第23話 ふたりの奏でる夜想曲
「学園祭、楽しかった」
キャンプファイヤーの炎に視線を据えたまま、尚は柔らかな声で呟いた。
横顔を照らす炎の光は、尚の瞳で煌めいていてまるで星屑を散りばめたかのように楓には見えた。
「良かった。私、余計なことをしちゃったかなとずっと考えてた」
楓も膝を抱えながら、穏やかな笑みを浮かべながら頷いた。
「まあ、楓さんが余計なことをするのはいつものことだし……」
「え? いつも? いつもはしていないでしょ?」
ぼそりと言った尚の言葉に、楓は心外そうに抗議していた。
「あ、いや、冗談だよ。うん、そういつも助かっているよ」
「本当かなあ」
二人の笑顔に、本気の迷惑さや怒りの色はない。むしろ、こんな風に冗談を交えて笑い合えるようになったことを、互いに心から喜んでいた。
「私もね。久しぶりに、こんなに楽しいと思えたの」
「劇で王子さまをやってよかった?」
「そう。最初は、劇なんて興味ないし。人前に出たくないとか面倒くさいとか思っていたけれど、やってみたら楽しかった」
そう語りながら、楓は再びキャンプファイヤーへと視線を向ける。
「実は私、中学時代まではサッカー漬けの毎日だったの。本気で頑張っていたのよ」
「うん、前に聞いたことがあるよ」
ふと、こんな話をしてしまったことを後悔する楓。それでも、尚には一度知っておいてほしいと思い、言葉を紡ぎ続けた。
「でも、真由美と一緒に、怪我をしてしまって……」
楓の瞳が、かすかに翳る。いつもは凛として強さを感じさせる彼女だが、今はどこか儚げで、尚の胸を締め付けた。
「そうだったんだ」
「高校に入って、代表とか全国大会とかは無理でも楽しくできないかなと思っていたけれど、ちょっと無理みたい」
尚から見れば、いつも健康そうな印象の楓。でも時折、早足になった時などに脚を痛そうにする姿を、何度か目にしたことがあった。
珍しく落ち込んだ様子の楓を前に、尚は何か励ましの言葉をかけたいと思ったが、適切な言葉が見つからない。代わりに、そっと楓の頭を撫でてみる。
楓は目を大きく開けて、上の方に視線を向けた。
「そういうところ、お兄ちゃんだよね」
楓は顔を上げ、にんまりと尚に笑いかけた。
尚はつい、麻衣やさくらにしているのと同じような態度で接してしまったことに恥ずかしさを覚える。
ただ、楓も嫌がっている様子はなく、むしろ笑顔なので尚はほっと胸を撫で下ろすのだった。
「これからは、また没頭できる新しいことを見つけてみようかなって思うの」
そう微笑む楓の表情に、尚も自然と笑顔を湛える。
そんな、希望に満ちた空気を切り裂くように、不意に背後から声が響いた。
「そ・こ・で、お二人にお話があります」
振り返ると、そこに立っていたのは春日伶だった。
「えっ、何? 何でいるの?」
狼狽した様子で立ち上がった楓は、不満げに春日伶と向き合う。
ここは校庭で、他の生徒たちもまだ多く残っている。
だから、春日伶の存在自体は不思議ではなかった。
ただ、キャンプファイヤーから少し離れて座る男女二人組は、皆ほどよい間隔を保っている。そんないい雰囲気の良い空間に一人で割り込んでくる人がいるとは思いもしなかった。
(私たちはただの兄妹だけれど、兄妹だけれど、カップルではないけれど……)
楓は自分に恋愛感情はないと言い聞かせるように何度か呟いていた。でも、どこかちょっといい雰囲気だったところに割り込まれて不満そうだった。
「尚くんから、後夜祭には楓さんと参加するとお聞きしたので、探しておりました」
「えっ、あ、そ、そうなの……」
春日伶は少しとぼけたような口調だったけれど、ミステリアスな佇まいはそのままに、黒髪をなびかせている。
そういえば、尚が予定を聞かれたと言っていたのを思い出していた。
尚に予定があるから諦めたのかと思っていたけれど、まさか会いにくるつもりだとは思ってもみなかった。
「お二人を捜していたのです」
春日令はいつもどおりに穏やかな笑顔だったけれど、暗闇の中で赤い炎の光に照らされてちょっと怖い印象も受けてしまっていた。
兄妹なのに、みんなが集まっているキャンプファイヤー付近ではなく、こんな薄暗い場所でカップルみたいに座っているとは思いませんでした。
いや、春日伶は何も口にしていないのだけれど、楓にはそう非難されているように感じられて、嫌な気分が募っていた。
「ん? 二人を捜していたって? 尚くんと私のことを?」
「その通りです。お二人にお話ししたいことがあったのです」
驚きを隠せない楓に、伶はちょっと妖艶な微笑みを浮かべた。
(一体どういうつもりなの?)
本当に良い雰囲気を邪魔しにきただけなのだろうかと、楓は首を傾げる。
「ええ。来年の学園祭は、一緒に劇をいたしませんか?」
「劇……?」
唐突な伶の提案に、尚も楓も戸惑いを隠せない。
「お二人を見て、私のやりたいことができると思いました」
純粋に憧れてスカウトをしにきたような態度で伶は珍しく情熱的に語る。
そういえば、わざわざ自分の演劇を見に来ていたことを思い出す。
(もしかして、本当に私のことが気に入って誘いにきたのだろうか……)
あの程度の劇でと思うけれど、本当に自分に興味を持ってもらえたのなら悪い気はしない。
「え、いや、僕は、劇とか無理だから……じゃ、じゃあね」
尚はもうそのまま逃げ出すように去っていきそうな雰囲気だった。
「大丈夫です。楓さんがやっていたような劇じゃないですから、尚くんに無理なくできるように考えていますから」
逃さないとばかりに尚の手を掴みつつ伶はそう言った。
「詳しい話は、また明日ゆっくりしましょう。それじゃ、邪魔しちゃってごめんなさいね」
そう言い残すと、伶は小さく手を振り、颯爽と暗闇の中へと消えていった。
「一体何だったのかしら、あの人。別に今じゃなくてもよかったんじゃない?」
不満げな楓に、尚は思わず苦笑を浮かべる。
「でも、ほら、先に声をかけておかないとね。楓さんなら、明日には『演劇部に入ることにした』とか『茶道部に入ることにした』とか、いきなり言い出しそうだし」
「そんないきなりなんてこと……」
楓はそう言いながら、しばらく腕を組んで考える。
「いや、確かに私ならありえるわね……」
思いついたらすぐに行動に移すところは、自分でも認めざるを得ない。
尚が自分のことをよく理解してくれていることは、感心しつつも嬉しく感じる。だが、春日伶にもそう思われているのは、どこか釈然としない思いが残った。
ぶつぶつと呟く楓を、尚は優しい眼差しで見つめていた。
「ねえ、楓さん。帰る前に、ほんの少しだけでも、一緒に踊りに行こうよ」
そう言いながら、尚は立ち上がると、楓に手を差し出す。
「えっ……」
尚からの思いがけない誘いに、楓は驚きを隠せない。けれど、差し出された手に込められた思いを感じ取ったかのように、楓の表情が徐々に輝きを増していく。そして、するりとその手を取った。
キャンプファイヤーを囲むように、ちょうど皆で『マイムマイム』を踊り始めたところだった。尚と楓は、手をしっかりと繫ぎ、踊りの輪に加わっていく。
炎の影が揺らめく中、楓は尚の手から伝わる温もりを鮮明に感じていた。言葉では表現できない感情が、胸の奥でそっと芽吹いている。二人とも、今の関係性を明確に言い表すことはできないが、この瞬間が特別な時間であることを心に刻みながら、笑顔で踊り続けた。
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