第8話 義妹と元義妹
松木と小野寺が購買からパンを買って戻ってきても、教室内はどこか騒がしいままだった。
だからと言ってずっと内藤尚の周りに人が集まって質問攻めにされている様子もなく、しばらくするといつも通りの3人の昼食風景になった。
「うらやましい。うらやましすぎる! どうして俺にも美少女の義妹ができないんだ?」
松木は尚の義妹、楓に対する羨望を隠せずにいた。カツサンドを食べ終えた後、彼は尚に向かって不満をぶつけていた。
尚は友人たちと教室で昼食をとっていた。いつもの光景だが、今日は松木が特にうるさい。尚のもう一人の友人、小野寺は、松木をなだめながら言った。
「尚もそんなこと言われても困るだろ。僕たちは、両親が元気でいることに感謝しようよ」
しかし松木は譲らない。
「両親が離婚しても、美少女の義妹ができる方がいい!」
勢いでそんなことを叫んだ松木は、周囲の冷ややかな視線を浴び、自分でもさすがにその発言はどうなのと反省し、静かになった。
「でも、楓さんって美人だけど、いつもクールだよね。一緒に暮らしていると疲れたりしない?」
小野寺は、高校生になって環境が大きく変わった尚に同情し、噂の内藤楓との生活に気疲れするのではと心配してくれている。
「楓さんは家ではクールというか……」
尚は、出会ってから一ヶ月の楓との出来事を思い返す。あの日、初めて顔を合わせた時の、楓の凛とした瞳と、金色の髪が輝く姿が脳裏をよぎった。
(あれからは近くなれた気がする)
尚は内心で呟きながら、小野寺の問いかけに答えようとする。
「優しいの?」
小野寺は、それなら良かったと微笑んだ。
「一見クールだけれど……優しい……そうとも言えるけれど……どちらかというと……」
尚は慎重に言葉を選んだ。楓の気丈な態度の裏に隠れた、彼女の真っ直ぐで熱い心を感じていたからだ。
「熱血漢って感じかな」
「熱血漢?」
尚の言葉は、学校中に浸透している内藤楓のイメージとはかけ離れていたため、小野寺と松木は驚いて目をぱちくりさせていた。
放課後。
尚は地元の駅の改札を出たところで楓と目があった。
楓は一瞬、戸惑った顔をしたが、すぐに家族として温かく迎えると宣言した以上は避けるようなことはしないと、真っ直ぐに力強い眼で見ながら尚に近づいて並んで歩いた。
「義兄さんも今、帰り?」
楓は尚にそう尋ねた。
普段はあまり呼ばない『にいさん』呼びなのは、地元の友だちが近くにいたときに変な噂を立てられないためなのだろうと尚も理解した。
そんな理由でも、普段ぎこちない二人の距離は少しだけ縮まった気がして尚も楓も笑顔を浮かべた。
「うん、一緒に帰ろうか」
尚はそう答えた。二人は肩を並べて、住宅街を歩いた。楓の透き通る金色の髪は日差しを浴びてキラキラと輝いており、青い瞳は真っ直ぐ前を見ていた。
長くつややかなまつ毛が綺麗だと尚は改めて近くで横顔に見とれてしまい慌てて首を振った。
(つ、つい。見とれてしまった……駄目駄目)
尚は頬を赤らめながら、視線を外した。
2人の心の距離が縮まった結果、楓は物理的にはかなり近い距離で隣にいることが多くなったと尚は感じていた。
「義兄さんは、部活とかはしないの?」
楓は不意に尚の方に顔を向けて聞いた。
外から見れば、仲良い兄妹やカップルに見えるかもしれないけれど、本人たちはまだまだぎこちない雰囲気の中で楓もなんとか楽しく世間話をしたいと内心では気合いを入れて声をかけたのだった。
尚の方は単純に気合いが入った楓と近い距離で目があってしまいどきどきしてしまう。
「料理部に仮入部してみたんだけど、そんなに活発じゃないみたいだし、普段は部室で女性の先輩が数人で話しているだけだったからちょっと悩んでる」
「料理部? 前にも言ったけれど、別に父さんのことを気にする必要はないからね」
楓の実父の健太郎は今やそれなりに有名なパティシエだった。
尚が養子としてこの家に来るにあたって義父の仕事を手伝わなければと思っているようなのが気になって、健太郎からも気にしなくていいと諭されたところだった。
「うん、義父さんのことも少しはあったけれど、元々料理は好きだったから……」
「へえ。そうなんだ」
昔の家で、嫌だけれど料理させられていたとかではないのだろうかと楓は少し探るように尚の表情を確かめていた。
はにかんだ笑顔を浮かべているのでどうやら好きなのは本当らしいと安心して、それなら義兄の料理を食べさせてもらいたいなと思った。
「本当だよ。まだまだ素人だけど、妹たちも僕が作ったお菓子を喜んでくれていたし」
「へえ。そうなんですか」
尚のその言葉には、楓は先ほどよりかなりトーンが下がった相槌をうっていた。
楓自身もよく分からない感情だったけれど、『今の妹』を目の前にして『前の妹』の話をされるのはなんとなくもやっとしてしまうのだと思う。
「お兄ちゃん!」
と後ろから元気な声が聞こえた。
楓は振り返ると、今、まさに話していたここ数日間、よく出会っている顔の少女がいた。
「え」
と楓は思わず嫌そうな言葉が漏れてしまう。
「麻衣……?」
と尚はいきなり間合いを詰められて腕に密着されてしまったので、あまりよく見えずに戸惑っていたけれど、こんなことをするのは『前の妹』しかいないだろうと推測する。
「はい、お兄ちゃん。麻衣です」
嬉しそうに麻衣は答えた。
彼女は尚に向かって微笑みながら、鼻と鼻が触れそうなほど近づいていた。
ショートカットで日焼けした彼女はいつでも元気いっぱいに見えるけれど、特に嬉しそうな笑顔に見えた。
麻衣は、尚や楓と比べて頭半分ほど背が低いけれど、そのスタイルはしっかりしていて、子供っぽさは感じられない。一歳年下にもかかわらず、楓よりも出ているところはでている体つきをしていた。
楓は、そんな麻衣が尚の腕に密着する様子を複雑な表情で見つめていた。
(くっつきすぎじゃない? 義妹と言っても……)
「『え』とはなんですか。楓さん」
麻衣の方も視線を感じて楓の方を向いた。
「いや、そんな毎日来なくてもいいでしょう」
「お兄ちゃんが心配なので」
「だから、私がちゃんと、尚くんの妹として責務をちゃんと果たすから、心配は不要です」
楓は力強く宣言する。
尚には、もちろん楓の意気込みは嬉しい言葉だった。
ただ、『妹ってそんな責務とかあるものだっただろうか』と疑問に思いながら二人の義妹の会話を聞いていた。
「そんな堅苦しいのは駄目です。いいですか、妹というのは兄に我が儘を言っていい世界で唯一の存在なんです!」
「麻衣……も、何を言っているの?」
気持ちはわかるけれど、当の妹からそんな力強く言いきられてしまうと尚としては引きつった笑みになってしまう。
「そんなことは! ……いえ、でも、確かにそれが正しい妹なのかもしれない……」
「楓さんも納得しないで!」
真面目に考え込んでいる楓を見て、尚は不安を覚えてしまうのだった。
「ちょっと、玄関前で何を騒いでいるの?」
玄関のドアから、そっと顔をのぞかせた由香が声をかけた。
並んで歩いてくる娘と義理の息子の姿を二階のベランダからみかけたのに、なかなか家に入ってこないので不安になって思わず様子を見に来てしまった。
「あら、麻衣ちゃん。いらっしゃい」
由香は、娘たちがもう一人の誰かと会話をしているのだろうと思い様子をうかがっていたが、親戚の女の子だったことに気がつくとにこやかに話しかけた。
「もう、麻衣ちゃんならさっさと家に入れなさいよ」
「そんなに毎日、家にいれなくていいでしょ」
母娘は言い争っていたけれど、母親は当然のように押し切って家の中へと招き入れた。
「だから、尚くんは我が家で温かく迎え入れているし、私も理想的な妹……になるために頑張っているから……」
「そういう問題じゃないのよ。ねえ、麻衣ちゃん」
「ええ、尚お兄ちゃんが、心配なだけですから。大丈夫そうでも、本当は無理をしているということがよくあるんです」
ここ最近、内藤家の食卓でおやつを食べながら話す三人の姿は、すっかり馴染みの光景になっていた。
尚は、積極的に女性たちの会話には参加しないのだけれど、かといって部屋に引っ込んでいるのも失礼だと思い少し離れたリビングのソファーでゆっくりとおやつを頂きながら話を聞いていた。
特に今日は自分の話ばかりをしているので、本を読もうとしても気になってしまう。
何か尚のことを話すたびに、麻衣が『妹歴が長いですから』とマウントを取ってくるのを、楓は嫌そうに聞いているのが伝わってきてしまう。
「そう。今日はお願いがあってきました」
楓が微妙に嫌そうな空気を出しているのを気にせずに麻衣は、今日、この家に来た目的を思い出して尚の方を向いて頭を下げた。
「お兄ちゃん。お勉強を教えてください」
「うん。別にいつでも教えるけれど……」
「週末とかも我が家に戻ってきて、みっちり教えて欲しいんです。お父さんも『ちゃんと家庭教師代は払う』と言ってます」
「え! それはちょっと……」
そんな声をあげたのは、尚ではなく楓だった。
3人ともそんな楓の言葉にしばらくの間があった。
楓も冷静になると自分でも何故横から口を挟んでしまったのか分からずに恥ずかしい気持ちになる。
「楓も、尚くんが馬場家にばかり行くのは寂しいそうだから」
「寂しいなんて言っていないから!」
由香の言葉に、楓は冷静を装い強めに抗議したけれどさきほどの発言は失敗したと思っているのか顔は赤かった。
「我が家にも、遠慮なく来てくれていいのよ」
由香は、尚がなにか言うよりも先に笑顔でそう提案した。
「あ、うん。じゃあ、週末は交互に行き来する感じで……。平日は、毎日行ったり来たりするのは時間が勿体ないからオンラインとかで……どうかな」
尚は、麻衣にそう提案する。
止めようとした楓の気持ちはあまり理解できていなかった。それに、由香も笑顔だったけれど、毎週、馬場家に行って欲しくはないという気持ちは伝わってきたので落とし所を探っていた。
(なんで、こんな変な気遣いをしないといけないんだろう……)
尚はそう思いながら3人の女性の顔色を窺うと悪くはなさそうな反応だったのでほっとしていた。
「オンラインかあ。でも、お兄ちゃんに夜中に電話とかしたことがなかったから、ちょっと新鮮」
特に麻衣は満足そうな笑みを浮かべて意気込みを語る。
「私、頑張ってお兄ちゃんや楓さんと同じ高校に行きたいの」
「え? む、難しくない」
でも、その意気込みに対して、尚はとても冷たい反応だった。
「うちは進学校とはいえ、そんなに超難関というわけでもないと思うのだけれど、そんなに厳しいの?」
楓は、麻衣に同情して尚に小さな声で聞いていた。
「そうだね。2年の時の成績がね……」
麻衣の成績のことをよく知っている尚は険しい顔をしていた。
「や、やっぱり無理?」
麻衣はそう言われて涙目になっていた。
「不可能じゃないけれど、よっぽど頑張らないと」
「頑張る。もう部活もほぼ引退だから、ちょーう頑張る!」
麻衣は大きな声で訴える。
「お兄ちゃんと同じ学校に行きたいの!」
「……分かったわ」
麻衣の気合いの入った訴えに、大きくうなずいて立ち上がったのは楓の方だった。
「私も勉強を見てあげるから!」
「え?」
楓は麻衣の肩に手をおいて、力強く宣言した。
麻衣は、義兄ではなくて親戚のお姉ちゃんがこんなに力強く言ってくるとは思っていなくて目を丸くさせていた。
「絶対に私たちの高校に合格させてみせるから、任せなさい」
楓は熱い眼差しで麻衣を応援してくれていた。
麻衣から見ても、自分と義兄が二人きりになるのを邪魔したいというわけではなく本当に応援してくれているのだということは伝わってくる。
「分かりました。尚お兄ちゃん、楓お姉ちゃん。よろしくお願いします!」
麻衣は立ち上がると3人に向かって頭を深々と下げてお願いをした。
満足そうな表情でその光景を見ている楓の様子を、尚は横からそっと覗き込んでいた。
(やっぱり熱血漢っていう感じだよね)
尚は内心で呟きながら、楓の横顔を優しい目で見つめていた。
そんな尚の視線に気づいた楓は、はっとして尚の方を向いた。二人の目が合う。
「な、何よ」
楓は少し照れくさそうに言った。
「ううん。なんでもないよ」
尚は優しく微笑むのだった。
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