第九話 絶対に許されざる事(うんこたろう視点)

 日曜の昼下がり。オープンカフェテリアの一角で私、門田 菊がある人物を観察しながら、スマホに向かって小声で報告をする。

「こちら菊。ターゲットは未だ動いていませんが、3つ先の席に座っているカップルをずっと凝視しています。標的はアレに間違いないかと」

「了解。こちらも動くよ、そのまま見張りを続けて」


 白雲さんうんこたろうの指示を受けて、目立たないように顔を伏せ気味にしつつその人物の監視を続ける。

 ターゲットは20代の男性。帽子にサングラスにマスクという、一昔前なら不審者丸出しのいでたちなのだけど、最近の新型ウィルスの流行以来はそれほど奇異に見られるものでもない。

 そのターゲットが注視しているカップルはというと、いかにも軽薄男とギャルといった感じだ。マスクなんかには無縁で、周囲の迷惑も考えずにケラケラ笑いながら大きな声で会話している。いかにも何も考えない迷惑系ポジティブなタイプだ。


 さて、私が何でこんな探偵みたいな事をしているかというと、話は三日前にさかのぼる。


  ◇        ◇        ◇


『うるせぇ! 四の五の言わずに処方してくれりゃいいんだよ、即効性のある強力なをっ!』


 私が一回の診察室の前の廊下を掃除していた時(これも助手のお仕事)、中から男のがなり声が響いてきた。思わず「なにごと?」と意識を部屋に向ける。


 漏れ聞こえる会話から察するに、どうやらその人はここに下剤を買いに来たらしい。ウチは『お通じ不良でお困りの方、なんでもご相談ください』の張り紙の通り、消化器系や排泄系の専門医ではあるので、そういう患者が来るのは別に不思議ではないけど……。


 でもあの「うんこたろう」が便秘を直すのに、いきなり薬に頼るわけがない。

 ちゃんとした運動や睡眠、そして体の副交感神経のコントロールで快便に導かれるのは、私が身をもって経験済みだし、薬物の投与が体に負担をかけるを彼が案じているのも先日の警察病院で知っている。だからいきなり下剤を寄越せと言っても聞くはずがないのだ、


 しばらく経った後、その患者はドアを乱暴に開け放って、そのまま出て行った。同時に白雲さんが顔を出し「こっちに来なさい」と私を呼ぶ。言われるままに診察室の奥にあるミーティングルームに案内される。


「あ、あの……何かあったんですか?」

「うん。君に仕事をしてもらうよ、さっき出ていった男を尾行、監視してもらう」

 その指示に思わず「へっ?」という声が出る。呼ばれたタイミングからしてあの男絡みだとは思ったけど、尾行とか監視とか探偵じゃあるまいし……。


「あの男、下剤を手に入れて、それを悪用する可能性がある」

「……え?」


 話を聞くに、彼の弟が慢性的な便秘に悩まされており、それを直すために強力な下剤が必要だと言ってきた。白雲さんはそれに応えて、その弟さんを連れてきて診察すべきだと主張したのだが、彼は「そんな金は無い」と聞き入れなかったそうだ。

「ならば私がボランティアとして、患者の家まで往診してもいいよ」

「うるせぇ! 四の五の言わずに処方してくれりゃいいんだよ、即効性のある強力な下剤をっ!」

 ここでさっき私が聞こえた怒声に繋がるらしい。確かにそこまでその弟さんとやらの便秘を直したいなら、遠慮せずにこのウンコの達人に任せればいいんだ。それが出来ないって言う事は……あれ?


「もしかしてその弟さん、犯罪者とか? ほら指名手配犯とか密航者とか」

 病院を訪れる以上、その患者が犯罪に関わった者なら医者から警察に通報が行くリスクはある。例えば刀傷や銃創があれば、それは相手の殺人未遂の証拠となるのだ……ま、まぁドラマで得た知識なんだけど。


「それは無いね。聞いてみた弟さんとやらの症状もバラバラで、明らかにウソをついて薬だけを出さそうとしていた」

「なんでまた」

 目を丸くしてそう問う私に、白雲さんは険しい顔をして、絞り出すようにこう言った。


「誰かに、盛ろうとしているのだよ……超強力な下剤をな!」

 その顔が、声が、まるで中世の騎士か英雄が、悪の化身に向けるようなものである事にぞっとする。今までに見た事の無い、怒りと憤りと使命感を称えた、まさに漢の顔だった。

「絶対に、許せないだ! なんとしても阻止するぞッ!」


 白雲さん曰く、他人に下剤や睡眠薬を盛るのは、立派な傷害罪に当たるそうだ。確かに刃物で相手の体を傷つけるのと、下剤という道具で相手の内臓を傷つけるのが同じ罪になるのは当然かもしれない。


 加えてその立証が難しいという点も卑劣だ。その飲まされた飲み物が残っていない限り証拠にはならない。姑息で陰湿なその犯罪は、腸の健康を正義としているこの白雲さんうんこたろうにとっては……まぁ絶対に許せないんだろうなぁ。


「どうせ上司が気に食わないとか、彼女を寝取られたとかのくだらん理由に違いあるまい」

「そんな漫画やラノベじゃあるまいし!」

「いや……案外そういう愚か者は多いのだ。ほんの少しのストレスにも耐えられない未熟な者が、取り返しのつかない犯罪を犯してしまう……たかが下痢だと、な」


 そこから白雲さんの行動は早かった。その男が出していた保険証から身元を割り出し、周囲のドラッグストアに電話をかけて網を張り、その男が下剤を入手した事も確かめる。

 警察病院でお世話になった鐘巻刑事に連絡を取って、ターゲットの人間関係から憎しみの対象になりそうな人物を割り出してもらう。ちなみに本チャンの警察活動じゃなくて、あくまでボランティアらしい……どんだけー。


「やっぱり幼馴染の彼女を取られた恨みか……まったく」

「うわ、マジで出来の悪いラノベの世界ですねー」

 嘘のようなホントの話というか、事実は小説より奇なりというか、マジでンなことする人がいるんだなぁと呆れる。生まれてこの方モテたことなんてない私には未知の世界だ……そう考えるとちょっと悲しくなってきた。


 鐘巻さんの情報によると、今週の日曜はその寝取りのカップルがデートに出かける可能性が高いらしい。男の方の誕生日なんだとか。


「私の風体は目立つからね、奴に覚えられている可能性は高いだろう。だから菊門ちゃんに当日の尾行をお願いしたいんだ」

「菊門ちゃんって言わないでください、そんな会話してたらそれこそ怪しまれます!」

「ぐ……確かに。無念だが、当日は菊ちゃんで行こう」

 そこ、本気で悔しそうな顔しない。


 かくして当日の早朝からその男の家に張り付いていたところ、案の定そいつが帽子にサングラスにマスクという姿で家を出、幼馴染の女の人の家にこっそり張り付いて出かけるのを待ち構えていた。それを後ろで張る私はなんかドラマを見ているような気分になる、こういうのを二重尾行っていうんだろうか。


 そして気合の入ったおめかしをした幼馴染さんとやらが家から出て、それを男が、さらに私が後を付けて今、このショッピングセンターのオープンカフェに座っているという訳だ。


  ◇        ◇        ◇


 やがて作戦開始を告げるアナウンスが、オープンカフェに響き渡る。


 ”お客様のお呼び出しをいたします。玉留たまる アキラ様、ハッピーバースデー賞の当選が決まりました。至急サービスカウンターまでお越しください”


 大腸と排便の守護神、うんこたろうの絶対に負けられない戦いが今、始まる――

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