第七話 地獄に舞い降りたうんこたろう
※本作はフィクションです。実在する団体、医療関係、警察関係などとは一切関係ありません。
――――――――――――――――――――――――――――――
朝5時過ぎ。私、
「ふあぁ~、こんな朝早くから、どこ行くんですかぁ?」
今日はこれから彼の助手としての最初の仕事だ。そのために朝四時起きで、昨日同様に朝の快便体操とやらを一緒にこなしてお通じを済ませてから(昨日ほどは出なかった)、朝食をかっ込んで足早に出てきたのだ。
「昨日も言っただろ。地獄だよ、気を引き締めてね」
そう言われれば昨日そんなことを言われていた。でも東京の朝焼けを眺めながらのドライブはどこか清々しく、とてもこれから地獄なんてところに向かうイメージは無かった。
と、正面に大きなビルが見えてきた。門構えも立派で、入り口には警備の守衛さんが仁王立ちしている。そこに車を横付けすると、窓を開けて声をかける白雲さん。
「おはよーさん、来たよ」
「あ、うんこたろう様、どうも!」
そう言って直立不動の姿勢で敬礼する守衛さん……って、あれ? 単なる守衛さんにしては立ち姿も敬礼も決まっているし、それにあの制服は……。
「あの、今のって、警察官の方、ですか?」
「そりゃそうだよ。だってここは警察病院だからね」
意外な返しに「ええ!?」と驚く。医者の白雲さんが往診するのはまぁ、あるかもだけど、まさか警察関係の方面にも顔が効くのか……守衛さんにまで『うんこたろう』が馴染んでるし。
車を駐車場に止め、ロビーに入って受付に向かう。ここでもナースさんの横には警察官の方が立っていて、白雲さんにびしっ! と敬礼、挨拶する。
「いつもご苦労様です、うんこたろう様!」
……うーん、こ。VIPみたいな扱いが、その後の名前で台無しになるなぁ。
何やら受付を済ませた後、しばし前のベンチに座って待っていると、奥の方から三人の警察官と、茶色のトレンチコートを羽織ったいかにも刑事さんな風貌の中年男性、そしてインテリそうな眼鏡をかけた女の人がやって来る。
「おはよう鐘巻さん。今週はどんな感じですか?」
「ああ、五日前に新入りが一人で計六人だ、よろしく頼むよ」
白雲さんがコートの人と言葉を交わし、全員が整然とエレベーターに向かう。私はなんか場違いな空気を感じつつ、その後にとことこついて行く。
「このお嬢ちゃんが電話で言っていた、新しいアシスタントかね」
「ええ、なかなかに見どころのある子です。ほら、自己紹介して」
エレベーターの前でそう即されて、恐縮しつつ頭を下げて名乗る。
「あ、あの、白雲さんのお手伝いをさせて頂いてます、門田 菊と言います」
「どうも。警視庁捜査一課の
「厚生労働省マトリの
やっぱりコートの人は刑事さんだった。インテリそうな女の人はなんか偉そうな肩書きに似合わず、にこやかな顔で握手をしてくれた。でも……マトリって?
そうしているうちにエレベーターが到着。ぞろぞろと全員が中に入ると、警官の一人が迷わずに最上階である13階のボタンを押す。
(え、えーっと、13階ね……あれ?)
案内板を見ても13階は空白だった。一体何なんだろう、まさかそこで白雲さんによるウンコ講習会でもやってるんだろうか……ありそうで怖いなぁ。
チーン、と音を立ててエレベーターが止まり、ドアが開く。その瞬間――
――ぞわっ!――
全身の毛が逆立つような、嫌な気配と空気を全身で感じた。なんか現世とは違う場所に踏み込んだような違和感に、心を雑巾のようにぎゅっ、としぼられた感じがした。
その階には一本の長い通路の左右にいくつものドアが並んでいた。カベにある窓には鉄格子がはめられていて、中こそ見えるもののはめ殺しになっている。
そしてその中から、苦しげなうめき声や怨嗟を思わせる何かを求める声、息も絶え絶えに何かに耐える荒い呼吸が、まるでさざ波のようにじわじわと響いて来る。
「な、何ですか……何なんですか、ここっ!」
一歩後ずさって皆を見る。鐘巻刑事も乾さんもみな真剣な表情で先の部屋を見るなか、白雲さんだけはふっ、と笑って、私の問いに答えた。
「ここは麻薬中毒患者の入院医療室だよ」
ぞくっ、と悪寒を感じるとともに、この階の異様な雰囲気に納得がいった。麻薬中毒になった人たちが警察に確保されると、麻薬から縁を切るためにこういう部屋に隔離されるって話を聞いたことがある。そういえば乾さんの言ってた『マトリ』って、TVドラマで見た麻薬取締部の事だった、確か。
コツコツと通路の奥に進む一同。その最深部に到達した時、白雲さんはみんなに向き直って、一言こう発した。
「さぁ、今日の治療を始めますよ」
その言葉に全員が頷き、警察官のひとりが右側の部屋の鍵を開ける。むわっ、とした異臭が部屋に入る前から漂ってくるが、そんなのお構いなしにずかずかと部屋に入っていく白雲さん。
部屋の奥には一台のベッドがあり、その上で男性が体育座りをしていた。その顔も体も痩せこけて、目だけが何かを求めるかのような不気味な光をたたえて、こっちをギョロリ、と見つめる。
なにこれ……とてもこの世の光景とは思えない。白雲さんが言った『地獄』が、まさにぴったり当てはまる世界だった――
「さーって、快便体操第一、はっじめっるよ~ん♪」
ずるぅっ! と思わずズッコケそうになる私。この空気の中でいきなり、あんなおちゃらけた声でそんな事をいわれりゃそうなるわよ!
でもそれは私だけで、警官三人はその指示に従って患者さん(だと思う)に取り付き、両肩を抑えて立たせた。鐘巻さんと乾さんはその左右に並んで、何かを待っているかのように立つ。
「ほら、菊門ちゃんも並んで」
「き……菊門ちゃん言うな!」
毒を吐きつつも、仕方なく乾さんの隣に並ぶ。白雲さんは満足げに笑って、手持ちのスマホアプリを起動させ、昨日からお馴染みの『快便体操第一』のテーマソングを流し始める。
――はいお腹をもみながらツイストツイスト、大腸をぐいっとねじる感じで~♪
――ななめ後方にブリッジ~、はい反対側~。お腹の皮ごと内臓をのばしのばし~
――ジャンプジャンプジャンプ、お腹にくっついたうんこを振るい落としましょう
しかし何度聞いてもアレな体操ソングだなぁ。歌ってるのが白雲さんなのがまたシュールさを醸し出しているし。
そう言いながらも私も踊る。他のみんなもちゃんとやってるし、患者さんも警官の補助を受けてなんとか体操をこなしている。白雲さんはというともちろん満面の笑みでこのふざけた体操を生き生きとしていく……長身のイケメンがうんことか歌いながらぐいぐい踊る姿は、まぁ言うならば『汚い体操のお兄さん』ってとこかな。
と、患者さんが突然体をうずくまらせ、何かを訴えている……あ、これ分かる。きっと便意が来たんだ!
「はいはいー、いってらっしゃーい」
テーマ曲を止め、笑顔のままそう告げる白雲さんに背中を向けて、患者さんがそのまま部屋の隅にあるトイレに向かう。
「んじゃ、次いこっか」
なんとなくハイになってる白雲さんとは対照的に、鐘巻さんや乾さんはいくぶんぐったりした表情だ。私も結局何しに来たのかわからずじまいのまま、みんなと一緒に部屋を出て……
そのまま、向かいの部屋に入っていった。ええ、ひょっとして……また?
そこにいた患者さん、若い女の人だったけど、顔周りはシワだらけだった。全身がだらんとタコみたいに力なく、目も完全に死んでいた。さっきの人とは別の感じで『廃人』という表現がぴったりきそうな人だった。
「さーって、快便体操第一、はっじめっるよ~ん♪」
結局そこでも、次の部屋でも、その次の部屋でも全く同じルーチンだった。みんなで一緒に快便体操を踊って、患者さんがトイレに直行したら次の部屋に向かう。そこでもまた同じことをして、病的な患者さんをトイレに自発的に叩きこむ……三人目と五人目はトイレが間に合わずにファールしてしまったのが猶更、精神的に堪えるなぁ。
結局六部屋を回り終わって、通路の反対側の休憩所で一息つく。患者さんはともかく、私たちは部屋を回るたびに体操を最初っからやらなきゃいけないのもあって、すっかりクタクタになってしまった。まぁ白雲さんだけはいたって元気なんだけど。
「結局、何だった、んですか、これ」
ジュースを飲みながら、うらめしそうな目で白雲さんに問い詰める。相手は麻薬中毒患者なのに、快便でその毒が抜けるとでも言うのだろうか……」
「もちろん! 彼らの社会復帰を助けるのさ、快便で!」
予想通りの答えが返ってきた……清々しいまでにブレないな、この人は。
「お嬢さん。セロトニン・ドーパミン・ノルアドレナリンというのを知っているかね?」
鐘巻さんが私にそう話を振ってきた。セロトニンって言ったら確か、腸で生み出される体内麻薬だったわよね。私も昨日の快便でそれが出たらしくて、ずいぶん幸せな気分に……あっ!?
「気づいたわね。今日一緒に体操したのは、まだまだ麻薬が抜けきっていない重度の中毒患者たちよ。彼らに麻薬を絶たせるために、快便からの体内物質の快楽で紛らわそう、ってワケ」
乾さんがそう解説してくれた。なんでも体内麻薬はコカインだかヘロインだかよりはるかに強い陶酔感があり、下手をするとそっちにハマりこんで廃人になってしまう人までいるんだとか。
でも基本体内で生み出されるそれらは、麻薬に比べて体を壊すことはずっと少ない(心をやられることはあるらしいけど)。なのでそれを彼らに体験させることで、この世には麻薬よりずっと気持ちいい事があるという事を、体で教えるためにこういう事をしているんだとか。
うーん、こ。麻薬<快便、かぁ……すごい図式だなぁ。
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