第18話 義兄妹の真夏の過ごし方

 強い日の光が庭の木々の間から縁側に差し込む穏やかな午後のひととき、楓は、尚と一緒に馬場家を訪れていた。

 いつもの麻衣の勉強を見てあげる会のためだった。


 「じゃあ、次は尚くんが見てあげる番ね」

 

 社会の勉強が終わり楓は微笑みを浮かべながら麻衣に声をかけると、静かに立ち上がった。入れ替わるように尚が楓の座っていた座布団の上に座り直す。


 「楓お姉ちゃん、ありがとう」

 

 麻衣の言葉に、楓は小さく頷いて障子を開けた。きらめく陽光が室内を優しく照らす。外の景色は夏の盛りを感じさせる鮮やかな緑に彩られている。

 

「じゃあ、数学をみっちりやるぞ」

「ひ、ひい。お兄ちゃん、よろしくお願いします」

 

 振り返ると尚のスパルタな指導ぶりに対して、怖がりながらもどこか嬉しそうな麻衣の表情。その姿に楓はほっこりとした気持ちになる。

 そんな光景を見ながら、楓はゆっくりと部屋を後にした。


 縁側を歩きながら、楓は大輝とさくらの声に気づいた。小さな手を振って、楓を呼ぶ二人。楓は嬉しそうに駆け寄ると、二人の手を取った。


 「楓お姉ちゃん、一緒に遊んで!」

 

 はしゃぐ大輝とさくらに、楓は元気よく頷いた。


 「よし、今日はお姉ちゃんと思いっきり遊ぼう!」

 

 夏の日差しの中、三人は庭を駆け回った。元気いっぱいにボールを追いかけ、虫取りに興じる。楓もすっかり子供に戻ったような無邪気な笑顔を見せている。

 ひと遊びして、楓たちは縁側に腰を下ろした。冷たいアイスを頬張りながら、木陰のひんやりとした風を感じる。


 「ねえ、尚お兄ちゃんとは夏休みはどんな風に過ごしていたの?」

 

 楓が不意に尋ねると、大輝とさくらは目を輝かせて答えた。


「虫取りに行ったり、プールに行ったり。遊んでくれたよ。楽しいよ!」

「プール……ね。 この辺でプールってどこに行くの?」

 

 楓の疑問にさくらが答えてくれる。

 

「駅のすぐそばの大きい公園の中にあるプールです」

「ああ、あの昔からある市民プールね」

 

 地味なプールを思い出して、あまりあそこでは女子高生としてはときめかないなあと楓は内心で失礼なことを思っていた。

 

(でも、海とかおしゃれなプールに尚くんを誘うのはちょっと違うと言うか、勇気がいるというか)

 

 少しずつ壁がなくなってきた気はするけれど、それでも改まって海に行くのを自分で誘うのはハードルが高かった。それにそういった仲の良さを求めていないんだと自分に少し言い訳をしながら、大輝とさくらを連れて行くときに着いていくかどうしようかと悩んでいた。


「あとね、夜は一緒にお部屋でDVDを見たりもするよ」

 

 楓が悶々としながら悩んでいるとさくらが嬉しそうに付け加えた。

 

「へえ。映画とか見るのね」

 

 兄弟でくつろぎながら映画鑑賞。兄弟のいなかった楓にとっては未知の体験だ。

 DVDを再生するような機械も内藤家にはなく、いつもタブレットを一人で持って動画を見ていた記憶しかないので、それだけのことでも少し憧れてしまう。

 

 「尚兄ちゃんはどんな映画が好きなの?」

 

 楓が興味深そうに聞くと、二人は首を傾げた。


「激強戦隊ツヨインジャー!」

「それは、大輝が見たいものに、尚お兄ちゃんが付き合ってくれているだけでしょ」

 

 元気な大輝の言葉に、さくらが冷静につっこんでいた。

 大輝はそんなことないとさくらに抗議するけれど、どうやら尚はいつも大輝やさくらの見たいものに合わせてあげているようだった。

 

(いいお兄ちゃんだなあ)

 

 楓は尚の優しさを感じずにはいられなかった。


 「でもね、麻衣お姉ちゃんとはホラー映画を見てることもあるんですよ」

 

 さくらがひそひそ声で教えてくれた。


 「ぼくたちはまだ早いって、見せてくれないんだ」

 

 ちょっと不満げな大輝。その言葉に楓は小さく息をのんだ。ホラー映画。楓には無縁のジャンルだ。でも、尚と一緒に見るのは楽しそうだと感じていた。

 大輝とさくらから聞いた尚との思い出話。楓もいつか、尚と同じように過ごせたらいいな。心の中でそっとつぶやく。

 夏の日差しは優しく、風はここちよい。楓は尚との新しい思い出を、そっと夢見ていた。







 夕暮れ時になり、楓は尚と一緒に内藤家に帰ってきた。

 駅から家までの道もゆっくりと歩きながら、まだまだぎこちなさはあるけれど、比較的楽しく自然に会話ができている気がしていて良い一日だったと満足していた。

 

 家に入る時、楓は今日、馬場家で聞いた話をふと思い出す。

 

 「ねえ、尚くん。今日は一緒にホラー映画を見ない?」

 

 リビングに着くなり、楓は尚に提案した。きらきらと瞳を輝かせ、まるで子供のようにはしゃいでいる。


 「ほ、ホラー?」

 

 尚の反応は、あまり乗り気ではなさそうだ。どうやら、ホラー好きというわけではないらしい。少し眉をひそめ、困ったような表情を浮かべている。

 

「あれ? 好きだって聞いたんだけど」

「まあ、結果的に楽しいのもあったけれど、僕自身はあまり好きなわけじゃないっていうか……」

「麻衣ちゃんの趣味ってことかな」

「うーん。そうだね。結構、怖がっていたけれど」

 

 (麻衣ちゃんの作戦だったのかな……)

 

 想像していたのと違う義兄の反応に、色々と情報を整理する。どうも尚は、麻衣に強引に押し切られて一緒に見ることになったらしく、ちょっと可愛そうになった。

 

「でも、麻衣ちゃんとは、見ているんだから私とも一緒に見るべきだと思う」

「えっ、いや、まあ……うん。いいけれど」

 

 義兄のことが可愛そうだとは思ったけれど、一度、楽しそうだと想像してしまった以上はやりたい気持ちが勝ってしまう。

 自分も強引に押し切ることにして、動画鑑賞のためにジュースとお菓子を準備してソファーに腰掛ける。

 よく考えれば、ソファーに並んで座って何かを見るのさえはじめてで少し緊張してしまう。

 これに関しては、尚の方が慣れているのかあまり気にしていないみたいで、意識してしまった楓の方が悔しい気分になってしまった。

 

「DVDは再生する機械がないから、配信サイトでいいよね」

「うん。便利な時代になったものだね」

 

 おじいちゃんみたいな感想を言う尚に笑ってしまう。

 楓はテレビで配信サイトを開き、慎重にタイトルを選んだ。リモコンを動かす手が、わずかに緊張している。

 

「これとかそれとか見てた」

 

 尚が指さして教えてくれるけれど、楓は変なしかめっ面になってしまう。

 

「ゾンビに……鮫?」

「結構、面白かったよ」

「食べられて、血がいっぱい飛ぶのはちょっと……」

 

 サムネイルがかなりどぎつく圧迫感があり楓は選ぶのをためらってしまう。

 

「そうなの? 麻衣は女の子は血に慣れてるから平気って言っていたんだけれど」

「ひ、人によるんじゃないかな」

 

 楓は怯えながら言った。

 

(多分、麻衣ちゃんも、尚くんと一緒に見たくて無理してそんな言い訳をした気がする……)

 

 本当に大丈夫だった可能性はあるけれど、きっと強がったのだろうと思った。

 

「これがいいかな。ちょっと落ち着いていそうだし」

 

 落ち着いたサムネイルの作品に、カーソルをあわせる。

 現代の日本が舞台らしい背景で、顔ははっきりとは見えないけれど白いワンピースの女の子が物悲しそうだったけれど綺麗だった。その女の子を探しているらしい二十代の女性の二人が写っている画像だった。

 日本のマンションの一室で不思議なことが起きて、過去で起きた事件を探っているうちにこれから起きる大事件に気がついてしまう。

 そんなちょっとミステリー風味な紹介文に楓は、これならいけそうと思っていた。

 

「ランキングでも人気だったみたいだし、これくらいがいいよね」

「うん。僕はそれでいいよ」

 

 先ほど見たホラー映画全体でのランキングでも上位だった。きっと広く見られている作品ならそれほど怖くはないだろうと楓はたかをくくっていた。

 もちろん、それが間違いだったということはこのあと嫌と言うほど分かってしまうのだった。


 映画が始まった当初は、楓も余裕だった。背筋を伸ばし、少し得意げな表情を浮かべている。

 

 (麻衣ちゃんは、吊り橋効果みたいなのを狙ってホラー映画を一緒に見てたのかな)

 

 少しどきどきするシーンが増えるにつれてそんなふうに分析しつつ、ちらりと横目で義兄の様子を窺う余裕があった。でも、中盤からは無意識のうちに尚の服の袖を掴み、終盤には腕自体を掴み、寄り添っていた。

 楓は、尚の腕に頬を寄せると、不思議な安心感を覚え、しばらくそのままで顔を傾けていた。


 ただ一瞬、腕が硬直したように感じた。

 楓は、尚の横顔を少し見上げながらじっと観察した。

 

(泣いているのかな?)

 

 画面の中では、主人公が幽霊の少女の悲しい過去を知るシーンが流れている。映画的には特に盛り上がって怖い場面ではないけれど、悲しい再現シーンが展開されていた。

 母親が亡くなり、叔父夫婦に酷い扱いを受け、支え合ってきた弟も虐待から亡くなってしまった。

 

(あ、思い出してしまったのだろうか)

 

 楓は、慰めるつもりで尚の腕にそっと手を回してしがみついた。

『心配しなくていいよ。今は家族がここにいるから』と伝えたいと思った。

 

「ひっ」

 

 しかし、映画は、そこからクライマックスへと突入する。その亡くなった弟の霊による怖いシーンが続いた。

 楓は尚を慰める余裕を失い、ただひたすら怖くて義兄の腕にしがみついて顔をうずめた。

 

 

 「こ、こういうものなのね。なかなかいい体験だったわ」

 

 鑑賞会が終わり、楓は尚の腕にしがみついていたのが恥ずかしくなり、慌てて立ち上がると強がって言った。

 

「はは。すごい不気味で怖かったね」

 

 でも内心では、とても怖がっているのは尚にも分かってしまった。青ざめた顔で、なかなか尚の側を離れようとはしない。


「じゃあ、お風呂入って寝ようかな」

 

 少し落ち着いたらしい楓を見て、尚はそう言う。

 今までは朝に入っていた風呂だったけれど、夏にでかけてそして今も変な汗をかいている。

 何か言いたげな楓をあとにしてリビングを離れた。


 尚は、風呂から上がってもう寝ようと思っていた。

 不意に部屋がノックする音が聞こえた。ドアを開けると、濡れた髪を手でかき上げ、少し恥ずかしそうな表情を浮かべている楓の姿があった。

 

 「い、一緒に寝ていい?」

 

 未だに怖がっているのか、楓の声は少し震えている。


 「駄目でしょ。楓さん落ち着いて」

 

 尚は優しく諭すように言った。驚いた表情を浮かべながらもあくまでも冷静に、深夜に女の子を部屋に入れたりしないようにする。


「あ、あはは。そう……だよね。兄妹とはいえ良くないよね」

 

 かつてないほど、困惑している楓のことを少し可愛らしいと思っていた。

 とにかく、門前払いでただ拒否するのも可愛そうだと思った尚はしばらく考えた後に提案する。

 

「じゃあ、リビングで鑑賞会の続きをするってどう?」

「つ、続き?」

 楓はさらに怯えた目で、義兄を見ていた。

「うん、今度は楽しい映画や番組を見るの。どう?」

「ああ、それ、いいね」

 

 楓はさっきまでの硬い表情から一転して、目を輝かせて楽しげに尚の顔をじっと見つめている。


 ソファに並んで座り、お笑い番組を見る2人。ホラー映画を見始めた時よりもぐっと距離が近い。尚が毛布を持ってきて、楓の膝にかけてあげる。その優しい仕草に、楓は素直に感謝する。

 

(本当に、いいお兄さんなんだね)

 

 楓は麻衣のことが羨ましくなってしまう。数年間、一緒にこんなことをしていたのならあんなに強く慕うのもよく分かる気がする。

 楓にとっても、今は緊張感もなくただ並んで座っているだけで安心できてしまう。

 さっき見たホラー映画の怖さも薄れると同時に、異性とこんなに近く並んで座っているというどきどきした気持ちもあまりない。

 

「あはは」

 

 時折、2人とも大笑いする。さっきとは違う笑顔の尚の表情を横から見て楓も良かったと思うのだった。

 

「このあとは、猫動画とかいかがですか。お義兄さん」

 

 怖さが薄れた楓は、謎のセールストークのような話し方で尚にアピールする。

 尚は拒否したりはしない。

 少し穏やかになった雰囲気のまま鑑賞会は続き、いつの間にか2人とも寝てしまっていた。


 朝、由香がリビングに起きてくると、仲良くもたれ合って眠る尚と楓の姿が目に入った。楓の頭が、尚の肩にすっぽりと収まっている。まるで、パズルのピースがはまるように。

 

 「あらあら仲良しね」

 

 からかうような由香の声に、楓は我に返る。むくりと顔を上げ、状況を飲み込むのに少し時間がかかった。

 

 「そ、そんなんじゃないから!」

 

 顔を真っ赤にして、照れくさそうに言い返した。でも、目は笑っている。


 

 母娘が隣で騒がしくしているが、尚はまだ静かに寝息を立てている。

 今まで、こんなふうに寝顔を見ることもなかった。

 楓は自分が深夜にわがままを言ったせいで疲れてしまったのだとは分かっているけれど、それでもお互いに距離が縮まったと感じて嬉しかった。

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