第3話「胸に抱く夢への決意」(その1)

 1987年(昭62)3月2日月曜日の朝、柿岡は極東重工業㈱の本社にいた。


 5年前、長崎から東京に転勤してからというもの、息を吹き返したような日々を送っていた。


 その朝、同じ長崎から転属している渡部課長から珍しく呼び出しがあった。柿岡のいる大部屋では、渡部が窓を背に大きなデスクに座り、新聞を読んでいる姿が目に入った。新聞で表情は見えないが、その紙面はバブル景気を報じているのだろうかとふと考えた。


 背後の窓から、3月に入ったとはいえ、まだ冬模様の皇居が見えている。幸い空は晴天で晴れ渡り、摂氏5度に満たない外気とは違って、部屋の中は暖かかった。


 何事かと、多少気を揉みながら課長席へ向かい、少し離れた位置から声をかける。

「課長、おはようございます」


「おっ柿岡君、おはよう」

 と声を上げて新聞を折り畳むと、顔を上げることもなく立ち上がり、柿岡の顔を見ることはなく歩き出しながらこう言う。


「ちょっと、向こうの部屋へ行こうか」

 そう言って、資材の会議室に向かった。


(ひょっとして……)と、柿岡は臍下に力を入れて後に続く。それなりに覚悟した。


「そこへ座ってくれ」

 と、折り畳み式の長机が四角く配置された会議室、そこへ入ると渡部は柿岡を一画に誘い、そう言った。


 そして腰かけるや否や、こう言葉を続けた。

「柿岡君、4月から長崎へ戻ってくれないか」

 と言う。それは待ちに待った辞令だった。


 入社早々長崎で、丁稚奉公のような日々を過ごした柿岡は、東京で息を吹き返していた。


「はい、課長。いよいよですね――」

「ああ、詳しくは明日の会議で……」

「それで……課長も、長崎に戻られるのですか?」

「ああ、私も長崎へ帰るよ」


 渡部はそう言うと目を細めて笑った。長く不景気に喘ぐ長崎造船所も、ようやく反転攻勢に打って出る第一歩だった。


「先月のルーブル合意で、また円高に振れていく」

「はい。だからこそ海外調達ですね」

「そう、ようやく君らが駆けずりまわってくれた成果を発揮する時がきた」


 長崎の資材部で仕事に倦んでいた柿岡も、今では東京で渡部の指導の下、世界中を飛び回っていた。舶用メーカーの多い北欧から、新興著しい台湾・韓国のメーカーを周った。 


 これは長崎造船所が陥っている、地元企業とのなれ合いを一掃するチャンスだった。


 ほんの5分にも満たない面談を終え、会議室を出た渡部は表情を消していた。だがその後ろに続く柿岡の顔には、胸の高鳴りを抑えることがないまま、含み笑いが浮かんでいた。


「課長共々、長崎へご栄転か」

 と、柿岡が席に着くなり、そう隣から切り出した。

「なんのことや……」

 と、慌てて表情を押し殺した柿岡は、隣に座る宮島に顔を装うのだった。


(つづく)

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