第十三話 フンサイ・ギャラクシアン、襲来

「はいこれ、今月の給料明細です。半月分だけどご苦労様」

「ホントに……こんなに、いいんですか?」

 12月25日の夕方。事務所にて、既に振り込まれている半月分の給料明細を見て私、門田菊は思わず目を丸くする。住み込みで三食付き、しかもエアロビクス教室まで経費で使わせてもらっているのに、その額は今までやって来た一か月分のバイト代を遥かに上回ってるんだから。


「うんこを扱う仕事は、やっぱお金が良くないとね。こんなに崇高で誇らしいお仕事なんですから」

 ああ、うん。確かにバキュームカーの運転手とかだと、かなりのお給料が出るって聞いたことはある。誰もが嫌がる、でも大切なお仕事ほど収入が多くなるのは当然かもしれない。

 まぁ、私も毎日の排便とか記録されてるし、その為に食事とか運動量とか決められてる、いわばプチ実験台みたいな部分はあるんだけどね。


「ありがとうございます、本当に助かります。あの、それで……ここの助手って、いつまで続けられるんでしょうか」

「ん? ああ。私が生きてる限りはいつまでも続けていいよ」

 よかった。助手って言うから永久就職とは思えないし、睦さんも以前やってたって言うからいつかは『交代』の時が来るのかと思ってた。


 少なくともあの日みたいに、突然クビになって寒空に放り出される事は無さそうだ。


「改めて、これからもよろしくお願いしますっ!」

「こちらこそ、頼りにしてるよ」

 体を90度折り曲げて頭を下げる。本当にこの十日ほどで私の人生は大きく上昇カーブを描くことが出来た、この『♠うんこたろう♠』先生のおかげで。

 ……まぁ、言葉面はちょっとアレだけど。


「それで菊門ちゃん、28日から年末休みだけど、帰省とか旅行とかの予定はある?」

「え、いえ……特に予定は無いですけど」

 つい十日前まで無一文だった私に旅行なんて贅沢イベントが脳内にあるはずがない。田舎の徳島に帰ってもあのDV父親が待っているだけだ、できればもう一生関わりたくはない。


「そっか。じゃあお願いなんだけど、年末の大仕事に手を貸してくれるかな? 特別ボーナスを出すよ」

「ふぇっ? も、もちろんいいですよ。というかそれなら普通に言ってくれればやりますって、大仕事なら尚更ですよ」

 この人が『大仕事』なんて言うのはどんな仕事だろうか。察するにビル全体の大掃除とか、あるいはうんこたろうにちなんで下水の工事とか、そんなんだろうか。


「で、どんなお仕事なんですか?」

「ああ、これだよ」

 そう言って一枚のポスターをぱらっ、と見せる。そこには上半身裸のいかつい男性が。拳を構えたポーズで大写しになっていた。その上段には『大晦日決戦!世界フライ級タイトルマッチ』の書き文字が大きく記されている。


「ボクシングの試合……あはは、白雲さんも男子ですねぇ」

 真ん中に書かれている選手名はさすがに聞いたことがある。天涯 千都てんがい ちいとと言えば世界チャンピオンを何度も防衛している日本のヒーローだったはずだ。

 大晦日に格闘技の大きな試合があるのはお約束だけど、このイベントに付き合うのか、あるいはチケット販売に並べ、なんていうんじゃないでしょうねぇ。っていうかそんなのもうネット販売で売り切れてる、か。


「じゃ、早速出かけるよ」

 コートを羽織って席を立つ白雲さん。あれ? まだ六日も先なのに、今からどこに……?


  ◇        ◇        ◇


「あ、あのー、どうして空港に? そんな遠くに用事ですか」

 成田空港のロビーに到着してから、私は思わずそう問うた。これから飛行機に乗ってどこかに行くんだろうか……っていうかボクシングの試合は?

「ははは、私が行くんじゃないよ。出迎えさ」

 あ、なるほど。誰かがここに飛行機でやって来るんだ。それを出迎えに来たってわけか……いやだから、ボクシングの試合は?


「さ、飛行機が到着した。身だしなみを正して」

 あ、はい、と答えて髪の毛を手ぐしで直し、立ち上がってコートの位置を直す。


 と、周囲にいた人たちが一斉に色めき立ち、降乗口に向かってカメラやマイクをかかげて殺到していく……あれは、マスコミ?

「来たぞ来たぞっ! 最強の挑戦者、フンサイ・ギャラクシアン選手!!」

「タイの名伯楽、サブロ氏も一緒だ! いい絵いただきます」


 え、挑戦者ってコトは、ひょっとしてあの試合の相手の? と思ってポケットのチラシを出して見る。写真は天涯選手しか映ってないけど、たしかに対戦相手に『フンサイ・ギャラクシアン』の名前がある……白雲さん、もしかしてあの人に用事が?


「ようこそ日本へ。タイトル奪取への自信と抱負を」

「体調は、減量は順調ですか?」

「天涯選手への印象や対抗策をお聞かせ願います!」


 数人の人物が見えるや否や、マスコミがフラッシュを焚きながら質問とマイクを向ける。数人の黒服に囲まれた真ん中にいるのは、ちょっと恰幅の良いにこやかな中年と……

 その後ろに控える、小柄だけど鷹のように鋭い目をした、独特の雰囲気を醸し出す男性。一目見て分かった、この人がそのボクサーだ!


「さ、行くよ」

 そう言って彼らの一団にずんずん歩いていく白雲さん。マスコミの群れの後ろに立ち、一言こう発する。


「ど き な さ い」


 その声にマスコミ達が一斉に振り返り、一瞬固まったあと、まるで潮が引くように道を開ける。

 決して怒鳴ったわけではない。でも、その声量と音質は誰もが無視できない威圧感があった。長身の白雲さんゆえに声が上から飛んで来たのも理由の一つだろう。


「サブロさん、お久しぶりです」

「おおウンコタロー、今年もよろしく頼むよ。彼が私の太陽サンだ!」

 サブロと言われた中年男性が一歩前に出て白雲さんと握手して、後ろにいる戦士を紹介する。彼は白雲さんをその鋭い目で睨み上げるが、かまわず彼の前まで進み出た白雲さんはにこやかに右手を差し出し……。


「ยินดีที่ได้รู้จัก คุณ ฟุนซ้าย กาแลกเซียน ฉันชื่อโคทาโร่ ฮาคุอุน คุณหมอที่จะดูแลคุณที่ญี่ปุ่น(初めまして、フンサイ・ギャラクシアンさん。私は日本で主治医を務めさせて頂きます、白雲 虎太郎です)」


 それに応えてその戦士が手を握り返して、なんと日本語でこう返してきた。

「ハジメマシテ、コタロウ・ハクウン。タヨリニシテマス」


 事態がつかめないまま、ボクシング界の大物選手と親しげにしている白雲さんを見て思わずボーゼンとする。そんな私に白雲さんが「ほら、君も」と即したので、そのフンサイさんの前に立って頭を下げる。

「あ、あのっ! 白雲さんの助手をしている、門田 菊です、よろしくっ!」

 と、テンパる私の手を誰かががしっ、と握った。だれあろう目の前のフンサイさんだ。

「ヨロシクオネガイシマス、ワタシニ、チャンピオンベルトヲ、トラセテクダサイ」

「あ……はいっ、がんばります!」

 その剣幕に一歩引きながら思わずそう返す。え、私にチャンピオンベルトを、一体どうしろと?


 その時、端にいたサブロさんとやらがパチパチと手を叩き、なごやかな顔で続けた。

「HAHAHA、堅苦しい挨拶は抜きにして、お互いあだ名チューレンで呼んだらどうかね。ほれコーウン、教えてるだろう?」

 チューレン? 麻雀の役なのかな。


「そうでしたね。改めてはじめまして、コーウン選手」

「ハジメマシテ。ザ・ウンコタロウ」

「今年も世話になりますよ、改めてサブロです」


 なんか違う名前で自己紹介を三人が済ませた後、彼らが私をじーっと見ている……どうやら『あだ名』で自己紹介しろ、っていう事みたいだ、けど……


「き……」

「「き?」」


 「といいいますっ! よろしく、おねがいしまーすっ!!」


「ハジメマシテ、キクモンサン。ヨロシク」

「オー! いいチュ-レンですネ、頼みますよキクモンちゃん」

「男ばっかじゃむさいですから、菊門ちゃんがいて助かりますよ。さ、行きましょうか」


そのまま和やかな雰囲気で空港出口に向かう。私たちやボディガードさん達は確かに和やかだったけど、マスコミの皆さんはあそこで呆然と固まっている……さっきの私の絶叫からずっと。


 明日の新聞に載ったりしないだろうなぁ、コレ。


――――――――――――――――――――――――――――


※タイ語指導:土岐三郎頼芸(ときさぶろうよりのり)様

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