第22話 学園祭の終わりに
今日は学園祭が一般公開される日だった。秋晴れの空の下、キャンパスは午前中から活気に溢れて、生徒たちも慌ただしい中にも笑みがこぼれていた。
尚たちのクラスが企画したメイド・執事カフェにも、学内外から多くの来客が訪れて賑わいを見せている。
金色のウィッグを揺らし、純白のホワイトブリムとエプロンドレスに身を包んだ尚は、絶え間なく訪れるお客様への接客に追われていた。内心では忙しさに圧倒されながらも、彼は優雅な所作でゆっくりと歩を進め、お客様のもとへと向かう。
「おかえりなさいませ、ご主人さま」
尚はこれまで、真由美の強い指導の元、ちゃんと接客をこなしてきた。
どうしても表情は若干硬く、少し怯えたような様子を見せていたけれど、それでも一生懸命に接客しようとする姿勢は客からは好評を博していた。
むしろミステリアスで無表情な少女が、自分だけに向ける特別な笑顔だと思い込む客も少なくなく、クラスの中でも一番熱心なファンを生み出していた。
「お、おかえりなさいま……せ。お嬢さま」
そんな中、お昼も近づいてきた時に現れたお客にちょっと接客を忘れてしまいそうなくらいに戸惑っていた。
尚が給仕するのは、義妹の麻衣とさくらだった。学園祭にくるとは聞いていたけれど、数年間一緒に暮らしてきた義妹たちを『お嬢さま』と呼び、接待するのはさすがに恥ずかしいらしく、尚の頬は薄く紅潮していた。
「お、おにいちゃん……」
麻衣はただ義兄の姿に見とれ、固まっていた。
「わー。おにいちゃん、すごい。可愛い。お姫様みたい!」
さくらは感激して、尚を褒めちぎる。可愛らしくフリルのついたエプロンドレスやホワイトブリムを身に着けた尚の姿に、心を奪われているようだ。
「いや、お姫様じゃなくて、メイドなんだけど……」
さくらの無邪気な賛辞に、尚は困惑しながらも、そっと訂正を入れるのだった。
「真由美のクラス大人気だね。私もお客として来たかったんだけど、これは無理かな……」
麻衣とさくらを店内まで案内した楓は、真由美と軽口を叩き合っていた。昨日よりも長い行列ができあがっているのを目の当たりにし、ちょっと立ち寄って尚の淹れる紅茶を味わおうと思っていたけれど、時間がかかってしまいそうなので諦めることにした。
「まあ、楓はおうちで接待してもらえばいいんじゃない?」
真由美のからかい交じりの一言に、楓は特に照れた様子もなく、静かにうなずく。
「そうだね」
義兄の魅力に皆が気づいてくれたことを、楓は心の底から喜んでいるようだった。そんな楓の嬉しそうな表情を見て、真由美はからかいがいのなさを感じながら、小さく肩をすくめるのだった。
「ん」
義妹たちの様子を、わずかに離れた場所から見守っていた楓は、ある異変に気づいた。
「麻衣ちゃん?」
興奮のあまり、今にも倒れてしまいそうな麻衣に、楓はそっと近づく。優しく背中に両手を添え、麻衣の体を支えた。
もちろん、尚もこの事態に気づいていた。彼は麻衣の肩に手を伸ばし、そっと抱きかかえようとする。
結果として、二人の顔は妙に近い位置で向き合うことになった。
(なんだか、麻衣ちゃんを取り合っているみたいね)
あまりの近さに思わず照れてしまう尚と楓。しかも、今は二人とも普段とは異なる衣装に身を包んでいる。周囲の目にはどのように映っているのだろうか。そんな思いが、いつもは周囲の反応などあまり気にしない楓の心をかすめた。
「はっ! はあ、お兄ちゃん? 楓お姉ちゃん?」
意識を取り戻した麻衣だったが、尚と楓にほとんど密着するように挟まれた状況に、再び興奮が高まりそうになっていた。
「尚くん。はい。ちょっと離れて」
麻衣が何故ふらついていたのか全く分かっていないように見える尚に対し、楓は冷ややかな声で手を振り、尚を麻衣から遠ざけた。心配そうな尚の視線には一切応えず、楓は麻衣の背中を支えながら、そっと椅子に座らせる。
「楓お姉ちゃん、ありがとう。も、もう、だ、大丈夫だから」
麻衣は、大げさな反応に恥ずかしさを感じたのか、椅子に腰を下ろしながら、顔を赤くして振り返った。
「ん。じゃあ、接客をお願いします」
麻衣の無事を確認した楓は、1メートル先でおろおろとたたずむメイド服姿の尚に向かって、そう告げた。
「はい。では、お嬢様。ご注文はお決まりですか?」
接客を受けながら、さくらは楓の姿にも憧れの目で見上げていた。
「楓お姉ちゃんは、本物の王子様みたい!」
まだ演劇の時間までは時間があるので、楓はまだきちっとした舞台の衣装ではなく中途半端な状態だった。それでも王冠やマントを身に着けていなくても、さくらには眩しい王子様の姿に見えているらしい。
目を輝かせて告げるさくらの言葉に、尚と楓は内心で小さな女の子の中に、変わった性癖が芽生えてしまわないかと危惧するのだった。
傾きはじめた秋の日差しに照らされた校舎に、学園祭の喧騒の余韻がまだ残っていた。色とりどりの装飾が風に揺れ徐々に片付けられていく。やりとげた生徒たちの笑顔が辺りを明るく彩っている。そんな中、いつもの制服姿に戻った楓は、教室の前で尚を待っていた。
廊下に溢れていた人影が少なくなると、楓の前に見慣れた眼鏡姿の尚が現れた。
(魔法がとけてしまったみたい)
楓の脳裏にそんな言葉が浮かぶ。
さきほどまでの誰もが振り返る美少女から、いかにも平凡な男子高校生といった格好に戻ってしまった尚だった。
(でも、この方がほっとするかも)
楓は自分で尚を目立たせるために頑張ったのにも関わらず、今はこの姿を見て目を細めるのだった。
「おまたせ」
尚が声をかけると、楓は優しい笑顔で応える。
「ううん。ありがとうね。にいさん」
周囲にも聞こえるくらいに『にいさん』という言葉を強調しながら、楓は小さく手を振って尚を出迎えた。気負わないその仕草は、本当の兄妹のようだった。
「誰? 誰なの?」
「内藤さんのお兄さんらしいよ」
他の男子からのお誘いをすべて断り、尚を待ち続けていた楓の態度に、クラスメイトたちは好奇心を隠しきれない様子で、教室の中から二人の様子をうかがっていた。
「なんだ。お兄さんか」
「昨日、見に来てくれていたかわいいメイドさんらしいよ」
「あれ? でも1年生? 双子なの? あまり似てないね」
そんな彼らの間で、ひそひそとでも熱い会話が交わされる。
(そういえば、血の繫がらない兄と暮らしているっていう噂が……)
「わー。そうなんだ。すごい。ドラマみたい」
尚のことを知らないクラスメイトたちは、次々と憶測を巡らせていく。本当の兄妹だと勘違いして安心する男子、血の繫がりがないという噂にもやもやする男子、そんな二人を応援する女子。反応はそれぞれに異なっていたが、楓はそんな周囲の視線など気にも留めない。颯爽と尚に歩み寄ると、柔らかな微笑みを浮かべて一緒に歩き出すのだった。
「麻衣ちゃんとさくらちゃんは、ちゃんと案内できた?」
楓が尋ねると、尚はうなずく。
「うん。午後からは一緒に回れたよ。満喫してた」
穏やかな会話を交わしながら、二人は人々の視線から離れ、ゆっくりと教室を後にしていった。その関係性に、周囲の人々は憧れと好奇心を抱かずにはいられなかった。けれど尚と楓は、そんな周囲の反応には頓着せず、決して無理をしているわけではなく、ただ静かに寄り添っている。
二人は静かに並んで歩いて、やがて校庭に出た。
「せっかくだし、いちおう、後夜祭に参加しておこうよ」
『いちおう』を強調しつつ、楓が提案する。
「アリバイ作りってことだね。いいよ」
尚は頷いた。
男子からの過剰なお誘いを回避するという名目で、尚は楓を迎えに行ったのだった。その目的は既に達成されているだから、そのまま家路についても良い……のだけれど、二人の心には名残惜しさが残っていて、もう少しだけ楽しかった学園祭の雰囲気に浸りたいという思いが芽生えていた。そんな想いに導かれるように、二人は校門へは向かわなかった。
校庭の中央では、キャンプファイヤーが存在感を誇示するかのように、勢いよく燃え上がっていた。尚と楓は、特に相談するでもなく、鮮やかな炎と賑やかな生徒たちから少し離れた芝生に腰を下ろした。ゆらゆらと揺れる炎を見つめながら、二人の間には心地よい沈黙が流れる。
その静寂を破るように、ふと楓が口を開いた。
「今日は付き合ってくれて、ありがとうね」
その言葉に、尚の唇には優しい微笑みが浮かぶ。
「大変そうだったからね。役に立てたのならよかった」
先ほど目撃したクラスメイト、特に男子たちの反応を思い出しながら、尚は思わず同情の言葉を漏らしていた。一部の男子は、敵意を隠そうともせず、あからさまな嫉妬の眼差しを向けてきたのだ。そんな彼らの態度に、尚は自分自身の身の安全すら脅かされているように感じるほどだった。
けれど同時に、彼らの灼熱の視線からは、何としてでも楓を独占したいという強烈な欲望も感じ取れた。たとえ妬まれることになろうとも、楓を守ることができたのなら、それで良かったのだと尚は心の中で呟く。
(でも、これは僕が嫉妬して独占したいということなのかな……)
尚は、自分の中に芽生えた、今までにあまり経験したことのない感情に戸惑いを覚えていた。
炎の揺らめきに照らされた楓の横顔を、眺めて改めて綺麗だと思うのだった。
楓の方は並んで歩きながら、ふと、楓の頭の中に、朝方見た夢の中での出来事がよみがえる。不思議な女の子が口にした言葉が、鮮明に蘇ってくるのだった。
(『後夜祭、尚くんと一緒に行ってもらわないと、私が困っちゃうんだけど』って言っていた……)
夢の中の言葉だとは思いながらも、その言葉に導かれるように、楓は尚に問いかける。手の甲に顎を乗せ、優しく微笑みながら尚の方へと顔を向ける。
「ねえ、尚くんは後夜祭に誰かに誘われたりしたの?」
「え? さ、誘われはしてないかな」
尚は戸惑いを隠せない様子で答える。
「そう? あんなに大人気だったのに」
尚の「誘われ『は』」という言葉選びが、楓が引っかかる。それに、尚の瞳が僅かに揺れ動いているのが分かってしまう。
(嘘はつけない性格なのよね)
一緒に暮らし始めてから半年。楓は徐々に尚のそんな仕草の意味を読み取れるようになっていた。思わず嫌味を込めた言葉が口をついて出る。
「そ、そんな楓さんとかとは違うよ。メイド姿が面白かっただけだろうし……」
と尚は言い訳するように呟く。
「ふうん」
楓は冷静に受け止めた。それだけでは、あれほど誘われるはずがないだろうと思うのだけれど、それは一旦、今は何も言わないことにした。
「……でも、予定は聞かれた……かな」
楓の鋭い眼差しに耐えかねたのか、尚は自ら話し始めた。
「……春日伶さんに?」
楓は静かに、しかし確実に質問を重ねていく。
「う、うん。そうなんだ」
尚は動揺を隠しきれない。なぜ楓が春日伶だと断言してその名を口にしたのか、その理由が分からずに戸惑っていた。でも、楓からすれば、そんなことをするのは春日さんしかいないだろうと笑っていた。
仮に尚に告白しようとする女子がいたとして、そんな娘たちを少し牽制する気があったのだと楓は思っている。
(春日さんは、本気なのかな……?)
楓には、まだ春日伶という人がよく分からなかった。尚に好意を寄せているのは間違いないだろう。でも、尚のことが好き好きでどうしても恋人になりたいという感じでもない。
(でも、私も同じようなものかな……)
ふと、自分と春日伶の間に共通点を感じる。だからと言って、それを喜ぶことはできない。今、尚の隣にいるのが春日伶だったらと想像すると、楓の心は晴れない雲に覆われるのだった。
夢の中で少女に言われたことを思い出し、勇気を出して尚を後夜祭に誘ってみて本当に良かったと、楓は心の中で喜びを感じていた。
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