第9話(その4)

 暖かいソルロンタンで腹を満たした柿岡は、時津にこれからの予定を尋ねた。

「このあと近くの鋳鍛造工場へ寄って、明日は蔚山です」

「蔚山は、近代造船ですか?」


「そうです。聞いた話では、巨大な造船所とか?」

「ええ、それに噂では百万トン船渠を造るらしいです」


「百万トンか……」

 柿岡はその数字を呟き、さもありなんと思った。


「ところで柿岡さん、新日本貿易の山岡さん、ご存知ですよね?」

 と、時津が意外な名を口にした。

「ええ、山岡さんが何か?」


「今週、釜山に入るそうで、夕食でもと誘われまして」

「それは構いませんが……」

 別に断る理由もない柿岡は、

「時津さん、お知り合いなんですか?」

 と尋ねた。


「ええ、近代造船向けの機器販売で新日本が代理店を務めていますから」

 柿岡もその話には聞き覚えがあった。

「コンテナ金物では、色々あったみたいですね?」

 と時津が言うと、柿岡も頷いた。


「本社は、コンテナ船を重工神戸に任せるようですね」

「そうですね」

 と、軽くあしらう時津。

 釜山所長として日々多くの情報に接する彼の立場が窺えた。


 柿岡は更に探りを入れる。

「釜山には、偉い人も来るのでしょう?」

「ええ、頻繁に来られます」

「いったいうちは、どうなるのでしょうね?」


 柿岡の立場では情報に限りがある。

 だが時津は重役と差しで話すこともあるはずだった。


「重工長崎は大型客船を造るのでしょうか?」

「渡部さんは、そうお考えのようですね」


「国から潤沢な補助金が出る韓国とは、勝負にならないでしょう」

 と柿岡が言うと、時津は少し間を置き、

「まあ、それだけではないでしょうが」

 と歯切れが悪い。


「今の体制で儲かるのは、マルボウだけでしょう」

 と、時津は悟ったように呟いた。

「しかしそれでは……」

 柿岡も反論しようとしたが、時津の言葉は正論だった。


 実際、重工長崎の造船部隊は商船と艦艇に分かれている。明治から国防を担ってきた極東重工業だけに、艦艇建造に関わる資金や組織力は商船部隊と大きな隔たりがあった。


「しかし、今こそ大型客船建造への道を切り開くべきでは――。次の百年へ向けて」

「これは柿岡さんだから言いますが、それは渡部さんの懸けに過ぎないのでは?」


「懸け……それは言い過ぎでは?」

「でも失敗すれば商船部隊は終わりますよ」

「しかし、やってみないと分からないでしょう?」

「それはそうですが、リスクが大きすぎます」


 その考えは、東京の宮島と同じだった。宮島は『客船の売上は大きいが、リスクは底知れない。赤字を出せば本社は必ず切り捨てる』と公言して憚らないのだった。


「このままでは、渡部さんひとり猛火へ突っ込むようなものです……」

 その時津の言葉の裏に何があるのか。

 柿岡が考えを巡らせる間もなく、時津は伝票を持って立ち上がった。


(第10話へつづく)

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