第八話 神に愛されし男
警察病院、朝8:00、13階の食堂にて。
15人の入院患者にとっての週に一度のお楽しみタイム、合同朝食会が始まる。
「それではみなさん、いただきます!」
「「いただきまーっす」」
めいめいが用意された食事を食べつつ、周囲の皆と和気あいあいと雑談などしている。その中には今朝、白雲さんや私たちと一緒に快便体操をした六人の重度の麻薬中毒患者さんたちもしっかり混じっていた。
彼らも皆、あさイチの廃人のような表情はすっかり消えていて、美味しそうに朝食を頬張っている。
「みなさん、快調そうでよかったですね」
私、門田菊はその光景を眺めながら思わずそうつぶやいた。が、隣にいた厚生労働省マトリの乾さんは、ふぅと息をついてこう返す。
「まぁ、今だけだけどね。長続きする訳じゃないわ」
乾さんいわく、本来なら彼らがこうして合同で食事するなどありえない話だそうだ。彼らはみな、大なり小なりの麻薬中毒患者で、突発的に発作を起こしたり幻覚を見て暴れたりが日常で、こうして他の患者とのコミュニケーションタイムを過ごせること自体が奇跡らしい。
その大きな要因が、白雲さんの快便体操によるセロトニンの分泌のおかげだそうだ。
「体力が回復してきている患者は薬である程度抑えられるけど、重病の人はもうそれすら無理なのよ」
彼女が言うには、ドイツの医学者が発明した麻薬中毒患者用の精神安定剤、”リヒター”という薬を処方すれば、そういった発作や鬱をかなり抑え込めるとか。でも強めの薬というのは、患者自身の体力が無いと逆に毒にもなりかねない。
ちなみにその薬も、体内のセロトニンを分泌させる効果があるそうだ。だがそれを投薬できないほど衰弱した患者には手の施しようが無かったのだが、それを白雲さん、つまり”うんこたろう”さんが快便を持って解決してしまったそうな。
もっとも快便も投薬も一時しのぎには違いない。麻薬中毒との戦いは長期戦で、心のケアも含めてしっかりと直していかなければ社会復帰はおぼつかないみたい。
「退院した後、また麻薬にハマることもあるんですか?」
私の質問に、刑事の鐘巻さんが深刻な表情で返してくる。
「ああ。単に麻薬の味を忘れられなかった人も居るが、バイヤーやバックの組織に『あいつはカモだ』と目を付けられてて、半ば強制的に引き戻されてしまうケースまである」
「……ひどい話ですね」
もともと麻薬で金儲けをしようなんて考えている奴らなんてロクなもんじゃないって思ってたけど、その話を聞いてさらに嫌悪感がムクムクと膨れ上がってきた。苦労して中毒を脱した人にまたそんな非道なことをするなんて、ほんっと許せない。
「ま、そんな奴らをとっ捕まえるのが私たちの仕事だ。患者を更生してくれる、うんこたろうの活躍に応えないとな」
「そうね。だから彼には感謝してるのよ。あなたも彼の助手として頑張ってね」
2人の言葉に「はい」と頷きつつも、私は複雑な心境をぬぐえないでいた。今まで単に汚い排泄物だとしか思っていなかったウンコが、こんな形で苦しむ人たちを救っていたなんて。今の自分の立場が思った以上に重要なんじゃないかというプレッシャーすら感じてしまう。
……まぁ肩書きは『うんこ研究家助手』なんだけどなぁ。
ちなみに当の
と、その白雲さんが打ち合わせを終えて戻ってきて、そのままお暇することになった。先生方や鐘巻、乾さんたちに何度も頭を下げられながら、私たちは警察病院を後にする。
帰りの車内で、なんか白雲さんがちょっと不機嫌そうに見えたので、言葉をかけてみた。
「あ、あの……何か気に入らない事でも?」
「ああ。正直あそこの仕事、現状は満足のいくものじゃないからね」
「え……どうしてですか?」
少なくとも患者さんやお医者さん達、関係者の皆にもすごく感謝されていたし、その価値があるだけの事はしていたはずだ。なのに、どうして……?
「私の担当する患者たちに、故意に便秘を誘発する食事メニューを食べさせているんだ。この『うんこたろう』ともあろう者が、他人の排便を……不調にするなどとはッ!!」
ぎりっ、と歯噛みしてそう顔をしかめる白雲さん。こんな険しい表情は今までに見たことが無かった。
「食事で……便秘を、誘発する? そんな、ことが……」
「簡単な事さ。吸収量が多く便になる量が少ない食材を使用する、摂取の時間帯に応じて副交感神経の活動時に大腸のぜん動運動を阻害させる、方法はいくらでもある」
入院患者というのは基本、食事や運動が不自由でストレスが溜まりがちになる。なので便秘よりもむしろ下痢、ひどい場合には垂れ流しになるケースまであるとの事。
そんな人には白雲さんの快便体操によるセロトニンの分泌がはかどらない。だから普段の食事で故意に便秘を引き起こさせて、週に一度の快便体操で出させて幸福感を感じるように誘導しているというのだ。
「……どんだけ、ですか、それ」
もしそれが事実ならこの男、もう完全に患者の身体をコントロールしてるって事になる。麻薬を抜くための快便イベントの為に、その数日前から食事のメニューまで完全に仕込んでいるなんて、いくら医者でうんこ研究家でも離れ業すぎる……!
しかもそれを本人が悔いているっていうのだから、どこまで妥協の無い人なんだか。
「私は……すっごく立派な事をしていると思います!」
思わず力の入った声でそう励ますと、白雲さんはふっと笑って「ありがとう」と呟き、その後の言葉を紡ぐ。
「こちらこそ。今日は元気に体操をしてくれて助かったよ。鐘巻刑事や乾女史もそうだけど、多くの人と行動を共有するのは患者にとって何よりの元気になるしね」
「私が?」
「人は人と一緒にいることで幸せが増すんだよ。例えば一緒に元気よく快便体操を踊るとか、週に一度同じ境遇におかれている人たちと一緒に食事する、とかね」
目配せしてウインクしながらそう話す。言ってる事がウンコ話じゃなければ、これで落ちない女の人なんていないだろうなぁ、なんて思うほどのイケメンっぷりだ。さすがに私はもう慣れたけど。
でも確かに、病室で孤独に生きている患者さんにとって、大きな声で元気よく笑顔で踊る白雲さんは親しみが持てるだろう。私もまた知らず知らずに、彼らを元気づけてあげることが出来たのだろうか……だったらちょっと、嬉しい、かも。
「ま、まぁ、私は助手ですし、それがお仕事ですから」
そう言った時はたと気づく。そういやこれお仕事だったんだ……だとしたら。
「あ、あの……この出張のお仕事で、いくらくらい稼いでいるんですか?」
相手は警察病院、いわばお国相手のお仕事だ。しかもあの貢献度を考えたら、おそらくは相当な高額報酬が……。
「ああ、今日のあれはボランティアだよ、いわゆるスマイル0円ってヤツさ」
「え……えええええーっ!? 無報酬なんですか?」
信じられない。あれだけの事をやってて見返りなし? 朝も早よから出向いて、重病人に向き合って自作の体操ソングを踊って、次回の作戦計画やそのための献立まで立てて、多くの人の苦しみを救ってきて……プライスレス?
「報酬はあるさ。この『うんこたろう』が生きてきて身につけた知識。それが人様の役に立つのなら誇らしい事だよ。私自身を高める事にもなるしね」
その誇らしげな顔を見て、私はまた(ああ、やっぱりこの
思えばあの夜、私を救った時だってお金なんか取らなかった。
決して傲慢な気持ちで人助けするんじゃない、お金に余裕があるから気取っているんでもない。
自分の生きてきた人生。その誇りにかけて、人々を幸せにすることを真に願って、彼は今日も『うんこたろう』として奔走している。言うなれば、彼は正義のヒーローなんだ。
なんだ、どうりでイケメンなわけだなぁ。この人が神に愛されないわけが無いんだから。
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