2話

 リリアの住まう、アトリアの村。

小さな村ということもあって、普段続いていた平穏な昼下がり。

しかし今の状況には欠片もなく、村人達の悲鳴と怒号、

そして魔物の咆哮によって、その日常の全てが引き裂かれていた。


「うわあああああぁぁ!!」

「ま、魔物っ!? どうして!?」


「……」


 逃げ惑う人々を追い立てる魔物達。

その光景を作り出した張本人が、屋根の上からその光景を眺める。

辛うじて見える顔のパーツである瞳からは、感情を読み取ることは出来ない。

寧ろそれがあるかさえ、定かではなかった。

その現場に駆け寄る、新たな2つの影を捉えてか。

彼は背中に伸びる翼をはためかせ、再び飛び立つ。今度はもう、この村に降り立つことはなかった。


――


 魔物の凶牙から逃れるため、村の外へと駆け出していく村人たち。

その流れに従わず、寧ろ逆方向に走る人物が一人居た。

リリアの育ての親、義理の祖父であり、この村の長でもあるアスラだ。

大声と疾走で息を切らしていたガイへ、そのまま問いかける。


「ガイさん! どういうことだ!?」

「アスラさんか! 変な奴が村に現れて、魔物を放っていったんだ!」

「魔物だと!? そんな馬鹿な……何ッ!?」


 想像を絶する言葉、しかし彼の背中越しに見えた光景に、

アスラは嫌でもそれが現実であることを理解させられた。

恐ろしい形相、風体の獣達。間違いなく自分の知る、魔物。それが何体も、直ぐ近くまで迫っていた。

彼の表情で察して振り返り、ガイは悪態をつく。


「くそっ、もうこんな所まで!?」

「やるしかない……! 俺の村だ、俺が守る!」


 背負っていた仕事道具……両手用の石鎚を構えるアスラ。

相対する魔物は、1体や2体ではない。彼自身も老齢と言っていい年齢だ。

とても希望の見える戦いではない。ガイが叫ぶ。


「アスラさん、無茶だ! 俺も……!」

「あんたは逃げろ! 俺がやられる前に、力のある奴を少しでも集めてくれ!

 それと……ペティさん、そしてリリアに伝えてくれ、『すまない』と!」


 それは、彼にもわかっていたようだった。

その意図をガイに伝えると、アスラは一気に魔物へ駆け出す。


「駄目だ、アスラさんッ!」


 尚も止めようとしたガイだったが、最早それすらも叶わなかった。

魔物のそれに負けない程に、咆哮を上げながら得物を振り上げる。


「うおおおおおおおおッ!!!」


 駆け出した勢いのまま、先頭の1体、その頭目掛けて振り下ろす。

だが、その動きは捉えられていた。俊敏な身の熟しで、それは空を切り地面に突き刺さった。

致命の隙と言えるそれに、魔物たちが回り込んで襲いかかる。


「何っ……ぐおおおおおッ!!」


 自分の死地。アスラは叫び声と共に、渾身の力で石鎚を再度持ち上げ、半ば無理やりに振り回す。

火事場の力とでも言うべきか、石鎚の質量もあるその攻撃は、

飛びかかった魔物たちを打ち払うことに成功する。

肩で息をしながら、アスラはもう一度得物を構え直した。


「……くそッ……」


 だが、老体の膂力にその負荷は大きく響いていた。

ただでさえ勝ち目の薄い戦いで、消耗も激しく長くも戦えない。

ここがその場であると意識して、アスラの脳内は逆に冷静でいた。


(ここまでか……喰われる時間も含めれば、まだ時間は稼げるか……)


 そして。睨み合っていた魔物たちが、一斉に駆け出してくるのを最後に、

脳裏に流れる走馬灯、そして様々な雑念の全てを振り切って、再び体に鞭を打ち駆け出した。


 その時だった。


「"貫け"ッ!!」


 アスラへ向かう先頭に居た数体、それらの側面から炎の槍が突き刺さり、弾け飛ぶ。

突然の攻撃に足を止める魔物たち。対するアスラも、呆気に取られてしまった。

その場へ更に2発。今度は風の刃が放たれ、またも魔物を両断した。

残る2体の魔物が周囲を見回す中。

昼間にもう1つの太陽が現れたかのように、アスラの視界に光が差した。


「アスラじいちゃああああああああんっ!!」


 全身に精霊を纏った……腕と脚に力を借りたリリアが、彼の名を叫んで飛び込んでいた。

大きな跳躍の落下点、残る魔物のうち一体に、両手で握った剣が振り下ろされる。

精霊達、光の軌跡を纏う剣はそれを容易く切り裂いた。

リリアはそのまま、残る一体の懐に飛び込み、勢いのままに横一文字に剣を振り抜く。

その結果もまた、両断だった。2つに裂けた魔物の体は、その切れ端から元の輝く精霊へと分解されていく。


「何とか間に合ったか」

「はぁっ……はぁっ……アスラじいちゃん、大丈夫?」


 精霊の助力があったとはいえ、この大立ち回りは彼女自身にも負担はあるようだった。

大きく呼吸をしながらも、アスラに安否を尋ねるリリア。

ひとまずその目で、アスラの無事自体は確認できた故か。

リリアは自分が思うよりも、ずっと柔らかい表情になっていた。


「あ、ああ、俺は大丈夫だが……」


 だが問われたアスラ自身は、それこそ状況が掴めず、困惑の最中だった。

それこそ、先程と混乱の具合は変わらないほどに。

大事な一人娘の大立ち回りに、その背後に居る謎の龍人。

元より寡黙で知られるアスラは、返す言葉さえ見失っていた。

しかしなお村の他方から上がる悲鳴に、全員が状況に引き戻される。

気づけば、3人の前にも新たな魔物が姿を現していた。


「いかんッ!」

「くそっ、まだ……! 気配が読めねえ、あいつはどこだ!?」


 犯人の姿も、在処も分からない。だが尚も襲い来る魔物へ、改めて目を向ける二人。

ジェネの手に、リリアの体に精霊が再び纏われる。

 

「じいちゃんも逃げてて! あとは私がっ、えっ!?」


 その眼前。二人が攻撃に移るまでもなく、甲高く連続した音が鳴り響くと共に魔物達の身体が吹き飛ぶ。

撃ち抜かれた。その表現が正しかった。

魔物が吹き飛んだ反対の方向から、その当人が姿を現す。

 

「な……!?」

 

 その姿に、ジェネが驚く。甲冑や鎧とは違うスマートな、しかし強度を感じさせる装い。

先程の攻撃に用いたものだろう、その得物は正しく銃器と呼べるものだ。

ジェネにはわかった。それが精霊の力によって動かされ、撃ち出された弾丸も"力"に変質した精霊であることが。

その頭部にも防具であろうヘルメットを装備しており、その表情までは伺えない。

 

「こちらガスト2。ポイントB、クリア。

 村人2名及び、龍人1名を確認。……了解した」


 3人を見て、彼は言葉を呟いた。視線とは裏腹に、それがリリア達に向けたものでないことは明白だ。

世界さえ異なるかのような風貌。だがリリア、そしてアスラにとってはそうではない。それが何者であるか、知っていた。

 

「グローリアの兵隊さんか……助かった。村長のアスラだ」

「村長殿か。グローリア防衛隊、ガスト2・バストールだ。

 まさか魔物の発生とは、災難だったな。

 各隊員は村中に散開して対応している。掃討まで時間は掛からんだろう」

「すまない。皆を代表して、礼を言わせてくれ」

 

 それによって彼らが訪れた理由、そして状況まで理解して。アスラは彼に向かって礼を言う。

その認識は間違っていなかったようで、返ってくる言葉も噛み合ったものだった。


 連合勢力グローリア。それは今この世界を語る上で、欠かすことの出来ない名だ。

約100年前。永くこの世界の覇者とあり続けている王国『アスタリト』の造反者、あるいは立身出世に失敗した者たちが、

王都から逃れ、遠く離れた地で古代のオーパーツ……通称『精霊機関』を発掘したことがその始まりである。

精霊の力を人間のそれとは比較にならないほど膨大な規模で引き出し、

外部からの燃料も必要とせず、まるで精霊で発電するかのように無限に稼働し続ける。

当時の文明からすれば、文字通り桁外れの科学力とも言える存在だった。


 彼らは閉鎖的な組織を構築、『オリジン』と名付けたその始原の精霊機関、その研究成果を完全に独占することで、

自らの内のみに留めた急激な技術革新を実現する。

結果的に外界に対し、異世界かと見紛うほどの飛び抜けた技術力を手にする事になった。

その技術力を元手に、名を同じくする超文明都市『グローリア』を設立。

近隣の勢力への同盟を持ちかけ、遂には纏め上げることになる。

それが今まで続くアスタリトに対抗する第二の勢力、グローリアのあらましだった。

 

 このアトリアの村は、グローリアの本拠地にほど近い地理にある。

グローリアの技術はその優位性・秘匿性を保つために、

この村を始めとした、近隣の地域の発展に使われることは殆どない。

だがそれでも領土としてその庇護下に置かれており、

子供達の学び舎の提供や、今まさに行われているような有事の対応を行われる立場にあった。


 つまり、バストールと名乗った彼を始めとしたグローリアの軍隊が訪れたという事は、

この村にとっては極めて心強い味方が現れたと同義だった。

その一員たるリリアも、状況を理解して大きく息をつく。


「はぁー、助かったぁ」

 

「あいつらも集まってきてるな。とりあえず一段落か?」 

 

 ジェネの言う通り、バストールと同じ装いをした者たちが村の各所から向かって来るのが見えた。

自分たちに割り当てられた地点の魔物を掃滅したのだろう。

彼の言う通り、それには時間は掛からなかったという事が伺えた。

戻ってきた隊員と話していたバストールだが、再びアスラへと振り返る。

 

「変異精霊……魔物の反応については全て消滅した。

 警戒と救助、手当のため、今暫くこの村に滞在させてもらいたい。よろしいか?」

「勿論だ。そこまでやって貰えるとは、かたじけない」


 二人の話を横で聞いて。ジェネは目を瞑り、意識を集中させる。

リリアがそれに気づいたのは途中からだったが、

同じ話を聞いていた立場、その目的はなんとなく感づいていた。

  

「本当だな。気配も感じなくなった。本当に一件落着だな」

「良かった……助けてくれてありがとう、ジェネさん」

「ジェネ、でいいぜ。とはいえあいつ……犯人は見失っちまった。

 あいつを止めなきゃ、魔物の発生は止まらねえ」


 改めて緊張を解きながら話す会話の中、リリアも魔物を生み出していたかの存在を思い出す。

打ち止めになったのが彼が去ったからなのか、打ち止めになったから去ったのか、それさえも分からない。

村は救われたとはいえ、精霊に迫る脅威の解決には近づけていない。

リリアは視線を落として掌を眺める。正しくはそこに居る、不可視の精霊達に視線を向けていた。

しばし彼らに向けた物思いにふけって、そして掌をぎゅっと握る。


「……うん!」


 決意と、ジェネの言葉への返事を兼ねた言葉だった。にっと笑顔を向けるジェネ。

出会ってまだ数時間も経っていない中、快活なリリアの人柄は彼にも受け入れやすかった。

 

「さて……まずは情報収集だな」

 

 ジェネの瞳が、グローリアの防衛隊達に向く。

言葉からも、その意図を察するのは容易かった。リリアが言葉を繋げる。


「確かにグローリアの軍人さんなら、この辺りずっと駆け回ってるはずだし……何か知ってるかも!」

「よし、決まりだな」


 彼女の言葉もあって、ジェネの腹積もりは直ぐに決められた。

二人は向き直り、バストールたちグローリアの防衛隊たちに歩み寄っていく。

皆付けているヘルメットもあって、その表情はわからないものの、その視線が集められていくのがわかった。

とはいえ敵対する意志は、ジェネにはない。

正直な所、文明が異なるような精霊の使い方は不気味に感じてはいたが、

魔物のように異常な変質をしているわけでもないのも分かっていた。

だから、彼の言葉はかなり柔らかい声色ではあった。

 

「お疲れのとこ悪いな、ちょっと話が――」


 その言葉の最中だった。バストールの口が、僅かに動く。

 

「かかれ」


 彼の言葉を合図に。刹那、隊員達が一斉に飛び出す。

いずれも全身に装甲を付けているとは思えないほどの身のこなしで、

ジェネは言葉を言い切ることも出来ず、反応も出来ず。

気がつけば一瞬で、地面へ組み伏せられていた。

 

「があッ!?」

「え……!? ちょっと、何するのッ!?」


 目にも留まらぬ制圧。

状況の把握も出来なかったリリアだが、やがてそれを理解して異議を唱える。

それが、受け取られたかも分からない。その中で、バストールがジェネへと歩み寄る。


「つい最近になって、グローリア近郊で多発している魔物の発生騒動。

 原因は現在も不明だ。だが、僅かに共通する報告が挙げられている。

 ……のような影を見た、とな」


 その中で彼が発した言葉は、あるいはリリアの言葉への返答でもあった。

言外に伝えていたものを付け加えるように、バストールは言葉を続けていく。

  

もある。

 近年、グローリア領内で龍人の目撃情報は非常に少ない。無い、と言ってもいい程だ。

 その中で。魔物騒動に乗じて、翼を持つ異形の人型たる龍人が現れた……偶然と呼ぶべきか?」


 問いかけのように終わった言葉だが、それと、この状況が意図するのは断定にほかならなかった。

だが引き下がるわけもなく、リリアも反論を重ねていく。


「違うっ! ジェネは魔物と戦ってくれてたのよ!

 翼を持つ悪魔……かは分からないけど、魔物を出してた奴なら私も見た、ジェネじゃないわ!」

「そうか。それは今、何処に居る?」

「それはわからない……村がこんな状況だったから。でも、きっとどこかに逃げたのよ!」

「我々は村の四方から突入したが、いずれも特殊な反応は確認できていない。

 君の言うように村中は混乱していたろう。見間違いがあっても不思議ではない」

「見間違いなんかじゃない! 第一、私はずっとジェネと一緒に居たのよ!」

 

 バストールの言葉は、そんなリリアの反論を跳ね返していく。

それも理詰め、とは言い難い、ただ取り合ってないとも言えるものだ。

その意図までは分からない。だがリリアにはそれが伝わって、逆にヒートアップしていくばかりだった。

 

「……あるいは。龍人はいずれも精霊術に長ける。

 この村の混乱と併せれば、そうことも出来るのではないか?」

「――っ!!」


 続くバストールの言葉に、ジェネがうめき声を上げる。

口を抑えられ、出せない声の代わりの反論だった。彼の目に強い怒りが宿る。

その時、突き刺すようにバストールが声を出す。

ほぼ同時だった。彼を抑えつける隊員の周囲、精霊達が炎へと変わっていく。

 

無詠唱ソウルブレスだ、警戒しろ」

「はっ!」


 だがそれは、バストールの意図が伝わるほうが一歩早かった。

隊員たちは素早い身の熟しでそれを避け、あるいは装甲で受け止める。

 

「何っ!?、がっ、くそぉッ……!?」

「ジェネっ!」

 

 そして入れ替わるように他の隊員が、動かんとしていたジェネの体を再び押さえつけた。

再び地面に伏せられるジェネ。怒りを持つ視線が、バストールの見下すそれと重なる。


「何せ、龍人だ。グローリアを陥れる動機ならあるだろう」

「が、ぐがアアアッ……!」


 怒りか、悔しさか。ジェネの言葉にならないうめき声は、より強くなっていく。

だが彼らが、それを許すことはない。弁解の余地さえ与えるつもりはない、そういう態度と雰囲気だ。

それはもう、この状況を見ればわかることだった。


だからこそ、もう。抑えられなかった。

     

「……いい加減にしてッ!!」

 

 我慢の限界に達したリリアの怒号が響く。

それに呼応して、彼女の体が光に包まれていく。無論、輝く精霊達だ。

昂ぶった彼女の怒りを現すように、精霊達が溢れんばかりに集まる。

ヘルメットの向こう側、バストールを始めとした隊員たちも驚きを隠せないようだった。


「何だ、この精霊は…… 総員警戒せよ」

「最初からずっと、ずっと!

 話なんかするつもりなくて、最初から決めつけてばっかりじゃない!!

 ……何も知らない、知ろうとしないくせにッ!!」

「リリア、いかんっ!」


 尚も怒りを口に出し続けるリリアの体を、後ろからアスラが抑える。

精霊の力を受けたリリアを抑えきれるとは思ってはない。事実、膂力の関係はその通りになっていた。

だが尚も進もうとする彼女に、アスラは説得を試みる。

 

「いくらお前が強かろうが、グローリアの防衛隊に歯向かうのはいかん……!」

「領民である君が我々防衛隊の職務を妨害するとなれば、それ相応の罰を受けることになる。分かっているのか?」

 

 その言葉を補強するように、あるいは警告がバストールから投げかけられる。

しばし沈黙するリリア。その瞳は閉じられていた。心を落ち着けているか、あるいは。

彼女が、その目と口を開く。

 

「……アスラじいちゃん、ごめん!」

  

 その口が紡いだのは、謝罪の言葉だった。

直後、アスラの腕が弾き飛ばされる。瞬間、リリアの体が一気に跳ねた。

精霊の助力を受けて、彼女は一気に防衛隊の方に踏み込む。


「うああああああああああああッッ!!!」

「リリアっっ!」


 アスラの悲痛な呼び声を背中に。叫ぶリリアの右腕に、精霊達が纏われていく。

視線が向かう先、バストールが狙いであったのは明白だ。

それは彼にも伝わったようで、その左手に装着された機構が展開していく。


「愚かな……警告はしたぞ」

 

 その機構……展開式の盾を左腕に構えて。バストールはそれを彼女に突き出す。

直撃すればリリアぐらいの少女であれば、簡単に吹き飛ばしてしまえるほどの衝撃があるだろう。

その選択は、致命的にはならない程度の一撃で無力化する。そうした意志のものだった。

あるいは、彼女が少女であるが故の優しさと言えたかもしれない。


「うおりゃあああああああッッッ!!」


 だが、リリアは止まらない。止まるつもりなど、更々なかった。

叫び声と共に。リリアは真正面から、その盾に向かって強烈なストレートを打ち込んだ。

小さな拳だけではない。彼女を助ける精霊達が同時に、その盾に力を穿つ。


「何ッ……!?」


 故にそれは、驕りであったとも言えるかもしれない。

信じられないほどの衝撃を盾から感じ、明確に狼狽えるバストール。

それは体の、力の制御の崩壊に繋がる。今この瞬間にとっては致命的と言えた。

次の瞬間。リリアの腕を受け止めきれず、左腕の盾が砕け散る。


「馬鹿なッ……! はっ!?」


 その光景の時点で、まるで現実感を無くしていたバストール。

だが戦闘員として鍛えられた目が、彼を現実に引き戻していく。故に、彼はそれに気づいた。


「ふううッ……!」

 

 右手を拳を振り抜いたリリアが、再び踏み込んで、左手を下に構えていることに。

いかん。脳がフル回転で警告を発するが、完全に体勢を崩していた彼がすぐ動くことは出来ない。

リリアが腕を振るまでには、到底間に合うものではなかった。


「はああああああああああッッ!!!」


 それ以上は、最早思考の時間すら与えられなかった。

リリアの左腕が、纏う精霊達が、強烈なアッパーカットを繰り出す。


 その時だった。


 バシン、という乾いた音が鳴り響く。

リリアも、バストールも。そして回りの全員が、状況を理解できなかった。

バストールは、背後に突き飛ばされていた。無論、リリアの拳が命中したが故ではない。

そして、そのリリアの精霊を纏った拳は。

彼の代わりに彼女の眼前に立った、同じく防衛隊のスーツを身に着けた男が受け止めていた。


「……うそ」


 四散していき、空気と同化していく精霊達。

眼の前の状況もさることながら。リリアは、拳が止められたことにも驚いていた。

精霊の力を借りた一撃は、木の壁すら打ち破るほどの力だ。

止められたのは、生まれて初めての経験だった。

他の隊員とは意匠こそ同一なものの形が異なるヘルメット。

その口元に、微笑が浮かべられる。そのまま、その口が開かれた。

  

「いい拳だ。驚いたぞ」


 受け止めていたその手のひらを離すと、彼は180度回転して防衛隊の方へ向き直る。

ヘルメットのその下、表情がぐっと引き締まる。

 

「ガストチーム、状況を説明しろ。何故住民と交戦している?」


 尋ねるその声色は落ち着いているものの、先程リリアにかけた声よりもずっと低く、そして威圧感を感じさせるものだ。

少なからず怒りの意思が含まれたそれは、この状況自体が不本意であると伝えているようだった。

突き飛ばされたバストールが、起き上がりながらそれに答える。


「魔物騒動の犯人と思しき龍人を拘束したところ、任務遂行の妨害にあった為、やむなく。

何れせよその娘には治安法の違反が科せられると思われる」

「だから、それは貴方達が何も聞かなったからじゃない! ジェネじゃないって何度も言ってるのに!」


 彼を挟んで、リリアもその口論に加わる。まるで先程のやり取りの前に戻ったようだった。

ちらりとその目が、組み伏せられたジェネに向く。

  

「レクスの判断か、これは」

「仰る通りです。そして司令部の判断としても、との事」

「……そうか」


 バストールからの返答に、彼は物憂げに呟く。

この状況に何か、思うところがあるのだろう。まるで彼を説得するかのように、バストールは続ける。


「その上、この二人が我々に攻撃を仕掛けたのは事実。不問とは出来ない」

「ああもう、だから……! いや、殴りかかっちゃったのはそうだけど……!」


 対するリリアは、しかし話の流れから少し劣勢となった。

僅かに振り返った彼の視線が、少しだけリリアのそれと重なる。

少し考え込むような動作を見せて、彼は、バストールへと振り返る。


「ならば、これは俺からの……ゲイル1としての命令だ。この二人は俺が預かる」


 彼の命令に、しばし動揺と沈黙が広がる。

彼の名乗った、ゲイル1という言葉。バストールの名乗ったそれと、関わりのあることは伺える。

だがそれ以上に、その言葉には大きな力があることは何となく読み取れた。


「……ですが」

「レクスには俺から話を付けておく。お前達は引き続きこの村の警戒に当たれ」

「……了解」


 バストールからの異議も押さえつけると、その声を合図にジェネの拘束も解かれた。

目立つ外傷はないとはいえ、負担が有りそうに立ち上がる彼にリリアが駆け寄る。


「ジェネッ!」

「大丈夫だ、情けないとこ見せちまったな……だけど、あいつは」


 リリアとジェネ、二人が彼を見る。

村中に散っていく隊員たちを見送ったうえで、同じタイミングで彼も振り返った。

同様に彼もまた、二人を見つめていた。ゆっくりと近づきながら、その口を開く。


「すまなかった。俺の部下の暴走だ」


 それは、謝罪の言葉だった。それと共に、彼はヘルメットを外す。

素顔を明かした上で、彼は改めて自分について語り始める。


「自己紹介が遅れたな。俺はグローリア防衛隊、ゲイル1・ジスト。

 一番隊・ゲイルチームの隊長、そして防衛隊のリーダーだ」


 精悍さを感じる顔立ち、だがその表情には、大きく優しさを宿していた。

だがそれ以上に。リリアはその顔に、何か既視感を覚える。

そしてその既視感は、代わりに背後のアスラによって明かされることになった。


「防衛隊のリーダーだと……あんた、"英雄"ジストか!?」

「過ぎた名だが、そう呼ばれる事もある。そのジストだ」


 半ば確信を持って、それ故に驚きを隠せない様子のアスラと、その言葉を肯定するジスト。

そんな育て親の様子で、リリアもだんだんとその既視感を正体を思い出し始めた。


「あ。グローリアで貼ってある広告でみたことあるかも!」

「グローリアのジストと言えば、15年前の魔物騒動の英雄だぞ……!

 お前が生まれる前の話とはいえ生きる伝説だ。グローリアで習うだろう?」

「……えー」


 しかしその中でも、うっかり墓穴を踏みそうになったことを察知し誤魔化すリリア。

少ないやりとりだがそれは伝わったのだろう、クスリと笑って話を続ける。


「光栄だ、お嬢さん。 ところで、ガスト2……バストールとの話は聞かせて貰っていた。

 住民を守る立場たる我々にあるまじき、高圧的な態度だった。重ね重ね、謝罪させてほしい。

 ……そちらの、龍人の君にもな」


 言葉とともにジストの視線が、ジェネを注視する。

返すジェネの表情は、複雑な感情が混じっていた。

同じ軍隊の一人と思われる彼への警戒と、助けられた感謝と、それと。

ともあれ。ジェネは一先ず感謝の言葉を口にした。


「なんだかんだ助けられたんだ。あいつらはともかく、あんたには感謝しかねえよ。

 だが……あんたは俺を助けてもいいのか?」


 ジェネの脳裏、言外に示すのは、先程の会話の内容だった。

結果的に言葉の足りない文となったが、その行間は、ジストにも伝わったようだ。


「バストールの話か。あの考察は早合点が過ぎているな。

 元より魔物は精霊が変質したものだ。精霊を友とする龍人が解決に乗り出そうとするのはおかしくない。

 そう考える事もできるはずだ」

「……ああ」


 彼の語った考察は、まさしく、ジェネの立場そのものだ。

姿格好こそバストールを始めとした隊員と似ているものの、ジェネに対する態度はまさに正反対だった。

突然の拘束、弾圧を受けたジェネにとっては、少なからず救いだと感じられた。

そして続く言葉に、ジェネの、彼に対しての認識は大きく動くことになる。


「そして、君がそうであるのなら……俺にとってはむしろ仲間だ」

「!」


 見開かれたジェネの目に、ジストは静かに頷く。

彼の言葉の中には、無数の行間が潜んでいた。雰囲気がそれを物語る。

より近づき、より声を潜めて。ジストは話を続けていく。


「複雑な事情があってな。

 聞いていたかもしれないが、防衛隊としては君たちの行いを不問にすることはできない。

 だが、俺ならば君たちを守ることもできる。

 寧ろそれを隠れ蓑として……犯人まで目撃したという、君たちの話を聞かせてほしい」


 その態度こそが、彼が言外に隠したものを示すものでもあった。

半ば強引にジェネを捕らえようとしたバストール達。遅れて到着し、彼らを制したジスト。

彼の言葉によって、それらが線で繋がっていく。ジェネの腹が決まるのには、そう時間は掛からなかった。


「わかった。俺もあんたと話がしてみたい」

「ありがとう。君も、それでいいか?」


 ジェネの承諾の後。ジストの視線が、今度はリリアへと向く。

リリアの気持ちも、殆ど固まっていた。元々、防衛隊員にすら殴りかかる胆力のある彼女だ。

その返事のために口を開こうとして、しかしそれを、背後からのアスラの叫びが遮った。


「英雄さん、待ってくれ!

 リリアは俺達の、たった一人の孫娘なんだ! 危ない事には巻き込みたくない……!

 防衛隊に手を出したのが悪いのなら、村長であり親である俺の責任だ、罰なら俺が受ける、どうか……」

「アスラじいちゃん」


 ジストに頭を下げて許しを請うアスラ、その言葉を今度は、リリアが遮った。

両手も地に付けた彼の、下がった頭に腕を回して。抱きしめながらリリアは続ける。


「大丈夫。知ってるでしょ? 私、強いんだから。

 それに……やらなきゃいけないこと、見つけたもの」

「……精霊達か」

「うん。ずっと一緒に居て、助けられてきて。このまま、見て見ぬふりも出来ないから」

「……ああ、そうだろうな」


 あるいはリリアの答えは、アスラも分かっていたのだろう。

育ててきた本人だからこそ。リリアがそうした道を取ること、そしてそれを躊躇わないことを。

瞳に涙を浮かべながら、その答えに押し黙る。そこに、ジストが近づいた。


「……任せてくれ。彼女に危害は及ばないようにする。そのための、提案でもある」


 潜められたその声は、この行為の本音と建前を説明するかのようだった。

アスラが、小さく頷く。

それを見てリリアは一層大きく、声を張って宣言するように言った。


「必ず帰ってくるから! ペティばあちゃんにもよろしく言っておいて!」

「ああ、必ずな……!」


 アスラの声に大きく頷いて。リリアは改めて、ジストの方へ振り返る。

それを認めてジストも、また踵を返し、その一歩を踏み出した。


「着いてきてくれ。足はこちらで用意してある」


――


「なんだこりゃ……」


 招くジストに着いて歩いた、村の外れ。

そこに鎮座する「それ」に、ジェネは言葉を失っていた。

自分の知識の中に無いものを見た、そうした故の反応だった。


「あれ、ジェネって車見るの初めて?」

「ああ、初めてだ……こんなのもあるのか、グローリアってのは」


 鉄で形作られた外装、そして下部にある車輪。

「車」と呼ばれる、グローリアが誇る文明の結晶の1つだった。

横に付けられた扉を開きながら、ジストもその世間話に加わる。


「龍人ということであれば無理もないな。

 設立以降、グローリアは技術流出を恐れる方針だ。軍隊以外には配備もされていない。

 これが出せるのも、この村がグローリア……都市の方のな。それに近いからだ。

 たとえ勢力内としても、遠ければ出すことは叶わない」

「へえ……あ、ほらこっちこっち」


 その中に身を滑らせて、リリアは手招きする。

元々軍で使われているものだけあって、重装備に備えるためだろう、内部のスペース自体は小さくはなかった。

とは言え巨大な翼のあるジェネにとっては、乗り入るのは簡単ではない。

鬱陶しそうに、しかしうまく翼を畳んで入るジェネに、思わずリリアは笑いを零した。


「あははっ」

「笑うなよっ!」

「すまんな、やはり窮屈か?」

「……いや、大丈夫だ。それより、これは……精霊か? あいつらが持ってた武器も、確かこんな感じだった」


 しかしジェネの興味はすぐに、違う方へと向く。

その感覚について、続けて口に出していく。

そんなジェネを尻目に、ジストは手元の装置を動かしていく。

静かだった車内に、静かに、しかし確かに音が響き始める。ジェネにはそれが、すぐに分かった。


「精霊術かっ……!?」

「いや、違う」


 彼の言葉に返しながら、ジェネは更に足元の装置を踏み込む。

それを切欠として、車が進み始めた。

どんどん速度を上げていくそれは、すぐにもう、人間など簡単に引き離せるほどの速度に達する。


「『精霊機関』。精霊術と同じように、精霊の力を引き出すことが出来る機械だ。

 詳しい事は俺も知らないが、発掘したオーパーツの、劣化コピー品だとか。

 だがそんなものでも、これを動かす事が出来る……グローリアの中枢を担う、最大の文明の利器だ」


「精霊機関……」


 ジストの言葉を繰り返すように、ジェネは呟いた。

文字通りのカルチャーショック。そうした反応だった。

少し考え込むような仕草を見せるジェネ。その先で、ぽつりと呟いた。


「……やっぱ引きこもってても意味無え、ってことだな」

「え?」

「何でもねえさ」


 それに反応したリリアにも誤魔化して。ジェネはそこで話も思考も切り上げた。

その様子を知ってか知らずか、ジストは改めるように二人に告げる。


「これから向かう先は、この技術の結晶のような場所だ。目を回すなよ」


 うん、と小さく返して。リリアの目が、真横の窓の外へ向けられる。

どんどん小さくなっていく自分の故郷に、目を向ける。

初めて見る光景でもなかった。学業のため、送迎でグローリアに赴く時はいつもこうだ。


 だからこの時、気づくことは無かった。

この出立が、リリアが想像したよりも遥かに大きな、旅の始まりになる事に。

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