第7話 【通訳】のティアテラ




   ◇◇◇



 ――船上




「すみません! ごめんなさい! 許してください! 敵意、悪意はありません! た、助けて下さいぃ……!!」



 号泣している女にハッと我に帰る。


「ぁっ。悪い! 急なことでつい」


「い、いえ! ごめんなさい、許してください、勘弁してくださいぃ!!」



 ドカッ!!



 俺が剣を収めると女は一瞬で頭を床につける。

 その奇行に呆気に取られて“お嫁さん”に視線を向けると、無表情で小首を傾げた金眼と目が合う。



 ポッ……



(……か、かわいい……!!)



 俺と目が合うとお嫁さんは顔を赤くする。

 大陸横断中の15日間。幾度となくコレを目にしてきたが慣れるものではなく、軽く唇を噛み締めて耐える。


 本来なら、毎度「かわいい!」って叫びたいくらいだが、以前ポツリと「かわいすぎるな……」と溢れてしまったときに、



 ――レイ君。顔がだらしない!



 なんてグラーに注意されたので、必死に平静を装っているのだ。……お嫁さんにも(だらしないです……)なんて思われないための措置だ。



「命だけはっ! 命だけはお助けくださいぃ!」



 眼鏡の女の叫びにまたハッとする。

 女は一向に顔を上げずに首を差し出している。


 正直、(あぁ。俺のお嫁さん女神だなぁ……)なんて2度目のキスを噛み締めていたので、完璧に気を抜いていた。


 咄嗟のことで剣を抜いてしまったが、悪いのは完全に俺の方だろう……。


 いくら代金を支払っているとはいえ、乗組員を無力化して縛り上げてるんだから、海賊のようなヤツに思われているに違いない。

 

 よ、よし。ここは悪人でないことをアピールしないと……。



「……旦那様はそんなことは致しませんよ? 早く顔を上げてください」


「うぅぅっ、ありがとうございます、ありがとうございます! 見た目通り、“聖女様”のようなお方ですぅ!」


「いえ。そんなことは一切ありません」



 お嫁さんは抑揚のない口調と無表情でバッサリと眼鏡女の言葉を切り捨てるが……、



(……なっ、なかなかわかってるじゃないか!)



 俺は眼鏡女に好感を抱いた。

 聖女というのは、絵本に出てくる女神の化身のような存在だったはず……。


 俺のお嫁さんは間違いなく聖女様なんだ。

 やっぱり、わかるヤツにはわかってしまうんだろうな、うんうん。


 

 スッ……



 俺は眼鏡女に手を伸ばしながら口を開く。



「とりあえず、立ったらどうだ? すまなかったな、いきなり剣を抜いたりして……。それに君の仲間たちを縛ったことも……。生まれ育った土地に違法薬物をばら撒かれることが許せなくてつい……な」


「……ううぅぅっ!!」


「俺たちを船に乗せてくれた恩を仇で返してしまった」


「ううぅぅっ。い、いえッ! あなた様のお気持ちはわかります! ウチも本当はこんなことしたくなくてぇ……、で、でも、どうしようもなくてぇえ……」


「ふっ、そうか……。とりあえず、立ってくれ。詳しい話はそれからだろ?」


「……は、はぃい!! ありがとうござ、」



 スッ……



 俺の手を取ろうとした眼鏡女の手を取ったのはお嫁さんだ。お嫁さんはヒョイッと眼鏡女を立ち上がらせると、



 ギュッ……


 

 俺が眼鏡女に差し出していた手を取り、そのまま俺の手を離さない……。



「……?」



 呆気に取られた俺がお嫁さんを見つめていると、お嫁さんはじわぁあ……と無表情のまま、耳まで赤くして、


「だ、旦那様は私の、旦那様です……」


 消え入りそうな小さな声で呟き、海上へと視線を逸らした。



 ゾクゾクゾクッ!!



 その、あまりの可愛らしさに身震いする。

 隠しきれていない耳の赤さも、微かに震えが伝わってくるぎこちない手の繋ぎ方も……。



(俺のお嫁さん!! 可愛いがすぎるぅ!!)



 なにそれ! なんなんだよ、これ!!

 嫉妬ってヤツ?! 

 えっ、なに!? 最高じゃん!


 た、確かに、お嫁さんの手を他の男が触るなんて考えただけで虫唾が走るが……、それって、お嫁さんもそう思ってくれてるってことだろ!!



 うぅぅぬぬぬぬぬぬぬっ!!


 死ぬ! し、死んでしまうッ!! 

 お嫁さんの可愛さで俺は暗殺されてしまうぅ!!



 そっぽを向いたお嫁さんと1人悶えている俺。



「……ぇっ、あっ、ありがとうございます! お二人はご夫婦でしたか! と、とってもお似合いです!」


「「……ッッ!!」」


 俺たちにトドメを差したのは、現状を全く理解できていない眼鏡女の何気ない一言だ。



「……ぁ、あれ? ど、どうかされましたか? なにか失礼なことでも言ってしまったでしょうか……?」



 残った手で顔を覆った俺たち新婚夫婦に応答する余裕は一切なかった。





    ※※※




「グリー君の目的は、彼女……“ティアテラさん”かもしれませんね……」



 やっと落ち着きを取り戻した俺たち。

 眼鏡女の名前はティアテラと言うらしい。


 なんでも人攫いに遭って、奴隷としてこの船に乗せられているそうだ。


 不幸中の幸いなのか、ティアテラの恩恵(ギフト)は【通訳】。別大陸は言語も違うらしく取り引きには重宝されている存在のため、あまりひどいことはされていないという話だ。



 ――悪いことだとはわかっているんですが、命令に逆らえなくて……。



 奴隷なのだから当たり前ではある。

 かと言ってなんでもしていいわけではない。まあ、ティアテラには限りなく罪はないのだろうが……、



 ――レイもやるかぁあ?


 

 傭兵時代に違法薬物に手を出した人たちを知っているだけに、俺としては、なんだかなぁ〜……と言った気持ちだ。


 手を出す人たちも情けない。

 だが、初めから無ければ……とも考えてしまう。



 考えてもキリがないことに頭がプスプスとなり始めた俺を見かねて、お嫁さんの一言である。



 『グリーの目的』……。



 そう、グリーが把握していないはずがない。

 こうなることもグリーならわかるはずだ。船上を制圧してしまうことも、ティアテラがこの船に乗っていることも……。



「旦那様。グリー君は私たちにティークエン大陸の言語を習得してもらおうと考えているのでは?」


「なるほど……。確かに……。そう言われてみれば、そうとしか考えられない気がする!」


 お嫁さんがいてくれて本当によかったなと思うと同時に、自分のバカさ加減に泣きたくなる。



 ――レイさん、頑張って幸せになるんだよ?



 グリーの言葉の真意を今さらながら理解した。

 

(あぁ……。これからはグリーとグラーはいないんだな……)

 

 幼い頃より暗殺者として育てられたお嫁さんと2人きりで、今まさに新大陸へと向かっているのだという実感が湧いてきた。


 お膳立てはおそらく最後だろう……。



「……??」



 この眼鏡女が最後のグリーからの道標。


 ……任せろ、グリー。きっちり習得して、お嫁さんを幸せに……いや、2人で幸せになってみせるぞ!!



「ティアテラさん。俺たちに“ティーグレン大陸”の読み書きを教えて欲しい。報酬は言い値で構わないから」


「……えっ、ぁっ……はい……。助けられた恩をお返しする機会をくださるのなら、ティアとしても嬉しいです!」



 眼鏡女は一瞬だけ歯切れの悪い返事をして弾けるような笑顔を浮かべる。



「……だ、旦那様、ティークエン大陸です……」



 ポツリと呟かれたお嫁さんの一言に、俺の顔が赤くなったのは言うまでもないだろう……。



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