第6話 船上にて
◇◇◇【side:アリーシャ】
――ロズガルド帝国 貿易都市「レーガン」
サァー……
潮風が頬を撫でて、鼻腔をくすぐる。
大きすぎず、かと言って小さすぎない船の上。
「寒くないか?」
「はい……。大丈夫です……」
甲板の上には私と旦那様……。
旦那様は「そ、そうか」と呟き、「はぁ〜……」と頭を抱える。きっと、グリー君の言いつけを破ってしまったからなのだろう……。
「……う、ううっ、ラニシチィルデェ」
「――マティラグゥードルトネチィト」
「カジャリーコアメェネカ」
違法薬物の売人たちは目を覚ましたのか異国の言葉で呻いている。縛り上げられていることも、まだ命があることも予想外なのだろう。
正式な出航はできないので、密航者たちの船で私たちは大陸を出た。グリー君は「くれぐれも問題を起こさないように」と念入りに言っていた。
――くだらない物を持ち込むんじゃねぇ!!
しかし、大陸に違法薬物を売りに来た者たちだと知ってしまった旦那様は、あっという間に船上の売人たちを無力化し、ものの数分で船を乗っ取ってしまった。
私は勇ましく猛る旦那様に心臓がバクバクして立っているのもやっとだった。こんなに素晴らしい方が私の旦那様なのだと見惚れることしかできなかった。
――じゃあ、ボクたちはここまでだね……。
――絶対に幸せになってよね!
ほ、本当にお二人に合わせる顔がない。
この数日間で、あのお二方がどれだけ旦那様のことを大切に思っているのかは痛いほど理解している。
――ボクたちはレイさんに裏切られたフリをして大陸中の情報を撹乱して、タイミングをみて死亡説でも流してみるよ。
お二人は旦那様のために大陸に残られたのだ。
口では憎まれ口を叩きつつも、旦那様のために……。旦那様の幸せのために残られたのだ……。
――レイさんのこと頼んだよ……。
――幸せにしないと許さないんだから……。
あぁ……本当に情け無い。
私は涙ながらの2人とのお約束すら守れない。
(私はご迷惑しかおかけしていません……)
旦那様は私たちが去った大陸の方角に目を向けては頭を抱える。頭を抱えなければならないのは私の方なのに……。
まだ大陸を出て数時間……。
別大陸……“ティークエン大陸”までは3ヶ月。
今からでも……引き返し、私の首を差し出した方が……。
チラッ……
「はぁー……ダメだぁ……。他人の人生を捻じ曲げるなら、直接じゃないと……。……せめて自分の手で曲げろよ……。それが礼儀だろ……。薬物なんか……。クソッ……。あぁー! いや、ごめん、グリー……」
旦那様は小さな声でぶつぶつとお説教と謝罪を繰り返している。コロコロと変わるのは中性的でいて傷痕のあるワイルドなお顔……。
「…………」
ドッドッドッバクドクバクドクッ……!!
(………………か、か、か、きゃきゃきゃっごいい!! 全表情に心臓が反応するんですがッ!?)
ダ、ダメです! グリー君、グラーさん!!
わ、私、無理です!
旦那様を止められません!
止められるはずなんてありません!!
私が死ぬことで少しでも旦那様が傷ついてしまわれるのなら、私は絶対に死ねません!! ごめんなさい!!
……で、でも、ご安心下さい!
どんな状況になっても、私が旦那様を愛する事は不変。その命をお守りするためならば喜んで命をかけますのでッ!!
チラッ……パチッ……
また盗み見れば意図せず視線が交わる。
私は慌てて視線を逸らすが、顔には問答無用で熱が込み上がってきてしまう。
「な、なぁ……グリーのことだからさ……。もしかしたら、わざとこの船に乗せて俺がこういう行動を取るってわかってた可能性ないかな……?」
旦那様の呼びかけに私は再度視線を交わらせる。
確かにその通りだ。
あれほど用意周到で旦那様のことを理解しているグリー君。売買の内容を知らないはずがなく、旦那様がこのような行動に出ることを予想できないはずはない……。
ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ……
…………む、無理です。5秒が限界です!
か、顔、あつぃっ……。だ、旦那様まで顔を染められて……。な、なんでそんなに可愛いくてかっこいいのですかッ!!
私は海上の景色に視線を外して質問に答える。
「そ、それは……、十二分に考えられますね……」
「……だ、だよな! ってことは、グリーはこの状況を作りたかったって事だ!」
「その通りですね。流石は旦那様です」
「ふっ……。俺が“やってしまったぁ!”って焦るのを面白がるために問題を起こすななんて言ったのか? はぁ〜……、ったく……。どうせなら、見ろってんだ……」
旦那様は少し寂しそうに笑うので、
ギュッ……
私は思わず手を握ってしまう。
心の中では(な、なんてことをッ!!)なんて、顔から火が出てしまいそうですが、少しでもその寂しさを取り除いて差し上げたく……うぅううっ……。
「ハハッ……、ありがとうな、“お嫁さん”」
「……ぃ、いえ、当然ですよ、旦那様……」
スッ……
旦那様は色っぽい瞳で優しく微笑むと、私の頬に手を伸ばす。私は心臓が口から飛び出してしまわないように口を閉じ、顔から火が出てしまわないように瞼を閉じる。
ちゅっ……
優しく唇が触れあえば、天にも昇ってしまうほどの幸福感に目頭が熱くなってしまう。
私たちの2回目のキスは船上で……。
なんてロマンチックなのでしょう……。
大陸横断中はグラーさんが昼夜問わず旦那様の横にいましたし、私はなるべくお三方の邪魔にならないように過ごしていましたし……。
…………なるほど。私は自分でも知らぬ間に“寂しい”と思っていたのですね……。だからこそ、旦那様が私だけを見つめてくださる今がこれほどまでに幸福……。
あぁ……なんと愚かな。
トクンッ、トクンッ、トクンッ……
あぁ……なんと愛おしい……。
この自分の身体に染み渡る幸福な鼓動は、暗殺者にとって1番かけ離れているものに違いない。
世界はこんなにも美しいのですね。
「やばい。ごめん、いきなり……」
「いえ、とても嬉しいです……」
「そ、そっか!」
「はい……」
ニカッと嬉しそうに頬を赤らめる旦那様に心臓が止まりそうになる。
それなのに……、
(“もう一度”だなんてねだってしまいそうです……)
頭がクラクラしてしまう。旦那様のこと以外、なにも考えられなくなってしまう。気を抜くと涙が溢れてしまいそうになってしまう。
脳が……私の本能が痺れて心地良い。
(あぁ……。私、こんなに幸せで良いのでしょうか……?)
ピクッ……
(背後に気配がッ!?)
こんなに簡単に背を取られることなんて初めての経験だ。途端に現実が顔を出し、私と旦那様はほぼ同時に振り返りましたが……、
チャキッ、ブンッ!!
旦那様は即座に剣を抜き、背後の人物の首元に添える。
「ヒィイッ!! あっ、あの、えっと、ごめんなさい、ごめんなさい! た、助けて下さいぃ!」
そこには、眼鏡をかけた可愛らしい女性が涙目で手を上げて降伏の意思を示していた。
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