第13話 夢見る甘さ

領主館の子供用広間では、今日も年少の子供達二人と、領主奥方が午後のお茶を楽しんでいた。



末娘のエミーリエは、侍女がトングで目の前の皿に置いた小振りなデニッシュを見て、目を輝かせる。


「チョコレートナッツデニッシュだわ!」


それは、エミーリエの好物の、甘い甘いデニッシュだ。

しかし、これを茶菓子にした日は、夕食をちゃんと食べられないという理由から、母である領主奥方に茶菓子から除外されたはずだった。


隣に座る母を見れば、美貌の母は悪戯っぽく笑んでエミーリエを見ていた。


「あなたがとても残念そうだったから、オルガに言ってサイズを小さくしてもらったの。食べ過ぎてはいけないから、それを一つだけよ」


見れば、確かに前に食べていたものよりも小さい。

しかし、何重にも層になった断面から見える、溢れんばかりのチョコレートとナッツ、表面に白い雪のようにかかった粉砂糖は変わらない。

エミーリエは大きな新緑の瞳をキラキラと輝かせた。


「ありがとう、お母様! いただきます!」

「まあまあ、ふふ……」


嬉しそうに齧り付く娘を見て、奥方は満足そうに微笑んでカトラリーを手にした。


エミーリエは三歳。

食事に関してのマナーやカトラリーの使い方は、まだまだ学んでいる途中だ。

クリームたっぷりの茶菓子でなければ、家族だけのお茶の時間くらいは、手掴みであったとしても、自由に美味しく食べさせてやりたい。

口の周りにチョコレートソースと粉砂糖を付けたエミーリエが、とろけるような笑みで見上げたので、奥方は侍女が手にしていたナプキンを受け取って、そっと拭いてやった。



甘いデニッシュを一口食べて、その味に、奥方は満足そうに頷く。


料理長とオルガが結婚を決めたと、アントニーの専属侍女コリーから昨日聞いた。

男女別の使用人宿舎で暮らしている二人は、おそらくこれから二人で住む新居を探し始めるだろう。

ならば、早々に夫に頼み、領主館ここの近くでちょうど良い物件を探してもらおう。

二人が、間違えてもここから職場を移したりしないように、側に住まわせておくのだ。 


奥方はもう一口、デニッシュを口に運ぶ。

とろける甘さが舌の上に広がった。

オルガのデニッシュが食べられなくなる生活などあり得ないわと、奥方は微笑んだ。




お茶を飲もうとした奥方は、エミーリエと反対側に座る三男、アントニーの様子に気付いた。

アントニーは、エミーリエと違ってフォークを右手に持っていたが、あまり食べる気がなさそうに見える。

フォークの先でデニッシュの層を上から剥がし、少しだけ口に入れている。


「どうしたの、アントニー。このお茶菓子は気に入らなかった?」

「いいえ、お母様。チョコレートナッツデニッシュは僕も好きです。……でも」

「でも?」


もじもじと足を揺らして、アントニーは言葉を選んでいたが、思い切ったように顔を上げた。


「先週は、ストロベリーパイに変わっていたでしょう? 僕は、あれがとっても美味しかったから、また食べたかったんです」

「まあ、そうだったの……」


しょんぼりしたような息子の頬を、奥方はそっと撫でた。

アントニーは、今週もストロベリーパイを食べられると思って、楽しみにしていたのだろう。

楽しみにしていたものを急に取り上げられてがっかりするのを、先週エミーリエで見たばかりだというのに、今度はアントニーにそんな気持ちを味あわせてしまったとは。

奥方は胸を押さえた。



会話を聞いていたエミーリエが、再び口の端にチョコレートを付けて眉を下げた。


「アントニーお兄様は、ストロベリーパイが良かったのですか?」

「うん、僕はいちごジャムが好きなんだ。甘酸っぱくて、とっても美味しいから。エミーリエも好きだろ?」

「好き! いちごが丸ごと煮てあるのが、とっても好き! トロッとして、種がプチプチするの! お母様は?」


二人がキラキラとした目で見るので、奥方は微笑んで答える。


「ええ、お母様も大好きよ。でも、いちごジャムよりもダークチェリーの蜜煮の方が好きかしら」

「ダークチェリー?」

「そう、ダークチェリーデニッシュよ。カスタードクリームを敷き込んだデニッシュに、蜜をたっぷり含んだダークチェリーが並んで、ホワイトチョコレートを塗ってあるの」

「「食べたことない!」」


二人が身を乗り出すようにして言ったので、奥方は口元に指を当てて、ふふと笑う。


「そうね、この前お客様をお招きした時のお菓子で出たの。洋酒が効いていたから、あなた達には出さないのね、きっと」

「僕達はまだ、食べられないの?」


アントニーが残念そうに言えば、エミーリエも悲しそうな目を向ける。


「そうねぇ、子供でも食べられるように出来るか、後でオルガに聞いてみましょうか」

「「はい!」」


アントニーとエミーリエが満面の笑みで答えて、三人は再びお茶の時間を楽しみ始めた。




広間の壁際に控えた侍女達は、腰の前で組んだ両手を震わせる。


(ナッツたっぷりのチョコレートナッツデニッシュですって!)

(いちごトロッとストロベリーパイよ!)

(洋酒が効いたダークチェリーデニッシュって、どんな味!?)

(いや〜〜ん、美味しそう!!)

(一口でいいからたべた〜〜〜いっっ!)


彼女たちが内心悶えているのは気付かれないまま、午後の広間は、今日も甘い甘い香りに満ちている。




《 夢見る甘さ/終 》

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