第23話 巡り、巡り

庭園の四阿あずまや近くで、領主奥方は一人佇んでいた。

庭園の散策には向かない冬の日に、お付きの侍女を離れた場所に待機させたまま、生け垣に沿って咲いた薄桃色や淡黃色の花をぼんやりと眺めている。



ヒュウと風が吹き、侍女がさすがに声を掛けようかと考えた時、襟巻きを口元まで引き上げた前領主の老紳士が、杖をついてやって来た。

彼はゆっくりと奥方の隣に立ち、風に揺れる花弁を見つめた。


「ここにいると思ったよ」

「お義父とう様」

「何かあると、君と彼女はよくここで話していたものだからね」


老紳士の亡くなった妻は、息子現領主の妻である奥方の良き相談相手だった。

奥方は、領主の妻の役割や心得、領地を共に支える下級貴族との関係性、領民や側に仕える者達への心配りまで、実に様々な事を日常の会話として義母大奥方から教わってきた。

もちろん、子育てを含む、家庭のことも。


「お義母かあ様なら、なんと仰って下さっただろうと考えると、いつもここへ来てしまうのですわ」


笑顔のない奥方は、目の前の花を見つめたままそう溢した。



国主主催の新年祝賀から帰って来て、留守中の子供達の様子を聞いた。

三男アントニーの好奇心からくる行動の数々も悩みごとではあるが、長男エドワードが使用人に手を上げたことは、とてもショックだった。


エドワードは勤勉で、ほとんど手の掛からない子供だった。

親や侍女達を困らせるようなことはなく、カリスマ性を持った跡継ぎになるだろうと、寄宿学校入学前まで彼を受け持った講師達にも評価されたものだ。


そんな息子が、まさかこんな行動をとるとは、思ってもみなかった。


もちろん、行き届かない使用人に罰を与えることは、主人に与えられた権利ではある。

だが、実際にそれを行うか行わないかの間には、大きな壁があると思っていた。

気になってエドワードの学校での様子を調べてみれば、多くの学徒に慕われて持ち上げられ、やや思い上がった生活態度も報告されたのだった。



「……私は、何か育て方を間違えたのでしょうか」


再びポツリと奥方が溢した時、返ってきたのは固く厳しい声だった。


「その発言は、エドワードに失礼ではないかね? エドワードは、君の作ったではないよ」

「そんなつもりでは…!」


奥方が見た隣に立つ老紳士の横顔は、普段の偏屈な老人のものでも、孫に甘い祖父のものでもない。

長年この領地を守り治めてきた、信念ある貴族男子のものだ。


「我々は、確かにエドワードよりもずっと長く生きている。しかし、果たして彼を間違いなく真っ直ぐに導くことの出来るような、清廉潔白な人間であると言えるかね?」

「……いいえ。いいえ、お義父様、私はそんな立派な人間ではありませんわ……」


震えるような奥方の声を聞き、老紳士はハッとしたように横を向いた。

萎れる奥方を見て、クシャと顔を歪ませる。


「ああ、いかん、いかんな……。彼女であれば、君にこんな顔をさせることはあるまいに……。すまないな」

「そんな、お義父様……」


老紳士は軽く息を吐いてから近寄り、奥方を促して歩き始めた。


杖をつくコツコツという音が、二人の足音と共に響く。

サワサワと密やかな葉擦れの音が、二人を追うように続いた。



「……私も、もういつ死んでもおかしくない歳だが、こうして失敗する。悩みもすれば、迷い、後悔もする。人間とはそうしたものだよ。ましてやエドワードが生きてきたのはまだ十五年にも満たない。彼はまだ、学び成長している途中。しかも一番不安定な時期だ」


杖をついてゆっくりと歩きながら、老紳士は噛み締めるように言った。


十代中頃の不安定な時期。

将来への漠然した不安。

自分への根拠のない自信。

折に触れて揺れる気持ち。


定まらない足元と、果てしなく遠い理想の姿。


「我々大人は、自分にもそんな頃があったと忘れがちだよ。その頃の自分が、どんな気持ちで日々を送っていたのかもね」

「確かにそうですわ。……あの頃、毎日の学校生活が楽しくて、卒業するのが怖かった……」


奥方は小さく頷いた。

周りで婚姻の話が出始める頃でもあり、見知らぬ誰かのところへ嫁ぐのかと、不安な気持ちを持っていた。

それでも、友人には言えず、表では笑っていた頃……。


その頃の心細い気持ちを思い出し、奥方は羊毛織物のショールを前で掻き合わせた。


「エドワードも、そんな思いを抱えているのでしょうか」

「それは本人にしか分からない。彼は彼。まだ幼くとも、一人の人間だからね。確かなのは、皆それぞれ何度も失敗を重ねながら、それでも前へ進んでいるということだ。……廃嫡を望んで家を出ていた放蕩息子が、今はそれなりに領主を務めているようにな」


老紳士がニヤと笑って視線を送れば、奥方は夫の過去を思ってか、ようやく笑みを溢した。

奥方は幾分か柔らかくなった表情で、老紳士を見つめた。


「お義父様、エドワードの為に私に何が出来るでしょう」

「さあ、な……。いつだったか、『親に出来ることなど、子を信じることと、自分が懸命に生きる姿を見せることくらいです』と、彼女は言っておったよ」


老紳士は足を止める。

薄桃色の花が連なり、淡黄色の花が間で揺れる。

この庭園に咲く花々は、今もほとんどが亡くなった妻の愛したものだ。



老紳士の優しい眼差しを認め、奥方もまた、柔らかく目を細めた。


「お義母様も、失敗したと悔いることはあったのでしょうか。聞いてみたかったものです」

「それはもちろん、彼女とて人間なのだからあっただろ……」


言葉が終わらない内に、老紳士が「ぶぇっくしっ!」と盛大にクシャミをした。


奥方付きの侍女と共に、少し離れて付いて来ていたはずの侍女ルイサが、いつの間にか側に来ていた。

彼女はどこに持っていたのか、厚い綿の入った上掛けを老紳士の肩に掛けて言う。


「年寄りがやせ我慢をして、外で長々と話したりするからです。お風邪を召せばポックリ逝けるとでもお思いですか」


老紳士は背の高いルイサをめ上げ、フンと鼻を鳴らす。


「まあ、最大の失敗といえば、この年増ルイサの不遜な物言いを矯正しなかったことに間違いないがね」


ルイサが片眉を不満気に上げ、奥方はふふと笑う。



咲く花々は、冷たい空気の中でも温かな色を揺らし、三人に笑い掛けているようだった。




《 巡り、巡り/終 》

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