いずれ生命に ⑵
「ネルさん、久しぶりね。元気だった?」
「おうおう、オルガ。元気だよぅ」
近付いた副料理長とネルに気付き、オルガと下女達が顔を上げて挨拶を交わした。
その間も、オルガの手は止まらない。
愛用のナイフで素早く丁寧に皮を剥き、傷んだところはないか、芽は出ていないか確認して、水を張った大鍋に落とす。
オルガは現在ベーカリー担当で、一日中様々な種類のパンを作っているが、以前は料理も担当していたので、こんな作業も難なくこなす。
料理人達は、どの仕事も一通りこなせるようにならなければ、見習いを脱せない。
だから、料理人の誰がここで皮剥きをすることになっても、当然こうやって問題なく作業することが出来るはずだった。
しかし、辞めていった料理人は、自分の番が来た日、代わりに見習いの料理人にこの作業をやらせた。
それを料理長に咎められて揉めた際には、「料理人の仕事は、
「初心かぁ。長く仕事をやっとると、忘れがちになるもんさなぁ」
「まぁ、
副料理長が、剥く前の芋が入った麻袋を覗き込んで言った。
下働きの者達が、毎日こうして下拵えをしてくれるので、料理人達は面倒で単調な作業をすることが減る。
そうすると、いつの間にか、自分が効率良く作業をして、次々と手間の掛かる料理を作れる、一端の料理人であると思えてしまうのだろう。
黙々と皮を剥いていたオルガが、ふと口を開いた。
「……私は、この作業は好きよ」
「そういえば、オルガは嫌そうにしたことないな」
「だって料理って、美味しいものを作ることだけじゃないでしょう?」
また一つ、剥いた芋を水の中に落としてオルガが言うと、ネルや周りの下女達が興味あり気に視線を向けた。
「ほおほお。じゃあ料理は他に何があるんだね?」
ネルに柔らかく尋ねられて、オルガは新しい芋を手に取った。
「料理は、
「生命?」
「そう。人間は食べないと生きていけないわ。ということは、料理は生命を支えるもの。料理人は、生命になるものを作っているの」
「これは大きく出たね!」と副料理長が楽しそうに言って腕を組むと、オルガは軽く笑って、持っている芋を見せた。
「だって、考えてもみて? 食べ物は、食べ方によっては薬にも毒にもなるのよ。身体に良いものを食べれば健康になり、悪いものを食べれば病気にだってなる。じゃが芋一つとってもそう。芽が出ていれば、きちんと取り除かなければ有害よ」
そう言って、ほんの僅かに芽が出た部分を丁寧に除いた。
じゃが芋の芽には、天然毒素が含まれているので、芽が出ていれば丁寧に取り除かなければならないのだ。
「だから、この作業は大事。食材をよく見て、私達が料理をすることがどういうことなのか、思い出させてくれる。料理長はその為にこの作業をさせるのだと思うの。この作業は“誰にでも出来ること”じゃなくて、“誰もが知っておくべきこと”よ。私達が作った
そこまで喋って、オルガはハッとして周りを見た。
演説とも言える語りに、周りの皆は釘付けになっている。
「しゃ、喋りすぎたわ! ほら、仕事。みんな仕事してっ。副料理長も!」
真っ赤になったオルガを笑って、皆が作業を再開した。
副料理長もまた、ネルを伴って裏口から厨房横の広間に入る。
テーブルに置かれた花形のクッキーを囲んでいた使用人達が、ネルに気付いて手招きし、話を始めた。
副料理長も一つ摘んでから、厨房の方へ歩いて行く。
炉の前に立った料理長が、厳つい見た目に不似合いな花形のクッキーを小さく齧っていて、思わず軽く噴いた。
「……なんだ」
「別に。いや〜、ちゃんとお前を見てる
「何の話だ?」
「さあね?」
怪訝そうに目を眇める料理長の肩を叩き、副料理長は鼻歌交じりに香草を洗う。
『いずれ
前料理長は領主館を去る時、料理長と副料理長の手を強く握って、そう言った。
これこそが、料理人の初心。
代々受け継いできた、領主館の厨房の精神だと、副料理長は思っている。
《 いずれ生命に/終 》
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