第9話 妹になりたい少女と妹を卒業したい少女

 いつものファミレス。若々しい笑い声が店内に響き渡る中、内藤楓、山本真由美、小林美咲の3人が、お気に入りの席でくつろいでいた。

 差し込む太陽の光が強くなっていた。楓の金色の髪が陽光に煌めき、紺碧の瞳が穏やかな表情を浮かべている。真由美は、そんな楓をからかうように目を細めた。


「それで? 恋敵にわざわざ勉強を教えに行くの?」


 その問いに、楓はすぐさま首を横に振る。


「別に尚くんは、恋愛対象なわけじゃないから」


「でもでも、正妹の座を争っているんでしょ?」


 キュートな容姿の美咲が身を乗り出し、興味津々な様子で口を挟む。


「せ、正妹? 何それ?」

「妹で一番の座よ」

「そんな座、争ってないわよ」


 楓は小さくため息をつきながら反論し、しばし考え込んだ後、言葉を続ける。


「麻衣ちゃんは……尚にとっては大切な義妹みたいだし、私はまずはちゃんと家族になるところからかなって……」

「お義兄さんのことを真剣に考えているのねえ」

 

 美咲が感心しながらそう言うと、楓ははっきりとした態度で説明した。

 

「まあ、尚くんのことはおいておいて……私は麻衣の親戚のお姉さんだから、勉強を教えてあげるのは何もおかしなことはないわ」


 真由美と美咲は顔を見合わせ、意味ありげに微笑んだ。


「楓は、いつも困った人を助けてあげてすごいね」


 2人は心からそんな楓のことを尊敬していた。普段クールな楓が、助けを必要としている人のためにすぐさま行動に移るその姿勢に、真由美も美咲もいつも感心するのだった。

 

(……でも、今回のはちょっと違うよねえ)


 真由美と美咲はもう一度、目をあわせてお互いに意味ありげな笑みを浮かべていた。

 尚という助けに行く人がすでにいるのに、わざわざついていくのだ。

 妹として対抗しているのか、あるいは本当に恋敵なんてこともあるのではないのかと真由美は妄想するけれど、本人もまだ気がついていないかもしれないと何も言わないことにしておいた。


「じゃあ、週末、頑張ってね」

「うん、ありがとう」


 友人たちの励ましの言葉に、楓は満面の笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 週末、尚と楓は馬場家に向かう電車に揺られていた。窓の外を流れる景色は、次第に街から離れ、緑豊かな風景へと移り変わっていく。車内に沈黙が漂う中、ふと楓が小さな声で切り出した。

 

「尚くん、やっぱり私、邪魔だったかな」

「そんなことないよ。麻衣も楽しみにしてたから」

 

 尚は優しい目差しを向けながら、首を横に振る。

 

「そう? それならいいんだけれど……」

「僕も助かるよ。苦手な教科とかもあるし……」

「う、うん。そうだね」

 

 気持ちが高ぶって、つい『私も勉強を教える』と言ってしまった。ただ、時間が経ち冷静になるにつれて余計なことを言ったんじゃないかと後悔していた楓だったが、尚の言葉に救われ、役立てることがあるのだと再認識するのだった。

 馬場家に到着すると、そこには元気いっぱいな麻衣が2人を出迎えてくれた。

 

「お兄ちゃん、楓お姉ちゃん。今日はありがとう」


 その明るい笑顔に迎えられ、楓も安堵の息をついた。

 だが、いざ勉強を始めようとすると、すぐさま幼い姉弟が割り込んでくる。


「尚おにいちゃん、遊ぼう!」

「さくら、ごめんね。今日は麻衣の勉強を見るから」

「えー。麻衣お姉ちゃんばかり、ずるい」

 

 広々とした和室で、座布団に腰掛けた3人の前に勉強道具が並ぶ。そんな中、さくらと大輝は尚の袖を引っ張り、かまってほしいとせがむのだった。

 楓は、そんな尚に代わり、優しく声をかける。


「じゃあ、お姉ちゃんが遊んであげるようか」

 

 勉強を見るために座ったばかりだったが、楓はすぐさま立ち上がった。その姿に、幼い姉弟は怯えたように尋ねる。


「お、お姉さんは誰?」

「た、確か、楓さんでしょ」


 幼い姉弟は、先日の食事の時に楓に会いはしたけれどあまり話もしなかったので、このお姉さんが何者なのかをよく知らなかった。

 少し怯えた様子で、金髪の少し日本人離れした美少女を見上げている。

 

「へえー。もしかして、にいちゃんのカノジョ?」

「い、いえ、私は尚くんの……新しい妹よ」


 膝を曲げて視線の高さを近くするとにこりと笑って、楓は答える。

 

「尚兄ちゃんの妹……つまり、僕たちにとっては……」

「私たちの新しいお姉ちゃん?」

「……ええ。そうよ!」

 

 本当は違うのだと説明しようとしたが、無邪気な子どもたちの反応があまりに可愛らしかったため、楓は思わず力強く頷いていた。

 

「ちょっと楓お姉ちゃん。嘘は教えないで」

 

 その様子を見た麻衣が、呆れたように突っ込む。


「楓お姉ちゃんは、尚お兄ちゃんの妹なのは本当だけど、私たちにとっては親戚のお姉ちゃん」

 

 複雑な説明に、さくらと大輝はよく理解できていないようだったが、とりあえずうなずいていた。

 楓を見つめる尚の視線に、申し訳なさが滲む。


「え、楓さん。そんな……遊んでもらうなんて、悪いよ」


 だが楓は、優しい笑顔で首を振る。


「いいからいいから。交代制にしよう。尚くんが数学を教えている間に、私がさくらちゃんたちと遊んでいるから」


 その提案に、幼い姉弟は大喜びで、尚にお礼を言うと楓と一緒に部屋を後にした。

 残された尚は、ほっとした表情で机に向き直る。

 




 一方の楓は、公園まで連れだってきた幼い姉弟と楽しく戯れていた。

 さくらと大輝に尚との普段の遊びについて尋ねて、ゲームやテレビ番組の話を聞きながら、楓は尚の優しさを感じずにはいられなかった。

 ふと、大輝が楓に問いかける。


「楓お姉ちゃんは、尚にーちゃんのこと好きなのか?」

「え?」


 子どもならではの直球の質問に、楓は思わずどきりとする。


「ほら、にーちゃんの好きなものいっぱい聞くから」

「あー。なんていうかちゃんと妹になりたいなって思うから」

「でも、もう妹なんですよね?」


 楓を覗き込むさくらの言葉に、返す言葉に窮してしまう。


「妹見習いみたいなものだから、ちゃんと兄妹っぽい付き合いをしたいなって考えてるの」

「うーん」


 楓の心情を察したさくらは頷くが、幼い頃から自然に義兄に甘えてきた自分とは違うのだと感じた。

 大輝に至っては、深く考えることなく、ただ『遊んでもらえばいいじゃん』と笑っている。

 そんな姉弟に、楓も微笑みを浮かべた。


「よし、分かった。僕たちがにーちゃんのこと色々教えてやる」

「はは、よろしくね」


 そう言って、楓は可愛らしい姉弟と一緒に楽しい時間を過ごすのだった。

 




 1時間後、3人が部屋に戻ってくると、勢いよく障子を開けた大輝が叫ぶ。


「すげー。楓お姉ちゃん、すげーんだよ」


「大輝、さくら。おかえり」

「楓さんもありがとうね」

 

 麻衣と尚は真面目に勉強していたところから視線を上げて3人を出迎えた。

 興奮冷めやらぬ大輝は、あぐらをかいて座る尚の膝の上に乗ってしまう。

 体重を預けられ、苦しそうな尚を見て、楓は微笑ましく感じた。

 

「え、楓さん。すごかったの? 何が?」

「サッカーすごい上手いんだよ」

「楓さん、上手いんだ。ちょっと意外」

「ふふん、中学の時は県選抜メンバーに選ばれたこともあるんだから」

 

 そう言って、楓は美しい金髪をかきあげ、大輝と共に尚にアピールする。

 

「え、そうなんだ。すごい」

 

 楓が走っているところさえ見たことがないので驚いている尚に向かって、なぜか大輝も自慢げだった。

 

「じゃあ、交代しましょうか」


 楓は尚の隣に腰を下ろし、正座をする。


「ありがとう。じゃあ、数学は教えたからそれ以外をよろしくね楓さん」

「わかった」


 尚が立ち上がると同時に、さくらと大輝が尚の手を掴んだ。


「にーちゃんは、じゃあ、ゲームしよ。ゲーム」

「おにいちゃん、勝負ー」

「えっ、あ、お前たち。ちょっと待って」


 幼い弟妹に引っ張られるまま、尚が部屋を後にしていく。

 居間に取り残された楓と麻衣は、連れ去られる尚の背中を見送り、微笑み合った。


「ちびっこは、元気ね」

「麻衣ちゃんは大丈夫? 休憩する?」


 2人きりになり、楓が遠慮がちに麻衣に声をかける。前回会った時よりも、距離が離れてしまっているように感じたのだ。

 『恋敵』だの『正妹の座』だのと、友人たちが言うから変に意識過剰になってしまっているのだろう。

 対して麻衣は、疲れからか元気がなさそうだった。


「大丈夫です。数学以外なら大丈夫……。数学以外なら……」


 麻衣が広げたノートには、尚の赤ペンでびっしりと添削が入っている。黒字よりも赤字の方が多いほどだ。


「あ、数学苦手なんだ」

「大丈夫です。やりましょう。ありがとう楓お姉ちゃん」


 麻衣は真剣な表情で正座をし直し、国語の教科書を取り出す。

 数学以外なら問題集は順調に進み、楓もあまり質問されることなく見守るだけだった。

 

「なんだって、うちの学校にそんなに来たいの?」

「お兄ちゃんがいるからです」

 

 あまりにもまっすぐな返事だったので、楓の方が戸惑い照れてしまう。

 

「別に妹なんだし、もう仲良くなっていて、こうやっていつでも会えるんだから別に同じ学校でなくてもいいんじゃないの?」

 

 素朴なそんな疑問に、尚は『まだまだ分かっていないですね。楓お姉ちゃん』という笑みを浮かべていた。

 

「尚お兄ちゃんは、血が繫がっていなくても妹を恋愛対象には見てくれません」

「うん。まあ……それはそんな……ものじゃないの?」

 

 今はもう尚には嫌悪感はないけれど、見知らぬ新しい義兄に最初から恋愛対象として見られていたら気持ち悪かっただろうと楓は思う。


「お兄ちゃんはトラウマがあるからか、女性が苦手だし。どうしても……義妹に対してでも少し壁があるんですよね」

「そう……かなあ」

 

 確かになんとなく尚にはそんな苦手意識があるような気はしていた。

 ただ、楓は自分とはまだ壁があるのは分かるけれど、麻衣やさくらに対してはとても打ち解けていて羨ましいとさえ思ってしまうだけに意外な言葉だった。

 

「だから、今回お兄ちゃんが内藤家に行くのは寂しいけれど、私にとってはチャンスだと思ったんです」

「チャンス?」

「ええ、妹からは離れて、今度は後輩として向かいあうんです。そして『尚先輩。付き合ってください』と告白するんです」

 

 興奮したように鉛筆を持ったまま両手を握りしめて力強く言う麻衣。

 尚はまだ完全には納得していなかったけれど、彼女の気持ちを尊重することにした。

 

「うん、頑張ってね。合格するように力になってあげるから、何でも言って」

「ありがとう。楓お姉ちゃん」

 

(義妹じゃなくて、後輩だといいんだろうか……)


 尚には妙に生真面目な区分けがあるようには感じていた。

 麻衣が言うから正しい認識なのだろう。まだまだ尚のこともよく分かっていないと思う。

 とりあえず麻衣の願いが叶うかどうかは分からないけれど、少なくとも彼女がその一歩を踏み出す勇気を持っていることに心から応援してあげようと思うのだった。

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