第十話 下原 宗次郎の憂鬱
(今に見てやがれ、あの寝取りホスト野郎……そして、俺を裏切った真理子ッ!)
昼下がりのショッピングセンターのオープンカフェにて。俺、
ずっと幼馴染だった
なにが「アンタのはちっさいの」だ、「つまんないのよアンタ」だッ! この淫乱女が!!
そしてあのチャラ男、
ポケットに入っている下剤を握りしめる。今日これからてめぇらのクソっぷりを、文字通り思い知らせてやる!
――ピンポンパンポーン――
”お客様のお呼び出しをいたします。玉溜アキラ様――至急サービスカウンターまでお越しください”
そのアナウンスに反応して、ヤツらが何やらウキウキ顔で席を立った。なんだ? 今日は野郎の誕生日なのは調べているが、それで買い物をした時に何か副賞でも当選したってのか!
くそったれが! 世の中全部間違ってやがる! なんであんな野郎にッ!!
……だが、これはチャンスだ! 二人は飲み物をほとんど残したまま、いそいそと席を立って行った。今なら奴らのいないスキに、この下剤をあの飲み物に放り込んで飲ませてやる。
そしたら……ククク。天国から地獄へと直行するがいいさ!
席を立ち、周囲に警戒しながら奴らのテーブルへと向かう。この昼下がりのひと時、俺なんかに注意を払うやつがいるとは思えないし、監視カメラの位置も確認している。今俺がヤツらのジュースに下剤を放り込んでも、認識できるやつなど……
じくっ ぞわっ
(うっ!? く、くそ! こんな、時に……)
俺は急な腹痛に襲われた。腹がキリキリと痛み、ギュルルルと鳴って脂汗が噴き出す。
(くっ、また、か。俺のこのポンコツの胃腸がっ!)
まただ。俺は小さい時から何かをしようとして緊張すると、決まって腹痛と便意を催してしまう。少年野球の試合の時も、高校受験の時もそうだった。それで人生をずいぶんと損して来たんだ。
だめだ、早くトイレに行かないと……とてもあいつらのジュースの蓋を開けて下剤を放り込むなんて繊細な仕事を、誰にも見とがめられずにする余裕なんてない……くそがっ!
文字通りの捨て台詞を心で吐いて、ショッピングセンターのトイレに直行する。幸い空きがあったおかげで事なきを得ることが出来た。
出すモノを出し、腹痛が収まったことで、俺は少し冷静になった。
思えば早まらなくて良かったのかもしれない、あいつら二人がまたあの席に戻って来るとは限らないし、そうなれば下剤入りのジュースがそこに残されたままになる。そうしたら万に一つだが、俺が入れたのがバレないとも限らないしな。
「仕方ない、今日は撤収するか。だが、いつか、必ず……!」
そんな言葉を吐きつつトイレの個室から出た時、俺の正面に見上げるほどの大男が立ちはだかっていた。
「うぉっ! あ、すいません。空きましたよ」
「ああ、順番待ちじゃないよ。こないだ以来ですね、
通り抜けようとしてそう声を掛けられ、思わずぎょっ! となって立ち止まり、恐る恐るその男の顔を見上げる。なんで俺の名前を……あ、あれ、こいつ確か、あの医者の――
「弟さんの便秘は回復しましたか? 健康な肉体は健康な胃腸と排便からですからね」
俺を見下ろしながら低い声でそう言う男に、思わず背筋が凍りそうな怖さを覚えた。先日は医者にふさわしいにこやかな顔で応対していたイケメンが、今は俺を冷酷な表情で見下ろしている。
何よりその態度が、そのタイミングが、何もかもを見透かしているかのように思えたから。
「健康な肉体は健全な精神に宿る。他人に下剤を仕込もうなどという卑劣な精神には、肉体からのストレス性胃腸炎という罰が下るのですよ!」
「な……何の、話だっ!!」
なっ、何で……コイツ、ヤバい、ヤバいっ! 一体、何者だ?
「な、なんの話か分からないね、変な言いがかりは止めてもらいましょうか」
そう言って足早にその場を通り過ぎようとする。まさか、こいつ警察? いや俺が下剤を悪用することを予想して通報したのか?
とにかくこの場にいること自体がもうヤバい。さっさとここを離れて下剤を処分しなけりゃ、コッチの立場が危うくなっちまう!
「いえいえ、祝福しているんですよ。殺人犯にならずに済んだあなたを、ね」
その言葉に思わず足を止める。何を言ってるんだこいつ……殺人だって?
「だ、だれが殺人犯だよ、一体何の話をしているんだテメェ」
振り返って、語気を強めてそう男に返す。このまま黙っていたら、こっちが何か酷い犯罪者に仕立て上げられるような不安に駆られる。冗談じゃない、なんで俺が!
「下剤を飲食物に混ぜられて飲まされ、それで死んだ人がいないと思っていますか?」
その冷たい瞳に射抜かれながら叩きつけられたセリフに、思わず全身がぞくぞくと身震いする。やっぱりコイツ、何もかも知っていてこんなことを言ってるんだ。
「そ、そんなんで死ぬ奴なんているのかよ……あっ」
しまった。そんな反応をしたら俺が本当にそれをやろうとしていたのがバレバレじゃねぇか!
「重度の下痢によって脱水症状になり、心不全や意識障害を引き起こすケースもあるのですよ。コレラや病原性大腸菌O-157での死亡ケースと同じパターンです」
そ、そこまでは、考えてなかった。なにしろ俺が持ってるのは市販の下剤、ムチャクチャにぶち込まなければ……。
「強烈な水便は痔を引き起こします。切れ痔、いぼ痔程度ならまだしも、最悪の『痔ろう』まで至ると高額な費用の手術が必要です。また肛門は下半身の神経が集中しているので麻酔も効かず、その手術の痛みは激烈なものになります。例えるなら……麻酔なしで抜歯をするのに匹敵するのですよ!」
ちょっと待てよ……たかが下剤で、そこまでなるか?
「もちろん痔は一生ものの障害になります。一生消えない傷と痛みを他人に与え、他人の排泄を生涯にわたって阻害し続けて、貴方はのうのうと生きていけるのですか?」
一生……いくらなんでも、そんな、つもりは。
「言うまでもありませんが、もし下剤を盛られた相手がトイレが間に合わず脱糞でもすれば、本人の名誉にも著しく傷がつきます。今の時代ならSNSで拡散され、広く世間の話題になります。そうなれば彼らも名誉回復のために原因を追究するでしょうし、ここの飲食店も食中毒の疑いがかかって警察や保健所の介入の可能性もある。もし下剤混入が立証されれば、傷害罪と高額賠償の裁判にまで発展しますよ」
そんな……そうなったら、破滅じゃねぇか、俺の。
「あと、その排泄物を片付ける人の苦労も考えないとねぇ。他人のうんちを掃除するのはしんどいでしょう」
もう、ごまかせなかった。
自分のやろうとしたことを見透かされているだけじゃない、それがどれだけ酷い結果をもたらすかなんて事を、俺は全然自覚してなかったんだ。
もし、バレずに奴らを苦しめさせたとしても、そんなの今日だけのことだと思っていた。だけど悪くすればそれはこの先の自分の人生の犯罪歴として、俺をずっと苦しめることにもなっちまうんだ……。
「どうです? 少しお話しませんか。お茶くらいおごりますよ」
その男の声がふっ、と柔らかくなる。顔を上げると、そこにいたのはあの時の気のいい医者のそれに戻っていた。
◇ ◇ ◇
カフェに戻って、あの医者と付き添いの貧相な女とテーブルを囲んで、俺は全てを白状した。
「うわー、まじで出来の悪いラノベのネトラレものっすねー」
「う、うるさいな! まさかそんなのが自分の身に起こるなんて思ってないわ!」
その女に思いっきりジト目で蔑まれ、反論にもなってない反論をする。カッコ悪いのは自覚してるからトドメを刺すのは止めてくれ……。
「むしろ良かったじゃないか。これで新たな恋を探す楽しみが出来たんだから、めでたい事だよ」
「そ、そんな事を簡単に言うなよ。第一俺は真理子に本気だったんだ……アイツ以外の女なんて、俺には居ねぇんだ!」
そうだ。だから俺は真理子が浮気して、あんなチャラ男になびいたことが許せなかったんだ。
「そのセリフは、世界40億の女性に対する侮辱だよ」
「……え?」
「その真理子さんとやらより君にふさわしい女性が、まさか世界のどこにもいないと思っているのですか」
「あ、いや、そりゃあ……どこかにはいるだろうけど」
そんな事……、考えてもいなかった。だけど言われてみたら、確かにそうかも。
「まぁ、私はパスですけどね」
立ち直りかけた俺が、横にいる女にばっさり切って捨てられた。うるせぇ、お前みたいな貧相な女、こっちからお断りだ!
「あなたの事情は分かりました。どうです? 貴方の仕返しとやらに私も一枚嚙ませてもらえませんかね?」
「え、何だと?」
意外な提案だ。てっきりお説教でも続くかと思ったが、一緒にあの二人を貶めようと?
「あなたが今よりずっと魅力的になって彼女以上の美人をゲットすれば、きっと彼女も逃した魚の大きさに悔しがることでしょう。あいつら以上に幸せになっちゃってやりなさい」
にかっ、と指を立てて面白そうにそう続ける長身イケメン医者。まぁ確かにそうなれば奴らにとって、ざまぁみろな展開にはなるだろうけど……
「そんな簡単にいくかよ。アンタみたいに遺伝子に恵まれてねぇんだよ、俺は」
「言ったはずですよ。健全な精神は健康な肉体に宿る、と。健康に生きれば心は澄み、清い心で生きれば自然とモテるイイ男になれるものです」
そんなキレイ事に言葉が返せない。この医者の言葉には、俺の全く知らない重みが確かにある……一体、何者だ?
「ところで、貴方はさっきもそうでしたが、精神的ストレスによる腹痛の気がありますね。その分じゃ人生の肝心な時々で、下痢に悩まされてきたのではないですか?」
「なっ!? ……なんで……それを。あんた一体、何者だよ」
「あ、申し遅れました。わたくし、こういう者です」
そう言って胸ポケットから一枚の名刺を差し出す。
―――――――――――――――
うんこ研究家
代表 白雲 虎太郎
―――――――――――――――
そのトンデモ名刺を見て固まる俺を、付き添いの貧相女が呆れ笑いしがら見ていたのを、知る由もなかった――
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