第13話 転校生と義妹

「今日はいる……かな?」

 

 家に帰った楓は、まるで偶然を装って出会いたいクラスメイトみたいに、リビングのドア越しに義兄の姿を探る。ソファに座り、本に没頭している尚の姿を見つけると、心の中で小さく喜んだ。


 柔らかな夕陽が差し込むリビング。そこには、静かに本を読む尚の姿があった。

 黄金色の光に照らされた彼の横顔は、優しげに見える。

 尚はここ最近、リビングでの読書を日課にしている。楓はそれが、部屋に籠もったりせずに家族との距離を縮めようとする尚のさりげない努力だと感じていた。


 母親の由香も、台所から尚に声をかけることが増えていた。何かというと『尚くん、ちょっと手伝ってくれる?』と頼むのが日常茶飯事だ。尚が家族に溶け込もうとしている様子を見て、楓は複雑な心境になる。

 

(そんなに気を使わなくていいのに……)

 

 楓としては尚にはもっと自由にして欲しいと思うのだけれど、今は確かに自然な流れで話しかけやすいなと感謝していた。

 リビングへと入る前に、ふと鏡で自分の姿をチェックする。そして、たまたま尚の存在に気がついたかのように歩いていった。

 

「あ、ただいま」

「おかえりなさい」


 ソファで読書をしている尚に、ゆっくりと近づき向かいに腰を下ろす。

 

「なんか……転校生が来たんだって?」

「良く知っているね。……ああ、真由美さんから聞いたんだね。うん、来たよ」

 

 本を閉じ、楓に視線を向ける尚。

 柔らかな笑みを浮かべながら、穏やかに語り始める。


「すごい美少女らしいじゃない」

 

 実はすでにクラスまで見に行ったことは隠しつつ話す。

 

「美少女……。そう。クラスの男子は大騒ぎだったよ」

「ふーん。尚くん的にはどうなの? 美少女だと思う?」

「美少女っていうのは、楓さんみたいなイメージかな。それよりはもっと落ち着いた感じの……」

「ふえっ」

 

 その言葉に、楓は思わず変な声を上げてしまう。

 尚の方は、からかうわけでも誇張したわけでもなく本当に思っていることが自然に口から出た言葉だったので意外な反応に目を丸くしていた。

 

「え、ああ、なんかごめん。楓さんなら言われ慣れているかなと思ったんだけど……」

「い、いや。面と向かって言われることはなかなかないよ。うん……ありがと」

 

 楓も目立つ容姿なのは、自覚している。男子にも人気があることも分かってはいるけれど、面と向かってこう自然に美少女とか言われたことはなかったので思わず照れてしまっていた。

 

(……一緒に暮らして見慣れているはずの、尚くんに言われるから嬉しいのかな)

 

「春日伶さんって人なんだけれど、そうだね。綺麗な人で、落ち着いていて文学少女って見た目なんだけれど、不思議と話しやすい感じだった」

 

 尚も楓の意外な反応に戸惑いながら、すぐに話題を戻して春日伶の印象について語っていた。

 楓は内心ではわずかに波が立つのを自覚していたけれど、表情には出さずに聞いていた。


「へえ。そんな美人さんに頼られて、良かったね」


 精一杯の笑顔で、楓は言葉を返す。

 義兄の幸せを願うのは本心だ。

 夕陽に照らされた尚との何気ない会話が、心地よい時間を作り出していく。兄妹のような会話ができたと思っていた。





 放課後、駅のホームへ向かう楓。

 階段の上の方から、見下ろすとすでに電車はホームへと入ってきていた。


「あ、尚くん」


 そして同時に電車を待つ尚の姿がみえた。


(この電車に乗り過ごすと、次は20分待ちだから……!)


 自分に言い訳をしながら、覚悟を決めて、全速力で階段を駆け下りた。痛む足を気にせず、必死で尚も乗る電車に飛び乗った。



「楓さん、大丈夫? そんなに慌てて危ないよ」

「ぜっ、ぜーっ……な、尚くん! 尚くんも今帰り?」

 

 肩で息をしている楓のことを心配そうに尚は覗き込んでいた。

 たまたま尚と同じ電車だったことに今、気がついた振りをしながら、楓は呼吸を整えようとしていた。

 そのとき、階段で見えなかった尚の隣に立つ一人の少女に気づく。

 それは例の転校生、春日伶だった。


「こんにちは。大丈夫ですか?」

 

 そう春日伶が穏やかに挨拶する。その声は、まるで春の暖かな風のようだった。

 凛とした佇まいに、綺麗な黒髪が揺れる。

 

「え、こ、こんにちは」

 

 丁寧な挨拶をされても、楓の胸はまだ落ち着かない。

 

(何で尚くんと一緒にいるの?)

 

 ゆっくりと動き出す電車。

 車窓の景色が移り変わる中、楓は混乱した心を抑えようとする。

 伶の穏やかな態度と尚への親しげな様子が、彼女の胸を騒がせていた。

 

「もしかして、彼女さんですか?」


 不意に、伶が尚に尋ねる。

 その言葉に、楓は表情を引き締める。


(私、怖い顔をしてたかな……)


 必死に笑顔を作ろうとするが、どこか不自然だ。

 けれど、伶は気にせずに続ける。

 

「ご心配なさらないでください。私は先日、転校してきました春日伶と申します。この辺の土地が分からないので、尚くんに勝手にくっついて案内してもらっていただけですので」

 

 にこやかな笑顔と上品な言葉遣いで話しかけてくる伶に、楓は丁寧すぎて困惑していた。

 

「え、あ、いや、別に気にしていませんけれど……」

 

 精一杯の笑顔で答える楓。

 けれど心の中では、ある言葉が引っかかっていた。

 

(『尚くん』?)

 

 出会ったばかりなのに、どうしてそんなに親しげなのか。

 疑問が胸を過ぎるが、必死に平静を装う。


(いや、落ち着いて。きっと真由美がそう呼んでいて、つられただけ……うん、きっとそう)


「彼女とかじゃないですから」

 

 尚は片手を大きく横に振って、否定する。

 間違っていない。楓からしても、彼女だと嘘をつきたいわけではないけれど、なぜか今は、そんなにあっさり事実を伝えないで欲しいとも思い義兄を睨んでいた。

 

「こちらは、内藤楓さん。『いもうと』なんです」

 

 尚は、手を広げて、楓のことを紹介した。

 

「いもうと……さん?」

 

 伶は、楓の方を向いて鋭い視線を向けていた。なぜかは分からないけれど、さっきまでの穏やかで優しそうで笑みと話し方からは想像できない鋭い、少し敵意がある視線だと楓は受け止めていた。


「ああ、不審に思うかもしれないけれど、血は繫がっていないんです」

 

 尚は特に怖い目線には気がついていないようだったけれど、わずかな沈黙にフォローを入れる。

 

「なるほど、今の養子先の娘さんということなのですね」

 

 春日伶は、先程の尚の説明だけですぐに理解したのか大きくうなずいた。

 

(確かに……双子には見えないか)

 

 楓は、学年も同じ学校の制服で『いもうと』だと言われれば、まずは双子かと思うだろうけれど、容姿は全く違うのでからかわれているとか思ってしまったのかもしれない。

 伶は先程の鋭い視線はなにかの見間違いであったかと思うくらいに、今は元の穏やかな表情で尚と話している。

 

(さっきの目つき、気のせいだったのかな……)


 混乱しながらも、楓は気にしないことにした。

 伶の横顔を観察しつつ、微妙な違和感を押し殺す。


「義兄がお世話になっています。これからもよろしくお願いします」

 

 微妙なわだかまりはありながらも、電車の中での三人の会話は、徐々に楽しく和やかな雰囲気へと変わっていく。

 伶は尚のこと気にいっているようで、親しげに楽しげな笑みで話していた。楓は、何故だろうとは疑問に思いながらも義兄にとってはいいことなのだと2人を眺めながら微笑んでいた。

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