第14話 胸の谷間と見つめ合う瞳
夢の中で、楓は自分が昔よく見た部屋にいることに気づいた。
薄暗い部屋の中で、不気味な静けさが支配していた。
部屋の奥に視線を向けるのが怖くて目を逸らす。
昔良く見た夢なら怖い何かがあるからだった。
でも、そこから目を逸らしたとき、今回は別の衝撃的な光景が飛び込んできた。目の前に佇む、美しい黒髪の少女。まるで悪夢のように、彼女の手からは鮮血が滴り落ちている。
春日伶。
昨日初めて名前を知った、あの転校生だ。
そういえば、昔、夢の中で何度も彼女を見たような気がしていた。
伶は不敵な笑みを浮かべると、真っ赤に染まった手を翳した。
「お兄さま、大丈夫、『私たち』はどこまでも一緒よ。地獄でも私たちついていくから……」
甘美な声音とは裏腹に、言葉の端々からは狂気すら感じられる。一瞬こちらに視線を向けたかと思うと、伶は隣の人物に話しかけた。
そこには、義兄の尚の姿があった。
「うわっ」
次の瞬間、目が覚めた。
寝汗に濡れたシーツ。荒い呼吸。それでも現実に引き戻されたことに、楓はほっと息をついた。
だが安堵したのもつかの間、今見た夢の記憶がよみがえってくる。
以前にも、似たような夢を見たことがあった。まるで予知夢のように、夢の出来事が現実になったこともある。考えただけで、嫌な予感が胸をかすめた。
「いやいや、無い無い」
明るい声で思わず頭を振る。最近はそんなことは起きていない。気のせいだ、そう自分に言い聞かせた。
それに、夢の中の伶や尚は少し若く見えた。中学生くらいのようだった。
少なくとも未来の光景ではなさそうだと思って一人で安心する。
「でも、私……たちってどういうこと……」
ぼんやりとつぶやく。
夢の中の春日伶は、こちらを向いていた。楓の方を見ながらそう言ったことを思い出していた。
昼になり強い陽光が教室に差し込む中、尚の友人である松木と小野寺が彼の席に歩み寄った。
「尚は、今日は弁当あるの?」
松木が尋ねると、尚はバッグの中を探るも、弁当箱の姿は見当たらない。彼の瞳に悲しげな影が差した。
「弁当……あれ? 忘れちゃったかも」
「じゃあ、購買にでも行くか」
小野寺が提案する中、松木は溜め息交じりに呟いた。
「しかし、やっと落ち着いたな。この二日間、尚の席に来るのも大変だったからな」
今は誰もいない春日伶の机を見ながらそう言う。
「一番騒いでいたの松木だと思うんだけど……」
二日間、隣で興奮しながら春日伶の話を聞かされ続けた小野寺は、苦笑していた。
ただ、松木は席にいる春日伶を囲んで質問攻めにしたりはしないようにしていた。
隣の席に座っている尚への配慮もあるけれど、そういったところは分別がつく人間だと友人の尚も小野寺も分かっている。
「でも、何でこんな時期に転校してきたんだろうな」
ふと、松木は首を傾げ、腕を組んで呟いた。
高校生活がはじまって1、2ヶ月で転校してくるのは何か事情があるのだろうと思うのだけれど、話を聞くと家が引っ越したりなどといったことはなさそうだった。
「実はですね……」
その瞬間、背後から聞こえた声に、松木も小野寺も驚いて振り返った。そこには、にこりと笑う春日伶が立っていた。
しばらく帰ってこないだろうと思っていたら、すぐに真由美たちと一緒に帰ってきたので松木は転がりそうなくらいに驚いていた。
「動画を投稿してたんです。でも、結構人気になってしまったら、校則が厳しい学校で注意されてしまいまして……」
だから色々言われて、面倒になったので転校したのだと伶は教えてくれながらスマホを取り出すと、何故か尚の目の前に突き出した。
「これなんです。好きな本の紹介をしているだけなんですけど……」
「え、あ、うん。結構な再生数だね」
それは綺麗な部屋の中で、少女が椅子に座り本の紹介をしているだけの動画だった。
「これが伶さんだって、みんなにバレてしまったの?」
顔は写していない。たまに好きな文章の一節を読み上げる時に口元がフレームに入るくらいだった。
聞き取りやすく、素敵な雰囲気があってまるでプロのアナウンサーかナレーターではないかと思ってしまう。
尚は先に聞いていたから、声で春日伶だと分かるけれど言われていなければ気がついていないだろうと思った。
「ええ、不思議ですね。顔は写していないんですけれど、胸元のほくろが目立ってしまったのでしょうか」
春日伶はそう言いながら頬に手を当ててため息をついた。
確かに動画の中の少女は、上半身を写しているけれど顔は写していない。
その結果、画面の中心にはパーティドレスのような服を着た胸がアップで写し出されているような印象を受けてしまう。
綺麗で豊かな膨らみは服の上からでも眺める価値があるものだったけれど、胸元が大きく開いた服は、綺麗な肌を強調して谷間の入り口までが芸術的な美しさに感じてしまうほどだった。
「やはり、胸元の肌を強調すると動画の再生数が、全然違ったものですから」
尚がこの動画の何に注目して何を考えていたのかを読み取ったように春日伶は解説してくれた。
確かに胸の谷間の入り口にある大きなほくろは、一度見ればどうしても記憶に残る。
(なにか……見たことがあるような……)
ただ尚は、別の何かが気になってじっとその動画を見ていた。
(胸元のほくろのわけがない……服……? いや、部屋……家具……か?)
何かを思い出せそうだったけれど、ふいに、金色の髪が尚の視界に差し込んだ。振り向くまでもなく、それが義妹の楓だと彼には分かった。
「へえ。『にいさん』もこういうのに興味があるのね」
からかうような楓の言葉に、尚は慌てて弁解する。
「え、こ、こういうの? え、いや、これはそういったわけじゃなく……」
しかし、楓は柔らかな笑みを浮かべて言った。
「いいのよ。隠さなくて、男子高校生なら興味を持って当然だものね。むしろ安心したわ」
楓が何もない尚の部屋を見てから、若干の不安を感じていたのは本当だった。好きなものとか何もないわけではなくて安心したのは本心だ。
ただ、安心したといいながら少し声が怖い。尚だけでなく周囲にいた友人たちもそう思っていた。
「あ、興味を持っていただけましたか?」
伶は尚に歩み寄って嬉しそうにそう尋ねた。
「は、はい。素敵だと思います」
紹介される本も、伶の声や話し方も本当に素敵だと尚は思っていたが、目の前に立たれると視線は伶の胸に釘付けになってしまう。
周囲から見ても少女のスタイルを、特に印象的で大きい胸を褒めているようにしか聞こえなかった。
特に隣の義妹の視線は冷たい気がした。
「ちょっと心配になったから来てみたのに、馬鹿みたい」
つぶやいた楓の言葉は、尚の耳には届かなかった。
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