第19話 秋の計画

 夏休みが終わり、いつものファミレスに楓、美咲、真由美の3人が集まっていた。木漏れ日が差し込む店内は、秋の訪れを感じさせる穏やかな雰囲気に包まれている。

 美咲は、夏休みの思い出に浸りながら、ストローでオレンジジュースをすする。元々は色白な肌なのだが、今はサッカー部の活動で日焼けした肌が、健康的な輝きを放っている。

 

「あー。夏休みの部活は大変だったわ」

 

 美咲が溜め息交じりに言う。だが、すぐに表情が明るくなった。

 

「でも、充実してた。夏祭りもよかったよお。楓のお義兄さんやお友達とまた遊びたいな」

 

 楓は、美咲の言葉にどう返事していいか分からずに柔らかく微笑む。真由美は、艶やかな黒髪を耳にかけながら、口を開いた。

 

「そういえば、うちの学校は来月には学園祭があるから遊びに来たら」

 

 その言葉に、美咲の瞳が輝く。興味津々な様子で身を乗り出し、2人に問いかける。

 

「そうなんだ。え、2人は何をするの?」

「私のクラスは劇をするらしいわ。私は裏方だけど」

 

 楓は、あまり乗り気ではなさそうに答える。金色の髪をかき上げながら、投げやりな口調で言った。

 一方、真由美は目を細めて楽しそうに告げる。

 

「私たちのクラスは、メイド兼執事喫茶をするの」

 

 美咲は、一瞬驚いた様子を見せるが、すぐに肩をすくめた。

 

「よくあるやつだね。でも、真由美のメイド姿は見てみたい!」

「残念ながら、男女逆転喫茶なのよ。男子がメイドで、女子が執事なの」

「へえ。まあ、それも学園祭で割とよくありそうな企画だよね」

 

 美咲は真由美の説明に、一度はあまり興味なさそうにまたオレンジジュースをすすった。

 

「うーん。執事姿で接客されてみたいけれど、でもやっぱり真由美のメイド服姿を見てみたかった……」

 

 悔しそうにそう言いながらも、美咲はふと気がついて身を乗り出した。

 

「待って! ってことは、お義兄さんたちがメイド姿になるってこと?」

 

 その言葉に、楓も驚きを隠せない。思わず、義兄である尚のメイド姿を想像してしまう。

 

(え、いや……尚くんはしないよね……ちょっと見てみたい気もするけれど……)

 

 家のソファで隣に腰掛けて、間近で見る尚の顔は案外整っていると思っていたところだった。

 そんな楓の心の声とは裏腹に、真由美は得意げに言う。

 

「うん。クラスのみんなですることになっているから、尚くんも、松木も小野寺もするよ」

「そうなんだ」

「わあ。まあ、松木はどうでもいいけど」

 

 ちょっとした驚きとともに3人の会話は弾み、学園祭への期待が高まっていた。特に美咲は絶対に行くと力強く宣言していた。



 「真由美ー。マスキングテープと仮止めクリップを持ってない?」

 

 後日、楓は真由美のクラスを訪れていた。

 真由美は、メイド服の作成をしていた手を止めて、親友を見上げた。楓はジャージ姿なのに、頭に変な飾り物を乗せて、肩にはショールを羽織っていた。

 

「楓? うん、あるけれど、何、その格好?」

「うちのクラスの劇。主役の子が怪我しちゃって、しばらく代わりに練習に付き合うことになっちゃった」

「出るの嫌がっていたのにね」

「練習の時だけの代理だよ。主役の子の怪我が治ったら、裏方に戻るよ」

 

 その割に練習にも気合いが入っているなと真由美は笑みを浮かべる。

 目立つ容姿から表にでるのを嫌がっていたけれど、一度クラスで練習を始めたら絶対に成功させてみせると引っ張る側になっているのが想像できた。


「怪我なら仕方ないよね」

「うん、仕方がない」

 

 過去に大きな怪我を経験した2人は、お互いにだけが分かる空気を出しつつ、目を見交わし、頷き合った。

 真由美は仮止めのクリップを見つけ出し、楓の頭飾りを留めてあげた。

 真由美が世話をしている間、楓は静かに立っていたが、真由美のクラス。つまり1組の女子生徒たちの会話が耳に入ってきていた。

 

「面倒くさーい。メイド服、買って終わりってわけにはいかないのかー」

「うちのクラス。無駄にでかいのが多いからね」

「なんでうちらが男子の服を直してあげないといけないんだ」

 

 不満をこぼしながらも、メイド服を眺め、触ることは楽しんでいる女子たちが賑やかにしていた。

 

「でも、あまりうちらの男子のメイド姿なんて期待できないよね」

「ねー。2組の男子だったらなあ」

「そうそう。うちのクラスだとマシなのは、小野寺君くらいだよ。あとは……ちょっと汚い感じ?」

 

 男子生徒への辛辣な評価に、楓は思わず眉をひそめる。

 何も言わなかったけれど、尚も馬鹿にされて何かスイッチが入ってしまったようだと真由美は楓の髪をいじりながら感じていた。

 

(まあ、面白くなりそうだし、うちのクラスには得になりそうだし)

 

 真由美は、このまま楓の好きにさせることにした。


 

 

 家に帰ると、楓は尚に向かって宣言した。

 

「学園祭当日は、私がメイクするから」

 

 唐突な申し出に、いつものようにリビングで読書をしていた尚は戸惑いの表情を浮かべる。

 

「え? 何の話? な、なんで?」

「だって、尚くんのクラスの子が、うちらの男子のメイド姿に期待できないなんて言ってたのよ」

 

 楓は、真由美に聞いた教室の会話を思い出し、憤慨した様子で言葉を続ける。

 

「い、いや……それは事実だし……」

「私の義兄さんを馬鹿にされて、そのままでいるわけにはいかないわ。見返してやるのよ」

 

 悔しそうなその言葉に、尚は驚きを隠せない。

 

「え、別にいいんだけれど……」

 

 尚には、楓がなぜ自分のことでそこまで悔しがるのか、理解できずにいた。

 楓は、尚の戸惑った表情を見て、小さくため息をつく。

 

「尚くんは、ちゃんとおしゃれすればそれなりに良い素材だと思うのよ。真由美にも言われたし」

 

 そう言って、楓は尚の肩に手を置いた。尚は、そんな風に言われるのが照れくさいのか、視線を逸らしてしまう。

 

「いや僕は、クラスの女の子の評判とか……いいから、目立ちたくもないし……」

 

 尚の及び腰な態度に、楓は少し不満げな表情を浮かべる。

 

「尚くんには、もっと自信を持って欲しいの。私が全力でサポートするから」

 

 楓の真剣な眼差しに、尚もよく分からないながらも本気なのだと受け止めていた。

 

(そんなに自信なさげかなあ。まあ、そうか……。そこまで後押ししてくれるというなら……)

 

 そう思うと、尚の心に温かいものが広がっていく。

 

「わかった。楓さんがそこまで言うなら、よろしくお願いします」

 

 尚の言葉に、楓の表情が一気に明るくなる。

 

「本当? よーし。任せて、日本一かわいいメイドさんにしてみせるから」

「え、いや、そこまではしなくていいから」

 

 尚はお願いしてしまったことをちょっと後悔するのだった。



 学園祭当日、まだ朝早いのにもかかわらずキャンパスには、期待に胸を躍らせた学生たちの姿が溢れている。

 尚や真由美の教室では、生徒たちがメイド・執事喫茶の準備に追われていた。真っ白いエプロンを身につけ、テーブルクロスをひろげる。食器は朝日に照らされ、キラキラと輝きを放っている。


 学校中が色鮮やかな飾り付けに包まれ、学生たちの装いも普段とは違う華やかさを纏っている。

 いつもは目立つ容姿の楓も、今日ばかりは特別な派手さを感じさせない。

 尚も真由美も、きっとそんな印象だろうと楓は思っていた。

 しかし、教室のドアが開き、楓が入ってきた瞬間、その予想は見事に裏切られる。

 そこに現れたのは、誰よりも眩しく輝く存在。まるで、本物の王子様が教室に舞い降りたかのようだった。

 真っ赤なマントが優雅にひらめき、肩のエポーレットは本格的な作りで、歩くたびに美しく揺れる。頭に乗せた小さな王冠は、凛々しさの中に可愛らしさも感じさせた。

 

「わあ……」

 

 クラスメイト、今日に限っては特に女子たちから感嘆のため息が漏れる。その眼差しは、今にも楓の前に跪きそうなほどの憧れに満ちていた。

 楓は、いつも通りに尚と真由美に挨拶をしようと口を開く。

 

「ごめん。おまたせ」

 

 その言葉は、義兄と親友への何気ない一言のつもりだった。けれど、他のクラスメイトには、まるで優しい王子様が庶民に話しかけてくれたかのように感じられたのだ。

 教室中に、ときめきの波が広がっていく。生徒たちは、眩しすぎる楓の姿に見とれ、言葉を失っていた。

 

「え、あ、結局、主役をやるんだね」

 

 真由美だけが、見慣れているのか、クラスの女子の中で一人冷静に反応していた。

 

「楓さん。忙しいのに、悪いよ」

 

 尚は、自分のメイクなんてどうでもいいから演劇を頑張って欲しいと願ったけれど、楓は引き下がらない。

 

「約束だからね。尚くんを人気ナンバーワンのメイドにしてみせるよ」

 

 ウィンクをしながら、楓はやる気十分な姿勢を見せる。こうなった時の楓は何を言っても無駄なのだということは、尚も真由美もよく分かっている。

 

「……分かった。じゃあ、よろしくお願いします」

 

 別に人気のメイドになりたいわけではないと思いながらも、お願いをする。

 

「任せて! まあ、下準備は家でしてきたんだけれどね」

 

 楓は、主に真由美に向けてそう解説していた。2人はよくメイクの話をしているのか、元々分かっていたかのように頷いていた。

 

「じゃあ、ちょっと奥を借りるね」

 

 尚は、何をされようとしているのか理解できないまま、ただ楓の指示に従っていた。

 メイド服に身を包んだ少年が椅子に腰掛け、その前に王子様のような衣装をまとった美少女が片膝をついている。2人の間には、特別な空気が流れていた。

 美少女は、優しくメイクブラシを少年の肌に滑らせる。その仕草は、まるで大切な人に触れるかのように、慈しみに満ちていた。少年は、微かに震える瞳で美少女を見つめ、言葉なく唇を開く。

 周囲のクラスメイトたちも、同じように準備に勤しんでいるはずだった。けれど、尚と楓から醸し出される独特の雰囲気に、誰もが思わず見入ってしまう。まるで、日常とは異なる世界に迷い込んでしまったかのようだった。

 特に、楓が尚の唇に口紅を塗り始めるとクラスメイトたちは、どきりとして息を吞んで2人を見つめる。自分たちの手元から、作業道具が静かに滑り落ちていくのも気づかないほどに。それは、禁断の行為を目撃してしまったかのようだった。

 鮮やかな紅が、尚の唇に花開く。震えるまつ毛の下、潤んだ瞳が楓を見上げる。その眼差しには、憧れと戸惑いが入り混じっていた。

 ざわめきが、教室に広がっていく。けれど、尚と楓には何も聞こえていないかのようだった。2人だけの世界に、すっぽりと包まれてしまったかのようだった。


 「よし。完成!」


 メイクが終わり、ウィッグとホワイトブリムを尚の頭につけると楓が立ち上がる。

 かくして、学園祭当日。楓にメイクされた尚は、単にメイド服を着ただけの、冴えない少年から、ほんの十数分で完璧な美少女メイドに変身していた。

 白を基調としたメイド服に身を包み、金色の髪にはホワイトブリムが飾られている。丁寧に施されたメイクが、尚の柔和な表情を引き立てていた。

 美しく生まれ変わった尚に、クラスメイトたちは釘付けになる。小さなどよめきが教室に響き渡り、尚の姿は瞬く間に話題となった。

 尚のメイド姿を見て、真由美は驚きと喜びの声を上げる。


「うわ。メイクってすごい」

 尚は鏡に映る喉仏さえみなければ、本当に可愛らしい少女にしか見えない自分に驚いていた。

 

「わー。尚くん、すごい! 可愛すぎる!」

「でしょ? 真由美が言ったように良い素材なのよ」

 

 楓は勝ち誇った顔で、自分の技術以上に義兄を自慢していた。

 他の女子たちも同じように驚きながら歓喜の声をあげていたけれど、尚のことは普段あまり気にしたこともなく、話したこともないため真由美の後ろから頷くだけな人がほとんどだった。

 クラスの女子の中で、ただ一人、勝ち誇るような表情の楓に物怖じすることなく尚に近づいたのは、春日伶だった。

 

「あら、とても可愛らしいですね」

 

 伶の口から、優雅な言葉が紡ぎ出される。その声音は、まるで上品な貴族の令嬢のようだ。

 伶の褒め言葉に、尚は微かに頬を赤らめる。

 

「あ、ありがとうございます。春日さんもとてもお似合いですよ」

 

 尚の言葉通り、執事服に身を包んだ伶の姿は、まさに完璧の一言だった。

 漆黒の髪をアップにまとめたので色白な顔が目立ち、スーツの上着とパンツのラインが、伶の細身の体をより一層引き立てている。

 伶の男装姿は、普段からのミステリアスな雰囲気とあいまって、教室中の視線を集めていた。女子生徒たちは、その美しさと格好良さに見とれ、男子生徒たちは、男装の中にも隠しきれない豊かな胸の膨らみにどきりとするのだった。

 けれど、そんな周囲の反応など意に介さず、伶は尚に歩み寄る。

 

「私の家にも、尚くんのような可憐なメイドがいてお世話をしていただけたら毎日が楽しそうなのですが……」

 

 伶の瞳に、いたずらな輝きが灯る。長い睫毛に縁取られたその眼差しは、まるで尚を誘惑しているかのようだ。

 その言葉に、尚はどぎまぎとしてしまう。

 

「え、あの……」

 

 尚の反応を面白がるように、伶は小さく微笑んだ。

 

「冗談ですよ。でも、尚くんのメイド姿、本当に素敵ですから、一緒に接客を頑張りましょうね」

 

 そう言って、伶は尚の肩に手を置く。指先から伝わる体温に、尚は思わず息を吞んだ。

 その様子を、すぐ側で楓が見つめていた。

 

(怖い目してる……)

 

 真由美は、何も口を挟まなかったけれど冷や汗をかいていた。

 楓、本人も無意識なのだろうけれど、2人の間に漂う、特別な雰囲気が面白くないのは間違いがなさそうだった。

 

「それじゃあ、私は自分のクラスに戻るわね。尚くん、頑張ってね」

 

 楓は、慌ただしさを装いながら、その場を立ち去ろうとする。

 

「うん。楓さんも演劇、頑張ってね。忙しいのに、本当にありがとう」

 

 尚は、柔らかな笑顔で手を振る。いつもの優しさなのに、メイド姿から放たれるその笑顔は、まるで天使のようで。楓の胸を、甘く切ない思いが駆け巡る。

 

「楓さん、ありがとうございます。私たちも、必ず楓さんの劇を見に行きますね」

 

 伶も、尚の隣に立ちながら、そう約束した。

 

「あ、ありがとう……」

 

 『私たち』という言葉に、楓は微かな違和感を覚える。けれど、2人の優しさに心を打たれ、素直に喜びの言葉を口にした。

 優美な王子の衣装をまとった楓は、最後にもう一度手を振ると、長いマントを風にひるがえしながら教室を後にした。

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