あるいは頑なと言えるほどに、リリアの言葉へと反論していく。

正論とも言える現状も交えて、彼女にその言葉の意志を問い続けるギルダ。

 

「違うよ。だって」


 だがリリアも、彼女の言葉に自分の意志を曲げることはなかった。

その瞳に、より一層気持ちが込められて。

改めてギルダを見据えて、少し笑いかけながら続けた。

 

「ギルダさんが一緒に居てくれたじゃない。だから、怖くなかったんだよ」

「牢を拉げて、大男を一撃で伸すお前さんがか?」

「そうだよ。そんな私だってそうだもん、きっとミーアさんもそうだったよ 。それに、今だって」

「弱者を慮ってくれるのかい。ありがたいね、お陰で気が楽だよ」


 続く押し問答の中でさえ、ギルダは皮肉、もしくは小馬鹿にするような言葉を並べていく。

にやつくような薄ら笑いも崩さない。それはあるいは、リリアを試しているかのようだ。

して対するリリアも、その意地悪な言葉に怯む様子は見せない。

むしろ、瞳に宿す意志をより強くして言い放った。


「『紡ぐ小さな星々こそが、この輝く剣の道標』!」

「なんだい、そりゃ」

「……『永き冬』二七版、第一章、25ページ目。紡ぐ星の剣士、エレナの格言だよ!」


 彼女が口にしたのは、自分が憧れ、敬愛する英雄譚、その引用だった。

丁寧にその引用箇所まで口にしながら、リリアは彼女にその思いを述べていく。


「どんなに自分が強くても、エレナは周りの人をずっと大事にしてたの。

 だから、気休めなんかじゃないよ! 私もそうなりたいから!」


 言い放ったリリアに、今で軽々と言葉を返していたギルダが急に静まる。

先ほどまで浮かべていた冷笑的な表情が、綺麗さっぱりと消えていた。

だがその言葉に感銘を受けて態度を改めた、という様子ではなかった。


「エレナ……? 紡ぐ星……?」


誰へ向けるものでもなく、英雄の名を呟く彼女。

その言葉をきっかけに、深い自分の思考に入っているかのようだった。


「……ギルダさん?」


 少し遅れて、リリアも彼女の変貌に気づいて、声をかけた。

彼女の様子に気が回らなかったのは、彼女の変貌が静かになる方向であった事も理由の1つではあるが、

実のところ、憧れの英雄の言葉を決められたことに舞い上がっていた一面があったのは否定できない。

心配そうな視線を向けられたギルダ、しかしやがて、その口角が上がった。


「なるほど、そうか。。クハハハっ……」


 言葉の意味としては、彼女の中で何かに合点がいったようであるが。 

しかし、その呟く言葉の意味も、抑えきれぬように笑う理由も、察する材料さえ周囲には全く漏らさなかった。

そして一呼吸してから、改めてリリアに視線を向ける。試すような笑みを再び、その顔に貼り付けていた。


「……ちんちくりんのくせに、こんなババアを口説くつもりかい。スキモノだね。50年早いよ」

「へっ!? い、いやっ、そんなのじゃなくて!」


 しかし彼女が投げかけるのは、先ほどまでのような冷笑による言葉ではなく、からかうような冗談だった。

予想外の言葉に、完全に狼狽するリリア。話の上下関係を一瞬で逆転させて、ギルダは尚更深く笑う。

だが続けた言葉は、再び真面目なものだった。


「英雄に憧れるのは結構だが、でかい言葉を叩くならそれ相応の覚悟が要る。分かって言ってるんだろうね?」

「うん。わかってる。エレナには、ずっと憧れてるんだもの」


 しかしその言葉の質が変わっていることは、リリアにも伝わっていた。

その返答は、あるいは行間によるものであったが、

より笑みを深めたギルダの様子が、それもまた伝わっていることを表していた。


「そうかい。じゃあ、信じさせてもらおうか。

 ババアの癇癪に巻き込んで済まなかったね、お嬢さん達」

「いいえ。この状況です、遺恨は無しにさせてほしい」

「ええ、大丈夫です! 一緒にがんばりましょ!」


 そしてこの一連の言い合いの決着を表すように、ギルダはマイ、ミーアにも詫びる。

対する二人も、その謝罪を引っかかりもなく受け入れた。

結果的に説き伏せることに成功した、リリアの様子を見ていたことも大きいだろう。


「うん!それじゃあ……」

「おーい、どうしたぁー? デケえ音が聞こえたが……」

 

 緊迫した状況ながらも和やかになっていた場が、牢獄の奥から響くその声によって、一気に緊張が高まる。

その声色、そして言葉から、この一団の者であることは明らかだった。

まとめて牢の角へ集まる一行。だが段々と大きくなっていく足音が、もはやそれも時間稼ぎにしかならないことを示していた。

高まっていく緊張。その中で、リリアが口を開く。


「あのさ、作戦あるんだけど」

「なんだい?」 


 そう語るリリアの表情には、どこか悪戯っぽい笑み、そして強い意志と自信が宿っていた。

この緊迫した状況には全く見合わないもの、だがそれこそが、彼女の勇気を示していた。


「全員倒しちゃおうよ! 他に捕まってる人がいたら、助けられるかも!」

「あきれた……どこが作戦だい。とんだ英雄様だ」


 飛び出したリリアの提案、それを嘲笑するような言い回しを返すギルダ。

しかし、彼女もまたその顔には笑みを浮かべる。提案に対する意思は、むしろこちらが示していた。

そのまま、後ろの二人にも視線を傾ける。


「ま、覚悟を決めるしかないね。お嬢さん達もそうしな」

「ああ、もちろん!」

「ええ! ……そうだ、思いついた! 不意打ちの材料を用意できるかも!

 リリアちゃん、いつでも行けるよう準備を!」

「え!? うん……!」


 その返答の最中、更にマイが提案を重ねていく。

すぐ様リリアから帰ってきた承諾を受けて、マイは倒れ込んだ男のそばに伏せ、手をかざす。


「ミーアちゃんごめんね、いつもは人に向けるなって教えてるけど、こんな状況だから!

 "術式『39』番、34029569、585141、7887”……!」


 どんどんと足音が近づいてくる中、彼女は矢継ぎ早に謎の言葉を呟いていく。

それに呼応して、男の周囲が歪む。否、規則的に並び替えられるように動いていた。

暗い中それを理解して、リリアは彼女が意図するものが何かを理解する。


(これ、「演算型」だ……!)


 薄暗い牢の外、微かに陰が濃くなる。

目と鼻の先であることが明らかになった、そのタイミングで、

マイはかざしていた手を、牢の外、正面へと向けた。


「演算、”ベロシティ”!」

「あん!?……うわあ!?」 


 直後。倒れていた男の体が、触れることなく独りでに飛び出した。

打ち出された男の体はそのまま鉄格子に当たり、

向かってきた男へ、その音と光景による衝撃を与える。それは、確実に意識を牢の中から逸らしていた。

この機を逃すことなく、リリアは牢の外へと飛び出していく。


「おい!どうし……」

「うりゃああああああああああ!!」

「あ!? ぶ、べえええ!」


 そして反応することも許さず、男の顔面をリリアの拳が撃ち抜いた。

精霊の助力を受けた、強烈な一撃だ。全く受けきれずに、男は向かい側の牢に衝突する。

そのまま力なく倒れた男を、続いて牢から出たギルダが手早く拘束した。

この場の勝利を表す結果だ。マイは震えながら、喜びを表情に浮かべた。


「や、やった……!」

「なるほど、演算型の精霊術かい。グローリアで教師をやってるなら、それもそうか」

「ありがと、マイ先生!」

「ひ、人に使ったの初めてだよ……わっ!?」


 口にしたように、マイの体はその怯えを示すように震える。

その身を、背後から抱きとめる腕。ミーアのものだった。

その腕も震えていたが、抱きしめるその力がそれを塗りつぶしていく。


「リリアちゃん、マイ先生……勇気をもらいました。私も戦います。

 ある程度の護身術は、学んでいますから」

「ええっ、そんな事! あなたに人を傷つけさせるなんて……」 

「いいや、力を貸して貰おうか」


 語られたミーアの決心に躊躇するマイ、そこへ牢の外からギルダが話に入る。

その言葉は、ミーアの言葉に沿うものだ。話を続けながら、ギルダはリリアの頭に手を置く。


「わっ!?」

「腰を抜かしてる暇はないよ。この子がバテたらあたしらの負けだ。

 手を貸せるところは貸して、少しでも楽にしてやるんだ」


 そして屈み込み、倒れた男の腰に下げられた警棒を奪い取る。

あまり長くない警棒は、老いた細い腕でも軽々と持ち上がった。

数度上下させその重さを確かめると、再びミーアへと視線を向けた。


「図体のでかいくせに、みみっちい武器だね。だがあたしでも持てる程度に軽いのは助かった……使い方はわかるかい?」

「剣術なら。学んだ護身術の中では自信があるが、実戦の経験は無い」

「そうかい。なら初体験と行きな。お前さんのはそっちだ」


 そしてギルダは、牢の中で倒れている方を指す。

この男の腰にも、同様の警棒が下げられていた。マイは深呼吸とともに、同じようにそれを剥ぎ取る。


「み、ミーアちゃん……!」

「なあに、どうせここに居るのはしょうもないチンピラの悪党ばかりだ。

 どれだけの悪行をやってきたかわかったもんじゃない。躊躇してやる必要もないさ。

 実戦としてはお誂え向きだろう?」

「もう、また意地悪な言い方する!」


 また、幾つかの足音が響き始める。次の戦いが迫っていることは明らかだった。

その方へ体を向けるリリア。姿を現す精霊たちの数が、段々と増えていく。

その隣にギルダが、そして後ろにマイ、ミーアが立つ。完全に、牢から離れる態勢だ。


「大丈夫。みんなの勇気の分、私ももっと、頑張れるから!」

「ああ、頼りにするよ。だが言った通り、お前さんの負けがそのままあたしらの負けだ。しくじるんじゃないよ」


 リリアの漲る闘志に呼応するかのように、数多くの精霊たちが姿を現していく。

暗い牢獄を照らす輝きは、あるいは皆を元気づけるかのようだった。


――


 グローリアの街中。人通りの少なくなった路地を、一行が駆けていく。

ジェネら一行は、行き先を決める事に成功していた。

忙しなく駆けながら、言葉を掛け合うジェネとネル。


「リリアのいる場所が分かった、それは確かなんだよなっ!」

「ええ! 間違いありません!」


 その少し先で、先導するようにノインとニーコも宙を駆けていた。

彼らがこうした行動に出ることができたのは、ネルがもたらした情報のお陰だった。

駆ける速度は落とさないまま、ネルはジェネの言葉に答えていく。


「もうご存知かもしれませんが、リリアは精霊を操る異能があります。

 その影響で、昔から特殊な精霊反応が彼女から検出できていたんです。

 フェムト教授とは旧知ですから、その反応については情報を集めていたんですが……

 それがここで、役に立ちました!」

「あいつの反応を辿れば、攫われた場所がわかるって事だな!」

「そして『ブラスターズ』のアジトも、という事か。

 活動歴に対して、奴らのアジトが検挙されたことはこれまで不自然に無い。

 奴らを潰す絶好機になるだろう。フェムト教授に感謝を」

「ええ! 私から伝えておきます」


 ジェネの言葉に重ねて、ノインもネルの情報の意味を言語化する。

先ほどまでの三人の悩みは、ネルの情報、ひいては彼女を派遣したフェムトによって解決していると言ってよかった。

ノインが先導するのは、そのデータが託されたが故だ。

その背後につくニーコもまた、気合充分に息を吐く。


「私の友達にひどい事したんだ、絶対とっちめてやる!!」

「お前も加わるとして。魔物の発生にはどう対処するつもりだ。

 先の反応を見るに、体調の悪化は避けられないのだろう」

「ニーコ様が負けたまんまだと思うなっ! あんなもん気合でどうにかしてやる!」

「気合だと? 全く対処ではない、下がっていろ」 

「うるせーな! さっきだって一番星上げたのはニーコ様だったろうが! なんとかなるってーの!

 ところでさ、リリアが連れ去られたとこってどこなんだ!?」

「対話を試みるのが無駄か……海岸沿い、グローリアの旧海岸警備用施設だ」


 ノインの、あるいは心配でもある言葉にも気丈に返し、いつもの言い争いへと繋げていくニーコ。

その様子からは、先の衰弱の影響は一切見受けられない。言葉を体現するかのようだ。

ノインの答えを聞いて、ニーコはその身を屈ませる。


「海の方だなっ!よーし!!」


 そしてその小さな身が、風を纏い始めた。

自らの推進力の助けとする、だけに留まらない。

集まる風は段々と勢力を増し、周りを巻き込むほどの規模になっていく。

流石に前進を阻害するほどのもので、ネルもジェネも、足を止めて彼女に問いかける。


「お、おい、どうした!?」

「ちょっと、ニーコ……!」 


 後方の異変に気づき、ノインもまた踵を返してニーコへと近寄る。

先ほどの態度、そして今の表情からするに、何か不調なようには見えない。

近づくノインを見て、ニーコが浮かべる自信気な笑顔は更に深まった。


「何のつもりだ……」

「行くぞお前らっ!! "アサルト・バースト"ッッ!!」


 ノインからの問いかけ、それを遮る形で。直後、ニーコを中心に暴風が巻き起こった。


「どあああああ!?」

「きゃあああああああああああ!!」


 並の規模ではないそれは、ネルはもちろん、

巨大な体躯を持つジェネ、そしてノインさえもその体を宙へと巻き上げていく。

その突風の先頭を飛ぶのは、勿論ニーコだ。

ぐんぐん高度を上げていく彼女に従う突風。そして巻き上げられた3人も同様だった。

いつの間にか街を一望できるほどの高さまで上げられた一行。

自ら飛ぶすべが無いものは、そのまま自由落下に移行するしかない。

それは予想が出来ていたのだろう。その直前で、ネルをノインがキャッチする。


「は、はひーっ……死ぬかと思った……! ……え、ジェネさん!!」

「う、うおおおおおおっ!!?」


 ネルの呼びかけで、ノインが彼の状況に気づく。

すでに自由落下を始めようとしていたジェネ。彼の背にある巨大な翼は、重力に抗うための力を発揮していなかった。

不意打ちでもある状況が故か、それとも。

それを思考するより先に、ノインは推力の向きを大きく変え、残った腕で彼を受け止めに回った。

体格はほぼ互角の二人だ。受け止めることには成功したが、露骨にノインの高度が下がる。


「わ、悪い、助かった……」

「飛行は不得手か。すまない、対応が遅れた」

「助けられたんだ、謝んないでくれよ……、龍人は飛べるものだしな」

 

 助けを受けたノインに感謝しながら、ジェネはため息と共に、憂鬱するような表情を見せる。

付け加えた言葉は、あるいは自分に向けた言葉でもあった。

それは彼の宿命とも言える、自らへの呪い、そして怒りだった。


(畜生……)


心の中で悪態をつくジェネ。それは彼にとってこの飛ぶ力のない翼が、どういう存在であるかを表していた。

担がれた態勢のまま、眼下に目をやる。

遥か遠くに映る地面。そこから感じる恐怖に、彼はまた自己嫌悪を重ねていた。

危機に陥る原因を作ったニーコへの怒りすら、沸かないほどに。


(なんで、俺は飛べねえんだ……)


 ともあれ、なんとか高度を戻したノイン。今の事態の主犯であるニーコへと近づく。

そんな危機を知ってか知らずか。ニーコはその先頭で息を吐くばかりだった。


「よーし、後は突っ込むだけ……って、海側の建物っていっぱいあるじゃん! どれだよ!」

「愚かな……」


 しかしその口走った内容に、ノインも怒りや咎めの前に呆れを見せてしまう。

その代わりに口を開いたのはネルだ。彼が潜める事になった、その怒りを代弁する形だった。


「もー、ニーコっ!! 死ぬとこだったわよ!!」

「でもこっちのほうが早いだろ! 早くリリアのやつ、助けてやらないと!」

「それはそうだけど! 人を巻き込むなら、ちゃんと先に相談しなさーい!」

「そ、そりゃ悪かったけどさ……でも、急いだほうがいいのはそうだろ!?」

「それは……そうね」


 猛る彼女の言葉が響いてか、流石にニーコも謝意を口にする。

だが、リリアの救出を急ぐ姿勢は一切曇らせることはなかった。リリアとの仲、そして彼女の大切さが現れた態度。

ネルも、そこは同じなのだろう。返した言葉は、ずっと落ち着いていた。

そして。俯いていたジェネこそが、彼女の名前に最も大きく反応していた。


「あいつら、引き上げたばっかりでバタついてるはずだ! 一気に突っ込んで行くほうがいいだろ?」

「急襲を仕掛けることの有用性については否定しないが……」

「……いや、そうだ!」


 ばっと顔を上げて、ジェネはニーコを見据えた。その眼に、先程のような震えは残っていない。

彼の発した言葉は、あるいは衝動的なものだった。

耳に入ったリリアの名前をきっかけに、自己嫌悪に囚われていた心の景色が変わっていく。


(そうだ、リリアを助けるんだ……! こんなことで今更ウダウダしてどうすんだ!)


 リリアとは、まだほんの少しの付き合いしかない。

だが思い起こされる彼女の姿は、いずれも鮮烈に、とても眩しく映った。

見慣れない姿の旅人にも、明るく朗らかに接する姿が。

身の丈よりも遥かに大きな脅威を前に、怯まずに戦う姿が。

隣人への不条理に、義憤と共に立ち向かう姿が。

傷つく者を見過ごさない、気高い優しさを見せる姿が。


 その、ほんの少しの時間の中で見た姿。それが、心ごと俯いていた彼を大きく立ち直らせていた。

きっとそれは、ネルも、そしてニーコも同じであるのだと感じていた。

そしてそのまま威勢よく、ジェネは彼女に賛同の意を示す。


「飛べねえぐらいで弱音言ってられねえぜ! 早く助けてやらねえとな!」

「おうよ! ……で、どれだよ! リリアが捕まってるとこ!」

「ああもう、なるようになれ! ノインさんっ」

「……あの施設だ。見えるか? 高く伸びた管理棟のある建物だ」


 そのジェネの言葉を受けて、この場の意見も自然と纏まる事になった。

改めて先ほどの問いかけへ、ノインが指差しで答える。

同じ先に視線を向けて。それを認めたニーコが、再び構えた。

彼女の意図に呼応して、周囲の精霊たちが風へと姿を変えていく。


「おし、任せとけ! ”アサルト・バースト・エクステンド”!」 


 そしてニーコの声を合図に、風は再び暴風へと変貌する。

そのまま4人を包み込んだ暴風。刹那の後、ノインが指したその方向へと飛び出した。

暴風に包まれながら、ニーコは叫ぶ。


「リリア、待ってろよ!!」


――――――――――――――――――――――――


「……あれは」


 視点の先。上空から、何かが『そこ』へと落ちていく。

見えたのは幾つかの影、そして可視化された風。

だが、それが何かを考えるのはやめた。考える余裕も無かった、というのが正しかった。


「まあ、いい」


 手元の端末を操作して。

窓の外、旧海岸警備用施設へと続く道を塞ぐゲートが開いていく様子を見つめるジスト。

その周囲、そして足元には、数多くの男たちが力なく倒れていた。

それに一瞥することも無く、ジストはそのまま窓に拳を打ち込み、叩き割る。

そのまま外へと身を投げ出すと、閉じられていた門の先へと駆け出した。


(グローリアの管理施設が、ギャングの隠れ家となっているとはな。

 腐敗が進んでしまったのか……あるいは、ただの個人の仕業であればいいんだがな)


 その中で、現状に思索を走らせるジスト。

彼は今逆に、そのグローリアの施設を攻める立場である。先程なぎ倒した者たちもまた、グローリアの人員だ。

警備員であった彼らだが、相手が相手だ。峰打ちにも苦労しない程の力量差があった。

だが。事情があるとはいえ一般人に手を上げたこと、

そしてこのグローリアの情勢がそうせざるを得ない状況であることは、少なからず彼の心を苛んでいた。

それも振り切るかのように走り続ける、その中でふと、リリアの言葉が心に浮かぶ。


『強くて、優しい人って。全部自分で抱え込んじゃうから』


 まだ子供といえる年齢である彼女の、そうとは思えないほどの、説得の言葉。

だが皮肉にも、今の重荷に纏われた彼の状況を表すに相応しかった。

そう言われていたのにと、ジストも自嘲気味に思った。

ネルやフェムト、ジェネの助けもなく独りで駆け出した事が非合理的であることは、自分でも分かっていた。


(……だが、そうだとしても)


 いつしか施設の入口たる、鋼の大きな扉の前までたどり着くジスト。

一呼吸だけ置いて、その拳を振りかぶる。悩むその心境ごと、大きく引き込むように。

そして。何もかもをそれに乗せて、全て振り切るように叫んだ。


「だが……俺は、で在らなければならんのだっ!!」


 直後、打ち込まれた拳によって巻き起こる爆音、そして共に扉が吹き飛ぶ。

その内部を見据える彼の瞳は、この大きな一撃の後であっても一瞬の緩みもない。


 しかし、その言葉とは裏腹に。

瞳が宿す思いは、誇りと言うにはどこか脆く、使命と言うには暗いもので。

あるいは、怖れのような色が混じっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る