第2話 先生は変人である
三上先生は変人である。美人だが変人である。どれ程かというとスマホの着信音がおっさんの絶叫のようなフクロテナガザルの鳴き声というところから始まって、担当の生物の授業では「クジラのペニスは三メートル、ゴリラのペニスは三センチ。つまり諸君はクジラ以下ゴリラ以上の存在だ」という下ネタ生物トリビアで授業を撹乱し、外へ生物観察に出ればアリの巣同士の戦いの観戦を始めて「戦いは延長戦に入った。ここは私が見届ける、君たちは先に戻れ!」とそのまま授業解散し、カエルの解剖を始めればマッドサイエンティストさながらのゲス笑いを浮かべて「神経を電気で刺激するとだな、ほら、見たまえ! こうビクンビクンと手足に反応が!」とドン引きの授業風景を作り出す、というレベルの変人である。
そしてついたあだ名は「生物狂師」。先生は誰もが敬して遠ざける校内一の残念美人として、色もの教師の筆頭格のような地位にあった。だから美人であるのに顧問の生物部の部員は僕一人、といったことになっていた。
それでである。ここで問題なのが、この「生物狂師」は当然に「生物研究」を趣味としており、その筋では玄人はだしのアマチュア研究者として有名という先生の知的探究心は植物人間となった自分にも遺憾なく発揮され、それに生物部部長である僕も当然に巻き込まれてしまう、ということであった。
で、この状況である。
「先生。やっぱりこの状況はヤバいです」
ドアもカーテンも閉め切った生物準備室で、僕はビデオカメラ片手に先生と対峙していた。じっとりと肌に浮く汗に静かに唸るエアコンの冷気が当たる。その音とひんやりとした感触が、僕の緊張を否が応でも高めていた。
「それはだね、八代くん。君がまだ私を人間と思って観察しているからだよ。人は人ではなく人の形をしたものにも発情できるかということは興味深い研究テーマであるが、現在の課題は植物化した私の身体の観察にあるのだ。思春期の性的好奇心は理解するが、今は未知への探究者としてその知的好奇心に熱意を燃やすときだ。さあ、撮るんだ。さあ!」
そう言ってブラジャーのホックをはずし、両手を開いて迫る先生から、僕は必死に視線を逸らして叫んだ。
「先生! それは痴女です! 捕まります、僕も先生も捕まります!」
「案ずるな! これは合意だ!」
観察を頼まれた僕の仕事は、先生の日々の身体の変化をビデオ撮影することだった。先生は自宅でも定点撮影による記録をしていたが、曰く「個人の観察だけでは視座的限界がある」とのことで、別の人物――つまり僕の視点での記録撮影を求めてきた。それでその協力を了承すると先生が脱ぎ出した、という訳である。
「合意でもなんでも、ダメなものはダメであると!」
「ええい、情けないぞ八代くん。研究対象に欲情するとは未熟者め」
「先生が成熟しているからいけないんです!」
揺れる胸の圧力を前に後ずさると、先生が聞こえよがしに舌打ちする。
「これはもはや動物性脂肪ではない。植物性脂肪の塊だ。ラードでもバターでもなくマーガリンだ。君はマーガリンに欲情するのか!?」
そういうならラードにもバターにも欲情はしない。しかし目の前の成熟したバストは揺れているのである。先生は自分の身体がすべてセルロースに置き換えられたと言っていたが、そこに見えるものは色も形も質感も、完全に人間の女性のそれそのものなのだ。植物などには見えない。つまりこれは逆に言ってしまえばラードでもバターでもマーガリンでも、それがそこにその形で揺れている限り僕は――人間の男はその形状にパブロフの犬的発情をしてしまうということなのか……! という自分でもよくわからない思考が頭の中を駆け巡るぐらいに僕はテンパった。赤面も自覚できるくらいテンパった。
「そもそもそこまで脱ぐ必要あります!? 下着姿ぐらいじゃダメなんですか!?」
喚くような僕の抗議に先生はスッと表情を消すと、後ろ髪を巻き上げて僕に背中をむけた。
「見たまえ」
そう言われて恐る恐る視線を戻すと、先生の背中の肩甲骨の間にある小さな突起物が目に入った。
「……これは?」
「
先生はこともなげに言った。
「花が咲くはずだ。それを撮ってもらいたい」
その突起物をじっと見る。それは複数枚の皮が幾重にも被さったような、薄緑色の一センチぐらいの突起物だった。ビデオカメラをむける。フォーカスされたそれは確かに植物の蕾に見えた。
「よい反応だ。そこは一人ではうまく撮影できなくてな。しっかり撮ってくれたまえ」
蕾を観察する僕に、先生の髪が嬉しそうにゆらゆらと踊った。
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