第二十三話 勝者と敗者と、うんこたろう
会場が暖かな拍手に包まれる中、新王者となったフンサイ・ギャラクシアン本人は「信じられない」といった感じで目を丸くしていた。
ここは王者、天涯の地元、日本国だ。まして明確に自分が試合をリードしていたわけではない、奪ったダウンも奪われたダウンと同じ二回。ましてや日本人ジャッジまでいた。
それで判定が3-0で自分が勝った。正直試合が終わった時、絶対に自分は負けたと思い込んでいたのだ。
「よぉおおおおおおおおし!」
「やったぁああああああああああああ!」
「ゾクゾクたぜぇ、鳥肌立ったよぉ!」
「アツい戦いだったよー、おめでとおぉぉぉ!!」
観客席の一角から、熱狂したような声援が届く。彼らは横断幕に掲げた文字をもみくちゃにしながら、心からの祝福と感動を送ってくれている。
『[👊💩เพื่อน! เราอยู่ด้วยกัน! ชนะได้! ปราบแชมป์! สู้ๆ! ฟุนทราย กาแลกเซียน!💪💩]
(友よ! わたしたちがついてる! 勝てるぞ! チャンピオンをやっつけろ! 闘えフンサイ・ギャラクシアン!)』
改めてその横断幕の文字とイラストを見上げて、彼の心にじわりとした感動と感謝が染みわたって来る。
(ああ、そうだ……彼らが私を、勝たせてくれたんだ)
日本に来てから、自分は彼らと、そして彼、うんこたろうと知り合った。彼らは皆、うんこたろうにウンチをコントロールしてもらって、心と体を健康にしてもらっていた人たちだ。
かくいう自分もあの男に、この世界タイトルマッチという大舞台で、今までにない程のベストコンディションを作り上げてもらっていた。その好調が無ければ、僅差で勝利を得ていたのは自分ではなかっただろう。
そして最後の最後、土壇場で彼に聞かされていた女の子の話。タイのスラングで可愛いの意味を持つ、キクという名の薄幸だった少女。
そんな彼女の声援が、土壇場で自分の意識を繋ぎ止めてくれた。まるで勝利の女神のように。
ありがとう、みんな。ありがとう、ウンコタロウ。ありがとう、キク。
『おお! 新チャンピオンが、あのウンコの描かれた横断幕を持つ一団に向かって、両手を掲げてアピール……そして拝んで、感謝の意を示しております』
『知り合いというか、親しげな応援団といった感じですねぇ。なんでウンコなのかはわかりませんけど』
実況と解説が、相変わらず微妙な感じでその応援団を評価する。まぁウンコの絵が描かれた横断幕のせいなのだが。
コミッショナーから認定書が読み上げられ、そして待望のチャンピオンベルトが手渡される。黄金に輝くそれを手にした時、フンサイは初めて自分が本当に世界王者になったことを実感した。
ベルトを掲げて四方に向き直る。向かった観客たちから祝福の声と拍手が送られる。最後に向けた自分たちの応援団たちは皆、涙を流して喜んでくれていた。
『それでは、新世界チャンピオンとなりました、フンサイ・ギャラクシアン選手ですっ!』
勝利者インタビューが始まる。サブロに通訳してもらい、フンサイは何より伝えたかった事実を、まず最初にみんなに告げる。
――私は、このニッポンに来て、ある魔法使いに出会いました――
◇ ◇ ◇
天涯千都選手の控室。王座を失った天涯とトレーナーの赤池ほか数名のスタッフが、落胆と反省に暮れながら、試合後のケアと後片づけに追われていた。
試合終了後から大勢のマスコミがこの部屋に殺到していたが、赤池は怒気を露わにして彼らを追い返していた。
「なんでコッチに来てやがる! 勝者を称えやがれっ! それが敗者にとっての真の慰めじゃぁっ!!」
オール・オア・ナッシング。勝者が全てを得、敗者は全てを失う。それがリングの掟だ。今、天涯にコメントを求めても、また彼を不必要に持ち上げても、ヤツのプライドをズタズタにするだけだ。
ガンコ親父のカミナリ会長で名の通った赤池の一括に、さすがにマスコミ達もすごすごと引き下がって行った。やれやれと安堵した後、部屋の扉を閉めて、この後どう過ごそうかと思案に暮れていた時だった。
一人の男が、きぃ、と扉を開けて、部屋に入って来たのは。
「誰じゃあ! 来るなと言っておいたじゃろうが……お、お前は!?」
「確か、フンサイの専属ドクター……ああそうだ、スパーリングを見に来ていた」
赤池と天涯の反応に、その男、白雲 虎太郎は静かに一礼した後、一歩二歩と彼らに近づいて行く。
「覚えていてくださって光栄です、突然の来訪失礼します」
「何の用じゃ! キサマに用なんぞないぞ、ウチにだって専属ドクターくらい
マスコミ以上にうざったい存在の訪れに、赤池は顔を歪めて食って掛かる。が、白雲はその目線をさらっと躱して、天涯に向けてこう言い放った。
「
その言葉にぴりっ、とした空気が控室に走る。どの階級で戦い、それに対応して減量をし、コンディションを整えるかはその陣営の問題だ。今日、敵だった男にそんな事を言われる筋合いはない!
「フン、天涯にベルトを取り返されるのが怖いか?」
「いえいえ。そうすれば天涯さんも日々、浣腸を繰り返す必要もないというだけですよ」
「ぶっ!!?」
その言葉に噴き出したのは天涯本人だった。彼は目を丸くして白雲に向き直ると、(何でそれを知っている)と言わんばかりの顔をする。
「先のスパーリングを見た時、あなたのお尻の括約筋が妙に忙しそうでした。あれは出す便も無いのに、お尻の神経が排便を促していた、そうですよね」
全員が完全に固まった。この男はフンサイ側の視察としてスパーを見物に来て、一体何を見ているんだ! との不気味さにドン引きして。
「最初は下剤を服用しているのかと助手が見抜きましたが、それだと最悪薬物検査に引っかかる。ならもう考えられるのは浣腸を日常的に行っているとしか考えられませんからねぇ」
「ど、どうやったら、ンなことが分かるんだよ……スゲェな、アンタ」
「マ、マジでやってたんすか? そんなコト」
彼と赤池しか知らない、ちょっと汚い秘中の秘を呆気なく見抜かれた事に驚愕する天涯、そしてそれに驚くスタッフたち。
「あなたの体力、特に大腸はそれによりすっかり弱っていました。それで王座を保っていたのですから本当に凄いですよ。もし今日のフンサイ選手のように大腸が絶好調なら、あなたは伝説のチャンピオンに必ずなれます」
にかっ、とウィンクしてそう告げるイケメン医師。その『伝説のチャンピオン』の言葉の意味を誰よりよく知っている天涯が思わず立ち上がり、足が持たずにまた座り込んでから、驚いたままの表情でこう問いかける。
「アンタ……一体、何者だよ?」
「あ、申し遅れました。私こういう者です」
そう言ってうやうやしく名刺を取り出し、天涯や赤池に手渡していく。
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うんこ研究家
代表 白雲 虎太郎
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その名刺を見て、あんぐりと口を開けて固まっている面々をよそに、その男『うんこたろう』が、にこやかな顔と声でこう続けた。
「排便や減量にお困りの時は、是非声をかけて下さいね。それでは、またお会いしましょう」
そう言い残して、バタンとドアを閉めて出ていく。
天涯と赤池は顔を見合わせて、しばし固まった後……
「……やるか?」
「はい。今日フンサイの奴、『今朝は快便だったぜ』とか言ってやがった。その仕掛け人がアイツか! だったら……」
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約一年と五カ月後。
アメリカ、ラスベガスにて。
そのセコンドの一人に、やたらイケメン長身の専属ドクターがいたとか、いなかったとか。
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