第二十二話 勝者はひとり

「ゼェッ、ゼェッ、ゼェッ……」

 大息を付きながら、よたよたとニュートラルコーナーに向かう挑戦者、フンサイ・ギャラクシアン。もう手を持ち上げてガッツポーズする余力すら無いが、それでも長く苦しい戦いが終わった事を確信して歓喜していた。


――ワン・トゥ・スリー……


 カウントを背中で聞きながらを待つ。もう絶対にチャンピオンは起き上がれない、その手ごたえもあったし、吐血しながら真下に沈む倒れ方を見てもそれは明らかだった。


 だが、カウント6の時点で、会場を揺るがす大歓声が沸き立つのを聞いて、彼は最悪の展開を予想せざるを得なかった。恐る恐る体を回して、コーナーに背もたれしながらリング中央を見る。


『チャンピオン、立ちましたぁっ! まだ、まだヤル気ですっ!!』


 果たして彼の目に映ったのは、両足をガニ股に広げて、そのヒザに手をついて立っている王者、天涯の姿だった。まるで日本の国技のスモウのシコのように腰を割りつつ、自分を鬼の形相で睨んでいた。


『今、ファイティングポーズを取りました、レフェリーがその表情をチェックしています』


 フンサイの心臓がバクバクとボルテージを上げる。あれで……あれでまだ立ち上がるのか!

(こっちは、もう、限界だ、もう右手一本持ち上がらない、一歩踏み出せば意識が飛んで行きそうなんだ。だが、だがまだ、やらねばならないのか……)


 心ではそう嘆いているが、それでもボクサーとしての本能が体を突き動かす。死力を尽くしてファイティングポーズを取り、王者の目を睨み返す。

 精一杯の意地を張り、この場に立つものとしての矜持を見せつける。


「ファイッ!」


 レフェリーが再開の合図をしたその時だった。会場に試合終了を知らせるゴングが、高らかに響き渡ったのは。


 ――カンカンカンカァーン――


 睨み合う二人の周囲に、観客の大喝采が響き渡る。同時に天涯の背中からトレーナーの赤池が抱きつき、フンサイの左右からサブロと白雲がその肩をしっかりと支える。

「よくやった、よくぞ立ち上がったぞ」

「最後まで頑張ったな、よく意識を保ったもんだ」

 ねぎらいの言葉をかける両コーチ。が、天涯もフンサイもその手をほどくと、お互いの相手に向かってよたよたと歩いていき……


 がしっ、と抱擁ハグを交わした。


「ええぞー、テンガイチイト、世界一ーっ!」

「タイの英雄フンサイ・ギャラクシアン! 凄かったぜえぇぇ!」

「ナイスファイト! ナイスゲーム!! ナイスボクシング!!!」


 やがて両者はコーナーへと別れ、応急手当てを受けながらグラブとバンテージをハサミで切り外していく。


 死闘12ラウンドは終わった。だが、まだ勝者がいずれかなのは示されていない。そう、ここからジャッジの判定により、真の王者が決められるのだ。



「判定になったか……くそっ」

 フンサイ応援団の一角で、スパーリングパートナーの南実尾が意気を落としてうつむく。思わず隣りの菊が心配そうに問う。

「か、勝ってないんですか?」

「ここは王者の地元だ……判定は最初っから捨てていた、コーウンさんもサブロさんもな!」


 地元有利ホームタウンデンジョン。格闘技に限らずあらゆるスポーツ競技でどうしてもついて回る依怙贔屓えこひいき判定。

 スポーツとはいえ興行なのだ。客を集め入場料を取り、ボクシングのブームを高め続ける事が、それに関わる全ての人々の義務だ。ならばどうしても英雄の存在が、偶像崇拝が必要になって来るのだ。


 豊かな国、日本。多くのボクシング系列のスポンサー企業を持ち、多額の入場料を払える国民と、それを開催できる大きな会場を持つ治安の良い国。その国で唯一の世界王者に、その座に居座って欲しいという思いが、勝負の天秤にわずかな重りを乗せるのはどうしても避けられないだろう。


「ダウンは両者2回ずつ。前半はチャンピオンがポイントを稼ぎ、後半はコーウンさんのペース……つまり客観的に見て、全くの互角。なら、やっぱり」

「そんな! そんなのって……」


 菊にはこの試合がどちらが勝っているのかなんて分からない。でもここまで必死に頑張ったコーウンさんが、いや、あの天涯選手だって、勝負以外の所で勝敗が決まっちゃうなんて納得がいかなかった。だって、二人ともすごく頑張って、そして凄くカッコよかったのに!


 一度リングを降りていたレフェリーが、大会運営委員と共に紙切れをもってリングインする。同時に会場は水を打ったような静けさに包まれ、それを埋めるように場内アナウンスが、判定の発表を始める。


『ジャッジ、トーマス・アストリア! 111対110』

 一人目、アメリカ人ジャッジは優劣を付けた!


『ジャッジ、ジュンイチ・コウダ! 112対111』

 二人目、日本人ジャッジもまた、どちらか一方が優勢との判定を出す。


(もし次が互角なら、1対1対1分けで……引き分け王座防衛もある!)

 二人のジャッジがどちらを有利と見たのかは分からない。だがもし票が割れていれば、次の三人目こそが勝者を決定せしめる。


『ジャッジ、グエン・スラッシュ! 111対110!』

 タイ人ジャッジまでも、この勝負に差を出した!


「「全部割れたっ!!」」

 会場中から声が上がる、こうなった以上、3-0かもしくは2-1で、勝者と敗者がハッキリと分けられることになる。


 どっちだ、どっちが勝った?

 天涯千都が、フンサイ・ギャラクシアンが、各トレーナーが、観客全員が、白雲 虎太郎うんこたろうが、そして門田 菊かどた きくが、その声を待って息を飲む。


 ――以上! 3対0で、勝者ウィナーー――


 レフェリーが手持ちの紙を投げ捨てて、一方の陣営に向き直り、その名を高らかに歌い上げる!!!






――挑戦者チャレンジャー、フンサイ・ギャラクシアァァァァンッ!!!――

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