第1話(その3)

 午後5時30分、ニューギヤマンホテル最上階のレストラン『出島』内にある宴会場『あじさい』は、重工社員と主だった協力会社、それに官憲関係の招待客で溢れていた。


 かつて長崎を訪れた某国の船長が、その入り江をして「白鳥が降り立ったような姿」と評したという。秋めく長崎湾は静かに暮れ、入り江を覆う雲が夕闇を引き寄せていた。


 街はいつもと変わらず、家路を急ぐ人と歓楽街へ向かう人が大きな群れとなっていた。


 明治初期、長崎で創業した極東重工業は英国の技術屋の指導を仰ぎ、船の修繕業から始まった。創業者は岡崎陽太郎。和歌山藩から蘭学修行に長崎へ来た岡崎は、幕末の動乱に身を置き、そこで薩摩や長州の知己を得て、混乱の中から明治の夜明けを迎えた。


 こと船の修繕は、長崎を訪れる様々な船のお陰で、利益を容易く確保することが出来た。濡れ手に粟ともいえる商いで得た資金を基に、岡崎は船を建造して事業を拡大した。


 岡崎は船の改良に先進的な技術を導入し、修繕から造船業へと力強く踏み出した。彼の勢いは留まることを知らず、国の郵便事業や銀行まで手を広げていったのだった。


 その後、ニューギヤマンホテルはオイルショックの前に立て替えられ、その名は岡崎が学んだ蘭語に因んでダイヤモンドを意味する「ギヤマン」とした。ホテルは今も極東グループの傘下にある。その外観はオランダの建築様式を模し、内装は長崎の県花である紫陽花の色調に包まれている。その中で「出島」は今、極東の関係者で溢れていた。


 役員の方へ向かう宮島を、仕方なく見送った柿岡は、集う人の群れの背後に立った。


 やがて壇上へ上がる極東の役員たち。その中から小太りの男が中央に歩みだす。新しい長崎造船所所長の鮫島である。柿岡は面識を得ないが、その人となりについては何かと耳にしていた。


 5年前、ダイヤモンドシッピングが客船建造を発表した時、極東重工業は長崎造船所主導でプロジェクトチームを発足した。当時の資材部長であり、柿岡の長崎中央高校出身の先輩でもある渡部が初代PJリーダーに選ばれた。


 ひとまわり年上の渡部は九大の造船科を卒業し、極東重工業に入社。遅れて入社した柿岡をかわいがり、彼もPJに参画することになった。客船の建造を決めた渡部は、極東重工業の歴史上で初めて、生え抜きの長崎造船所所長となった。


 そして、この9月に1番船の進水を終え、本社役員として任命されたのである。その後任として本社から赴任した鮫島が、壇上で挨拶を始めた。


「この度、歴史ある極東重工業・長崎造船所所長を拝命いたしました……」

 栓の抜けたような甲高い声が、大きな宴会場に妙な響きを伴って広がった。


(こんな重役の血縁というだけで登用された男に、この長崎を総べることなど…)

 柿岡は拳を握りしめた。

 胸に迫る滾る思いが、顔を火照らせるほど強まっていく。


(つづく)

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