第5話 影の行方
高木徹也が逮捕され、20年前の事件に関する多くの謎が明らかになった翌朝。芹沢孝次郎は警察署の一室で、鏡に関する報告書を整理していた。鏡は保管室に厳重に封印され、これ以上の影響を及ぼさないよう措置が取られている。
しかし、芹沢の中には一つの違和感が残っていた。森川英子の死と高木の罪――それらが繋がったことで事件は一応の解決を見たものの、鏡が映した「影」の記憶が、芹沢の頭を離れなかった。
突然、廊下を小走りで駆けてくる若い刑事が現れた。「芹沢先生、保管室で問題が起きました!」
芹沢は書類を置き、すぐに立ち上がった。「何があったのですか?」
「鏡です。封印していた鏡が、今朝の点検時に異常な状態になっていたんです……」
刑事に案内されて保管室に入ると、そこには奇妙な光景が広がっていた。鏡は保管用の布で覆われ、厚いケースに収められているはずだった。しかし、ケースの中にあるはずの鏡が、空っぽになっていたのだ。
「消えた?」斉藤警部補が驚愕の声を上げた。「こんな密閉された部屋で、どうやって鏡が消えるんだ?」
芹沢はケースの内部をじっと見つめた。鏡の残骸も、布も何も残っていない。まるで鏡そのものが消失したかのようだった。
「これは単なる盗難ではありません。」芹沢は静かに言った。「鏡が自らの意思で動いた……そう考えるべきです。」
「動いた?そんな馬鹿な!」斉藤が声を荒げた。
「鏡が映すのは真実だけではありません。それは、人間の欲望や罪悪感をも取り込む。何らかの形でこの場所から移動したのなら、それは再び真実を求めているのです。」
その時、別の刑事が慌ただしく部屋に入ってきた。「保管室近くの監視カメラに映像が残っていました!」
映像が再生されると、午前3時頃、薄暗い廊下に一人の影が映し出されていた。その影は奇妙な動きをしており、まるで足を引きずるように保管室の前に立ち止まった。そして、扉の前で一瞬動きを止めた後、突然消えていた。
「この影……」斉藤が画面に映る奇妙な存在を指差した。「これは人間か?」
芹沢は眉をひそめた。「いいえ、人間ではありません。この影は、鏡に宿る記憶――過去の罪そのものが実体化したのかもしれません。」
「実体化?」斉藤は困惑したように顔を向けた。
「鏡は人間の内面を映し出し、その重みによって影を生む。高木徹也の罪だけではなく、これまで鏡に触れた者たちの記憶が形を持って動き出した可能性があります。」
その影がどこへ向かったのかを調べるため、さらに監視カメラの映像が解析された。影は保管室を出た後、ゆっくりと警察署の裏口に向かい、外へと消えていた。
「外に出た……だが、どこへ行った?」斉藤が画面を見つめながら言った。
「影は、次に真実を暴くべき場所を探しているはずです。」芹沢は冷静に推測した。「鏡が示すべき真実がまだ完全に明らかになっていない。影はその答えを求めて動いているのでしょう。」
「それは一体どこだ?」斉藤が苛立ちを隠せない声で問いかけた。
芹沢は短く息をつき、答えた。「森川英子の死の裏に隠された、もう一つの真実があるはずです。そして、それは彼女の過去に関連している。」
その日の午後、森川英子の遺品を再調査するため、芹沢と斉藤は彼女のアパートへ再び足を運んだ。彼女が持っていた手帳や手紙をさらに精査すると、一つの手紙が目に留まった。
手紙にはこう書かれていた。
「真実は映されるものだけではない。見えない影がすべてを語る。」
「これが彼女の遺言だとすれば、影は彼女自身が遺した真実を示すために動いているのかもしれません。」芹沢は深く考え込んだ。
「影が向かった先は……?」斉藤が尋ねる。
「まだ分かりません。」芹沢は静かに言った。「ただし、鏡に映されなかった部分――森川英子が最後まで語らなかった何かが、そこにあるはずです。」
森川英子の手紙が示す「見えない影がすべてを語る」という言葉――芹沢孝次郎はその意味を解き明かすため、さらに調査を進めていた。消えた鏡の「影」が動き出した以上、その行方を追うことで、未解明の真実にたどり着くことができるはずだった。
警察署に戻ると、斉藤警部補が新たな情報を持ってきた。近くの商店街で、早朝に奇妙な目撃情報が寄せられたというのだ。
「商店街の一角で、不審な影を見たという通報がありました。」斉藤が報告書を手渡した。「近くにいた新聞配達員が、明らかに人間とは違う動きの影を見たと言っています。」
「影はどこで目撃されたのですか?」芹沢が尋ねる。
「古いアパートの近くだ。ここがその場所だ。」斉藤は地図を指差した。「森川英子の住んでいた場所からそれほど離れていない。」
芹沢は地図を凝視しながら、考え込むように呟いた。「その場所に影が向かった理由があるはずです……。行ってみましょう。」
現場に到着した二人は、目撃者である新聞配達員の青年から詳しい話を聞いた。
「午前4時頃でした。配達中に、路地の奥で動いている影を見たんです。最初は誰かが歩いているのかと思ったんですが、どうも様子がおかしくて……。」
「おかしい?」斉藤が問い返す。
「はい。影は人間の動きじゃありませんでした。まるで地面に溶け込むようにして消えたり現れたりして……怖くなってその場を離れました。」
「その影はどこに向かっていましたか?」芹沢が冷静に尋ねる。
青年は指を路地の奥に向けた。「あの古い倉庫の方向です。今は使われていないみたいですが……。」
路地の奥にある古い倉庫に到着した芹沢と斉藤は、慎重に周囲を調べ始めた。倉庫はすでに使われなくなって久しく、外観はひび割れ、周囲には雑草が生い茂っていた。ドアには錆びついた南京錠がかかっていたが、最近こじ開けられた形跡があった。
「誰かがここに入った形跡がありますね。」芹沢は南京錠を指差しながら言った。「影がここに導かれたと考えていいでしょう。」
斉藤がドアを開け、二人は中に足を踏み入れた。内部は薄暗く、かすかに埃の臭いが漂っていた。倉庫の中央には、壊れた家具や古い機械の部品が無造作に積み上げられている。
「ここに何が隠されているのか……」芹沢が周囲を見回したその時、倉庫の奥で微かに揺れる影が視界に入った。
「見てください!」芹沢が斉藤に向かって叫ぶ。
二人が懐中電灯を向けると、そこには人影のようなものが壁に映し出されていた。だが、その影の形は不明瞭で、まるで黒い霧のように揺れている。それは人間のように見えるが、実体を持たない存在だった。
「これが……影?」斉藤が呆然と呟く。
影は一瞬揺れ動き、何かを示すように倉庫の隅へと移動した。そして、壁際に積まれた古い木箱の前で消えた。
「ここに何かが隠されているのかもしれません。」芹沢は木箱に手を伸ばし、一つずつ動かしていった。
木箱をどけると、そこには古びたトランクが隠されていた。トランクには鍵がかかっていなかったため、芹沢は慎重に蓋を開けた。中には一冊の古い手帳と数枚の写真が入っていた。
手帳:森川英子が書いたものと見られる。中には、20年前の出来事について詳細に記録されている。
写真:森川英子の夫と高木徹也、そしてもう一人の男性が写っている。三人は何かを取引しているようだった。
「もう一人いる……」斉藤が写真を指差した。「こいつは誰だ?」
芹沢は写真をじっと見つめながら、低く呟いた。「おそらく、この人物が事件の鍵を握る最後の存在です。そして、影が示した真実もここにある。」
手帳をめくると、最後のページにこう書かれていた。
「影は逃げられない。過去は必ず追いかけてくる。」
手帳と写真を手に入れた芹沢は、影が消えた倉庫の中でしばらく立ち尽くしていた。
「この手帳と写真が、事件の最後のピースです。」芹沢は静かに言った。「もう一人の男――彼の正体を明らかにすることで、全てが繋がるでしょう。」
「それにしても、影は一体何を示そうとしているんだ?」斉藤が問いかける。
「影は、真実そのものです。」芹沢は答えた。「それは誰かの心に残る罪や記憶を形にしたもの。そして、今もなお真実を伝えようと動き続けている。」
外では冷たい風が吹き始めていた。影の痕跡が残る倉庫の中で、芹沢は深く息をつき、次の行動を決意した。
森川英子の手帳と写真から浮かび上がった「もう一人の男」の存在。芹沢孝次郎は、この人物が20年前の事件の真相を左右する重要な鍵であると確信した。彼は写真に写る男の顔を見つめながら、心の中で一つの仮説を組み立てていた。
森川英子の手帳には、彼女が20年間抱え続けてきた苦悩が記されていた。特に目を引いたのは、彼女が頻繁に「影」という言葉を使っている点だった。
「影は私の中にいる。夫の死の記憶を消すことはできない。」
「あの男が戻ってくるのが怖い。影が私を導き、真実を暴こうとしている。」
「彼女は影を恐れ、同時にその影が真実を明らかにすることを望んでいたのですね。」芹沢は手帳を閉じ、静かに言った。
「だが、影が示しているのは何だ?」斉藤が首をかしげる。
「おそらく、『もう一人の男』が事件の背後で何をしたのか、そして彼がなぜ姿を消したのか。それを影は指し示しているのです。」芹沢の目には確信が宿っていた。
写真には、高木徹也、森川英子の夫、そして謎の男の三人が写っている。背景には、かつて高木が関与していた倉庫らしき建物が映り込んでいた。
「この写真が撮影されたのは、事件の直前でしょう。」芹沢は写真を光に透かして見ながら言った。「三人の間で交わされた取引が、この事件の発端となったのです。そして、この男が何かを引き金にして、全てが崩壊した……。」
「この男の名前や情報は分からないのか?」斉藤が苛立ちを隠せずに問いかける。
「残念ながら、写真だけでは特定はできません。ただ……」芹沢は手帳を再び開き、ある記述を指差した。「英子さんは彼を『最後の影』と呼んでいます。彼女はこの男が家族を破壊した直接の原因であると確信していたようです。」
その時、芹沢の携帯が鳴り響いた。電話の主は、警察署の若い刑事だった。
「先生、新たな情報です。消えた鏡の影が、今度は森川英子の実家近くで目撃されたとのことです。」
「実家……?」芹沢は考え込んだ。「彼女の過去がさらに紐解かれようとしているのかもしれません。」
「そこに『最後の影』がいるというのか?」斉藤が言葉を挟む。
「可能性は高いですね。」芹沢はすぐに立ち上がった。「森川英子の実家には、彼女が最後まで語らなかった秘密が隠されている。そして、それが影を動かしているのです。」
その夜、芹沢と斉藤は森川英子の実家へと向かう準備を整えていた。外は強い風が吹き、夜空には雲が広がっていた。影が示す真実を暴くための最終章が、静かに幕を開けようとしていた。
「行くぞ。」斉藤がドアを開け、車に乗り込む。
芹沢は助手席に座り、写真と手帳を手にしていた。「これで全てが繋がるはずです。鏡、影、そして『最後の影』が導く真実が――。」
車のエンジン音が響き、二人は闇の中へと走り出した。
次回予告
「最後の影が語る真実」
森川英子の実家で明らかになる20年前の事件の全貌。そして、「最後の影」とは一体何を意味するのか?全てのピースが揃い、真実が暴かれる瞬間が訪れる。次回、「真実の扉」がついに開かれる――。
読者メッセージ
「鏡が映すのは真実か、それとも心の闇か。物語はいよいよ核心へと進みます。次回は、全ての伏線が繋がり、衝撃の結末が明らかになります。最後の一瞬まで、見逃さないでください!」
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