第1話(その4)
思い起こせば、客船PJチームに加わってからの5年間は目まぐるしかった。柿岡は台湾・韓国・中国をはじめ、欧州各国のメーカーを訪ね歩いた。船主との間で交わした指定メーカーのショートリストに基づき、極東に有利なメーカーを見つけるために年中飛び回っていた。すべては大型客船建造にかけた渡部部長の夢のためである。
「このままでは長崎造船所は早晩消えてなくなる」
という彼の危機感は並々ならぬものがあった。
その思いは柿崎も同じだった。長崎湾口の町・戸町で生まれた柿崎は、よく父に連れられて魚見台の台場から長崎湾を眺めた。
飽の浦一帯の船台とドック、そして深堀沖の50万トンドックを見渡しながら、造船所で次々と完成していく船の姿は、今も目に焼き付いている。
だが昭和48年秋のオイルショックを契機に、大型タンカーの需要が激減。世界一の造船量を誇った長崎造船所も急速に業績が悪化し、大規模な人員整理が強行された。残った従業員も意に反して出向を余儀なくされ、遠く関東のガソリンスタンドで働く者もいた。
「もう二度と戦後の高度成長の再来はない」
と断じる渡部は、同型船の連続建造を狙う本社と衝突した。
それでもなお、役員の中には造船業への情熱を持つ者がいて、渡部とともに客船建造への業態改革を目指した。
しかし、時代の風向きはアンチ客船派に味方していた。その渡部が、ダイヤモンド社向け1番船の就航を目前にして本社役員へ転任したのだ。
道が開けた思いで喜んだ柿崎だったが、後任が「アンチの手先」とも噂され、心穏やかではなかった。
そのとき、内ポケットの携帯が震えた。妙なことに、会場のあちこちで慌てる人がいる。(今夜は歓迎会のはずやのに)と思いながら携帯を取り出すと、画面には資材部の外線が表示されていた。
「もしもし……」
と腰をかがめ、外へ出ながら柿岡は応答した。
「課長、1番船が……」
と、若手の主任が興奮した声で話し始めた。
「なんや、1番船がどうしたんや――」
と聞き返すが、要領を得ない。
どうやら気が動転している様子だ。
ようやくロビーに出て背を伸ばし、携帯を持ち直しながら、宮島と並んだ窓の前に立った。
「すみません、代わりました、伊藤です」
と資材の伊藤が落ち着いた声で応えた。
秘書役の彼女は、
「5時過ぎに1番船の内部で火事が発生し、119番通報したと工作部から連絡がありました」
と告げた。
「なに――!」
と思わず叫んだ柿崎は腕時計を見た。
時刻は5時55分。
(今頃なんや)と顔を上げると、分厚いガラス越しにちらちらと白い光が見えた。
「屋上や、すぐに屋上へ上がって岸壁の様子を知らせてくれ。私もすぐ戻る!」
と携帯を切った柿崎は、ガラスに顔を寄せて暗闇の奥で揺れる明かりを見つめた。
(あれが火……まさか)と心によぎる不安を打ち消しながら振り返る。
しかし、ホールは携帯を掛ける者で一杯だ。
迷わず階段へ向かう柿崎は、夢であってくれと祈るばかりだった。
(第2話へつづく)
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