第7話(その4)
「新しいプロジェクトで、君には購買の仕組みを根本から見直してほしい。宮島と連携して、内外の評価を変える仕組みを作れるかどうか、それが鍵だ」
渡部の指示は明確だった。
恐らく以前から練っていた人事構想なのだろう。
「君は副所長室の室長として、会社の未来を担うんだ。その覚悟が君にあるかどうかだ」
柿岡には、その渡部の言葉が静かに響いた。そして全身を貫くような責任の重さと、それは乗り越えるという自分の可能性を同時に感じながら、それでもまだ心残りがあった。
「はあ……、副所長室の室長ですか」
と言いながら、柿岡の頭は忙しく回り始めていた。
「君は……、弘志社の経済学部だったね」
渡部が話を変えた。
「はい、そうですが」
と、柿岡が答えると、渡部は手酌で酒を注ぎ、そのお猪口を口にして穏やかな表情で話を始めた。
「造船屋の私が言うのもおこがましいが、近江商人の『三方良し』のことを本で読んでね」
渡部は何か物語を紡ぐように話を続けた。
柿岡も、どこかほっとする思いで聞いた。
「あのな、近江商人って『三方良し』って言葉を使っていたらしいな。売り手良し、買い手良し、世間良しってやつだ。それ、会社でも大事なことだと思わんか?」
「ああ、私も大学はラグビー漬けでしたが、歴史は好きで、それは覚えています」
「これも本の受け売りだが、大阪商人が使う『儲けてまっか』の『儲』は、信と者を合わせた字で、それは信じる者としか商いをしない、という証だとか。なんか目から鱗でね……」
そう言われて柿岡は、
(いったい渡部さんは何を言いたいのか)
と、思わず顔を窺った。
「いや、副所長になると地元の御用もあって、この前から出島のことをね……」
重工長崎の副所長がどんな存在か、柿岡も知っている。諏訪神社下に社宅があり、元旦には屋敷を上げて諸先輩のご接待。その様は江戸か明治か、良くも悪くも伝統だった。
「それで、長崎の出島が商人によって造られたと知って、要は何の為に会社は儲けるか……と言う事に行きついてね」
と、渡部はしみじみ言う。
柿岡はオウム返しに、
「何の為に儲けるか、ですか」
と呟く。それには、
「君は何の為だと思う?」
と渡部が聞く。
「はあ……それが三方良しですか?」
「そう、それだ」
と、渡部は我が意を得たりと返す。
「明治以降、重工は出島に代わって長崎の発展に寄与してきた。だが出島は250年、重工は百年。では後150年、我々はいかに長崎の発展に寄与出来るか、今が正念場なんだ」
(渡部さんは酔っている?)
と、柿岡は一瞬思ったが、その目の奥の瞳は正気だった。
「分かりました。覚悟して必ず成果を出します」
と言って、柿岡はまっすぐ渡部を見つめた。
その眼差しには、かつてラグビーで敗北を乗り越えた時と同じ、不屈の炎が宿っていた。そして柿岡はお銚子を渡部に勧めて、自分にも注ぐと目の高さに杯を翳すのだった。
(第8話へつづく)
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