第16話 夢見る夏休み
夕涼みの中、楓は夢の世界に迷い込んでいた。
夢の中では、活気に満ちた夏祭りの雰囲気が広がっていた。神社の境内には、まるで宝石箱をひっくり返したかのように、色とりどりの提灯が揺らめいている。楓は、いつもの学校の制服姿で、親友の真由美や美咲と一緒に、屋台の間を縫うように歩いていた。
これは、彼女たちが幼い頃から毎年欠かさず続けている、大切な恒例行事だった。3人はそれぞれ、たこ焼きを乗せた舟型の紙皿を手に持ち、香ばしい匂いに誘われるまま、小さく口を開けては熱々の玉を頬張る。
ふと空を見上げると、すっかり暗くなった夜空に星がきらめいているのが見える。これから打ち上げられるであろう花火の美しさに、楓の胸は高鳴りを隠せない。
そんな夢の中の夏祭りを楽しんでいると、楓は遠くの露店で見覚えのある男性の姿を見つけた気がして、思わずその方向へと目を凝らす。
(尚くん……?)
数歩近づいてみて、楓はその男性が尚であることを確信した。思わず声をかけようとしたが、尚の隣に女性の姿を見つけて、足が止まってしまう。
尚と並んで歩いているのは、雅な藍色の浴衣を身にまとった春日伶だった。2人の距離は近いが、恋人同士というよりは、隠れて逢瀬を重ねているかのような、どこか謎めいた雰囲気を漂わせている。
真剣な表情で話し合う2人に、楓は割り込む勇気が出ない。そのまま踵を返すと、小走りでその場を離れていった。
しばらく走り続け、肩で息をしながらようやく足を止める。周囲を見渡すと、祭りの喧騒から離れた、提灯の明かりも届かない真っ暗な場所まで来てしまったことに気づいた。
そのとき、すぐそばでかすかな声が聞こえた気がして、楓は振り返る。目に飛び込んできたのは、背丈ほどの小さな少女の姿。彼女は狐のお面を被っていた。
「大丈夫。尚くんはもう心配ないから」
まるでホラー映画のワンシーンのようなその光景に、楓は声が出ずに立ち尽くす。
「でも、なるべく2人きりにはしないほうがいいから。お願いね」
狐のお面の少女は、楓にそう告げると、チラリと視線を夏祭りの方へと送った。尚と伶のいる方角だ。
楓は何となく頷いていた。少女の言葉を聞いた途端、胸に渦巻いていたざわめきが、不思議と収まっていくのを感じる。
次の瞬間、楓は夢から目を覚ました。勢いよく上半身を起こしながら、今見た夢の内容を必死に思い出そうとする。
(また、あんな夢を見るなんて……)
伶の姿は前回見た夢と同じく、少し幼く見えた。尚の姿や真由美、美咲の制服姿も、中学生の時のものだったはずだ。
(未来のことじゃなさそうだけど……)
夢の中で狐のお面の少女が告げた言葉が、楓の脳裏に焼き付いて離れない。
「大丈夫……か」
その言葉が示唆するものは何なのか。だが少なくとも、何かしないと大変なことになるわけではなさそうだと感じた楓は、小さくため息をついて、ゆっくりとベッドから起き上がるのだった。
下校時、駅のホームに降り立った楓は、顔を上げると、少し離れたところに尚の姿を見つけた。しばらく尚のあとをつけていって、いつも一緒にいる伶の姿がないことを確認すると、安堵のため息をついた。小走りで尚に近づき、柔らかな声をかける。
「尚くん。一緒に帰ろう」
尚は振り向くと、優しい笑顔を浮かべて頷いた。
「うん、一緒に帰ろう。今日は楓さんも早かったんだね」
並んで改札を抜け、ゆっくりと歩き出す。そのとき、楓はふと尚に聞いてみた。
「今日は春日伶さんと一緒じゃないんだ?」
尚は少し驚いたように目を見開き、すぐに穏やかな表情で答えた。
「伶さんとは、特に一緒にいるわけじゃないよ。最初は色々、この辺の土地を案内してあげたり、たまたま下校時間が同じだったりするだけで」
その言葉に、楓はちょっと問い詰めるような言葉だったのを申し訳ない気持ちになりながら、どこかほっとしていた。
しばらく無言で歩いていると、尚が突然足を止めた。楓が不思議そうに見上げると、尚は少し先の神社の横に看板に目を奪われている。
「夏祭りのポスター。この辺、夏祭りなんてあるんだね」
色鮮やかなポスターに目を向ける楓。尚が嬉しそうに話し続ける。
「そう、結構、大きな祭りだよ。花火も打ち上がるの」
「昔住んでいたところはあまりこんな大きいのはなかったから、びっくりした」
「そうなんだ。馬場家の周りとかありそうなのにね」
「小さいのはあったけれどね」
そう言う尚の横顔を見ながら、楓は小さく息を吞んだ。夢の中で見た少女の言葉が脳裏をよぎる。
(なるべく2人きりにはしないほうがいいから、頼んだよ)
その言葉の意味はあまり分からないけれど、もし、春日伶と一緒に行くなんていう話になっては嫌だという思いがあった。勇気を振り絞るように、楓は尚に向き直る。
「尚くんもこの辺の土地にまだまだ詳しくないよね。……じゃあ、良かったら、私が夏祭りを案内してあげようか?」
なんとなくさりげなく誘えた気がしていた。
ただ、言葉を紡ぐ指先が、かすかに震えていた。尚は一瞬驚いたように目を見開くが、すぐに優しい表情を取り戻した。
「楓さんと案内してくれるなら、喜んで行くよ」
そう言って微笑む尚を見て、楓の頬はほんのり紅潮する。まるで夕焼けに照らされたかのように、桜色に染まっていた。
2人は再び歩き出し、夏祭りの話に花を咲かせる。浴衣に髪飾り、屋台の食べ物に花火……イメージを膨らませるほどに、胸の中でわくわくとした気持ちが弾けていく。
そのとき、背後から聞き覚えのある声が響いた。
「夏祭り!? 私も行きたい!」
振り返ると、そこには麻衣の姿があった。きらきらと瞳を輝かせ、まるで子犬のようにはしゃいでいる。
「麻衣ちゃん、どうしたの?」
楓が不思議そうに尋ねると、麻衣は眉を下げて言った。
「だって、週末は出かける予定があるから、今週は今日、お兄ちゃんに勉強を教えてもらうって……言ったじゃない」
「ああ、オンラインかと思っていた」
「もう、お兄ちゃんってば、ちゃんと話を聞いて!」
ちょっと怒りながらもも、夏祭りのポスターから目が離せない様子の麻衣。尚と楓は思わず顔を見合わせる。
「じゃあ、麻衣も一緒に夏祭りに行く?」
尚が提案すると、麻衣の顔がパッと明るくなった。
「本当に!? やった! ありがとう、お兄ちゃん!」
「ああ、うん。まとめて案内してあげるわよ」
楓は賑やかになりそうで、嬉しいと本気で思っていた。
ただ、尚と2人きりで出かけるということもちょっと期待していただけに、少し残念な気持ちも覚えていた。複雑な思いを胸に秘めながら、3人は家路を急ぐのだった。
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