第28話 運命の予言
柔らかな朝日が差し込みはじめたベッドで、内藤楓はゆっくりと身体を伸ばした。金色の髪が枕に広がり、夢うつつの中で意味不明の寝言がこぼれる。
その瞬間、夢の中では驚きの声をあげていた。
「久しぶりね」
「あ、あなたは……」
真っ暗な闇の中に、狐のお面を被った小さな女の子が現れた。楓にとって夢の中で見覚えのある姿だ。
「よくやっているわ。尚くんとの関係もうまくいっているみたいね」
女の子は楓に声をかけ、褒め言葉を送った。
なぜか、楓がこの女の子の教え子みたいな扱いだったけれど、楓自身はそれを特に不快に感じることもなかった。
「いや、関係とかそんなんじゃないけれど……」
「夢でまで素直じゃないのね。まったく。まあ、義兄妹としては、仲良くできているってことでいいんじゃない?」
女の子はそう言った。お面をつけているので表情はよくわからないのだけれど、口元は緩んで笑顔な気がした。
「もう、尚くんが闇に堕ちることはないでしょう。あなたのおかげよ」
「や、闇って……尚くんがそんなことあるわけが……」
楓はそう言いながらも女の子の言葉にどこか安心した気持ちになっていた。
しかし次の瞬間、女の子の声が真剣なトーンに変わる。
「でも、忘れてないでしょうね。今日は大事な日だから、一日中リビングにいなさい」
「え?」
「尚くんとずっと一緒にいるのよ。いいわね」
女の子の忠告に戸惑う楓だった。
「忘れるんじゃないわよ!」
理由を問う間もなく、女の子は強く念を押すと姿が薄れていき、消えていった。
はっと目を覚ました楓は、ベッドから体を起こした。淡いピンクのパジャマから、白く滑らかな肩が覗いてしまっている。
(あの女の子が出てくる夢か……久しぶりね)
夢とはいえ、あの狐面の女の子が出てくる夢は気になってしかたがない。
「『忘れてないでしょうね』は何のことだったのかな」
ぼーっとした頭で、夢の内容をもう一度思い出していた。
どうしても、女の子に言われたことが引っかかってしまうのだけれど、『忘れてないでしょうね』と言われても聞いた記憶がないのだった。
ふと時計を見ると、もう昼近い時間になっていた。
お正月なのでのんびりしていていいのだけれど、夢の言葉が気にかかる。慌てて身支度を調え、リビングへと向かった。
リビングには、そこにはすでに尚の姿があった。黒縁の眼鏡に、白いシャツ。いつもの尚らしい服装だ。髪型が変になっていないので、いつもより少し爽やかに見える。
「おはよう、楓さん」
尚が優しい笑顔で楓を出迎える。
「お、おはよう……」
いつもならにこやかに返す楓だが、今日はどこか上の空だ。
食卓に着くと、台所で作業する母・由香の後ろ姿が目に入った。
「お母さん、具合は大丈夫?」
昨夜、急に体調を崩した由香のことが気がかりだった。
尚もきっと由香のことを案じているのだろう。だからさりげなくリビングに居続け、本を読んでいるのだと楓は察した。
「うん、今朝は大丈夫よ」
由香は笑顔を作りながら、楓にお雑煮を差し出した。
「そう。よかった。それじゃあ、いただきます」
楓はそう答えたが、由香はどこか無理をして笑顔を作っているという印象を受けてしまう。
疲れているのだろうか、それとも痛みがあるのだろうか。そんな心配をしながら、楓はおもちを頬張るのだった。
食事を終えた楓はリビングへと歩き、ソファの尚の隣に座り、話しかける。
「なんだか楽しそうね」
尚はスマホを見ながら、時折クスクスと笑っている。
楓にはそれが気になってしかたなかった。普通の男子高校生ならよくある光景だろうけれど、尚がスマホをいじりながら笑っているのは珍しい気がしてしまう。
「うん、松木がね。ほら、クリスマスイブに綺麗なお姉さんに誘われたって言っていたじゃない?」
「ああ、松木くん」
誰だっただろうかと思ったけれど、髪が短くて元気な尚の友だちの顔をなんとか思い出していた。
「結局、ケーキ屋でケーキを売る手伝いをしただけらしくて」
「予想通りすぎるわ」
クリスマスイブの日に、真由美と美咲がきっとそうに違いないと言っていたのを思い出して、笑い声をあげる。
「お姉さんとも結局何もなかったらしくて嘆いていたら、小野寺がパーティ楽しかったよって写真をアップしてからかっている」
尚はそう言いながら、スマホの画面を見せてくれる。
チャット画面には、クリスマスイブの夜に、内藤家でのパーティの様子と駅でお別れした時なのだろうかイルミネーションをバックにした写真があがっていた。
どちらも小野寺は、真由美と美咲に挟まれている。後者にいたっては更に春日伶と麻衣の姿も映っている。
「小野寺くんは両手に花だね」
楓は、親友ふたりに挟まれている小野寺の写真を微笑ましく見ていた。
「『うらやましいいい』だって」
尚はちょっと松木の声に寄せながら、チャット画面を読み上げた。義兄の意外なテンションに楓は思わず吹き出して笑ってしまった。
二人でしばらくそんな話題で笑いながら会話を交わしたあとと、尚が立ち上がった。
「じゃあ、僕は部屋に戻ろうかな」
尚はちらりと由香の様子をみた。大丈夫そうだと判断し、楓もいるから何かあっても問題ないだろうと思ったようだった。
「えっ……」
楓は慌てて尚の袖を掴んだ。
「い、行かないでほしいの」
驚いている尚に対して、楓は思わずそんな言葉で引き止めた。
「う、うん」
立ち上がりかけた尚は、その場で足を止め、不思議そうに楓を見つめる。
「あっ、い、いやそういうんじゃないからね」
甘えてたい妹の言葉のように聞こえてしまったことに気づき、楓は慌てて釈明しようとする。
「大丈夫、変な勘違いなんかしていないよ」
尚は微笑みを浮かべながら、穏やかに答えた。
楓としては、もう少しどぎまぎしてくれてもいいのにと、すねたような気持ちにもなってしまう。
「それで? 何かあったの?」
尚は再び楓の隣に腰を下ろし、尋ねた。さっきよりも少し距離が近く、肩と肩が触れ合う。
「ええと、夢を見ただけなんだけれど……」
改めて説明しようとしても、言葉が上手く見つからない。
「初夢?」
「え、あ、ああ。そうね」
そう言われれば、楓は今年最初の夢だったことを思い出す。
「怖い夢だったとか?」
「いや、別に富士山の麓で、鷹となすびのお化けに追われていたとかじゃないからね」
尚は心配そうに楓の表情を探りながら聞いてくる。
優しく気遣う兄の姿勢は嬉しいが、夏にホラー映画を見た時の醜態を思い出し、楓は気恥ずかしくなる。
「それって縁起がいい夢なのかな?」
尚は、困惑したように考え込んだ。
「ごめん。今のは忘れて」
照れ隠しに変なことを言ってしまったと反省し、楓は落ち着こうとする。
全てをちゃんと話そう。そう決意する。
(この義兄なら真剣に聞いてくれるはず。多少は笑うかもしれないけど…。それに、あの『女の子』が忠告するのは尚くん絡みの時だし……)
一緒にいないと、尚に何かが起きるのではないかと考えた。
「少し前から夢に十歳くらいの女の子が出てきて、色々と忠告してくれるの」
意を決してゆっくりと話し出す。ただ、尚の顔を見ながら話すのは恥ずかしいのでソファーにまっすぐ座り前を見たままだった。
「十歳くらいの女の子?」
「多分、その頃の私なのかな……って思っている」
「ああ、なんとかの巫女さんだった頃の?」
「ぐっ、いや、あ、うん。まあ、そういうことなんだろうけれど……」
その女の子は何者なのだろうという尚の無邪気な問いかけに、楓は恥ずかしすぎてダメージを受けていた。
自分でもあの姿の女の子が忠告してくるのはそういうことなのかと、思うのだった。
顔から火が出そうだったけれど、めげずに今までの夢の話をする。
ただし、夢の中で尚が闇に落ちて復讐を遂げる場面などは話すのをためらい、ぼかして伝えた。
「それでね……今朝の忠告は、『尚くんとずっと一緒にいるのよ』だったの」
「なるほど……」
ちらりと横を見ると、笑ったりはしないけれど顎に手を当てて困惑している尚の表情が目に入った。
ぼかして伝えた部分が引っかかっているのかもしれない。
「つまり夏祭りにみんなで行こうと誘ってくれたのも、学園祭で一緒にキャンプファイヤーを見ようと言ってくれたのも、何か僕に悪いことが起きるかもしれないからそれを回避するためだったということ?」
かなりぼかしたのにも関わらず、尚はかなり正確に楓の考えていたことを言い当てていた。少し、そんな理由で誘われたことを残念そうに感じているようにも見える。
「あ、え、まあ、そんな感じ」
楓は何かフォローしようとか思ったけれど、何もいい言葉が思いつかずに曖昧に肯定していた。
「そうか……。妙に、僕のメイド服姿に熱心だなと思っていたんだよね。あれは、そうしないと僕に何か不幸なことが起きるから……」
「あ、いや。あれは、単に私が尚くんを馬鹿にされて悔しかったのと……私の趣味……」
半年以上一緒にいて、一番疑問に思ったのはそこなんだなと思うと楓は、更に恥ずかしい気持ちになり顔が赤くなってしまう。
「じゃあ、今日はずっと楓さんの側にいればいいのかな」
色々考えていたようだったけれど、尚は明るい笑顔でそう言った。
「え、あ、うん。そうしてくれると嬉しいかな」
普段はあまり表情を変えない義兄が見せる優しくも楽しそうな満面の笑みに、楓は不意打ちをくらってどきっとしてしまった。
もうこれ以上はないくらいに顔が真っ赤で熱いのは楓も自覚している。
だから、今の感情は何もばれていないと思う。
こんなところ母が見ていたら、またからかわれてしまうなと思うのだけれど、今日はなぜか台所からこちらを眺めて何かを言ってくる様子もない。
「あれ?」
横目で見ていた視線をはっきりと台所の方に向けた。
「お母さん……?」
姿が見えない由香を、兄妹は探し始める。
何かに気づいたように、尚はソファから飛び上がり、慌てて台所へと駆け寄る。
あとを追いかけた楓の目に飛び込んできたのは、頭を抱えてうずくまる由香の姿だった。
「どうしたの、お母さん?」
楓は少し離れた場所から、恐る恐る声をかける。
最初は、どこかにぶつけてしまって痛がっているのかもしれないと思っていた。
「大丈夫ですか、お義母さん」
尚は、うずくまる由香の背中に優しく手を回し、支えるようにする。
一瞬、由香は安堵したような表情を見せたが、すぐに辛そうな顔に戻ってしまう。
「頭が痛むんですか? どのような感じで?」
「周りから押されているみたいな……」
由香は、その言葉をひねり出すように答えた。その瞬間、尚の表情が一変し、険しいものになる。彼は慌てて楓の方を振り返った。
「楓さん、救急車を!」
「き、救急車?」
楓は、今までの人生で救急車を呼ぶことなど考えたこともなかった。交通事故とか大事故の時に呼ぶものだと思っていたので、呼んでいいものだろうかと、疑問に思ってしまう。
しかし、尚の真剣な表情に圧倒され、電話機に向かって歩き出す。だが、そもそも救急車の番号って何番だったろうかと、途方に暮れてしまう。
「楓さん。ソファにある僕のスマホとって!」
「は、はい」
大人しく言われるままに、ソファへと走り、スマホを持って尚に差し出すように跪いて渡した。
「もしもし! 救急車をお願いします」
片手で器用に電話をかけると、尚は冷静に症状や住所を伝える。
楓はただそんな尚と母の様子をじっと心配そうに見つめているだけしかできなかった。
やがて、救急車のサイレンが鳴り響き、カーテン越しに赤い光が点滅すると、由香は病院へと運ばれていった。
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