第十九話 場を制圧する王者

「左の……二連撃ダブルか!!」

 場内が挑戦者、フンサイ・ギャラクシアンのダウンに沸く中、コーウンフンサイ応援団の南実尾なみおが思わずそう吐き出す。それを聞いた門田 菊かどた きくが驚きの表情で、詳しい解説を求める。

「だぶる? そんな凄い技なんですか?」


 菊には今の技の凄さがよく理解できない。クリンチで絡まった二人が体をダンスのように回しつつ、チャンピオンが軽く左で側頭部を小突いて離れ、そのまま同じ所を今度は押しつけるようにしてコーウンを薙ぎ倒した、ただそれだけにしか見えなかったのだ。少なくとも今までの天涯選手の強烈なパンチに比べると、格段に見劣りする弱いパンチじゃないの? と。


「時計回りに回って左フックを引っ掛けた時点で、コーウンさんの右側は完全な死角になった。んで同じ所をあてがうようなパンチで押し倒したんだ……多分コーウンさん、自分が何でダウンしたのかもわかって無いんじゃないか!?」


 右回転しつつ左で横っ面を張られた時点で、コーウンには右方向の目視が難しくなった。加えてクリンチワークでバランスを崩した自分に、天涯がここぞとばかりにビッグパンチを撃って来ると警戒した瞬間、その見えない右側を押されるようなパンチで倒された。

 彼にとって貰った打撃、つまり痛みは一発目のそれのみだったのだから、自分が倒れている理由が理解できないでいたのだ。



(うまくいったな、さぁ、ここからが本番だ!)

 ニュートラルコーナーで仁王立ちするチャンピオン・天涯が、ダウンして尻もちをついたまま不思議そうな顔をする挑戦者を見下ろしながらそう自分に言い聞かせる。

 ダウンを奪えたのは上出来だった。元々あの左のフック二連発はクリンチの離れ際なので体のバランスが悪く、パンチに体重を乗せられる類の連打ではない。

 真の狙いは、一度クリンチからの脱出をよりトリッキーに見せる事で、ヤツ得意の接近戦の間合いを混乱させて潰す事にこそある。

 ならばここからの彼の仕事、攻防こそが、勝敗を決するカギとなるだろう。


 フンサイは立ち上がり、カウント8でファイティングポーズを取る。レフェリーが彼の顔を覗き込んで頷き、続行可能と判断して「ファイッ!」と再開の合図をする。


 同時にフンサイがピーカブースタイルをより低く縮め、一気に天涯の懐に向かってダッシュする! 何をされたか分からないなら何もさせないまでだ、と言わんばかりに。


 その潜り込みに合わせた天涯の右スマッシュが、バチィンと音を立ててフンサイの上半身を叩き起こし、続いてのワン・ツーでたちまち突き放す!

 フンサイも諦めない。再度の突進で今度はスマッシュを打たせずに懐に取り付くが、天涯は待ってましたとばかりにまた相手にクリンチをする。

 回転して体を入れ代えられ、ビンタのような左フックを貰い……今度は追撃をせずにススッと間合いを取られる。

(クッ、今度は何もなし、か!)


 先ほどの『不可視の攻撃』を警戒して追撃できなかったフンサイに、再び天涯のロングパンチが叩きつけられる。思わず吹き飛ぶフンサイだが、意を決して再度身を縮めて突っ込む。


 が、チャンプもさる者。出鼻をくじくように自分から間合いを詰めると、先手を打ってショートパンチを連打して、あえて相手の得意の接近戦に持ち込む……と思ったら、ふっと間合いを離して、応戦に入ったフンサイの気合を空回りさせる。そこから鋭いジャブで距離を測り、それを突破して来たフンサイに正確な打ち下ろしの中段ストレートを撃ち込む!


「ぐっ!」

 やりにくい。それがフンサイの正直な感想だった。あのクリンチからのダウン以来、こちらの間合いを詰めて接近する戦いを、いや、をチャンピオンにコントロールされている気がする。詰めすぎるとあのクリンチを食らい、また訳の分からぬ間にダウンさせられるかもしれない。

 ここはアウェーだ、ダウンを何度も取られたらそれこそレフェリーストップをされかねないのだ!


 だからと言って踏み込みを躊躇すれば、そこから様々に攻勢に転じてこられる。遠距離での強力なロングパンチから中間距離でのスマッシュ、接近戦になってもその対処は一流で、向こうからそうして来た時には天涯も重心を浮かせずに、正確に下からの叩き合いとなる。それで互角かと思えばまたクリンチやバックステップからさらりと逃げられる……まるで闘牛の突進を華麗にさばき続けるマタドールのような、王者の華麗な戦いぶりだ。



「やられた! 間合いをコントロールするのが目的か! よりによってコーウンの得意なタテの動きで!!」

 トレーナーのサブロがリングサイドから、苦戦する弟子を見上げて思わず吐き捨てる。突進系インファイターのコーウンにとって、横に逃げる相手ならいくらでも追い詰めることが出来る。

 だがこの王者は前後の動きで、押さば引け、引かば押せの阿吽の呼吸で、完全にコーウンを翻弄にかかっている。自分たちの土俵である一直線上の勝負で、こちらの上を行く空間の完全制圧を狙ってきたのだ。


「あのクリンチからの二連フックダブルでダウンを取られたのが痛かった……あれを恐れなければもっとこちらのペースに出来るのだが!」

 やはりアウェーなのがここで響いて来る。ダメージなど皆無なあのダウンだが、余所者であるこちらは常にレフェリーストップを警戒しなければならず、不用意にダウンなど喫する訳にはいかないのだ。

 そんな状況すら利用して、チャンピオン側はこの場を完全に支配しにかかっている。これが王者のゲームメイクという奴か! と思わずほぞを噛むサブロ。


 結局、終始挑戦者が劣勢なままで、第2ラウンドは終了する。



「あのダウンは左のダブルフックだ、ダメージは無い、臆するな!」

「大丈夫だよサブロ……必ずつかまえる」


 気丈に返すフンサイだが呼吸は荒く、顔には早くも青あざが浮き上がり始めている。主に顔面を狙ってくる王者のビッグパンチは、例えガードしても威力は皮膚までしっかりと届く。

 あざや腫れが酷くなれば顔を切りやすくなり、また目の付近がそうなれば相手が見えなくなる。腫れが酷くなればダメージ過多と見られ、最悪レフェリーストップすらありうるだろう。



 一方で、王者のサイドもそう簡単な話ではない。トレーナーとの赤池の会話がそれを物語っている。

「作戦通りだな、その調子でいいぞ!」

「薄氷の上でダンスするような作戦だな全く……毎度アンタの注文はしんどいぜ」


 そう、基本的にオールラウンダーの天涯が、あえて挑戦者の土俵である正面からの押し引きに付き合っているのだ。ほんの少し歯車が狂っただけで一気に相手に飲み込まれかねないこの戦いは、彼にとってもまさに綱渡りで有利を保つようなものだ。


「世界戦だぞ、チャンプなら淡々とこなして見せろ!」

「ハッ、冗談じゃない。の間違いだろ?」

 ニヤリと笑みを見せながらそう言って、セコンドアウトのブザーと共に気合を入れて立ち上がる天涯。トレーナー陣はリングを降りながら、それでこそ絶対王者テンガイチイトだ、と頷いて勝利を確信する。



 そんな彼らの期待通りに3、4、そして5ラウンドまで、ずっと空間を制圧した天涯のペースで試合は進んでいった。フンサイはいくら突撃しても攻勢に持ち込めず、時にするりと回避され、時には出鼻をくじかれて押し戻され、また別の時には接近戦で真っ向から押し返された。こちらが撃ち勝ったと思った時には、もうクリンチに抱えられて追撃が出来ない。


 そして5ラウンド終了の直前――


 ――ドォンッ!!――


 『挑戦者ダウーンッ! チャンピオンの強烈なスマッシュが、見事に相手を打ち抜きましたぁっ!』


 試合を決定づけるかと思われるビッグパンチが、ついにフンサイをマットに這わせていた。


 歓喜とチイトコールに沸く会場の中、観客席で見守る菊は青い顔で頬を抑えながら、思わずこうつぶやく。


「コーウンさん……もう、いいよ……」

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