第15話 麻衣への報告

 馬場家は、温かみのある大きな木造の家で、白い外壁に木のアクセントが映える美しい佇まいだった。古きよき日本家屋の趣が感じられる。

 広々とした和室には、中央に低い机が置かれ、その周りには落ち着いた色合いの座布団が整然と並べられている。障子から差し込む陽光が、畳の上で優しく揺らめいていた。

 

「穏やかな、いい場所よね」

 

 楓は、縁側に座りながら庭を眺めていた。生い茂る草木の緑と、小川のせせらぎが織りなすハーモニーに、思わず聞き入ってしまう。

 ここは、楓の家から電車で30分ほどの場所にある。それほど田舎というわけでもないのだけれど、楓の家周辺の慌ただしく人が行き来している様子とは違う気がしていた。どこか懐かしさを感じさせる町だった。慌ただしく人が行き交う街とは違う、ゆったりとした空気が流れている。

 最初は、『何で、こんなところまで私は来ているんだろう』と思ったこともあったけれど、最近では何週かに一度の訪問が楽しみになってきていた。

 今日も尚と楓は、麻衣に勉強を教えるためにこの家を訪れている。

 ただ、馬場家に足を踏み入れた瞬間に幼い弟妹が尚の元に飛んできた。

 

 「尚にーちゃん、遊んで!」

 

 さくらと大輝にそうせがまれた尚は、楓に向かって申し訳なさそうに手を合わせて謝ると幼い弟妹の願いを叶えるために彼らと一緒に庭へと向かってしまった。


 

 結果、和室には楓と麻衣の二人だけが残された。少し居心地の悪い沈黙が流れる中、楓は麻衣に勉強を促した。

 今日の範囲はさほど難しくないらしく、麻衣は黙々と問題集に取り組んでいる。楓は特に教えることもなく、縁側に座ったまま庭の景色を眺めていた。

 静寂の中、かすかに聞こえるのはページをめくる音と、時計の針が刻む音だけだった。麻衣が一段落したのを見計らって、楓が切り出した。

 

「少し休憩しようか」

「ええ、そうですね」

 

 麻衣はほっとしたように頷き、二人は勉強道具を脇に置いて深呼吸をした。

 麻衣は伸びをしながら、ふと思い出したように楓に尋ねた。

 

「そういえば、お兄ちゃんに最近は変な手紙が届いてないですか?」

「手紙? 変な……?」

 

 最近は母親が家にいてくれることが多く、楓が郵便受けを見に行くこともあまりないので手紙自体を見たことがなかった。

 

「ええ、変な……女からだと思われる手紙です」

「変な女?」

 

 手紙の封筒で変な女だと思わせるのは、どういうものだろうかと想像しようとしてみたけれど楓には思いつかずに諦めた。

 

「お父さんは、その手紙を出している女性が誰か知っていたみたいなんだけど、教えてくれなかったんです」

 

 麻衣は少し心配そうな顔をした。

 

「見たことないわね。それに手紙くらいでそんなに気にしなくてもいいでしょ」

「でも、尚お兄ちゃん、変な女に好かれたりして振り回されそうじゃないですか」

「ふふ。なにそれ。尚くん、しっかりしているし、大丈夫でしょ」

 

 楓は、嫉妬しているらしい麻衣に対して微笑んだけれど、ふと最近の尚のことを思い出していた。

 

「そう言えば、最近、変な女に好かれているわね……」

 

 ぼそりと言った楓の言葉に、麻衣は大きく目を開けて反応した。

 

「なんですか。その話。聞いてないんですけれど! ど、どんな女なんですか!」

「お、落ち着いて麻衣ちゃん。別に大したことじゃないから」

 

 楓は麻衣をなだめつつ、最近の出来事について教えてあげることにした。

 

「なるほど、転校生が隣の席に来て、仲良くなっていると……」

 

 転校生、春日伶について一通り説明してあげると麻衣は目を閉じ腕を組んで受験勉強よりももっと深く理解しようとしていた。

 

「長い黒髪で文学少女な転校生。だけれども親しみやすい……駄目じゃないですか!」

「駄目って何よ……」

「何か頼み事をされたら、お兄ちゃんが一番断りにくいタイプでしょう?」

「なにそれ……いや、うん、なんとなく分かるけれど……」

「私たちのライバルになる女は近づけないようにしてください」

 

 かなり本気で警戒しているように、麻衣は楓に注意していた。

 

「うん……。いや、待って。私は、尚くんに恋愛感情とかないから! 恋敵とかじゃないから!」

「えっ、……ああ、そうですね。うん、楓お姉ちゃんは……それでいいです」

 

 何かを言おうとした麻衣だったけれど、わざわざ恋敵を増やすようなことを言うのも変だと思って、抗議する楓をそのまま受け止めていた。

 

「……でも、その春日さんって、動画配信とかされていて、有名人なんでしたっけ? うーん」

「そうね。それで、美人でスタイルが良くって特に男子に人気だった」

「尚兄ちゃん、あんまり目立つ容姿で学園一の美人として有名みたいな人は苦手そうですけれどね」

 

 しばらく考え込みながらそう言ったあとで、麻衣は楓をチラリと見る。『楓お姉ちゃんも、学園一の美人で有名人だったわ』という視線を送っているのだ。

 

「尚くんは、別に美人が嫌なわけじゃなくて……あれよね。人混みが嫌いとか、変な競争に巻き込まれたくないとかそんな感じよね」

「ふふん。さすが楓お姉ちゃん。ちゃんと尚お兄ちゃんのこと見ていますね」

「いや、そんなんじゃないけれど……」

 

 普段から気にかけているのだと言われて、楓は照れて横を向いてしまう。


「ちなみにその動画、どんな感じなのですか?」

「ちょっと待ってね。昨日、調べたのよね……あった! これよ」

 

 楓はすぐにスマホで春日伶の動画を探し当てて再生してあげた。

 

「ふーん。この動画ですか。素晴らしいスタイル。特にお胸ですね。しかも、自分でも価値がわかっていて強調していますね。やはりこの人は、尚兄ちゃんに近づけちゃだめな人です!」

「いやいや、尚くんだから、そんな巨乳なんかに惑わされないでしょ。大丈夫でしょ」

「いえ、お父さんが買ってきた雑誌のグラビアへの反応をみると……尚お兄ちゃんは、大きい胸大好き派です」

「そう……? 尚くんの普段の視線は脚ばかりに向いていると思うんだけれどな」

 

 楓より年下ながらも、胸は明らかに麻衣の方が大きかった。

 楓はその代わり、長く美しい脚が注目を浴びる存在だった。

 意識的になのか、無意識なのかはわからないけれど、2人はお互いに有利なところをアピールするかのように熱く激論を交わしていた。


「尚にーちゃん。どうしたの? 入らないの?」

 

 幼い弟妹のさくらと大輝と遊んであげていた尚はついさっき、家に帰ってきたところだった。

 

(なんか、義妹二人が、僕の性癖について議論している?)

 

 和室に入ろうと襖を開けようとした瞬間に、義妹2人が自分についての話をしているのが聞こえてしまい手が止まった。

 ついそのまま、2人の会話を盗み聞きするような体勢になってしまったけれど、幼い弟妹はそんなに長く大人しくできるわけもなく尚の足元をすり抜けて襖を開けて中へと入っていってしまった。

 

「ただいまー」

「お、おかえりなさい」

 

 大輝の元気な声に、麻衣と楓はにこやかに応じていたけれど、襖の前で立っている尚とも目があってしまった。

 

「な、尚くんもお疲れ」

「お、おにいちゃん。さくらと大輝も、冷蔵庫にアイスあるよ」

「う、うん、ありがとう」

 

 お互いに気まずい視線のやり取りのあと尚も部屋に入ってきた。

 尚は聞かなかったことにしようという判断に落ち着き、麻衣と楓もわざわざ話を振らないことにしたので、何事もなかったかのように麻衣の勉強を再開しようかという空気になっていた。

 

「それで、尚お兄ちゃんは、どっちが好きなの?」

 

 そんな中、さくらがにっこりと笑みを浮かべて尚に話しかけた。

 

「えっ? ど、どっちって?」

 

 戸惑う尚に、突き刺すような視線を向ける麻衣と楓だった。

 

(麻衣と楓さんってこと?)

 

 そう聞かれたのかと思いさらに戸惑い視線も不自然に泳いでしまっていた。

 

「大きい胸と大きいお尻だとどっち?」

「どっちも大好きかな!」

 

 混乱した尚の言葉は、さくらの質問に勢いよく即答したみたいで、義妹たちとの間に冷たい空気が流れていた。

 

「えっ、い、いや今のは違うから。さくら、何を聞いてるの?」

「さっき、お姉ちゃんたちが聞いていたから、お兄ちゃんはどっちが好きなのか将来の参考に聞きたいなって」

 

 さくらにまっすぐな目で見つめられながら、そう言われて尚はもう何を言っていいのか困り果ててしまった。

 

「さくらちゃん、お尻じゃなくて綺麗な脚だから」

「あとさくら、知ったからって、どうにかできるわけじゃないからね」

 

 尚が何か言うよりも先に、楓と麻衣はちょっと早口でさくらに注意するように話しかけていた。

 彼女たちは落ち着いたお姉さんのように振る舞っていたが、顔はわずかに赤くなり尚の方を見ることができなかった。

 

「いや、別に僕はそんなに……気にしな……。うん、どっちも好きかな」


 尚は無難に答えようとしたけれど、楓と麻衣の圧力を感じてちょっと面白い答えをした。

 からかうような空気にはなったけれど、楓と麻衣は嬉しそうに笑っていたので多分、この受け答えで正解だったと尚はほっと一安心していた。

 

「尚おにいちゃん、でもでも美人な転校生さんと仲良くなって鼻の下を伸ばしているって本当ですか?」

「え」

 

 さくらの変な質問に尚は困惑した。もう話は終わったと思っていたのに、なぜまたこんなことを聞くのだろうか。

 さくらに視線を移すとすぐにその答えは分かった。楓と麻衣が耳元で囁いて次はこんなことを聞きなさいとアドバイスしているのだった。

 

「楓さん! 麻衣! さくらに何を吹き込んでいるの!」

 

 ばれちゃったと楓も麻衣もにこやかに笑う。

 尚のプライバシーは多少犠牲になりながらも、血の繋がらない兄妹たちは楽しいひとときを過ごし、尚にも笑顔が見えたので楓も一安心していた。

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