第7話 花束屋大騒動

 ベールストリートで生きる上で最も必要なのはご近所づきあいである。


 トラブルを未然に防ぐだけではなく、住民たちで治安をさらに悪化させないのが目的である。

 トラブルを起こした相手がギルトの構成員で住民が痛い目遭ったという事例が存在するからだ。


 ≪ポリゴンファクトリー≫事務所兼自宅の後ろに娼館が新しく建つことになった。


 娼館自体珍しくないが事務所のある所はベールストリートと都民たちが多く住まう住宅街に近いので娼館はストリートにあれど住宅街近くに立つことは珍しいのだ。


 娼館ができてから事務所は毎晩のように喘ぎ声の騒音に悩まされていた。

 それまではギルドが建前上所有していたフロント企業のビルで下級構成員が一人二地そこにいるだけだったのでそれまで静かだったのが一晩にして喘ぎ声が子守歌のようにに流れてきたのだ。


 住民たちは抗議しに行こうといきり立ったが娼館というものは後ろに何が付いているかわからない過去に小競り合いをした結果、住民の何人かが見せしめに殺されたのを記憶に新しいからだ。


 住民たちは手法を変え代わりに抗議してくるところを探してくれるとこを見つけ出し合ったお金で代理で抗議してもらおうという方法をとったのだ。


 そこで白羽の矢が立ったのは≪ポリゴンファクトリー≫である。近隣住民から抗議の依頼を受けたときサイキは内心待ってましたとばかりに住民たちの依頼を承諾した。


 実はサイキたち兄弟も汚い騒音に悩まされていたからだ。後ろということもあって夜な夜な女性や少女の喘ぎ声や叫び声、泣き声いや鳴き声といったほうがいいような嫌に甲高い大声がほぼ至近距離で聞こえてくるため、


「う……うるさくて、仕事ができん……」


 とサイキが頭を抱えるほどであり、シーカも普段出張や外回り、深夜まで仕事をするシーカにとって貴重な貴重な睡眠時間が失われているのでストレスがピークに達しつつあった。


 なのでこの依頼は何としてでもこなさなければいけない、いやこなすのだと2人は決意を固めた。


 抗議の日、サイキとシーカの2人はアイロンがかかったスーツに身を通し、新品とも思えるピカピカの上等な絹のネクタイを締め、靴墨で磨かれた革靴を用意し、書類のが入った傷がほとんど見えない革鞄をシーカが持ち、例の娼館へと靴音を鳴らしながら向かった。


 件の花束屋に入ると銀色の車いすに座った人間の女性が出迎えてくれた。黒い髪に白い肌、濃い青のドレスに金糸で小さな刺繍が施されいる。情報だと花束屋の主人は女性だと聞いていた。この女性が主人なのだろう。女性は小さく微笑みながら挨拶してくれた。


「ようこそおいでくださいました。ポリゴンファクトリーの皆様。本日はお忙しい中ありがとうございます」


 主人は深々と頭を下げ、2人を店の応接室へと案内した。応接室はロココ様式の煌びやかなつくりとなっていて内装の手の込みように思わず凝視したくなるほどだ。


 それでも気を取り直して抗議の内容を主人に伝えた。男2人の抗議に主人は怯みもせず聴いていた。


 そこから抗議内容についての議論が始まった。


 サイキたちの要求は


 防音工事をしてほしいとのこととそれがだめならわが社の防音のための費用を支払ってほしいとのことであった。


 それに対して主人アンナの見解は自分たちは悪くない。金銭に関して一切を出すつもりはないとのことで最近ほかの都市から移転してきたばかりなのでその余裕がない。向こうでは声のトラブルはなかったと主張している。


 要は自分たちは悪くないとの魂胆か


 話し合いが平行線になりつつあった時、玄関のドアが開いた音がした。アンナは待ってましたとばかりに車いすを押して応接室を出た。


 彼女が再び応接室に帰ってきたとき彼女の夫を引き連れてやってきた。シーカは持ってきた資料に目を通す。


 旦那の名前はロイド、魔人族。厚手のスーツに顔と手は黒い包帯でぐるぐる巻きにされており、右目だけは見えているといった顔立ちだ。さらに身丈も高い。一見すると恐ろしく感じる風貌である。


 だがこれしきの事ではサイキたちは動じず、再び議論の準備に入った。しかしここでも話し合いが平行線に終わってしまった。


 時間だけが無為に過ぎて後、サイキが突拍子もないともいえることを言ってきた。


「じゃあ、検証してみないか?どのくらいうるさいかためしてみるか」


 その言葉を聞いたアンナは商機とばかりに目を輝かせる。


「あら、うちの子たちを利用してくださるんですか?ありがとうございます」


 サイキはシーカに目を運ばせながら何かひそひそと話し始めた。


「いや、店の女と寝たら話し合いはそっちが有利になる。寝るのはあんただ」


 とサイキはアンナの旦那を指さした。アンナは男が自分の夫と寝るなんて発想と発言で目を丸くした。彼女は「え……ええ」とした顔だった。


 ただ検証には賛成していたようなのでサイキとシーカは準備をし始めた。アンナの方もロイドに手伝ってもらいながら両足に銀色の義足をつけてもらっていた。


 双方の準備が整ったところでサイキはアンナを引き連れて≪ポリゴンファクトリー≫に連れて行った。そしてサイキは執務室へ案内した。夜な夜な喘ぎ声を聞いてる部屋だからだ。


 アンナは最初は警戒していたが執務室においてある本に目を少し輝かせていた。


「あら、『現代経済と思想』読みたかった本ですわ。少し読んでもよろしくって?」


「ああ、いいですよ。そろそろ向こうも準備が終わったころだと思うので」


 アンナたちが本を読み進めていると、花束屋の方から男の喘ぎ声がはっきりと聞こえてきた。


「あっあっ、ああああ……やめっや゛め゛でぐれ」


「い゛っイ゛っぢゃう。だずげでおかしくなっちゃう~////」


 そんな地獄図絵か向こうで繰り広げているのか、アンナも本を読むのをやめて窓に引っ付く勢いで聴いていた。


 シーカともロイドともとれる男の嬌声が執務室までに響いていた。最初は自分の夫がシーカを抱いているのかと思っていたらだんだんと自分の夫の喘ぎ声が聞こえてきたので得体のしれない恐怖を覚え始めた。


「シーカさんの声でしょうか?あの人が組み敷かれることなんてありえませんし」


 だんだん不安になったアンナは急いで夫の元へ向かおうとしたが、サイキに腕をつかまれて止められた。そしてサイキから衝撃なことを告げられる。


「男同士のアレは前戯にじかんかかるからな。これからもっとかかるぞ」


 サイキは少し意地悪そうに追い打ちをかけた。


「これは検証なんだ。どれぐらいうるさいかその耳で確かめてもらわないといけないなあ」


 アンナを再び座らせておそらく自分の夫だろうと思われる男の喘ぎ声に叫び声、泣き声が数時間にわたって執務室まで響き渡った。男同士だから声の通りが女の人とは違うのだろうが、アンナにわからせてもらえてよかったとサイキは思うのだった。


 結局アンナも夫の元へ行くには勇気が持てず、一晩サイキの部屋で寝ることとなった。しかし夫のことが気がかりであまり寝れなかったようだ。


 夜が明け、2人は花束屋に戻った。包帯で分かりづらいがどこかやつれたかんじのしたロイドが出迎えてくれた。サイキはシーカがどこにいるのかを訪ねた。


 ロイドはシーカという言葉にビクッと一瞬怯えながらも彼なら別室で朝餉を食べていると答えた。


 サイキはシーカを連れ戻し再び昨日の議論の再開を求めた。


 2日目の議論は議論とも思えないようなあっさりとしていて花束屋は非を詫びた。


 こちらの要求通りにしてくれるとのことだった。サイキは少し青い顔になっているアンナに諸々の契約書をサインさせて帰っていった。


 サイキはお湯を茶葉の入ったポットに注ぎ入れながら、シーカに尋ねた。


「お前、あの夜何をしたんだ?」


 シーカは少し恥ずかしそうにお菓子を用意しながら答えた。


「ああ、ちょっとニッチなプレイさせたらあいつガキのように泣いててさ、あいつ俺よりも大男なのに子犬のように泣いちゃって笑いそうになったぜ」


 サイキは我が弟ながらに怖いと思いつつもおかげで仕事を完遂できたのでそこは飲みこんでシーカに熱い紅茶を差し出した。


 一方花束屋ではその日の夜、アンナはベッドの上でロイドに昨日のことについて尋ねた。


「ねえ、あなた。あの夜何があったの?」


 ロイドはうつむいたままだった。無言の時間が始まった。


 ロイドは絞り出すような小さな声でぽつぽつと話しはじめた。


「最初はあの小柄な男をわからせようと初めてだけど男を抱こうと思ったんだ。でも……」


「でも?」


「向こうのほうが一枚上手だったみたいで、いつのまにか私のほうが快楽に溺れてしまったんだ……」


「じゃあ昨日の声って……」


「聞こえていたのか……やっぱり防音対策はすべきだった」


 縮こまるようにロイドは小さくなった。がロイドは意を決したようにまた話し始める


「組み敷かれて気が付いた時には快楽に染まっててどうしようもなくなっちゃたんだ。脳が快楽にすべて染まったときの幸福感、奪われてなくなっていく思考力すら……」


「すべてが気持ちよく感じてしまったんだ。」


 ロイドは肩を小刻みに震えながらベッドの上にいるアンナを押し倒した。


「わ……私は今でもお前のことを愛して、愛しているんだ。だけどあの快楽を知ってしまった。私はあの快楽の虜になってしまった。これからどれだけ女を抱こうとも君を抱こうとも……あの夜を忘れることはできない。すまない済まない。」


 アンナは内心ショックを受けていた。かつて革命期自分は王制派に属しており、革命派の暴力によって両足を失うこととなり、そこでロイドと出会ったのだ。娼館業を始めてともに支えあってきた夫が見知らぬ男に立った一晩で心を奪われたというのだ。


 私が何年も築き上げた思いが一夜にして獲られてしまった。


 これ以上踏み込むのはやめよう。


 この人と私の心の平穏のために


 アンナは震えて縮こまっているロイドを一晩中抱きしめたのだ。


 しばらくして花束屋は防音工事のため臨時休業となった。その間にアンナとロイドは近隣住民にお詫び行脚をするようになった。


 それから1か月後、サイキが外で煙草を吸っていると箒を持ったロイドが近づいてきた。


 住民たちの共助活動の一環で掃除当番がある。当番が回ってきたということは地域の人から一応受け入れたのだろう。


 あの夜の出来事はおそらくだが住民たちにも知れ渡ってしまっているのかもしれない。


 同情していたところもあるのかもしれない。


 ロイドはサイキに近づいて耳打ちをした。


「シーカさんにまた会うことはできないでしょうか」


 その男の顔はどこか恋をするような顔つきに見えた。今日帰ったら詳しく問い詰めておこうと思ったサイキであった。














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