第4話 最後の扉

翌朝、芹沢孝次郎と斉藤警部補は、森川英子の夫が亡くなる直前に訪れていたとされる古びた倉庫へと向かった。見つかった古い鍵が、この倉庫の入り口にある錆びたドアを開けるものである可能性が高かった。


倉庫は市内の外れに位置し、現在はほとんど使われていない廃屋のような状態だった。長年放置されているためか、外壁はひび割れ、草が建物の周囲を覆い尽くしている。


「これが20年前の事件と関係している場所か……」斉藤は古びた建物を見上げながら低く呟いた。


芹沢は持ってきた鍵を取り出し、倉庫のドアの前で立ち止まった。「この場所にこそ、彼女の夫が何を見て、何を知ったのかが隠されているはずです。」


芹沢が古びた鍵を錠前に差し込むと、意外にもスムーズに回り、カチリと音を立ててドアが開いた。その瞬間、倉庫の中から錆びた鉄の臭いと、湿った埃の匂いが漂ってきた。


「気をつけろ。」斉藤が慎重に拳銃を取り出し、周囲を警戒する。


二人は懐中電灯で暗闇を照らしながら、倉庫の中に足を踏み入れた。内部は広く、古い木箱や工具、そして壊れた機械部品が無造作に置かれている。だが、すぐにある一角が目に留まった。


「ここだ……」芹沢が静かに呟いた。


倉庫の奥、コンクリートの床には何かを動かした跡がうっすらと残っていた。その跡を辿ると、古い金属製のロッカーが壁際に立てかけられているのが見えた。


芹沢と斉藤がロッカーの扉を開けると、中にはいくつかの古い書類と、一つの封筒が見つかった。書類は倉庫がかつて何らかの輸送業務に使われていたことを示すもので、封筒には複数の写真と手書きのメモが入っていた。


写真:コートを着た男が、森川英子の夫と何かを取引している場面が写っている。

メモ:短いが重要な内容が記されている。


「計画に反対するなら、家族も危険に晒されることを忘れるな。」


「これは……脅迫か?」斉藤がメモを読み上げる。


「ええ、そしてこの計画が何であるかが、彼女の夫の死の理由と繋がっている可能性が高い。」芹沢は写真を手に取りながら言った。「彼は恐らく、この計画に巻き込まれる形で命を落としたのでしょう。」


さらに調査を進める中で、芹沢は写真の中に写る「コートの男」の顔を見つめていた。そして、その顔には既視感があった。地元警察の協力で、過去の犯罪記録を調べたところ、男の正体が判明する。


名前:高木徹也

年齢:62歳(現在行方不明)

職業:元運送会社の幹部

過去:違法な輸送業務や取引に関与し、複数の脅迫事件で捜査対象となるが、決定的な証拠が見つからず未逮捕。


「この男が20年前、森川英子さんの夫を脅迫し、計画に巻き込んだ張本人ですね。」芹沢が写真をテーブルに置きながら言った。


「だが、彼が再びこの事件にどう関与している?」斉藤が首をかしげる。


「それはまだ分かりません。ただし、彼が過去の事件を完全に隠蔽するために再び動き出した可能性が高い。そして、彼の存在が『あの男が戻ってくる』という英子さんの恐れに繋がっていたのでしょう。」


倉庫から見つかった書類と証拠を手に、芹沢は老婦人の言葉の意味をさらに深く考え始めた。


「彼女の夫は、この計画に巻き込まれる形で命を落とした。そして、彼女は20年間、その事実を隠し通してきた。しかし、何かがきっかけで彼女はそれを暴露する決意をしたのです。それが、この鏡に関連している。」


「鏡とどう関係がある?」斉藤が問いかける。


「鏡は、彼女にとって真実を映すものであり、同時にその真実から逃げる手段でもあったのです。鏡が壊されたのは、彼女自身が隠し続けた秘密が明るみに出る瞬間を象徴しているのかもしれません。」


芹沢は倉庫を後にしながら、静かに言葉を紡いだ。


「高木徹也が『あの男』であり、彼の存在が全ての始まりであることは間違いありません。次は、この男の行方を追う必要があります。」


「だが、高木は今も行方不明だ。手がかりはあるのか?」斉藤が険しい表情で尋ねる。


「それが、この鍵です。」芹沢は手にした古い鍵を見つめた。「この鍵が開けるもう一つの扉――そこに真実の全貌が隠されているはずです。」


夕暮れの光が倉庫を背にした二人の影を長く引き伸ばしていた。最後の真実を追う旅が、いよいよ終盤に差し掛かろうとしている。。


倉庫から見つかった写真と脅迫メモを手がかりに、芹沢と斉藤は高木徹也の行方を追い始めた。彼が20年前の事件の中心人物であり、今回の老婦人の死にも深く関わっていることは明白だった。しかし、高木は現在行方不明で、その痕跡を掴むことは容易ではなかった。


「高木の名前での最近の活動記録は何も見つからないか?」

斉藤は警察署内で捜査員に問いかけた。


「ありません。ただ、彼の関係者の中で動きのあった人物が一人います。」

捜査員が渡した報告書には、高木の元部下とされる人物、片山修二の名前が記載されていた。


名前:片山修二

年齢:50歳

職業:運送業者(高木徹也の元部下)

住所:都内郊外の一軒家


「高木の元部下か……」斉藤が報告書をめくりながら呟いた。「こいつが高木の居場所を知っている可能性は高いな。」


「まずは片山に接触するべきです。」芹沢が静かに言った。「彼が高木との繋がりを保っているなら、真実への道筋が見えてくるはずです。」


片山修二の住む郊外の一軒家は、周囲から隔絶されたような静かな場所にあった。二人が車で到着すると、庭には車が一台停まっており、室内には明かりがついていた。


斉藤がインターホンを押すと、中からしばらく物音が聞こえた後、扉が少しだけ開いた。現れたのは、体格のいい中年男性で、斉藤たちを見ると一瞬驚いたような表情を見せた。


「片山修二さんですね?」斉藤が警察手帳を見せると、片山は一歩後ずさりした。


「警察?いったい何の用ですか?」


「高木徹也について話を聞きたい。」芹沢が前に出て、静かな口調で言った。「彼の現在の行方について、何かご存じではありませんか?」


片山の顔が一気に青ざめた。「高木さんなんて、もう何年も会っていませんよ。そんなことを聞かれても答えられません。」


「本当ですか?」芹沢の視線が鋭くなる。「あなたが最近、都内の倉庫で何かを運んでいるところを目撃されています。そしてその倉庫は、高木徹也が関与していた場所です。」


片山の表情が一瞬硬直したが、すぐに動揺を隠すように口を開いた。「分かりました……中で話しましょう。」


室内に通されると、片山はソファに腰を下ろし、深いため息をついた。そして、ゆっくりと話し始めた。


「確かに、高木さんとは数年前に一度連絡を取りました。でも、それ以来会っていません。彼が今どこにいるのかは、本当に分からないんです。」


「数年前に会ったとき、彼は何をしていました?」芹沢が尋ねた。


「……彼は何かを隠そうとしていました。20年前のことが蒸し返されるのを恐れていたんです。それが何なのか、詳しくは聞きませんでしたが……」


「隠そうとしていたものとは?」斉藤が詰め寄る。


片山は少し躊躇したが、観念したように口を開いた。「鏡です。彼は20年前、ある鏡を手に入れ、それを『全てを知る鍵』だと言っていました。でも、結局その鏡が原因で問題が起きたんです。」


片山の証言を聞きながら、芹沢はさらに深く追及した。「その鏡にはどのような特徴がありましたか?普通の鏡とは違う何かがあったのでは?」


「高木さんは『その鏡には見るべきではないものが映る』と言っていました。真実を映すが、それを見ることで多くの人が不幸になる、と……。」


「真実を映す鏡……」芹沢は呟いた。「それは森川英子さんが持っていた鏡と同じものでしょう。」


片山はさらに続けた。「最後に彼が言っていたのは、鏡を完全に処分しないと、自分も危険だということでした。でも、結局その鏡はどこかに隠されたままです。」


片山から得た情報を元に、芹沢は一つの仮説を立てた。「高木徹也は鏡の存在を恐れ、それを隠すことで過去の罪を覆い隠そうとした。しかし、鏡がどこに隠されているのかがまだ分かりません。」


「鏡が隠された場所を突き止めない限り、この事件は解決しないな。」斉藤が言った。


「鍵があります。」芹沢は手にした古い鍵を見つめながら言った。「片山の証言を元に、この鍵が開くもう一つの扉を探しましょう。その先に、全ての真実が隠されているはずです。」


片山の家を後にしながら、芹沢の中には新たな決意が固まっていた。過去と現在を繋ぐ最後のピース――鏡の行方を追う旅が、ついに終わりに近づいている。


芹沢孝次郎と斉藤警部補は、片山修二の証言をもとに、鍵が開くもう一つの場所を探していた。高木徹也が「真実を映す鏡」を隠したとすれば、それは彼が過去に最も信頼していた場所である可能性が高かった。


警察の捜査チームが過去の記録を洗い直し、20年前に高木徹也が頻繁に訪れていた場所が一つ浮かび上がった。それは郊外の山間部にある廃工場だった。


その日の午後、二人は廃工場へ向かう準備を整えた。工場はすでに廃業して久しく、近隣住民もほとんどおらず、周囲は深い森に囲まれていた。


「ここが高木が使っていた場所か。」斉藤が工場を見上げながら言った。「20年前の事件の全貌を隠すために、ここを使っていた可能性があるな。」


「そうでしょう。」芹沢が古びた鍵を握りしめながら答えた。「高木はこの場所に、鏡を含む重要な証拠を隠したのかもしれません。」


工場は静まり返り、不気味なほどの静寂が漂っていた。建物の外壁には苔が生え、窓はすべて割れている。まるで過去の罪がこの場所を覆い尽くしているかのようだった。


工場の中に入ると、内部は薄暗く、埃っぽい空気が充満していた。懐中電灯で辺りを照らしながら歩くと、奥に古びた金属製のドアが見つかった。錆びついた鍵穴が、この場所が長い間放置されていたことを物語っていた。


「これだ……」芹沢は鍵を差し込み、ゆっくりと回した。ガチャンという音が響き、ドアが少しだけ開いた。


二人が慎重に扉を開けると、その先には小さな部屋が広がっていた。部屋の中央には、布で覆われた大きな物体が置かれている。


芹沢がその布をゆっくりと引き剥がすと、現れたのは一枚の鏡だった。その鏡は、森川英子の部屋で割れていたものと酷似しており、見た目は異常なほどに輝いている。


「これが……真実を映す鏡か。」斉藤が低い声で言った。「高木はなぜこれを隠そうとした?」


芹沢は鏡をじっと見つめた。「この鏡は、高木の罪の象徴であり、彼が最も恐れていたものだったのでしょう。彼の過去を映し出し、逃れられない真実を暴く力があるのです。」


鏡の裏側を調べると、そこには一枚の古い写真と手紙が隠されていた。


写真:森川英子の夫が、ある契約書にサインをしている場面が写っている。その横には高木徹也が立ち、冷たい笑みを浮かべている。

手紙:高木が自身の罪を告白する内容が記されている。


「森川英子の夫を殺したのは私だ。計画に反対した彼を消すことで、全てを終わらせるつもりだった。しかし、その罪は鏡に映るたび、私を苛む。真実は隠せない。この鏡は、全てを知る者の前に現れるだろう。」


斉藤が手紙を読み上げ、深く息をついた。「これが高木の犯行動機か……。だが、まだ分からないことが多すぎる。鏡が映したという『真実』とは一体何なんだ?」


「それを知るには、この鏡が何を映し出すのかを見なければなりません。」芹沢は鏡の表面に手を伸ばした。


芹沢が鏡を正面から見つめると、その表面に不思議な影が現れ始めた。それは、森川英子の夫が高木と激しく争っている場面だった。やがて、森川英子がその場に現れ、夫の亡骸を抱きかかえる姿が映し出された。


「彼女は全てを知っていた……」芹沢が呟いた。「夫の死の真相を知りながら、それを隠し続けるしかなかった。そして、鏡がその真実を常に彼女に見せ続けていた。」


斉藤が静かに言った。「高木が再び動き出したのは、彼女がこの真実を暴露する可能性を恐れたからか。」


「その通りです。」芹沢は深く頷いた。「鏡は真実を隠すことを許さない。そして、森川英子はその鏡を通じて自分自身と向き合おうとした。それが彼女の死に繋がったのかもしれません。」


廃工場の奥の部屋。静まり返る中で、芹沢と斉藤は「真実を映す鏡」を目の前にしていた。鏡に隠された過去の断片が次第に繋がり、事件の核心に迫っている。その時、芹沢の表情がさらに深く沈み込む。


芹沢は鏡に近づき、その表面を慎重に見つめていた。鏡の光沢は異様に滑らかで、そこに映るのは自分たちだけではなかった。次第に、鏡の中に動く映像のようなものが浮かび上がり始めた。


「これは……」斉藤が息を呑んだ。


鏡には20年前の出来事が映し出されていた。それは、森川英子の夫である森川直樹が、高木徹也と激しく争っている場面だった。二人の口論は次第にエスカレートし、高木が直樹の胸元を突き飛ばす。その瞬間、直樹が倒れ、頭を打ち付ける音が聞こえるような錯覚を覚えた。


次の場面には、森川英子がその場に駆けつけ、夫の亡骸にすがりつく姿が映し出された。そして、彼女は高木を睨みつけ、涙ながらに何かを叫んでいる。


「彼女はその場にいたんだ……全てを目撃していた。」芹沢が静かに言った。「だが、それを誰にも話すことなく、20年間秘め続けていた。」


「なぜ話さなかった?」斉藤が問いかける。


「おそらく、彼女が話すことでさらなる危険が及ぶと知っていたからでしょう。そして、彼女は鏡を通じてその記憶を封じ込め、自分自身を罰していたのです。」芹沢の声には重さが滲んでいた。


その時、工場の入り口付近から足音が聞こえた。二人が振り返ると、そこには年老いた男――高木徹也の姿があった。彼は疲れ切った表情で、芹沢たちに向かって歩み寄ってきた。


「とうとう見つけたか……」高木の声は低く、力のないものであった。「だが、その鏡を見てしまった以上、君たちも理解したはずだ。真実を知ることが、どれだけ重いことかを。」


「高木徹也さん。」芹沢が冷静に声をかける。「あなたは20年前、森川直樹さんを殺し、その罪を隠すために鏡を隠した。そして今、再び鏡を奪い返そうとしている。それが真実ですね?」


高木は苦笑いを浮かべた。「正確には、隠したかったのは鏡そのものではない。映し出された俺自身の姿だ。俺が犯した罪を、鏡はずっと俺に突きつけてくる。」


斉藤が声を荒げた。「お前はその罪から逃げるために森川英子さんを追い詰め、結果的に死に追いやったんだな!」


高木は顔を歪め、低く言った。「俺がやったんじゃない……俺が何も言わなくても、あいつは勝手に恐れたんだ。この鏡がすべてを暴くと信じてな……。」


高木が鏡に手を伸ばそうとしたその瞬間、芹沢が一歩前に出て阻止した。「あなたが恐れるべきは鏡ではなく、自分の心です。鏡はただ映すだけ――映るのは、あなたの罪に対する自分自身の記憶にすぎない。」


高木は立ち尽くしたまま、疲れ果てた表情を浮かべた。「もう終わりにしたい……この鏡を壊せば、全てが消えるのか?」


芹沢はその言葉に静かに首を振った。「いいえ。鏡を壊しても、あなたの心に残る記憶は消えません。それどころか、さらに重くのしかかるでしょう。逃げることはできないのです。」


その言葉を聞いた高木は、膝から崩れ落ちた。そして、彼の目から一筋の涙が流れた。「俺は……俺は、ずっとその記憶に苦しんでいた……。」


高木はその場で自らの罪を告白し、森川英子の死に間接的に関与したことを認めた。彼は鏡が映し出した過去に向き合う決意をしたようだった。


「この鏡が映す真実は、あなたを罰するためのものではありません。」芹沢は静かに言った。「それは、罪を償うための道を示すものです。」


斉藤が手錠を取り出しながら言った。「高木徹也、これ以上逃げる場所はないぞ。おとなしく連行されろ。」


高木は静かに頷き、手を差し出した。


その夜、芹沢は鏡を警察署の保管室へと運ぶ手配を進めていた。真実を映し出す鏡は、これ以上誰かを苦しめないように封じられる必要があった。


芹沢は鏡を最後に見つめ、心の中で語りかけた。「あなたが映した真実は、人間にとって重いものだった。しかし、その重さを受け止められるかどうかは、見る者次第です。」


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