第3話 僕と先生の蕾
先生の
ひと月あまりの撮影記録からその成長を追っていけば、当初の十倍ぐらいの大きさに育った蕾は、皮膜の下に花の色を見せ始めていた。
「何色だ?」
「薄いピンクです」
「桜色か」
「……そうですね」
長い髪を頭に巻き、服を脱いで背中だけを見せて座る先生にビデオカメラをむけながら答える。様々な交渉を経て、この撮影方法に落ち着いた。無難すぎると先生はご不満だが、これ以上は僕には刺激が強すぎた。蕾にメジャーを当てて大きさを記録する。桜色の蕾からは微かな甘い匂いが感じられた。
「九.八センチですね」
「昨日より三ミリも大きいか。成長速度が上がっているな」
そう
「これ以上大きくなると、服で隠すのも難儀だな」
「平べったい蕾ですから、ゆったりした服ならまだ大丈夫ですよ。しかしこの花、いつ頃に咲くんですかね?」
「わからん。しかし花の色が見え始めたなら遠くはないな。きっと秋のうちには咲くだろう」
気付けば僕は当たり前のようにこんな会話をして、この観察を楽しむようになっていた。騒ぎになるのでもちろん周囲には秘密だったが、この異常事態を誰に相談するでもなくひとりで受け入れて楽しんでいる点、僕も先生に劣らず相当な変人だと思う。
「ところでどうだね、この技は。奥義『肘車』と名付けようと思うのだが」
「そういう変態関節技は他では絶対やらないでください」
セルロース化した関節には靭帯による可動制限がないらしく、先生は肘から先を風車のように回して遊んでいた。その変態関節機動に冷静に応対している自分の適応力は、やはり変人の領域に踏み込んでいると思う。
「今なら立位体前屈も余裕だな。よし、八代くん撮影!」
そう思いつきで立ち上がり、イスの上に立って立位体前屈を始める先生に付き合ってビデオカメラのスイッチを入れる僕は、「どうしてこの状況を受け入れているんだろう」とあらためて思いながら、ビデオを先生に構えた。
「あ、定規を忘れた! 何センチだこれは!」
と、ファインダーの中の先生が前屈中に自分のミスに気付いたとき、イスがぐらりと揺れた。
「あ」
とっさに身体が動いた、と同時にドスンという衝撃が僕を襲った。
「ははは、すまんな八代くん」
そう苦笑いする先生。先生を受け止め切れずにその下敷きになった僕は、
「……大丈夫です」
先生の柔らかい重みが身じろぎをして起き上がり、覆い被さるようにして僕の顔を覗き込む。
「本当に大丈夫か?」
先生の大きな瞳に僕の姿が映っている。僕は自分の動悸を聞いた。意識すればするほど高まるこの動悸の理由を確かめるように、自然と僕は先生に訊いていた。
「……先生。桜の樹の下の屍体の話って、覚えてますか?」
「うん?」
「美しい花は醜いものを犠牲にして咲いているって話です。ほら僕の入学式の日に――」
それは僕が三上先生と初めて会った日のことだった。
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