第15話 閉じて開いて
冬のある日。
寄宿学校に入っている、領主の三人の子供達が帰郷したのは、日も落ちかけた頃だった。
前門を入った馬車が止まるのを、アントニーはエミーリエと手を繋いで見つめていた。
外で出迎えるのは、両親と、アントニーとエミーリエの家族四人。
祖父である老紳士は館内で迎える為、ここにはいなかった。
鼻先に痛みを感じるのは、冷たい外気のせいだけでなく、アントニーが緊張しているからだ。
久し振りに合う姉兄は、一歳下のエミーリエと違って歳が離れている。
寄宿学校に入っているので、滅多に会えないことも手伝って、どこか遠い存在だ。
人見知りの強いアントニーにとって、彼等との再会は、とても緊張するイベントなのだ。
こんな時に手を握ってくれる専属侍女のコリーは、今は建物近くで他の侍女従僕と並んで立っている。
再会はまず家族だけでと、皆下がっているのだ。
エミーリエと繋いだ右手と、左手に握った宝物だけが、今のアントニーをこの場に留めている。
きっと離してしまえば、ここにじっとしていることが我慢出来なくなるだろう。
アントニーは、命じられてじっとしていることは苦手なのだ。
だから馬車が門を入って来るまで、皆と離れ、近くの植え込みの所にしゃがんで小石で土を掘っていた。
そこでこの左手に持つ宝物を見つけたのだから、離れて良かったと思う。
アントニーは、握った両手に意識を向けて、何とか足を踏みしめていたのだった。
しかし、そんなアントニーの葛藤を知らず、馬車から降りてきた姉兄の姿を見て、エミーリエがぱっと手を離して駆け出した。
長女のクラウディアが、まず
アントニーは、完全に出鼻を挫かれた。
両親と姉、エミーリエと兄二人、そんな風にまとまってしまっては、アントニーは自分から入っては行けない。
もうこのまま
それでも、左手に残されているものだけが、船を留める
可愛い妹、エミーリエの頭を撫でていたエドワードは、少し離れてこちらを上目に凝視しているアントニーに気付いた。
実際は、アントニーは視線を動かすことも出来なかっただけなのだが、エドワードは弟が自分に何かを言いたくて構えているのだと思った。
あの目つきは、エミーリエのように帰郷を喜んでいるわけではないのだろう。
そう思うと、なんとなく関わるのは煩わしい気分だった。
長男の自分は、アントニーの歳の頃、もっと周りから厳しく躾けられていた。
周りから期待され、それに応えれば喜ばれるので、ことさら真面目に振る舞っていたし、そうすることが当然だと思っていた。
そして次男のアルベリヒは、兄の真似をして勤勉だった。
それがどうだろう。
アントニーは奔放に振る舞うことを許されている。
三男という立場ゆえなのか、とても甘やかされているように見える。
エドワードには、それが気に入らなかった。
領主の子供として生まれたからには、勉学に励み、人の上に立つに相応しい振る舞いを幼い頃から学ぶのが当然だ。
エドワードとアルベリヒは、耳にタコが出来そうなくらいにそう言われてきた。
それなのに、アントニーだけはそれを免除されているのか?
……だからといって、ここで無視するのは大人気ないだろう。
そう思い、エドワードは軽く息を吐いて、アントニーの前まで進み出た。
「アントニー、久しぶりだな。元気だったか?」
「…………は、はい、兄様……」
上から振ってくるような声は、既に声変わりしていて低く、アントニーを萎縮させる。
それでも、なんとか返事をして、後は黙って左手を差し出した。
この宝物を見せて、兄が目を輝かせてくれたなら……。
アントニーはそれだけを思って、この場で今まで耐えていたのだ。
しかし、アントニーが開いた手を見て、エドワードはキツく眉根を寄せた。
「…………気色悪い」
小声で冷たくそう言い捨てて、エドワードは両親の方へ向けて去った。
後ろに控えていたアルベリヒも、アントニーの手の平の上のものを見て、怪訝そうにした。
「アントニー、これ、どうしたの……」
そう尋ねたが、アントニーは何も答えない。
それで、困ってそのまま兄に続いて行った。
残されたアントニーは、サッと踵を返した。
もうこの場に少しもいたくない。
部屋に逃げ込んで、ベッドに潜り込むのだ。
母の声が聞こえた気がしたが、俯いてそのまま走り去ろうとした途端、柔らかなものにぶつかって、よろけた。
弾みで、アントニーの左手から、小さな黒いものが転げ落ちた。
「あら、ダンゴムシ」
柔らかな声が側で聞こえて、アントニーは顔を上げた。
目の前に、姉のクラウディアが立っていた。
アントニーがぶつかった柔らかいものは、パニエで軽く膨らんだ、紺色の姉のスカートだったのだ。
腰までの真っ直ぐな金髪を揺らし、母譲りの美貌を持ったクラウディアは、歳よりも大人びて見える。
しかし彼女は、まるで子供のように、スカートの裾が地面を擦るのも気にせずにアントニーの前に屈んだ。
「エドワードに渡そうとしたの?」
「ちが…、僕、……宝物……見せたくて……」
アントニーは顔を歪めてそう言った。
姉にも叱られると思ったのだ。
コリー以外の侍女達や、母だって、虫を近付ければ嫌がる。
アントニーの周りの女の人は皆そうだ。
でも、兄は違うかもしれないと思った。
元庭師のネルのように、厨房のマルタンのように笑ってくれると。
『この寒いのに、よく見つけたな、アントニー』
別に優しく笑ってくれなくてもいい。
ただそう言ってくれたなら、きっと、たくさん話が出来るのではないかと、もっと兄のことを知れるかもしれないと、そう思っただけだった……。
「こんなに寒いのに、よく見つけたわね」
クラウディアはそう言って、指先でツンと地面のダンゴムシを突付いた。
冬籠りから無理やり連れ出されたダンゴムシは、モゾモゾと歩き始めていたのに、突付かれて丸まる。
アントニーは驚いて瞬いた。
「私も貴方くらいの頃、ダンゴムシを見つけるのが上手だったのよ。摘んでエドワードの襟元に入れたら、あの子大泣きして。それからダンゴムシが大嫌いなの」
クラウディアはその頃を思い出したのか、クスと笑う。
そして、首を傾けてアントニーの顔を覗き込んだ。
「……きっと私のせいね、ごめんなさい」
ポロ、とアントニーの大きな瞳から涙が溢れた。
「うぅ〜……」
声を出さず、唸るように泣いたアントニーを、クラウディアは抱きしめた。
勇気を出した行動が、願った通りの結果になるとは限らない。
それでも、それは決して無駄なことではないのだと、四歳のアントニーが理解するのはまだまだ先のことなのだろう。
クラウディアは幼い弟の背を優しく撫でる。
その手の優しさが、今日アントニーが勇気を出した成果だった。
足元で、ダンゴムシが再びソロリと身体を伸ばして歩いて行った。
《 閉じて開いて/終 》
∷∷∷∷∷∷∷∷∷∷
良い子は、冬にダンゴムシを起こさないであげて下さいね♡
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます