第3話(その2)

 同期の彼は、同じ移動で東京勤務となった。大学野球で名を馳せた宮島は、入社後は長崎の野球部で活躍したものの、転勤と共に引退。肩を壊したとも聞くが、柿岡は詳しいことを知らない。


 ただ彼とは何かと意見がぶつかり、同じ海外調達課で張り合っていた。

「国内船主ならまだしも、欧米の客船を日本で造れる訳がない……」

「そんなもん……、やってみんと分からんケン」

 と、柿岡は声を荒げる。


「そうやって突っ走って、駄目な時に誰が責任を取る」

 と、相変わらずの宮島。

「客船建造を百年の計として、必ず長崎造船所を復活させんばね――」


 この話になると、柿岡の声は自ずと大きくなる。だが宮島は斜に構えたまま、

「儲かりもしない船を造って、極東に未来がある訳がない」

 と、嘯くように呟くばかり。


 柿岡は同じ課で宮島と絡む度に、もう何度言い合ったかことか。その度に彼は、客船建造に否定的なことばかり言う。


 彼の父親が極東銀行本店へ栄転したと、柿岡は東京へ来てから知った。彼が何を知っているのか分からないが、銀行筋が客船派でないことは確かだった。


 急激な円高に揺れる日本経済は、プラザ合意とルーブル合意を経て、更なる荒波にさらされていた。この間、極東重工業の経営陣も様変わりしていた。


 いまだ極東銀行系は役員会で幅を利かせているものの、あとのメンバーは造船とアンチ造船派が拮抗していた。だが時ならず、極東重工業㈱神戸造船所で、国内船主向けの大型客船の建造が決まった。


 この船の成功如何によっては、極東重工業の既定路線変更も現実味を帯びてく。


 戦前多くの客船を建造した長崎造船所で、再び世界を巡る大型客船を造るという夢。それがかつて極東の主流であった造船派の悲願であり、渡部はその主要メンバーであった。


 あの5年前の豪雨は柿岡の人生観を変えた。あれほど綺麗な長崎の街が、2日余りの豪雨で完膚なきまでに破壊された。原爆を知らぬ柿岡は、平和な長崎の街でどんな人生を送るのか、それなりに夢を持っていた。


 だが豪雨は人の人生を根本から壊す力を持っていた。


 それは例え近代的な街であろうと、頑丈な造船所の設備であろうと、赤子ほどにも抗えるものではなかった。その現実を否が応でも知らされた。


 だが柿岡は長崎の街への思いは変わらない。それは極東重工業が栄え続けることで、街は発展し続けると信じていた。


 それに翔子との過ごした夜のことは、今でも深く柿岡の胸に巣くっていた。


(つづく)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る