第二十話 必殺! うんこたろうスペシャル!!

 ダウンを奪われた挑戦者、フンサイ・ギャラクシアンがなんとか立ち上がったと同時にゴングが鳴り響き、第5ラウンドが終了する。


 よろけながらも青コーナーに辿り着いたフンサイがイスに腰かけ、専属ドクターの白雲 虎太郎うんこたろうがひらりとロープを飛び越えて、フンサイの顔を両手で挟んで声をかける。


「瞳孔よし、呼吸良し、意識はあるね。じゃあ早速、意識をお腹の下、腸に集中して。下っ腹からお尻の穴まで、そこでゆっくりと息をする感覚で」

「……それ、オナラじゃないですか? ドクター」


 朦朧としながらも苦笑いを返すコーウンフンサイ。このドクターには試合前から「ダメージを負ったら小腸や大腸を意識しなさい」と教えられていた。

 このコタロウ・ハクウンというドクターは、通称「うんこたろう」と呼ばれるほどの排便と腸環境整備のエキスパートだ。おかげで今朝もしっかりと快便が出来、ふわふわとした快感に包まれたものだ。


 実際、今も下腹部にはその快楽の余韻が残っている。その部分に意識を集中させると、何故か先程食らったパンチのダメージが和らぐように感じていた。

「まるで手品ですね……こんな方法で痛みが和らぐなんて」

「手品でも何でもないよ。痛みなんてのは脳がそう感じているからだ。それを腸の好調で上書きしてしまえばいい」


 腸は「もうひとつの脳」と言われるほどに自立している内臓器官だ。腸自身で考え、消化吸収やぜん動運動などの生命活動を自発的に行うだけでなく、脳と腸で情報を交換し合い、指令を出し合って

 なので脳が他からの痛みを認識しても、腸からの快感信号を意識すれば、脳の意識をそっちに振る事すら可能になる。


 とはいえ痛みは体の負傷の重要なセンサーなので、完全に消すわけにもいかないのだが、格闘技の試合中ならばそれは極めて効果的な自己暗示の方法となるだろう。


「OK、ありがとうドクター。おかげでまだ戦えるよ」

「じゃあぜひ勝ってくれたまえ」

 わずかな時間の治療を終えて、うんこたろうはコーウンの目の前の場所をトレーナーのサブロに譲る。


「さて、次は私の番だな。いいかいコーウン、チャンピオンは君の突進を見事にさばく闘牛士マタドールだ。間合いを完全に見切っての押し引きで君を丸裸にしている。なので前後の動きでは勝ち目は薄い」

「じゃあ……自分に左右に動け、と?」

 突進系インファイターのコーウンにはアウトボクサーのような左右の動き、つまりステップワークからの円運動サークリングで戦う技術は無い。いくら現状を打破するためとはいえ、そんな付け焼き刃がチャンピオンに通用するとは思えなかった。


「ハハハ、馬鹿を言うな。君にそんな事させたら私はトレーナー失格だよ」

 そこで一度言葉を切って、ふふんと笑みを見せてから、続きの言葉を言い放つ。


んだよ、をね」


 ――ラーウンド、シックス!――


 開始のゴングが鳴り、両選手がコーナーを離れる。が、フンサイのほうはピ-カブーのガードを構えたまま、そこから前に出ようとはしない。


 会場がその様におおおっ! と沸く。とにかく突撃するのが売りの挑戦者が足を止めたのは、やはり先程のダウンが効いているんだ! と読んだ観客たちが、王者の背中を声で押す。

「しゃあ、行けチイト! 倒しちまえ!!」

「今日も派手なKOシーン見せてくれーっ!」


(……目が死んでねぇ、何を考えている? フンサイ・ギャラクシアン)

 そんなファンの無責任な指示に乗る天涯ではない。動きこそ見せないが、ガードの奥で鷹のような眼光をきらめかせているのを見れば、相手がグロッキーでないのは明らかだ。

 だが、その真意まではさすがに読めないでいた。考えられるケースは二つある。ひとつはこちらから接近して来るのを待って乱打戦に持ち込む事。もうひとつは何かあると思わせておいて、時間を稼いで体力を回復させる戦法だ。


(フン、馬鹿馬鹿しい。俺がそんなミエミエの戦略に引っかかるか!)

 意を決してジャブ・ストレートのワンツーを軸に遠距離から牽制を仕掛ける。相手を休ませず、なおかつリーチに勝るこちらの射程ギリギリで攻め、打ち合いに持ち込ませない。

(どうせ奴はここまでポイントで負けてる。だったらどこかで前に出て攻勢に来るはずだ、そしたらまた間合いを支配して蜂の巣にしてやるぜ!)


 遠距離からの王者の攻撃が続く。フンサイはその一つ一つを丁寧にブロックし、時には体ねじりウィービング沈み込みダッキングで躱すが、それでも反撃の手を出さない。


「何やってんだチート、さっさと決めちまえ!」

「チャンスチャンスチャンス、いけいけいけーっ!」

 KO直前かと思いきや、意外に消極的なチャンピオンの戦いに、観客たちがややヒステリー気味にブーイングを飛ばす。

 そんな会場の雰囲気に心で(ちっ)と毒づきつつも、天涯は今自分がやるべき事を確実にこなしていた。


 相手を削り、そして勝負に来るその瞬間を見逃さない。それだけでベルトは確実に自分の所に戻って……


 ぎしっ。


(……え?)

 背中に違和感を感じて、次の瞬間にぎょっ、となる。いつの間にか自分の背中にロープが触っていたからだ。つまり、いつの間にか自分はロープ際まで追い詰められていたのだ。


 ざわぁっ! とアドレナリンを巡らせて相手に集中する。幸いというかフンサイは一気に飛び込んでは来なかったが、すり足を使ってじり、じりっ、と間合いを詰めてくる。

(ダッシュが対応されたと知って、逆にゆっくりと追い込みに来たか……だがな)


 ほんの一瞬の後、天涯はロープ際から円を描いて脱出していた。あっさりとリング中央に陣取り直したチャンプは、そこからまたワン・ツーを主体に遠距離攻撃を仕掛けていく。


 だがその時、ガードするグラブの奥でフンサイが、青コーナーでサブロと白雲が、同じ思いを描いてほくそ笑んでいた。


『見た!』と。


 撃たれながらも、またすり足でじりじりと前に出続けるフンサイ。その圧が天涯をまたもロープ際まで追い詰める。

 が、天涯はそれでも相手が突っ込んでこないのを見て取って、再びステップワークで横っ飛びから円を描き、リングの反対側へとエスケープを試みる。


『来たあぁぁぁっ!!』


 その瞬間だった。フンサイが斜め前方、ちょうど天涯が回りこもうとした場所へと先回りし、その勢いを十分に乗せた右のロングスゥイングを、勢いよくチャンプの腹筋へと叩きつけた!


 ――ドボォン!!――


 肉が潰れるような音が響き、天涯の体が『く』の字に折れ曲がる。軽やかなステップで横移動していた天涯にとって、行く先を先読みされて放たれた低いパンチを躱したりガードしたりする余裕は無かったのだ。

 逆に突進系のインファイターであるフンサイにとって、横に回り込んで逃げるアウトボクサーを追い詰めるのはお手の物だ。逃げる方向とスピード、そしてタイミングさえ掴んでおけば、逃げようと腰高になった瞬間を狙い撃つのは得意中の得意だ!


「ぐはぁっ!!」

 この試合で始めて見せる、絶対王者の苦悶の表情。それは否応なしに対戦相手フンサイの気合いをMAXまで掻き立てる!

「うおぉぉぉあぁぁぁっ!!」

 相手の胸に頭を付け、懐に入ってボディブローを叩きつけまくるフンサイ。千載一遇のこのチャンスを逃すわけにはいかない、頭部うえはもう完全に無視して、ひたすら腹を殴る、殴る! 殴る!!



「一撃で……試合の流れをひっくり返したっ!」

「チャンスなの? ねぇ、チャンスなのね! じゃあ、いけーっ! コーウンさーん!」

 悲鳴が上がる会場の中、菊たちコーウン応援団の一角だけが盛り上がる。ここまでずっと劣勢だった挑戦者サイドのまさかの逆転劇に、ドラマチックな大逆転勝利を彼女ら全員が心から期待する!



(ぐっ、くそくそおぉぉっ! コイツ、腹ばっかり狙いやがってッ!!)

「フッ、フッ、シッ、シィッ!!」

 フンサイの連打は全てボディに集中していた。天涯もガードを下げて懸命に守ろうとするが、おかまいなしに放たれる連打がガードを貫き、あるいはすり抜けて彼の腹筋に突き刺さり、その奥にある小腸、大腸を叩き続ける。


 すでにコーナーへとはりつけにされた王者、そのボディに一発、また一発と挑戦者の拳がめり込む。天涯は腕を間に入れて何とか間合いをこじ開け、顔面打ちヘッドシュートを誘ってカウンターを狙おうとするが、隙だらけの顔面を見せてもフンサイは意に介さず、ガードの上からひたすら腹だけを叩き続ける。


 ――ドオォォン!――


 深々と突き刺さったその一撃と同時に、絶対王者の体がついに崩れ落ちた。


「ダウン! 離れてっ!」

 レフェリーが割って入って、フンサイをニュートラルコーナーへと追い立てる。


 『ワン、トゥ、スリー……』


 カウントが続く間、フンサイは青コーナーに目を向け、大喜びしているサブロと白雲に、感謝の言葉を心で伝える。

(やりましたよサブロ、そしてウンコタロウ! 俺達のをチャンプに叩き込んでやりましたぜ!)


 彼が先ほどのラッシュで頑なにボディを叩き続けたのは、ちゃんとした意図のある作戦だ。

 かつて白雲が菊と一緒に天涯のスパーリングを見に行った時、どうも彼は下痢気味だと見抜いたのだが、それを聞いたサブロは目を丸くして「減量中のボクサーが下痢などありえない」と否定したのだ。


 うんこ研究家の白雲の意見と、ボクシング界の名伯楽のサブロの一歩も譲らぬ口論は、それを呆れ顔で眺めていた菊の一言で呆気なく収まった。


「ひょっとして、減量に下剤を使ってるとか?」


 もしそれが真実だとしたら、減量中で脱水状態のはずのチャンプがあのスパーで、お尻の筋肉が妙に落ち着かなかったのも説明がつく。


 ……だったら彼の大腸は、絶対王者の思わぬアキレス腱なんじゃないか?


 先述の通り、腸というのは第二の脳と言えるほどに自立した器官だ。それだけではなく、脳と意志のやり取りをして、お互いがお互いに影響を与え合う存在なのだ。

 実際のボクシングの試合でも、ボディブローを多く喰らったボクサーは足が止まり、スタミナ切れを起こすと言われている。


 その真相は、殴られて悲鳴を上げた腸が脳に「もう動くな」「痛いから休め」などの信号を、指示を送っているのだ。腸の痛みからの訴えが脳をも支配し、選手の心を、闘志を、無意識のうちにへし折ってしまっている、これこそがボディブローの真骨頂なのである!


 だったらあの絶対王者を倒す最良の方法はボディだ。弱点である腸を攻めれば、確実に彼のスタミナを奪えるであろう。下剤を使う程に減量に苦しんでいるなら尚更の事だ。狙わない手は、無い!!


 カウント7で立ち上がった天涯。その表情は苦悶に歪み、息は荒々しくも悲鳴を上げていたが……その眼光だけは、獲物を狙う虎のように輝いていた。


 ――死闘は、なおも続く――

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