OverDrivers
jau
1話
「ゆ、許してくれよぉ、ちょっとした息抜きのつもりで……」
「ちょっとじゃない!!」
のどかな昼下がり。
文字通り、その最中にあったこの小さな村――名をアトリアという――
この静かな村全てに響こうかとするほどの怒号が響く。
その元は村にある、ただ一つの酒場。
壁際に追い詰められ、尻もちを付く中年の男性の眼前、仁王立ちで立つ少女から発されたものだった。
「何度もなんどもエマさん泣かして! もう許さないわ!」
「リ、リリアちゃん、わかった! エマにも頭下げる、二度と……」
リリア。そう呼ばれた少女に弁解を重ねる男に、しかし彼女の表情はただ怒りの色が増していくばかりだ。
どうやら彼の起こした失態はただ一度ではないようで、リリアの怒りもそれから来るもののようだ。
小さな彼女の、その拳が振り上げられる。
十代半ば、それも半分足らず程度であるリリアの体格は、同年代と比べても特別に大きい訳では無い。
大の大人からすれば脅威ではないように思えるが、しかし男は完全に恐れ慄いていた。
「もう聞き飽きたよ、ビリーさん……!」
そう、この村に住む者達は、知っていた。それは「ただの少女」の拳ではないことを。
振り被ったその腕、その周囲がにわかに輝き始める。
光の粒。現れたそれらは蛍のように飛び交いながら、次々とリリアの腕に纏われる。
そして僅かに呼吸を挟んで。リリアはその腕を打ち抜いた。
「ちょっとは反省、しろーッ!!」
叱責と共に放たれた、光を纏った彼女の拳。
声どころではなく、村中に轟音が響き渡った後。
それは男性の顔面そのわずか上を通り、彼がもたれ掛かっていた壁面を打ち砕いていた。
文字通り泡を吹いて倒れるビリーを見下ろして、大きなため息をついて。
リリアは呆れきった声で、意識があるかも分からない彼に言葉を投げた。
「……次はほんとに当てるから。今度こそちゃんとしてね」
だんだんと薄くなり、空気と同化していく光の粒の中。
踵を返すリリア。あまり多くはない客が、しかし全員こちらを見ている。
こんな出来事の後で、視線を集めるのはおかしくない。
この狭い村のことだ、今回の事情もみな知っている。だからリリアを止めもしなかったのだ。
だが今なお向く視線は、どちらかというとまるでしでかしを見ているかのようで――
「え」
流石にリリアもその空気に気づいたそのころ。
そのうち一人が、彼女に指差しのジェスチャーを送る。
その先はリリア自身……否、彼女から僅かにずれた、壁の方だった。
「……あー」
それはビリーの頭上、ぽっかり……というには無理があるほど広がった、人一人程度であれば通れそうなほどの穴。
今更になってようやく、リリアは自分の一撃が招いた光景を認識する。
「リリアっ! これはいったいどういう事だい!?」
「ごっ、ごめんなさーいっ!!」
その頬に冷や汗が流れるのと。
騒ぎを聞いて飛び出してきた店主の妻……所謂、女将からの怒声が飛ぶのは、ほぼ同時だった。
――――――――――――――――――――――――
はぁー、と。憂鬱そのものといえる大きなため息を付きながら。
先程からそう経たない今、リリアは工具を載せた一輪車を押していた。
小さな村だ。店主夫妻も含め、リリアは全員ともはや親しいと言ってよい関係だ。
かの男が、嫁を貰ったくせに仕事もせず酒ばかり飲んだくれている事も、全員知っていた。
そして、リリアはそうと思えば、大の大人にも怯むことなく食って掛かるような性格ということも。
そんなわけでリリアの行動自体は、荒療治として情状酌量は十分に汲まれていた。
とはいえ、物を壊したのは事実で、そして軽くはない。
リリアの育て親はこの村の村長夫妻で、事実上の孫娘でもある。
そんな立場だからこそ、村に発生した自分の過失をそのままにするわけにもいかなかった。
先程家から飛んできた、呆れと心配、申し訳無さの混じった義祖母の顔を思い出す。
(壊すまでやるつもりはなかったんだけどなぁ)
想起するのは、木の壁を打ち砕いた一撃だ。
無論、少女の腕力で行えるものではない。当然ながらその理由は、彼女が纏ったあの光に起因するものだった。
精霊。
この世界の森羅万象に存在する、あらゆる理屈や現象を具現化させる根源となる存在。
火も、風も、雷も、不可視の念力も。
彼らの変質により発現し、この世に具現している。
そしてリリアに付き添う光の粒子、その正体だった。
その無限の可能性故、精霊を操る術についても研究され続けている。
彼らを自在に変質させ、その力を操ることは一般的に「精霊術」と呼ばれていた。
とはいえリリアは、そうした術を修めたわけではない。
始まりは、もう覚えてないほど幼い頃だった。
彼女が何かを精霊に命じた訳では無い。
ただ渾身のもとに動こうとした時に何処からともなく精霊たちが集まり、「手助け」を行うようになった。
彼女が小さな膂力を振るわんとした時は、その勢いを後押しするように力を生み出し、またその反動に耐えられるよう、支えになり。
高所から飛び降りれば、その衝撃を受け止めるための緩衝材となった。
それから現在に至るまで。リリアは、異能とも言えるその能力と共に生きてきた。
確かに自分の力になってくれるものではあるが、その制御は理屈ではなく、感覚、あるいは感情によるものであることが曲者だ。
というより、制御とすら言えないかもしれない。
それこそ出力の行き過ぎにより今回のようなトラブルに発展することも、一度や二度ではなかった。
生きていく上でこの異能についても調べることはあったが、結局詳しいことはわからないまま。
「理屈」として解明が進められている精霊術に、彼女の例は存在しなかった。
「……ねー、君たちもちゃんと反省してね」
そうしてリリアは、今は姿の見えない精霊達に声をかける。
調べた中で分かった数少ない成果は、この光が精霊たちであること、
その精霊たちはただの物質ではなく、意志を持って行動する存在であるという事、
そして精霊が光の粒子として輝く姿――これが精霊の素体らしい――この姿のまま力を発揮することは、非常に珍しいらしい事、ぐらいだった。
とはいえ、意志があるとは聞いても、リリア自身は彼らと意思疎通を取れたことは一度もない。
今回のぼやきに対しても、精霊からの反応はない。光って浮かび上がることすらしなかった。
「はぁー……」
今度はそんな精霊達の態度にも向けてか、再び大きなため息をつくリリア。
気がつけば一輪車はもう、店のすぐ近くまでたどり着いていた。
店の外側に回り、自分が悲惨な姿に変えた壁を見て、改めてため息をつく。
沈んだ気分が上がることはないが、兎にも角にも手を動かすしかない。
育て親の村長……義理の祖父はこの村の若集を率いる大工の棟梁だ。
別にそう育てられたわけではないものの、道具にもこれからやる作業にも馴染みはあった。
そんな作業にかかるリリアだが、開けた穴はそれなり以上の大きさだ。
店の中からも彼女の姿は十分に見える。
気がつけば、顔見知りである壮年、あるいは老人達が笑いながら彼女に声を賭けていた。
「おう、リリア! こりゃまた派手にやったな」
「ビリーの阿呆は家内に土下座したらしいぞ。仕事道具を担いでたのも見た。まあ、いい薬になったろう」
「トムさん、ガイさぁん……」
「がっはっは! この大穴を開けたヤツがそんな顔するな!」
リリアはずっと、この村で生まれ育った。
小さな村ということもあり、リリアの異能については大人であればほぼ全員が知っている。
その異能が、リリアにとってどういうものかという事も。
しかしそれももはや日常とされているようで。しょぼくれた顔のリリアは、トムと呼ばれた老人に笑い飛ばされていた。
朗らかなリリアの人柄もあるのだろう。周囲の優しさは、彼女の立場からくるものだけではなかった。
あるいはこの世界において、「精霊を使役する」という事自体はいたって普遍である、そうした価値観もあった。
「まあこんな中、俺が言ってもしょうがないが……あまりアスラさんに迷惑をかけるなよ。
大事な孫娘がまた暴れて壁をぶち壊したなど、聞きたくはないだろう」
「うう、わかってるよぅ……」
「そもそも壁をぶち壊せるほど暴れる孫娘っちゅうのがそうそうないがなぁ、ガハハ!」
「もー!」
リリアの心中とは裏腹に、その空気はかなり和やかなものになっていた。
あるいは村で育つこの少女に対する、先達たる者達ゆえの気配りだろうか。
いつしかリリアの顔にも笑顔が浮かんでいた。
そんな雰囲気の中。店内への扉が開く音が、店内に響く。
「邪魔するぜ。開いてるか?」
リリアはその時、店の中は見ていなかった。自分の作業のために手元に向いていたのだ。
だからその時は、聞き慣れない声だなとだけ思った。小さな村だ。声を聞けば誰であるかは殆どわかる。
故にこの村には珍しく余所からの来客があったのか、そんな事だけ思っていた。
故に。店の雰囲気自体が大きく様変わりしたことに気づいたのは。
店がやけに静まり返ったことを気にして、視線をその中に戻した後だった。
外の日光で逆光ととなって、来客となったその者……声からするに、男の顔は見えなかった。
だが、それで理由の把握には十分だった。リリアもまた、言葉を失った。
逆光に映るその影は、人間のシルエットとは大きく異なっていたからだった。
いや、二足歩行に逞しい四肢は人間と同じ形状だった。
その背から伸びる巨大な翼こそが、彼が人間でないことをこの場全てに教えこんでいた。
目が慣れてきて、輪郭、そしてその内部まで捉えて。リリアには、それがより知った単語で表せた。
(……龍!?)
巨大な一対の翼に加え、四肢のバランスこそ人間に近く、衣服らしきものも身に着けているが、その体を覆うのは緋色の鱗。
そして人とは大きく異なる、龍そのものの顔。気高さと獰猛さを兼ね備える蒼い瞳が輝いていた。
店の中を沈黙が支配する。突然の非日常に、誰もが面食らっていた。先程まで歓談していた客も、店番も。
しばらくしてそれを破ったのは、再び開いた彼の口だった。
「……あ。もしかして一見はお断り、ってヤツだったか?」
それはあるいは、緊迫した状況からかけ離れた呆けた声色だった。
どうやら彼自身は、この沈黙の理由がわかっていないようだ。
そんなとぼけた彼の様子に、呆気にとられていたリリアの意識がはっと戻る。
それは、衝動とも言えた。思考よりも早く、彼女は行動に移っていた。
「すまん、そりゃ悪かった。それじゃ」
「あ、大丈夫ですよーっ! カウンターにどうぞーッ!」
その勢いのまま。踵を返して店を去ろうとしていた彼を、壁の穴の先から呼び止めた。
そのまま修理するはずの穴を潜って、店の中に身を乗り入れるリリア。
突然の大声故か、あるいはリリアの珍妙な様子故か。
距離が近づきより鮮明に見えるようになった彼は、やはり動揺しているように見えた。
「お、おう……? あ、いいんだな……」
「お冷お持ちしますねーっ!」
困惑した様子が隠せないまま、いそいそとカウンターに座る彼を通り越して。
リリアは店の奥へ向かう。流石に作業した手のまま、飲食の接客は出来ないと思ったからだ。
非日常に昂ぶっている、自分の心を意識する。ただ、それは昂りだけではなかった。
(あの人、なんだろう! ドラゴン? 人? 全然わかんない!……だけど)
元々、リリアは人見知りする方ではない。
それに日常として過ごす毎日に不満こそないが、非日常への憧れは人一倍に持ってはいた。
今日訪れた彼は、初めて会う人で、しかも非日常の化身と言える存在。興味を引かれないはずもなかった。
だが、それ以上に。
彼の態度と、口ぶり、そして言葉の端。そこになにかが、見えたような気がした。
このまま帰すことが、見過ごせないような――それが彼を呼び止めた、一番の動機だった。
外していたエプロン――現状の立場としては無断での装着になるが――その他、身支度を急いで整えて。
リリアは再び店の表へ身を現す。彼女の言葉通りに座っていた、彼の元へ。
年相応の背丈であるリリアに対して、彼の体格は並の成人男性を凌駕するほどのものだ。
未知の存在であることも含めて、恐怖心がないわけはない。
だがそれも、心の衝動の前では、乗り越えられる程度のものでしかなかった。
差し出された冷水を受け取るその手もまた、人のそれよりもひと回り以上の大きさだ。
ひとまず一息つくタイミングがあったことで、リリアの様子も大分落ち着いている。
それもあって、彼の緊張も心なしか軽くなっていたようだった。
「あ、ありがとな、嬢ちゃん」
「えへへ、ご来店ありがとうございます! どうしますか?」
「ああ、じゃあ……ハンバーグで」
しかしかなりの威圧感を放つ彼の様子は、やはりたどたどしさの見えるもので。
緊張か、あるいは。リリアもなんとなくそれを感じながら、笑顔でそれを承る。
「はい、かしこまりました!」
注文を記した紙を、カウンター越しの料理当番――先刻、リリアを叱り飛ばした女将に手渡すリリア。
リリアを見る彼女の目は、少なからず心配そうだった。
それは店へのトラブルというより、リリア自体への色が強いものだ。
「リリア……」
「大丈夫」
それに知ってか知らずか、そう小さく返して。
通りすがらにグラスをもう1つと、それに自分の好きなジュースを勝手に注いで。
「……よしっ」
その彼の隣の席に、どっかりと腰を降ろした。
呆気に取られている彼にそのまま、リリアは話しかける。
「初めまして! この村、お客さん来ること全然ないからびっくりしちゃった。
私、リリア。あなたは?」
「……」
彼の様子を案じて。リリアの姿勢は、とにかく積極的だった。
それは呆気に取られる時間を長くするものであった。
あったが、しかし。やがて、彼の口の端が綻び始める。
「……ハハっ。なんか、色々ありがとな。俺はジェネ。訳あって旅をしてる身だ」
あるいはその態度は、彼にも伝わっていたようだ。ジェネと名乗ったその者は、リリアに自己紹介を返す。
先程の空気を作った身とは裏腹に、その口調は友好的で、緊張していた場の雰囲気も解れていく。
「いきなり驚かせて悪かった。こっちじゃ、龍人なんて見たことないのが普通だよな」
「あはは、こっちこそごめんなさい。店員なのに、風体で驚かれちゃどうしようもないよね」
「結果としちゃ、寧ろ助けられたよ。
人間に会えば、遠目で見られた時点でもう逃げられてばかりだったしな」
彼の態度もあって、空気はすっかり落ち着いていた。
言葉も意思の疎通も出来る。それだけでリリア自身の緊張も解けている。
風貌こそ人外のそれであれど、もはや関係ないように思えた。
「あ、あんた……本物の龍人かい」
「驚いた……何百年も前を最後に、この大陸から姿を消したと聞いていたが」
緊張も解けた故か。先程にリリアと話していた二人も、ジェネに言葉を掛ける。
それは会話の中、リリアが聞き流した単語。
彼の素性に関わる、「龍人」という言葉だった。
自分1人だけピンと来ていなかったリリアが、改めて場にその問いを投げかける
「龍人?」
「歴史の授業で習うじゃろ、ほれ、『精霊戦争』の!」
そう返されて、途端にリリアの顔の様子が悪くなる。
授業。歴史。今もまだピンと来ていない理由に辿り着いたからだ。
視線をそらしながら、リリアはとぼけることにした。
「……まだかもー」
「他の子からこの間やったと聞いたぞ。お前、さては……」
「いや、『永き冬』とかはちゃんと聞いてたし!」
「そりゃお前が『紡ぐ星の剣士』のファンだからじゃろ! ちゃんと勉強せい!」
しかしその態度から尚更、二人から叱責を受ける事になってしまったリリア。
先程までとは一転して情けない姿を
「精霊戦争……ああ、あれか」
半ば異文化の固有名詞であるが、しかし何を指しているかまで彼にも伝わったようだ。
ジェネの表情が少し、険しくなった。
「……ただの引きこもりの癇癪さ。大層な一族でも無え」
ジェネが続けた言葉は、トムやガイからの言葉に答えるものではあるものの――龍人への、自らの種族への棘が垣間見えた。
あるいは続こうとした言葉を仕舞うように、ジェネはグラスを呷る。声色を明るい方向に変えて、続けた。
「っと、話が逸れちまったな。まさしくその龍人だよ。
精霊と共に長き時を生きる存在……ってな。まあ、俺はまだ若モンだけどよ」
「……なるほど。となれば、君も精霊使いなのか?」
「ああ。若モンとは言ったが、精霊との付き合いは並のヤツの比じゃないぜ」
ガイの言葉を肯定し、それを誇るジェネ。
龍人。文字通りの不勉強であるリリアを除いて、その認識は共通していた。
人里離れた地にて生きる、精霊の声を聞き、精霊と共に生きる種族。
精霊を使役する精霊術、そしてそれを操る「精霊使い」も、彼らがそのルーツである、というのが歴史書での記し方だ。
人との関わり自体が少なく、現代の人間にとっては歴史の中の存在だ。
故にその種族像も歴史書によるものではあるが、どうやら彼の態度から、それは間違いではないようだった。
「精霊使いなんだ?」
「ああ。そんなわけで、さっきから気になってたんだが……」
「え?」
ジェネの腕が上がり、その手のひらがリリアの顔の直ぐ側まで近づく。
彼が息を吐くと、透明な空気が輝く色を持ち始める。リリアにはよく見知った光景だった。
精霊達が姿を現す、その光景だ。
現れていく無数の精霊達は、大きな彼の手に纏わるように渦巻いていく。
「わわっ、どうしたの?」
リリアの問いかけには、精霊達はいつものように答えることはない。
しばらくそれを続けていたジェネだったが、ふっと笑うと、ゆっくり手を引いた。
再び不可視の存在に戻っていく彼らを優しい目で見つめながら、ジェネはリリアに言葉を向けた。
「……お前の周り、精霊の様子が見ない感じだったんでな。
ちょっと喚ばせて貰った。なんてことはねえ、ずいぶん気に入られてるみたいだな?」
「そ、そうなの?」
それは、すでに確信を得た上での問いかけだったが。
対するリリアはそれには当てはまらず、噛み合わない回答が返ることになった。
だが当然だ。リリアはこれまで、精霊の思いを知る術など持ち合わせていないのだ。
「……そう返ってくるとは思わなかったぜ。この気で精霊使いじゃないのか?」
一方のジェネも、その齟齬に困惑を見せていた。
精霊の事情に精通しているからこその確信であった事が伺える。それ故に彼女の様子はより特異に見えるのだろう。
それを感じ取って、リリアはもっと踏み込んだ話を切り出すことにした。
「ううん、全然。ただずっと昔から一緒に居てくれて、色々勝手に助けてくれるのよ。
でも別に言う通りにしてくれるわけでもないし、何考えてるかも全然わかんないし。
ほら、あれも」
会話の中、リリアは自分が開けた壁の穴を指差す。
主語以外を欠いた言葉であったが、その意図……精霊の助力によって発生した事象であるという事はジェネにも伝わった。
しかしその言い草に、彼女の背後から反論が飛ぶ。
「おいおい、責任転嫁はやめい!」
「穴開けるまでつもりはなかったんだもん!」
「……こんな具合でな。どうにも彼女の意志とは別に、精霊達が力を貸すらしい。
この子はずっと小さい時から、そんな能力がある」
その補足をするように、ガイが説明を付け加える。
話に合わせて、ジェネはリリアの姿と、指した指の先の大穴に交互に目をやった。
少し考え込むようなような様子を見せて、ちらとまたリリアを見る。
「……なるほど、これも何かの縁だ」
そして何か飲み込んだように頷いて、今度はしっかりとリリアを見据えた。
「聞いてみるか? 精霊達の声」
「え!? できるの?」
驚くリリアに、ジェネは頷く。
精霊との対話はリリアにとっては幼き日から仄かに願い、しかし叶わずにいた事だ。その反応も無理はなかった。
「声を聞くだけならな。言葉じゃねえから、たぶん何言ってるかは分からねえとは思う。
話す、ってなるとまた別の修行が要るからな」
「でも授業で精霊術の基礎もやったけど……私、才能さっぱりって話だったよ?」
「声を聞くだけに才能も何もねえさ。これだけ精霊たちに気に入られてるんだ。どうだ?」
十全な形ではないにせよ、彼はそれを叶えられるという。
このしばしのやり取りの中、リリアにはあまり彼への警戒心が残っていないというところもある。
彼女が解答を固めるのにそう時間は掛からなかった。
「……うん!」
頷いたリリアに、また頷き返して答えるジェネ。
彼女を見守る背後の二人の表情が、少し強張ったのが見えた。
リリアが愛されている事の証左であると感じて。彼は少し笑みを零しながら、二人に宛てても言う。
「安心してくれ。この場でできるような、本当に簡単な事だ」
そう言うと、ジェネは体ごとリリアの方に向き直る。
先程のようにリリアへゆっくりと手を近づけて、今度は彼女の額に掌を当てる。
「これから俺がやるのは、そうだな……精霊の声を大きくする、その手助けだ。
よく集中して、聞いてみな」
彼の言葉に、リリアは目を閉じて、その他の器官へ意識を集中させる。
瞼を通して、当たりが眩しくなっていくのが見えた。ジェネが再び、精霊を喚んでいるのだとわかった。
そのまま、集中を深めていく。なんとなく、さらに光が強まったような感覚、その後。
リリアは頭の先に響くような、新たな音を感じ始める。
(……喜んでる?)
恐らくそれが、精霊の声だと理解したリリア。
ジェネの語ったように、それは彼女の知る言語の音ではない。
だがその音……声色とも言うべきか。それは明らかに、歓喜であると感じた。
普段溢れるように群れている精霊、それぞれのものだろうか。声もまた奔流のように、彼女の耳に入り込んでいく。
それが心地よくて、リリアはしばらくそのままでいた。
その刹那だった。
歓喜に混じった、悲鳴のようなものが聞こえたのは。
「……ーっ!?」
明らかに色の違う音に驚き、目を見開いて顔を上げるリリア。
同じように焦燥を浮かべたジェネと、視線が重なった。恐らく、同じものが聞こえたのだとわかった。
様子も空気も変わった中、呟くようにジェネが尋ねる。
「お前も聞こえたか? リリア」
「うん」
「へっ……才能無いなんて嘘っぱちだったろ」
敢えて空気を和ますような、冗談のような口ぶりと共にジェネが立ち上がる。
「兄ちゃん、どうした? それにリリアも……」
「すまねえ、頼んだ分は後で払うッ!」
「あ、待って!」
トムからの言葉も振り切って、ジェネはいきなり店外へと飛び出した。
理由までは分からないが、先ほどの悲鳴に関わるものである事はわかって、
リリアも彼に次いで屋外へと駆け出す。
ドアをほぼ体で開けて、その直ぐにジェネも立っていた。向かいの家屋、その上に視線を向けて。
もうこの村で過ごして長いリリアだ。その光景に異常がある事は、すぐに分かった。
(あれ……何!?)
家屋の屋根の上に立っている「それ」は、人のように四肢を持ち、二本足で立っていた。
だがまるでジェネの時のように、それが人間でないことは直ぐにわかった。
背中から広がる、鴉のような翼。そして生物感を感じさせない、甲殻のようなもので覆われた全身。
鉄の悪魔とも称することができる出で立ちだ。
その背丈こそリリアよりも低いものの、それに親しさを感じることは全く無かった。
緊張が走る場面の中、ジェネが叫ぶ。
「気配で判るぜ。てめえだな、精霊たちを狂わせてんのは!」
「狂わせ……って!?」
その言葉の意味について、改めて問いかけるリリア。
右腕を掲げるジェネ。その腕に、見慣れた光の粒……精霊達が集まっていく。
それらは彼の掌に近づくほどに、その形を変える。熱を持ち始め、揺らめき。燃え盛る炎へと。
同時にジェネは、リリアに声を返した。その問いかけに答えるためだ。
とはいえリリアのその問いかけもまた、少なからず確信を持っているものだった。
眼の前の「それ」が、精霊の悲鳴の原因であると。
「さっき言ったろ? 旅をしてる、その『訳』だ!」
彼の掌に集まった精霊達……炎は横に延び、さながら炎の槍といった姿へと変わる。
ジェネの手が閉じ、それを握り締めて。「それ」に向けて力を込め、大きく振りかぶった。
「"貫け"ッ!」
そして叫び声と共に、振り抜いた腕から炎槍が放たれた。
飛び出した炎槍は、まるで意志があるように……否。
文字通り「標的を貫く意志」を持って、腕の振りが与えた力よりもずっと速く、その先へ迫っていく。
速さ故にわずか一瞬、炎槍は標的たる、謎の存在に炸裂する。
「……ちッ!」
だが、ジェネの舌打ちが、決まり手になっていないことをリリアに教えた。
炸裂による煙が晴れる中、「それ」が、右腕を振り抜いていたのが見えた。
その先に伸びる、細く長い刃……恐らく、かの者の武器であるそれが防いだのだとわかった。
そのまま切っ先が振り上げられ、斜めに振り抜かれる。その軌跡が何故か、肉眼で捉えることができた。
「え……!?」
「まずいッ! "戻れ"ッ!」
否。その切っ先は、空間……宙空に漂う、不可視の精霊達を引き裂いていた。
ジェネの答えた言葉に応じて、炸裂した炎が光の粒へと戻り、彼の元へ集まろうとするが、
しかしそれらも纏めてその「傷跡」へ吸い込まれていき、その色が、赤黒い粒子へと変わっていく。
「リリア!」
「一体何が……!?」
遅れて店から飛び出してきたトム、ガイ。だが、リリアに振り向く余裕はなかった。
赤黒い粒となった精霊達が幾つかの塊として集まり、混ざり。
そしてやがて、それぞれに1つの姿へと変貌する。
「それら」が、リリアの立つ地面へと落ちてくる。いずれも重い音だった。
恐らく顔だと思われる部分が、こちらへ向き直る。その目は、ただ殺意だけを伝えていた。
『魔物……!?』
ほぼ同時に。トムとガイは、同じ言葉を口にした。
一見、狼や猪にも似たそれらは、牙や爪といった「武器」となる部位のみ、異常と言えるほど発達している。
年長者である彼らには、それに見覚えがあったのだ。
呆然とする中、リリアはその言葉について問う。
「魔物って!?」
「15年前の発生を最後に、姿を消していたはずだぞ……!? それが、なんで……」
ただし。呆然とする一行を、彼らの殺意は待ちはしなかった。
その緊張が極限に達した瞬間。魔物達は一斉に吠え始め、そして彼らへと飛びかかる。
「"切り裂け"ッ!」
その先頭の一頭が、ジェネの言葉と共に八つ裂きとなる。
彼の指揮する精霊は、今度は鋭い烈風として彼の武器となっていた。
だがその後ろに続くのは、3つもの影だった。そのうち1つが、リリアら3人の方へ向かう。
「いかんっ!」
「リリアっ、逃げろ!!」
リリアの盾にならんと、年長者二人が身を前に乗り出す。
受け方を考えられるほどの余裕はなかった。もとより自由に動く体でもないのだ。
ただそれだけが目的の行動だった。
「くそぉッ!?」
後ろ目でそれを見るジェネ。
何かしらの精霊術を意図してか咄嗟に手を伸ばそうとするが、もとより受け持つ数は、こちらの方が多い。
意識を配ることさえ負担になりうる立場だ。とても助力は望めない状況だった。
(みんな……!!)
これまでの人生の、大一番とも言える危機故か。
リリアにはこの眼前の光景が全て、頭の中に入ってきていた。
スローモーションにも見える世界の中。
壊れた日常への恐怖にも、向かい来る殺意にも。リリアは決断に、迷うことはなかった。
つい先程、生まれて初めて声を聞いた、隣人たる精霊達に願う。
(どうか、力を貸して!)
――
「はああああああああああああああぁぁぁ!!」
咆哮のような声と共に鳴る、ミシリという重い音。
爪が、いずれかの体を引き裂いた音ではなかった。
振り下ろされた魔物の双腕は、リリアの細い双腕、そしてそれが纏う輝く精霊達が受け止めていた。
それどころか、彼女は掴んだ腕を逆に持ち上げていく。
纏う精霊の量は、日常の比ではなかったが、それを気に留める余裕はなかった。
「どッ、りゃあああッ!!!」
力の差で重心が崩れた瞬間、リリアは自分の倍はあるであろう、魔物の体を押し飛ばす。
その先は、ジェネに向かっていた魔物の一方だ。
不意の質量に押しつぶされ、2体纏めて体勢を崩すことになった。
その隙に背後の二人へ、リリアは声を掛ける。
「リ、リリア!」
「トムさん、ガイさん! 私は大丈夫!
他にも魔物がいるかも知れないから、みんなに伝えて!
それと……お店から私の"荷物"を!」
「……ああ、わかった! 荷物はワシが行く!」
彼女との付き合いの長さもあって、リリアの意図するものは伝わったようだ。
二手に分かれ、トムは店の中へ、ガイは大声を出しつつ戦地から離れてゆく。
そんな最中、隙を見出したジェネは、魔物の一体に腕を振りかざす。
「"集え"ッ!」
言葉を合図に魔物を包み込むように炎が現れ、その身を焼き尽していく。
体勢を整えて、軽く背中を合わせる二人。リリアに対して笑みを見せる。
「俺の見立ては間違ってなかったな。やっぱり凄い奴だった」
「みんなのおかげだよ。それよりも、あなただって!」
互いを称え合いながら、残る魔物たちを見据える。
立ち上がった魔物たちに、ジェネはもう一度腕を向けた。
彼の周囲でまた、精霊たちが炎へとその身を変えていく。
「"貫け"っ!」
魔物が動かんとしていたその直前で、炎が放たれた。
だが反応が間に合ったようだ。魔物たちは左右の二手に分かれて跳び立ち、その攻撃を回避する。
そのまま襲い来る魔物の片方へ、リリアも飛び出す。
「こっちは任せて!」
「行けるのかっ!? 頼むぞ!」
今度はリリアの足に、輝く精霊たちが纏われる。
瞬間、その身体が凄まじい踏み込みと共に急加速した。
それは魔物の不意を付くほどで、懐に入ったリリア。
「でやぁッ!!」
そのまま腕に精霊を纏わせ、強烈な一撃をお見舞いした。
うめき声と共に、魔物がよろめく。効果はあるようだが、決まり手には至らない。
そんな状況の中で、彼女の背中に声が掛けられる。
再び店の中から顔を出した、トムの物だった。
「リリア! あったぞ!」
「そこからでいいよ、ちょうだい!」
「ぬ……! ッ、でぇいっ!!」
リリアの指示に合わせて、トムはかなりの力を込めた動きで、「荷物」を投擲した。
それはリリアに近づほどに、その身が輝く精霊たちに包まれて、そして勢いを増していく。
まるで掲げられたリリアの手に、自ら収まろうとしているかのように。
いや。実際に精霊たちがそうさせていた。そのままリリアの手が、精霊によって輝くそれを掴む。
「ありがとう、トムじいちゃん!」
それは、上質な拵えの直剣だった。
大人の扱うものと遜色無い大きさであるそれは、少女であるリリアには些か巨大にも思える。
だが今、溢れんばかりに纏われた精霊が、それを支えていた。
構え直すと、リリアは鞘から刃を抜く。
それに呼応するように周囲から次々と、精霊が姿を現していく。それは先程まで、リリアが纏っていた量とは比にならないほどだ。
まるで歓喜の祭りのように溢れ、刀身とリリアを包んでいった。
魔物は、それそのものに畏れているかのように怯み、それを阻害することは叶わなかった。だがやがて自ら突き動かされるように、リリアに飛びかかる。
一呼吸の後、リリアも逆に飛び込む。両手で握り直した剣、精霊に包まれ光り輝く刃が、その凶爪と交り合う。
「ギャッッ……!」
その結果は、一方的な形になった。
爪はリリアの剣を遮ることなく両断され、武器を失ったことに魔物は怯む動作を見せる。まさに致命の隙だと言えた。
リリアは振るった剣の勢いのまま、さらに身体を1回転させる。
輝く剣の軌跡は美しささえ感じさせるほどに輝き、その存在を誇示していた。その目が再び、敵を捉える。
回転から得られた力に、全身の膂力を注ぎ込んで。リリアはその剣を振り下ろした。
「"ステラドライブ"!!」
精霊の助力もあるのだろう、その一撃は易易と魔物の身体を切り裂き、両断した。
返り血は、受けることはなかった。断面からは体液の代わりに、赤黒く染まっていた精霊たちが飛び出していた。
その精霊達はじきに元の色……輝く光の姿となった後、不可視に戻って宙へと消えていく。
「これって……」
「そうだ。魔物は、精霊達だ。炎や風に姿を変えるのとは、また違う話だけどな」
その光景に対したリリアに、その背後からジェネが語りかける。
振り向いた先、彼の背中側で同様に、輝く姿へと戻っていく魔物の姿が見えた。
ジェネもまた、相対していた魔物を打ち倒したのだろう。
「精霊が何かしらの理由で暴走して、生命への害意が増した状態。それが魔物だ。
頭に血が上ってるようなもんだから、こうして鎮めれば元に戻る。
だが……そもそも精霊の暴走なんて、理由がなきゃ発生するものじゃねえんだ」
その内容は、リリアが思ったことへの解答だ。
ジェネは拳を握り締めながら、ここからが本題であると伝えるように、リリアを見据えた。
「それじゃあ……さっきのっ!?」
「……誰かが何かのために、精霊を暴走させてる。
俺はそれを止めるために、旅を続けてたんだ。精霊の声を頼りにな。
精霊は、俺達龍人の隣人だ。俺が、やらなきゃいけねえ」
犯人と目する、かの者が居た家屋の屋根を見上げる二人。
既に移動したのだろう、そこには既に姿はなかった。
その二人の耳に、騒ぎの声が伝わってくる。ガイが向かった先、この村の中心部からだった。
「くそっ、あっちか! 逃さねえぞ!」
それは、ジェネへ仇敵の位置を知らせる印となった。彼はそのまま音の聞こえた方へ走り出す。
その背中を見て、彼から教わった事、そして今の状況。
リリアの脳内では、整理はまだついていなかった。非日常の中の混乱というのもあった。
だから、それは。もっと直感的に近い行動だった。
彼女の脚に、精霊達が再び纏いはじめる。
「私も行くよっ!」
声高くそう宣言すると、一気に駆け出して。ジェネの隣へと並走する。
横目でそれを捉えて、ぎょっとする表情を見せたジェネ。
特別な力を見たとはいえまだ少女たる彼女の勇気を、素直に受け取れずにいた。
リリアはその目に真っ直ぐ視線を重ねて、それに答えるように言葉を繋いでいく。
「
それでも、私だってずっと、ずっと一緒に居たんだもの。苦しんでるのなら、今度は私が助けてあげなきゃ!」
纏まらない胸の中で、言語化出来た部分という側面はあった、しかし本気の言葉だった。
それに対して、何も返さずに居たジェネ。
しかしやがてその結ばれた口の端が、にやりと上がる。
「……旅の中、こんな奴と会えるなんてな。これも運命か」
もっと真っ直ぐに、ジェネの瞳がリリアを捉える。
彼の微笑みに、リリアも同じように返した。生まれた信頼を示した視線が重なる。
一呼吸置いて。二人は、より勢いを付けて駆け出した。
「よし、行こうぜ! 俺達で、精霊達を救うんだ!」
「うんっ!」
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